毒蛙自家中毒雑記

女性器舐めたいだけの人生でした。かえるグミです。

長生き出来る事が幸せの価値観であった時代が終わり、不幸になる前に死ねる事を考える

みんながそれぞれ自分の立場で頑張っているのに歯車がずれてみんな不幸になっていくディストピア映画が大好きなんです。辛いフィクションを見た後であれば、今ある理不尽な現実も少しは希望が持てるなと感じるからです。

でも現実的には、既に耐え難い事実を受け止めなければいけない時期に来ているなと感じる事件が起きています。

www.itmedia.co.jp

 

そして、そのブクマが少し多めに付いたので、その話をしたいなと思い、せっかくなのでブログを始める事にしました。

 

「お前死ね、殺すぞ」深夜の連続コールにヘルパーブチ切れ “修羅場”の認知症介護 慢性的な人手不足の実態 (1/5) - ITmedia ニュース

私、寿命を短くするための政策を考えていく時期に来ていると思いますよ。 自分たちで自分たちを支えきれなくなっているという事を全ての世代で理解できないといけない

2015/08/12 12:43

b.hatena.ne.jp

 

 

結局は高齢者が年金や医療費を「本来蓄えていたはずの資産」という幻想の元に当然の権利として利用する事に誰も歯止めが掛けられなくなってしまっており、現役世代や、子ども世代の教育に十分な資源を割り当てができなくなってしまっていると感じていています。

ブラック企業、就職難、出生率、35年ローンも、今世間で言われているようないろんな問題も原因はこれが含まれていると思うんです。

 

そこで、私達が本当に考える必要があるのは、長生きする事だと思うのです。

 

「長生き」は果たして健康なのか?「長生き」は幸せなのか?「長生き」できる事は国民の権利なのか、国家は国民が長生きをする事を保障する必要があるのか?

 憲法の13条や25条は長生きを前提とすべきなのか?

 

非常に難しいけれども、長生きを前提にすべき時代ではもうないんじゃないかと思うんのです。いまの高齢者に生きるなという話ではなく、これから高齢者になっていく自分たちがどうあるかという意味で。

 

少なくともも、長生きをしたいのであれば、若いうちからきちんと健康に気をつけて基礎年金以外の年金や保険加入と資産形成をすれば良いだけで、高収入でなくともキリギリス的に節制をするという生き方もあると思います。逆に現役世代のうちにいろいろと楽しみながら濃い人生を過ごしたいというニーズも高いと思います。

これらをどのようにみんなで理解をしながら、制度として設計していけるかが私達の未来に繋がるのでないかと思います。

 

具体的な政策としては、ナーバスな問題だからとても難しいと思うけれども、多くの人に納得がしやすいのは、健康保険の診療報酬範囲でしょう。

ターミナルケアやペインケア以外は通常の健康保険と同等の支払いを求めるレベルまでで調整した上で、介護者や同居者の負担を軽減していけるような仕組みが必要だと思うのです。

 

そもそも財源にしても、国債に頼りきった予算となっており非常に難しい状態です。

国債は国内保有率があるから破綻しないという話もあるけれども、国債残高の増加トレンドが国内消費を超えるおり、海外保有率も着実に増加している事を考えるとそれなりに危機感を持ってどうしていくべきなのかを真剣に考える時期に来ていると思います。

 

私達はどのように死んでいくのだろうか。これをリアリティをもって考える必要が若い世代が増えて、高齢者側にも逆に問いかけるくらいでないと難しいですよね。

 

安全保障や原発について考える事はもちろん大事だけれども、国家予算の規模から言っても、いま30代、40代が真剣に考える必要があるのは年金と医療であると思うし、同時に自分がどうやって死ぬのかを現実的に考えていく必要があるなと思うんです。