525,600
GW課題が終わりません。というか、全然やってません。どうも、かみきです。
二週間後には、もう大事な中間テストがあるんですけどね。頑張らなきゃ(使命感)
突然ですが、皆さん。
「525,600」
これはなんの数が想像がつきますか?
「525,600 minutes」
と、すればわかるかな?
つまり、「一年=525,600分」ということを言っています。
これは僕の好きな「Season Of Life」の有名なフレーズなんですが・・・どうですかね、短い、それとも長いと感じますか?
つまらない回答だと思いますが、僕はやっぱり短いと感じました。
「人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、何事かをなすにはあまりにも短い。」
作家の中島敦の言葉です。
時間はあっという間に過ぎていくのだなぁと気づくのは、対外、その時間が過ぎたあとのことです。
これからくる時間もあっという間だ、というのはわかっていっても、それを行動に移すのはなかなか難しいことです。
しかし、ただ時間がすぎていくのを傍観するのはあまりに阿呆だと思います。
まずは自分が何を成すべきか。そして、それを成していく。
しっかりとこのプロセスを踏んで、ただ時間を傍観することがないようにしたいものですね。
居飛車と振り飛車
今日の団体戦の戦績は、一勝二敗となんともいえない感じでした。
一年生も、僕ら二年生もそれぞれの課題が見つかったので、6月の高校リーグ戦に向けて頑張っていきたいですね。
とはいえ、まずは明日は個人戦、7日には将棋まつりの大会があるので頑張ってきます。
というわけで、一発目は将棋のお話です。今回は普通にがちがちの将棋のお話なので、興味のない人は読まなくていいです。
将棋にはたくさんの格言があります。
「桂馬の高跳び、歩の餌食」、「歩のない将棋は負け将棋」、「振り飛車には角交換」などなど。
そして、最近僕のなかでこんな格言が生まれました。
(一応、解説。将棋の戦法を大きく二つに分けるとしたら、それは居飛車と振り飛車。飛車は攻めの拠点となるので、飛車の位置は戦い方に大きく影響します。居飛車は飛車を最初の位置のまま、振り飛車は飛車を序盤で動かして戦うものをさす。)
居飛車も振り飛車も序盤の定石を学ぶのは大事です。ですが、ある一定までいくと、居飛車と振り飛車は勉強方法の基本が変わってくる。そう感じました。
居飛車は定石や手筋をメインに研究を重ねて、振り飛車は対局をメインに研究を重ねたほうがいいと感じたのです。
そしてそれは、居飛車と振り飛車の戦い方の本質が違うからなのか、とも。
居飛車は知識量がものをいいます。相手の出方しだいで戦略の幅が変わってくるのです。そしてどちらかといえば、受けの将棋(特に後手)になることが多いので、堅実に戦い、ジリジリと攻めていく感じ。なので、泥臭い感じが多いですね。
対して、振り飛車はいかにうまく駒を捌くかが重要になります。芸術的な手が多いのも振り飛車の特徴かと。どう美しく、しかし、かつ無理やりに相手の守りをこじ開けられるかが重要になると思います。
たった、飛車の位置を変えるか否か。それだけでここまでの差が生まれるのは、とても興味深いことですね。そして、将棋を楽しく感じる理由のひとつかな。
ちなみに僕は居飛車党なので、泥臭い将棋大好きです。
という感じで雄弁に語ってきましたが、アマ1級レベルのど素人の意見なんで、変なこと言ってても勘弁してくだしゃい!!
GW
球技大会で全身筋肉痛です。かみきです、どうも。
昨日、突然投稿をサボタージュしてすいませんでした。いやもう、家帰って風呂入ってすぐに寝ちゃったんで・・・頭の中からブログのことが消し飛んでました。
で、全身筋肉痛です。痛い痛い、立ち座りとかキツイ。じじぃかよぉ。
でもでも、ドッジボール出たんですけど、12人も当てたんですよ!!文化部にしては大健闘も大健闘でしょ。ほんとよくやった、文化部!
さてさて、皆さんGWは如何がお過ごしでしょうか?
僕は3日間将棋に捧げます。大会、大会、大会ってどんだけ将棋好きなんだよ。
それはさておき、今日から二回投稿をやってきます。
ほんとは朝晩に一回ずつくらいやりたいんですけど、ちょっと難しいかな?朝から大会会場に移動だし。
とりあえず、五日間一日二回投稿がんばっていきます!
一週間やってみて
ブログを始めてから、今日でちょうど7日目です。どうも、かみきです。
一週間やってきて多少要領はつかんだと思いますが、やっぱり慣れないものですね。でも、暇なときにブログのネタを考えたりするのは結構楽しいものです。
これまで、僕にとってブログとはなんだろうか?と考えてきました。
初めはそれについて、そして、今後はどうしていくか?など方針を話していきたいと思います。
まず、僕にとってのブログですが・・・
「心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば」
です。
例えば、一年前の自分はどんなことを考えて生きていたか?を問うてみるとします。大きな失恋したときの心情とか大事なことは覚えているけど、正直大事でない、とりとめのないことははっきりと思い出せないと思います。
ここ一週間僕が書いてきたような、とりとめのないこと。
だけど、そんな流れていってしまう思考の中に何か大切なことが隠れている、そう感じるのです。
もちろん大切なこともできるだけ記して残していきたいです。
いずれこのブログが黒歴史になる未来も、見えないといっては嘘になります。けれど、本のネタになるかもしれませんし、案外いい思い出になったりするのかもしれません。
次に今後の方針について。
とりあえず、自分のなかで次のようなルールをつくりました。
1:無理なく更新する。
2:実名は伏せる。
3:政治については語らない。
4:基本的に、投稿した次の日以降は記事を編集しない。
5:写真は載せない。
それぞれ理由がありますが、説明は省きます。この五つはしっかり守って、むろん常識の範囲で自由な記事を書いていきたいです。
今後も今までのようなとりとめのないこと、たまに小説も投稿します。
一日一回更新を目標としてますが、テスト期間中はほぼ無理ですし、前触れなく休むこともあります。
という具合です。
これからも「降水確率90パーセントの青空」をよろしくお願いします。
孤独
今日もカラオケ行ってきました!かみきです、どうも。
最近カラオケ行き過ぎてるんですよね、自覚はしてるんだけども。
その代わりとは言っては変ですが、GWの五連休は将棋の大会以外用事がありません!
どうも、ぼっちかみきです。はい嘘です、たぶん。
でも、人は皆等しくぼっちだと思うんですよね、結局は。
ぼっちの定義によりますが。
というのが今日のお話です。少々暗い内容ですが・・・ご了承を。
人の最小単位は言わずもがな「一人」です。
自分の考えていることをすべて相手に伝えることも、その逆も、完璧にこなせないかぎり、人の最小単位は一人だと思います。
いや、それができるようになっても変わりはないでしょう。
さらにいえば、究極的には自分が一番信用できるはずだから—————人は結局「一人」なんだと思います。「ぼっち」なんだと。
僕は、よくこんな考えに及んだりします。また、そういうときは大体どうしようもない孤独感も感じています。
そして、ひどいときには「信用にたる人などいないのではないか?」「みんな嘘つきなんじゃないか?」なんてことまで想像がいってしまうこともありました。
孤独という壁が、他人との距離を引き離してしまったのです。
しかし、そんな泥沼の闇と化した思考のなかで、僕は一点の光を見つけました。
みんな、僕と同じようなことを考えているのかもしれない?そう考えたんです。
つまり——————
孤独と戦っているのは一人だけじゃない、一人で戦っているのは僕だけじゃないと考えたんです。
それが本当かどうかなんて知ることはできません。孤独と戦うとき、人は一人ですから。ただそう考えることで、なんだか気持ちが軽くなったんです。
だけど、孤独と一人で戦うのもそろそろ疲れました。
孤独を分かり合えなくても、分け合える人。そんな人ができたら。
君と僕で、僕ら。そんな人ができたら。
そう願うかみきでした。
「君」
友人とカラオケに行ってきました。どうも、かみきです。
レパートリーは少ないながらも、ボカロ以外の曲を歌ったんですけど・・・歌詞もメロディーもうろ覚え。
もっと練習しないとなぁと思いました、まる。
ではでは、今日のお話です。
J-POP、ボカロを問わず、様々な曲で「君」という言葉が出てきます。
僕はこの言葉がとても好きです。
「君」という代名詞は大体、想い人が当てはまるような気がします。しかし、解釈のしようによっては友達だったり、兄弟姉妹だったり、あるいは、それらの言葉の枠には入らないけど誰か大切な人なのかもしれません。
たった一文字、2音にいろんな意味を込められる言葉。
いつもはあの人を思い浮かべている「君」を、今日は違う誰かを当てはめて歌ってみるとおもしろかったりするかもしれません。