映画『ナラタージュ』感想【ネタバレあり】|恋は人を狂わせる
どうも、郁(かおる)です。
映画『ナラタージュ』、見てきました!
映画館に映画を見に行くのは久しぶりで、3月か4月に『モアナと伝説の海』を見に行ったのが最後かな?
行定勲の監督作品を観るのは2015年の『ピンクとグレー』以来。
妹と見に行きました。
平日の夜ということもあり、公開からまだ日は経っていませんでしたが劇場はそれほど混んでいることもなく。
松潤が出ている、また恋愛ものだからか、観客のほとんどは女性でした。あとはカップルが数組。
見終わった後に余韻に浸れる作品で、いろいろと考えてしまいました。
それでは、早速感想を書いていこうと思います!
なお、感想には作品のネタバレが含まれますので、これから鑑賞する予定のある方は読まないほうがいいかと思われます。
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以下、感想です。
印象的な描写「雨」「裸足」
見てもらえると分かるんですが、ストーリーのカギを握るシーンではいつも雨が降っています。
泉が高校3年生の時に初めて葉山先生に声をかけられたシーン、泥酔して車の中で動けなくなった葉山先生を泉が見つけるシーン、泉が小野君の告白を断って彼の家から飛び出すシーン、小さな映画館(調べてみたらミニシアターって言うみたいです)を出て傘を持っていない泉が葉山先生と相合傘で映画館を後にするシーン。
この作品の中で雨の降る情景は何を意味しているんですかね?
こうしてぱっと並べてみると普通に考えて泉の感情が大きく動くシーンなんでしょう。
作品の冒頭に、時を経て社会人になった泉が自分の勤める会社の窓の外に降る雨を見ながら物思いに耽るシーンからも、やはり感情を揺さぶられるような激しい恋を思い出しているといったところなんですかね。
この作品全体として、なんだかアンニュイな雰囲気と言いますか、胸が苦しくなるような切なさを帯びているのにそれでいていつまでも終わってほしくないと思ってしまうような、不思議な雰囲気を持っている映画だなあと感じたんですが、そういった感覚を一番強く感じたのが雨のシーンでした。
泉の肩にかからないぐらいの髪が雨にしっとりと濡れた感じと物憂げな表情に、何とも言えない美しさと色気があって、うっとりとしてしまいました。
雨が降るたびにきっと、泉はこの頃のことを思い出すんだろうなあ。
そう思うと、雨っていうものの切なさを強く感じますね。
雨って本当に、感じ取る人によっていろいろな意味を持っていると思う。
喜び、悲しみ、怒り……、こんなに様々な感情と結びつくなんて、雨ってなんだか不思議。
また、個人的に気になったのが、素足を映す演出。
途中小野君の家で彼が作った靴を泉が履くシーンがありますよね、あれのインパクトが強かったからかなあ、なんとなく素足の足元が大きく映るシーンが意図的に多く入れられている気がして。
これは本当に私の直感的な考えなんですけど、泉が小野君に別れを告げて靴を脱いで裸足で葉山先生のもとへ向かうシーン、あそこを印象的にするために全体でことあるごとに素足をフォーカスしてるんじゃないかなあなんて。
あのシーンもさあ、見ている側として一番大きい感情は「切ない」「苦しい」「可哀想」とかなんだろうけど、どうしてもそこに美しさっていうか、画面から放たれる艶っぽさみたいなものに浸らずにはいられないんだよね。
「寒そう!」「足が壊死するよ!」「おい小野ふざけんなこの野郎!」っていうのはそりゃ間違いなくあるんだけど、半分ではこの救いようもないワンシーンに何とも言い表せない美を感じてしまっている自分がいて。
素敵な場面でした。
裸足で歩いてきた泉を見つけた葉山先生が、泉の冷え切った足を手のひらで包み込んで
「何やってんだよ」
って呟くシーンもよかった。
泉が葉山先生にとってどれだけ大切な存在なのかとか、葉山先生の優しい人柄とかがすごく感じられる動作と一言だった。
葉山先生の一言は泉に対するものだったのかな、それとも小野君に対するものだったのかな。
私は泉を辛い目に合わせた小野君への怒りを込めた一言だったんじゃないかとそのときは思ったんだけども、どんどん幸せから遠ざかっていく泉への言葉だったのかもな。
泉が葉山先生への想いを捨てられずに苦しい思いをし続けているのが自分のせいだということを葉山先生自身分かってて、それでもどうすることもできない自分への苛立ちって部分もあったのかな。
恋という感情は人を狂わせる
恋って怖い。
私が作品を見終わって一番に思ったことはこれに尽きる。
恋は人を狂わせます。
恋っていう感情に一度とらわれてしまったが最後、自分の行動を制御することが困難になってしまう。
物語の中盤以降の主要人物の関係を簡略に相関図にしてしまえばこうです。
小野 ―♡→ 泉 ―♡→ 葉山先生
テレビ雑誌のドラマ特集によくあるやつ。
泉は葉山先生に想いを寄せていた。
先生の本心は泉にはよく分からず。
しかしながら結局は、物語の最後に葉山先生自身が言っていたように、葉山先生の泉への気持ちは恋ではなかったのでしょう。彼が本当に愛していたのは、過去の事件で一度別れてしまった元の妻。姑とうまくいかずに心を病んでしまった彼女の事を、今も彼は愛している。彼女とその家族が事件から立ち直りつつある今、先生は彼女ともう一度やり直すことを決めました。
だから、先生には泉への気持ちはなかった。(泉への気持ちが恋ではないということに、当時の先生自身が気づいていたかどうかは別として)
気持ちがないにもかかわらず、先生は泉に対してこれでもかというほど優しくします。
熱を出した泉の家まで行き看病し、リンゴをすりおろしてあーんして食べさせたり。
このシーンのインパクトが大きすぎて他の例は思いつかないんですけども。
泉もきっと、先生は自分の事が女性として好きなわけではないということはわかっていたんだと思います。
それでもここまでされたら勘違いしちゃいますよね。
でも多分恋心ゆえの行動ではない。だとすれば何なのか。
多分先生に弄ばれている気持ちにもなるんじゃないかと思うんです。
つまり、泉は「自分が好きな人が、自分に対して気がないということは分かっているのにその相手から優しくされる」ということの辛さを分かっているはずなんです。
それでも、泉はそれと似たような辛さを演劇部で知り合った小野くんに味わわせることとなる。
これも一概には言えないと思うんですけど、私としては最初から最後まで泉は小野くんのことを「恋人として」好きではなかったと思うんです。小野君の帰省について行って、そのあと一人で夜行バスで帰るときに告白をOKしたのも、また後述するんですけど、先生への想いが実らないことへの苦しさから逃れるためにやったことなんじゃないかと。
自分のために小野くんを利用した、ってことではないかと思います。
そうだとすれば、泉は身勝手な行動で小野君の気持ちを弄んだことになる。
でも、きっと泉の人間性自体は優しい女性なはずなんです。看病のシーンで葉山先生も泉に「君は優しいから」と言っていた。
演劇の稽古中に様子がおかしい後輩を心配して声をかけるなど、他人を思いやることのできる人間だと思います。
それなのに、これほどまでに自己中心的な行動をとってしまったりする。
誰かへの恋心を抱いているという状況の下では、その人自身の人間性にゆがみを与えてしまったりもする。
「恋」という感情は、人間にとって必要不可欠なものでありながら、どこか異常なものなのかもしれません。
人間のダメなところが描き出された作品
前述したように、「恋」というある種の異常な心理状態の下での人間の弱さや脆さといったものがこれでもかというほど描かれた作品でした。
この映画を観ているとなんだか胸を締め付けられているかのような苦しさを感じるのは、こういったときにダメになってしまう人間の姿が自分にも重なるからだと思います。
自らも恋愛において自分のために誰かを傷つけた経験があると、いかに自分が自分本位の人間であるかを責められているような気にもなる。
ここでは、物語の主要な人物である葉山先生、泉、小野の3人について考えていこうと思います。
①葉山貴司の場合
この映画の登場人物は大体みんなどこかしらに精神的な傷を負っているんですが、葉山先生ももちろんその一人。
元妻が姑、つまり彼の母との関係の悪化に心を病んで家に火をつけた。(実際は燃えたのは倉庫のみ)結婚生活において彼女を守ってあげられなかったことを先生はずっと悔やんでいます。
そして、恋愛はもういいや、と思っている。ドラマとかでよくある「僕にはもう幸せになる資格はないんだ」的マインドですかね。
その荒んだ精神状態で新しく赴任した学校で出会ったのが泉。クラスで孤立し嫌がらせを受けていた泉を演劇部に誘ったことから、泉は葉山先生を慕うようになる。
泉に必要とされることで、先生自身、傷ついた心を癒すことができた。
ここまでならハートフルな先生と教え子の関係ですよね。
ただ、どうして(おそらく)泉への気持ちがないにもかかわらず、卒業式のときに自分から泉にキスをしたのか。
もちろん「自分は泉の事が好きかもしれない」という気持ちがまあったくなかったわけではないと思うんです。
でも一番大きいのは、泉の気持ちに答えてもっと彼女が自分を必要としてくれれば、この辛い思いに潰されそうな毎日から逃れられるかもしれないという期待だったんじゃないですかね。
言ってしまえば結局彼も自分のために泉の心を弄んだようなもの。
皮肉なのが彼の優しさですよね。
葉山先生は優しい。優しいからこそ、その反面泉は先生の気持ちを読めず結果的に心をえぐるようなことにもなった。
しかし、恋心ではないとはいえ、泉は彼にとって大切な存在だったことは疑いようのない事実だと思います。
彼が最後に泉に託した懐中時計にポルトガル語で刻まれていた「幸せであれ」という言葉がそれを物語っている。
葉山先生が懐中時計にその文字が刻まれていることを知っていたかどうかなんですが、私はきっと先生は知っていたんだと思います。
懐中時計は先生がまだ幼かったころ、彼の父親が先生に置いていったもの。先生が父の事をどう思っていたのかはわかりませんが、父と自分をつなぐ唯一のものだからきっとある程度大事にはしていたんじゃないかと思います。時計に何らかの文字が刻印されていることには気づいていた可能性が高い。ポルトガル語の刻印ですが、映画に詳しい先生はきっと外国語にも関心がないわけではない。意味を調べたこともあるんじゃないですかね。
「幸せであれ」
心から泉の幸せを願っているからこそ、先生はあの懐中時計を泉に託したんでしょうね。
②工藤泉の場合
さっきも書いたとおり、自分本位の考えで好きでもない相手に優しくする(小野くんと付き合ったこと)という行為に走った点について。
「自分が人からされて嫌な事は人にはするな」
という小さいときにみんなが親から躾けられるこの暗黙の人間社会の掟を全力で破る行為。
おそらく自分に好意を寄せていない相手を愛することを知っているはずの泉が、そんなに好きではない小野くんと交際を始めたこと。
帰りの夜道で知らない男に付きまとわれて恐怖を感じ小野くんに電話する場面で、小野くんに「俺のことそんなに好きじゃないくせに」と言われて、泉は「小野くんのことちゃんと好きだよ!」と言ってましたが、多分ちゃんと好きではなかったと思うんですよね。
泉も自分がそこまで小野くんに対して恋心を抱いていないことは心のどこかで分かっていたと思うんです。
ただ、自分が小野くんのことが好きだと思い込もうとしていた部分はあるんじゃないですかね。そういった思考ゆえのあの発言だと思う。
泉が小野くんに付き合おうって言いうのはシャワーでやり合うシーンの日の後でしたかね。記憶が曖昧。
あのシャワーのシーン、イコール泉が酔っ払った先生を車で送り届けたついでに先生の家に行くところでね、棚に並んでる映画の中に先生が好きじゃないって言ってた映画があると思ったら先生の奥さんが好きな映画だったり。
あそこできっと泉は「あ、私は先生と一緒にはなれないんだ」ってことを悟ったんだと思う。
ずっと好きだった人と結ばれることはないという悲しみ、苦しみ。
それを知った後に、先生に呼ばれて助っ人OBとして参加した文化祭の演劇部の舞台が終わる。
もうこれで会えない。
傷ついて沈んだ表情の泉に気づいた小野くんが、実家に帰省するから一緒に来ないかと誘ってくれて、彼の実家には温かい雰囲気が流れていて、笑顔になれた。
そうなるともう「あーなんかこういうかんじでいいんじゃない?私。」ってなる気持ちがめちゃくちゃわかるんですよね。
この人と付き合って、一緒にいれば、この苦しみも晴れるんじゃないかって。
よくあるじゃないですか。恋人と別れてハートブレイクなところを慰めてくれた人のことを今度は好きになっちゃうみたいな展開。
あ、うちの両親がこのパターンらしいです。
だから、さっきからずっと「泉は小野くんを利用した」って散々書いたんですけど、この時の泉はそんなこと思ってないんですよね。
小野くんの優しさに救いを求めたって感じかな。
そうやって小野くんと付き合い始めて、時間の経過とともに徐々に自分がやっぱり彼のことを大して愛していないことに気づいていく。
でもこの関係がなくなれば、一人で叶わぬ恋の悲しみを引きずる元の自分に戻ってしまうから、それでも小野くんと一緒にいないとっていう心理状態だったんじゃないかな。
ただ、泉の一番罪深いところが、「あ、私小野くんのこと好きじゃない」って目覚めたときに、できれば早めに本心を言って別れを切り出すべきだったんだよね。
そりゃあ「やっぱり好きじゃないから別れましょ」なんていったら小野くんも傷つくだろうけど、少なくとも小野くんをあんなクレイジーなメンヘラ男子に変えることはなかったでしょ。
夜中に葉山先生から電話がかかってきたことで初めて口論になるところとかのタイミングでそうすべきだった。
あそこからだよね、あんなに優しかった小野くんがおかしくなり始めたのは。
この作品の軸は泉の先生への想いだし、映像の美しさとか作品全体の儚げな雰囲気で泉の行動や考えが美化されがちだけど、泉がもっと別の行動をとっていれば、小野くんとの間であんな悲劇を生むことはなかったってのも忘れちゃいけないと思う。
だってこれから小野くんはきっとこのことをずっと引きずって生きていくんだぜ?
ここまでの話と関係ないけど、ずっと取ってあった卒業前に先生に宛てた手紙と先生と撮った写真を破ってタクシーの窓から捨てるシーン素敵だったよね。
紙屑がまるで花吹雪みたいに夜の景色に溶けていって。
別れの季節を象徴する花って言えば桜だけど、それこそ桜の花みたいで。
泉の先生との決別を表してる感じで美しかった。
まあ泉の心は全然先生から離れられてなかったんですが。
③小野怜二の場合
この映画は坂口健太郎が嫌いになる映画だと思う。
見るのも女性が多いだろうから、終盤の方の小野くんは「うわー最低!」ってなるところばかり。
でも、さっき言った通り作品全体で泉の視点が美化されるし、観客も泉に感情移入するから「最低」って思えるけど、よくよく考えたらこの人も相当可哀想だよね。
だってさ、好きで告白して一回断られたけどなんやかんやあってOKしてもらえて大好きな彼女が、本心ではほかの男のことが好きなんだろうなって感づいてて、彼女の行動や表情にもそれが出ちゃってたらそりゃあ不安定にもなるだろうよ。
ただその不安の現れ方が常軌を逸してたのが彼のいけなかったところだよね。
さすがに、
・知らない男に付きまとわれてる彼女を迎えに行かない。「もし迎えに行ったらもっと俺のこと好きになってくれる?」って
・別れを切り出されて土下座させる
・同時にその場で靴を脱がせて寒い中裸足で帰らせる
これはダメ!!
人間としてこの辺はどんな事情があろうと人に対してやっちゃダメだ!!
小野くんはこんなことやっちゃうようなクズ男だけど、彼には幸せになってほしいと思う。
ちゃんと自分のこと好きになってくれる人のことを好きになって、温かい家庭を築けたらいいね。
あと坂口健太郎の演技が上手いなーと思った。
小野くんが徐々にクズ男に豹変していく感じがリアル!
先生から電話がかかってきたとかなんとかで泉と口論になった時、一回汚い言葉で罵倒してからすぐに「あー、ごめんごめん」って謝るところとか、自分でも感情をコントロールできてない感じがよく出てたなーって。本気で怖かった、あそこは。
泉ちゃんも下の名前ぐらい呼んであげたらいいのにね。
柚子ちゃんの死
知らない男に襲われたことが原因で、物語終盤で歩道橋から飛び降り自ら命を絶った演劇部の後輩、柚子ちゃん。
稽古中に男子に肩を掴まれるシーンで怯えているようだったのを見て、男性恐怖症なのかな?と思ったんだけど、こんな壮絶な背景があったとは……。
そのシーンの後の泉のナレーションからも分かる通り、この一件は以前葉山先生に出会う前に屋上から飛び降り自殺をしようとして最終的に生きることを選んだ泉との対比ですね。
あの時彼女を引き留めたものは何だったのか。
柚子ちゃんが死を選んだ今、泉は何を思うのか。
この辺については考えてもよく分かりませんでした。
でも、あの時泉が飛び降りていれば葉山先生と出会うことはなかった。
葉山先生に恋をしたことで泉は大きな傷を負った。でもそれも含めてかけがえのない経験だったと思うんです。
どんな経験も、命を絶ってしまえばもうできなくなってしまうんだなあって思った。
柚子ちゃんが飛び降りる前に彼女から悩みを綴った手紙を受け取ったという演劇部員の男の子が、知っていたのに何もできなかったってうなだれていたのが痛々しかったなあ。
そういえば、泉が命を絶とうと屋上に佇んでいた時も雨が降っていましたね。
あの雨が泉をこの世にとどまらせたのかもしれない。
ラストシーンとエンドロール
就職した泉の後輩社員、宮沢くん(演・瀬戸康史)。
彼は絶対泉のこと好きよね(笑)
あと泉ちゃん、映画の配給会社に就職できたのね、よかったね!
好きなことを仕事にできるってのはいいことだと思いますよ。
それはさておき、「ナラタージュ」とは「回想」のこと。
冒頭では深夜のオフィスで窓の外を振る雨を観ながら泉の回想=ナラタージュに入り込んでいくという始まり。
そして話のラスト、紆余曲折を経てオフィスのシーンに再び戻ってきます。
最後は朝が来て雨もやんでいます。
ちょうど後輩の宮沢君に指摘されたことから、懐中時計に刻まれたメッセージ(「幸せであるように」)に泉が気づくシーン。
葉山が託したメッセージに泉が気づき、過去にとらわれす新しい道を歩んでいくことを暗示しているんですかね。
完全なハッピーエンドではなかったにしても前向きな終わり方で、晴れやかな気分で見終わることができました。
エンドロールも黒地に白文字のごくごくシンプルなものでよかったと思います。
何より曲がよかったですね。
この曲RADWIMPSの人が作った曲なんですね。
↑この予告でちょっと聴けます。
はじめまして 「さようなら」
最初で最後の 「さようなら」
あなたが歌ってた 夏のあの歌の
名前は知らないままで いるね
叶わぬ恋、とか、許されない恋を題材にしたこの作品にあってて、余韻も感じさせてくれるいい曲とエンドロールだったと思います。
終わりに
気づけば長々と8000字近くも書いてしまった。
それくらい色々と考えさせられる映画です。
あれだけ何回も「恋は怖い」って書いた私でも、あのくらい本気で誰かのことを好きになれたらいいな、と思えるような不思議な作品でした。
何よりどこか悲しさを帯びた儚く美しい映像が素敵で、ずっと見ていたいと思える映画だったと思います。
それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました~!!
とりあえず続けてみる、それも一つの手。【今日の日記】
どうも、郁(かおる)です。
今、先日見た『ナラタージュ』の感想を書いたり書かなかったり、削ったり書き足したり、なんやらかんやらしているところでございます。
映画にせよ本にせよ、作品の感想書くのってとてつもなく難しいですね。
見たり読んだりしてる間はいろんなこと思うんだけど、見終わってしまうと「いい映画/本だったなあ~」ってなっちゃって。
自分が何考えながら見てたかわかんなくなっちゃう。
本ならよく聞くみたいに付箋はりながら読んだらいいし、家で映画見るんならメモ取りながら見るのもありなんだろうけど、映画館で見るとなるとそうもいかんしねえ。
まあまあ、とりあえずはいろんな作品の感想書きながら「評論力」とでも言いましょうかね、そういう力も身に着けていけたらいいなあと思っているんですけども。
なんか漫才の冒頭みたいだな。
ほかのブログの感想記事いっぱい読むのもありだと思うんですね。
感想文が書けるのって一つの才能だと思うので。
感想なんて何かしらの作品を見たら誰もが持つものだと思う、すぐに忘れちゃうだけで。
でもその感想をアウトプットするのが難しい。訓練が必要です。
作品から感じたことを自分の脳の中のストックに結び付ける力も必要よね。
っていうのをこれを読みながら思いました。↓
カオスちゃんねる : 本や映画の感想がわからなくなるやついる?
それはさておき今日のお話をしたいと思います。
今日大学でゼミがあったんです。
ゼミっていうものをよく知らない方のためにご説明しておくと、ゼミとは主に大学の文系学部の学生が受講する講義で、一つのテーマについて興味を持った学生がその方面に詳しい教授の下に集まって皆でディスカッションするなり論文を読むなり何らかの活動や研究をすることです。
うん、たぶんこんな感じ。
私はある分野について英語で書かれた論文を購読するゼミに入っています。
(身バレ怖いので詳しくは伏せます。自意識過剰かもですが(笑))
毎回誰かが担当箇所を和訳したものを印刷したレジュメを作ってそれを皆の前で読み上げていくっていうのが活動内容。
しばらく就職活動でゼミに参加していなかったので、今日は久々に担当が回ってきました。
今週の月曜日から水曜日で5ページ分の英文を和訳してなんとか書き上げたA4用紙4ページ分のレジュメ。
極力教授からのツッコミが入らないように、微妙な単語やイディオムは逐一電子辞書やネットで検索して自分なりにまとまったレジュメを頑張って作りました。
というのも、2年からゼミに参加しているんですが、初めのうちの私の和訳のクオリティが本当に低かったんです。
私の専攻分野はすごく専門用語が多くて、英語をそのまま訳しただけではその分野の論文として話が伝わらないことが多いんです。
だから、ゼミに入った当初は専門用語をほとんど知らないが故未熟な和訳しかできないでいました。
教授にも「もうちょっと日本語の教科書を見て用語を覚えたほうがいいんじゃない」ってやんわり言われちゃったりとかして。
私こう見えて(?)負けず嫌いなのでその頃は結構悔しかったんです。
周りの先輩がしっかり意味の通るレジュメでゼミを進める中で私が和訳を担当する回は用語のチェックで話が止まってしまって本題が進まない。
申し訳ないやら、情けないやら……。
もっと大きかったのは、私もともと英語が得意だと自分では思ってたんです。
今の大学に受かったのも、センター試験・2次試験ともに英語で高得点をとれたからだし、高校のテストで他の教科は爆死してもなぜか英語だけは大して勉強してないのにそこそこの点数が取れた。
だから私は自分を英語の得意な人間だと思って生きていました。
でも、それはあくまで「大学受験英語が」得意な人間に過ぎなかった。
専門用語の飛び交う論文については、私の英語力じゃ歯が立たなかった。
このままではいけないと思って先輩から借りた参考書を読んだりもしましたし、ゼミに入った時より後に受講した授業でその分野のことを勉強したのもあって、何とか人並みのレジュメを作れるようになりました。
そして今日、正直ところどころ自分で訳してても意味不明なところとかもあったりして、少しの不安を抱えながら自分の担当箇所のゼミが回ってきたわけです。
結果としてはなんと!
ほとんど間違いを指摘されることはありませんでした!!
嬉しくて文字大きく&太字にしちゃった。
いやもうね、教授が「んー?」とか唸りながら首をひねることが何回あるんだろうと思いながら恐る恐る音読してたもんで、2,3か所しか違うって言われなくて正直自分でもビックリ!!
最初の一段落読んだ時点で間違ってないか不安になって「次進んで大丈夫ですか?」って教授に聞いたときに「うん、なかなか良くできてたね~」って言われた時の喜びったらないよ!!
あれだけダメダメだった私の和訳がここまで進歩しました!
2年の時に「うわっ…私の英語力、低すぎ…?」って落胆してた私に教えてあげたい、人並みにはあるよ!って。
電子辞書とグーグル検索に頼りながら作ったレジュメとはいえ、自分を褒めてあげたい。
まあ結局何が言いたいかっていうと、何でもとりあえず続けてれば結果はついてくるよってことです。
慣れでできるようになることってたくさんあると思うんです。
だからちょっと無理めなことでも、自分がそれを本当にやりたいって思ったらまずは少しずつでも続けてみようかなって思いました。
なには今日は私の英語記念日。
なんじゃそりゃ。
ハロウィーンシーズンなので今夜はお家でナイトメアー・ビフォア・クリスマスを見ようと思います。
それでは、今日もありがとうございました~!
映画「マイ・インターン」感想+α|フィクションに“現実味”は必要か?
どうも、郁(かおる)です。
私は映画を観たり本を読み終わった後はネットで解説や考察の記事を読むようにしています。
他の人の考えに触れることによって、作品に対する自分の考えを深めることができ、また自分が思いつかなかった新たな発見をすることができるからです。
「このシーンはこの作品の影響を受けているのか」、「このエンディングにはこういう見方もあるのか」等々、カルチャーに対する知識や理解があまりない私にとって良いことばかりなのです。
先日、映画「マイ・インターン」を視聴したのですが、その時もいつも通りにネットで感想ブログや評価を検索して読んでいました。
その時に少しばかり思うところがあったので、今回はそれについて書こうと思います。
なお、今回の記事は映画「マイ・インターン」のネタバレを含むので、未視聴かつ今後視聴する予定のある方は読まない方が良いと思われます。
目次
『マイ・インターン』について
まずは、「マイ・インターン」について、軽くご紹介を。
ロバート・デ・ニーロとアン・ハサウェイのW主演。
あらすじをごく簡単に述べれば、アン・ハサウェイ演じるジュールズが社長を務める若者だらけのファッション通販サイトの会社に、ロバート・デ・ニーロ演じるベンがシニア・インターンとしてやってくる。初めはジュールズはベンを煙たがるが、様々な問題を解決しながら2人は信頼関係を深めていく……、というストーリー。
(要約するのって難しいですね。話の流れを把握する力と表現力が問われる)
念のためこちらが公式のあらすじ。
華やかなファッション業界で成功し、結婚してプライベートも充実、現代女性の理想の人生を送るジュールズ。そんな彼女の部下にシニア・インターンのベンが雇われる。最初は40歳も年上のベンに何かとイラつくジュールズだが、いつしか彼の的確な助言に頼るように。彼の“豊かな人生経験”が彼女のどんな難問にもアドバイスを用意し、彼の“シンプルな生き方”はジュールズを変えていくー。そんな時、ジュールズは思わぬ危機を迎え、大きな選択を迫られることに!
まずは私の感想を
誇りを持って働く人はカッコいい
まず、アン・ハサウェイが綺麗。いい女。
いつかの月9の5時から9時までの石原さとみのコンサバ系ファッションの時も思ったんだけど、やっぱりシュッとしたお姉さんのオフィスカジュアルは最高ね。
私も細身のパンツスタイルにジャケットのスタイルで前髪掻き上げたい。
(ギリ平均身長以下かつ洋ナシ体形の私には夢のまた夢なのであった)
あとやっぱり、自分の信念をもって夢を追いかける人はかっこいい。
アン・ハサウェイ演じる女社長ジュールズは、自身の負担を減らして会社の経営を円滑化するために新しくCEOを雇おうという提案に素直に乗ることができずにいます。
それは「CEOを雇うということは、会社内での最終決定権はそのCEOに与えられるということ。自分の考えで経営方針を決めることができない状況になるかもしれない。それは絶対に嫌だ」という不安によるもの。
ここまで自分の仕事に対してこだわりを持つことができるのって、自分が好きなことを仕事にできているからこそだと思うんです。
自分自身が一番にその仕事に誇りを持っているから、その立場を誰にも譲りたくないと思える。
私はつい最近就職が決まったんですが、就職先が自分の好きなことに関係することかと言われたら正直関係はありません。
それは私が「私にとって仕事はあくまで私生活を充実させるために必要な術なのであって、仕事自体を楽しむことはそこまで重要ではない」と考えているからなのですが、そりゃあもちろん自分の仕事に誇りをもって取り組んでいる人がかっこよくないわけはないんです。素敵です。
素敵なご老人になりたい
次に、ロバート・デ・ニーロ演じるベンのように良い歳の重ね方をしたい。
22歳の若輩者である私から見ても、ベンは素敵な男性です。
物腰柔らかで、周囲への配慮を欠かさない紳士。
女性が泣いているときのために、ハンカチを携帯するのも忘れません。
自由な社風でラフな格好の若者ばかりの社内でも常にスーツを着こなし、持ち物はどれも趣のある年代物。
初めこそ若さ溢れる社内に突如現れたシニアインターンということで浮いた存在として疎まれたりもしますが、ベンの優れた人間性とまさに「人生の先輩」と呼ぶべき経験の豊富さから、あっという間に社内で一目置かれる存在に。
ベン自ら「みんなのおじさん」と自称するように、社内の人気者になります。
ベンの「素敵なおじさん」ぶりに、映画を観た人皆が「こんなおじさん/おばさんになりたい!」と思ったことだと思います。
果たして私はベンと同じ70歳になった時に彼のような豊かな人間性を備えていられるのだろうか。
きっと何も考えずに無為に日々を過ごしていては、そんな人間にはなれないのです。
仕事、家庭、趣味、自分の生涯を構成するすべてに対して真剣に向き合うからこそ、深みのあるお年寄りになれるんだろうと思います。
アメリカの映画、最高!
- 20代の社員が70歳の新人ベンに対してタメ口でフランクに話しかける。
- 他に誰もいない社内で二人で夕食をとるジュールズとベン。ピザを食べながらジュースか何かを1人1本ずつ、ビンに直接口をつけて飲む。(ジュールズはそのドリンクを「くすねてきた」らしい)
- なんといってもジュールズが間違えて母親に送信してしまった、母親に対する悪口を書き連ねたメールを消去するために、ベンと同僚の社員たちの合計4人で母親宅に乗り込むミッションのシーン。「俺たちオーシャンズ11みたいだぜ!」
コメディ映画なだけあって、アメリカンなノリが前面ににじみ出た痛快なシーンの連続。
私は今まで洋画を観る習慣がなかったので「アメリカっぽさ」みたいなものがどんなものであるかとかはそこまでよく分かるわけではないんですが、とにかく楽しい!!
アメリカかぶれの人の気持ちが分かる!
そりゃあこの礼儀を大切にして空気を読むことを良しとする国に住んでいる立場でこういうノリノリの映画を観たら「うぉ~アメリカ人になりて~!!」ってなるわ!
日本じゃシニアインターンの面接に来た初対面のおじいさんにいきなり「ハーイベン、よく来たわね!調子はどう?」とか言わない。しかも20代の若者が。
ネットでの評価を調べてみた
ネットでは概ね高評価!しかし……
以上の感想をもっていつものようにネットで評価や感想を検索して読んでみました。
だいたい評価はまあまあといったところで、特にロバート・デ・ニーロ演じるベンの紳士さに感心し、「自分もこのような歳の重ね方をしていきたい!」と思えるような映画だったという感想を持つ人が多かったです。
ただ、個人的に気になったのが、「ストーリーに現実味がない」という意見がとても多かったこと。
具体的には、「ベンがあまりにもデキる男すぎる」「実際にはこんなにうまくいかない」「これだけ成功している、しかも若者だらけのアパレル会社がシニアインターンを募集すること自体が現実的でない」という批判。
これらの批判に、個人的に疑問を持ちました。
私は洋画に“非現実”を求めたい
洋画の中でも特にこういうコメディ映画は、現実的でないからこそ面白いんではないかと思うんです。
だってこの『マイ・インターン』がもし、シニアインターンのベンが仕事第一の若い女社長ジュールズに煙たがられ、そのまま担当を外され特に仕事を回されることもなく特に会社の中で個性を発揮することもなく、インターン参加前と大して変わらない日々の中で余生を送っていく話だったら、めちゃくちゃつまらないじゃないですか。
まあこれはかなり大袈裟ですけども、特に日本人の私たちがアメリカのコメディ映画に求めているのって、私たちが普段暮らす社会じゃありえないような、陽気でハッピーなアメリカ社会の描写だと思うんです。
もともとアメリカ人向けに作られた映画を日本人が観る限りでは、それで十分じゃないですか。
たしかに私も、日本の映画やドラマで描かれるあまりに非現実的な描写には、あまり良い印象を持たないことが多いです。
もうほぼ確実に助からないだろうと思われていた患者が奇跡の復活を遂げたり、最初はバラバラだったクラスメイトが赴任してきた破天荒な教師の尽力で最後には一致団結したり。
「こんなうまくいくわけないだろ!」
と思うことは多々あります。
でもそれって、今まで私自身がこの日本という国で、同じような状況に遭遇して実際に上手くいかなかった経験をしているから言えることなんじゃないでしょうか。
余命宣告された身内がほぼその通りの時期にあの世に旅立ったり、クラス内に存在するいじめに対して誰もが見て見ぬふりをしたまま卒業を迎えたりした経験があって、実際にそんなに上手くいかないことを身をもって知っているからそう言える。
あまりに楽観的な作り話の世界に対する嫌悪感や怒りに近いですかね。
しかしですよ、洋画となれば話は変わってくるんじゃないですか。
私は日本で生まれて日本に育ち、外国に行ったことも一度もないという住む世界の狭い人間なので、『マイ・インターン』で描かれる状況が実際のアメリカ社会と比べてどうなのかはよく分かりません。
だからこそなのかもしれませんが、この映画を観て「こんなの現実的じゃない!」なんて感想は全く抱きませんでした。
むしろ、「アメリカの映画はやっぱりこうでなくっちゃ!」と思いました。
アメリカの社会に詳しい方から「いくらアメリカといってもこんなのはありえない」と言われてしまえば何も言えないんですが、日本人の感覚に染まった私たちが見る限りにおいては、「現実的であるか、そうでないか」というのは大して重要な問題ではないかと思うんです。
それから、これは余分な考えかもしれませんが、「『マイ・インターン』の世界はアメリカ人の人間性を正しく描いていない!」という感想をネットに掲載していた人たち全員がそういった感想を持てるほどアメリカ人の人間性に詳しいとは私にはどうも思えないのです。
ご都合主義で何が悪い!
それと関係してもう一つ思うのが、ご都合主義、予定調和が果たして悪いことなんだろうかということ。
『マイ・インターン』に関して言えば、「ベンがあまりにデキる男すぎる」という批判。
これは、ベンが周囲に対して完璧な気配りのできる紳士であるからこそ、ベンとジュールズは信頼関係を築くことができ、すべてが丸く収まったということに対するものですかね。
こんなに素晴らしい人間性を持ったおじさんが偶然若者だらけの会社にシニアインターンに入ることが現実的でない、ということだと思うんですが、そんなこと言いだしたらキリがないですよ。
そもそもこの世界には偶然が重なって嘘みたいなことが起きることなんてたくさんあるんです。
友達のいとこが人気アイドルグループの一員だったり、その程度の偶然で「ウソーっ!?」ってなるのに、フィクションの世界で起こる嘘みたいな出来事に対して「ありえない!」って言っちゃうことがすでに野暮なんです。
よくよく考えてみれば、シニアインターンで入ったおじいちゃん実際に働かせてみたらめちゃくちゃデキる人で、しかも頼れるアニキ的なところもあっていつの間にやら社内の人気者!女社長も彼をたいそう気に入った!なんて話、ありえないことではないですよ。
まあ部分的にはフィクションならではの描写がたくさんあることはもちろんですが。
そういう意味で言えば、上述した日本のドラマでの描写、例えば難病の患者が奇跡的に復活、バラバラだったクラスが卒業の時には見事に団結、というのもフィクションとしてみるなら全く問題ないな、と思いました。
そもそも現実にはなかなか実現しないことを仮想的に見る者に体験させることが、ドラマや映画といったフィクションの一つの役割であるとすれば、「ご都合主義」ってものはエンターテインメントにおいてなくてはならないものなんです。
まとめ:フィクションは みんな違って みんないい
5・7・5でまとめてみました。
それはさておき、フィクション作品は作り手の表現ありきなんだから、ご都合主義でもなんでもありなんだってことです。
そもそもハリーポッターみたいなファンタジー映画が「こんなのありえない」って言われることがないように、作り話はあくまで作り話。
ノンフィクションはまだしも、フィクションだということが分かり切ったものに対して現実味のなさを指摘することは無駄な事なのかもしれないっていうのが私の考えです。
自分の周りでも起こりそうな日常を描いた話だって、現実離れした夢のような世界を描いた話だって、それぞれ別の良さがあって、学べることも違います。
だからこそ、いろいろな作品に手を伸ばしたくなるってことももちろんあるし。
何はともあれ、私としては『マイ・インターン』、すごく好きな映画です。
みんなに必要としてもらえる人間に私もなれるように、毎日を過ごしていきたいと思いました。
それでは、最後まで読んでくださってありがとうございました~!
大学生のうちにやりたいことリスト
どうも郁です。
このブログの最初の記事でも書いた通り、私8月末に何とか就職が決まりまして現在半年間の夏休みを満喫しているところであります。
卒業単位も取りきり、これまた都合のいいことに私の学部は卒論が必修じゃないので、もう後は週1あるゼミに出るだけなのです。
しかもそのゼミもおそらく学部一ホワイトなのではないかというほどのゆるゆるゼミ。
ブラックゼミにありがちな延長などほとんどナシ、そのわりにコンパやゼミ旅行等のお楽しみ行事はしっかり満喫する最高のゼミです。
この間もゼミ旅行で平湯温泉と上高地に行ってきました。修学旅行みたいで楽しかった〜。(上高地がどういうところかを知らず膝丈スカートと底ペラッペラのスニーカーで行って肩身の狭い思いをした話はまたの機会に。)
あ、このゼミが楽々ゼミって知ってて選んだんじゃないよ。やりたい分野のゼミに入ったら偶然、たまたまゆるかったんですよ。
というわけで、
暇だ!!
この退屈な日常にスパイスを、という趣旨でこのブログを解説したのもありますからね、ほんっとーに暇!!
ゲームもネットサーフィンもそろそろ飽きました!!
あまりに暇すぎてお気に入りの小説をルーズリーフに写したりしてる。
こんな小説の楽しみ方してるやつ自分以外見たことない。
ただこれはこれで楽しいのでこれからも続けるけどね。
というわけで、
これから半年の暇つぶし計画を立てようじゃないか!
ちゃんと考えていかないと半年なんてすぐだからね!
なんとなーく朝起きてネット見て録画してある番組見て夕方にバイトに行って帰って寝る生活を続けてたらいつの間にやらはい社会人!
ってことになりかねないですよ……。
ってことで
残り半年の学生生活でやりたいことを書いていきたいと思います。
運転免許を取得する
これはやりたいことっていうよりはやらなきゃいけないことですね。
市内に住めば正直運転できなくても生活はできるんだけど、車に乗れることで仕事の幅が広がるなんてこともあるかもしれない。何らかの理由で車に乗れないと買い物にも行けない地域に住むかもしれない。
何より、
身分証明書として出せるものが保険証しかないのは嫌だ。
学生のうちはまだ学生証出せばいいんだけど、社会人になったら困りますよ。
保険証には顔写真ついてないし。
あ、パスポートがあるか。私持ってないけど。
まあとりあえず免許は取らなきゃ。
でもなあ……私絶対運転下手なんだよな……教官にめちゃくちゃ怒られそうだなあ……。
これを母に言うと毎回「カオルちゃんはマリオカート上手だから大丈夫だよ!」って言われるんだよね。
そういう問題じゃないと思うんだ、お母さん。
漢検2級に合格する
最初はTOEIC受けるつもりだったんだ。英語喋れるようになりたいし。
ただね、個人的に漢検の勉強の方が面白そうなんだよなあ。
日本語好きだし。なんせ小説書写しちゃうくらいだからね。
あと、漢検の勉強は動画見たり音楽聞きながらできるんだなあ。
私は集中力が本当にないので根を詰めて勉強してるとすぐに飽きちゃうんですね。
だから敢えてYouTubeやニコニコ動画で動画を再生しながらその横で勉強する。
これで勉強することをさほど苦痛に感じなくなる、という寸法だっ!
TOEICはリスニングあるからどうしてもそういうわけにはいかないんだな。
ちなみに漢検2級は高校3年生の漢字が出るそうです。
そう聞くと簡単そうだけどぱらーっと問題集見たところおそらく難関なのが四字熟語ですね。
「酔生夢死」とか知ってる?
「何もせず生涯をぼんやりと過ごすこと」だって。
高校3年生こんなん分からんやろww
「今本当にやることなくてさ~まじ酔生夢死」
とか言わない言わない!w
とは言えこういう絶対に使わない四字熟語も覚えなければ漢検2級は取れないのです。
次の検定日は2月4日。
やるからには合格目指して頑張りますよ〜!
料理の練習
実は私、6月から料理教室に通っています。
とは言っても期間内ならいつでも通えるレッスンチケットを買っただけなのでまだ1回しか行ってないんですけども。
前行ったときは鯖の味噌煮を作りましたよ~。
じゃん!
おいしそうでしょ?(笑)
こんなん家で作れたらいいよね!
レッスンチケットまとめ買いしたときはちょっと失敗したかな~って思ったんだけど、このマンガ読んでたらやっぱり自炊って大事って思ったので、一通りの料理は家で作れるようになりたいなあ。
水彩画を極める
私中学校の時に美術部だったんですけど、その時に水彩色鉛筆買ったんですね。48色ぐらい入った結構いいやつ。
この間久しぶりに絵でも描こうと思って探したんだけど見つからない!!
これはきっと見つからないやつだって予感がするのでもったいないけど再購入することにしました!
そんで水彩画の上達を目指す!
そこで絵の題材に迷ってまして。
多分当面の間はディズニーの絵ばっか書くことになりそうです。
一応軽度のDオタなのでね!
ただ好きなディズニー映画がリトルマーメイドとアナと雪の女王なので寒色系の色鉛筆がどんどん減りそうです。
1色とかバラで売ってればいいけどなあ。
しかしあの色鉛筆結構高かったのになあ、もったいない…。
と思って今もう一回探してみたらあったー!!!!
すごくない!!??
しかも48色どころじゃない!60色入ってた!
皆さんは奇跡の瞬間の立会人ですよ~!
いやーよかった!!
これで5千円オーバーの出費が抑えられました!
泣けてくるぜ!くぅ~!!
バイトしてお金を貯める
先に言った通り何を隠そう私はDオタ。
数多くあるディズニー映画の中でも私が一番好きな作品はそう、アナと雪の女王ですよ!!
ああいう氷の世界みたいな世界観大好きなんですよ~!!
そして嬉しいことに3年前から東京ディズニーランドでは冬にアナ雪のイベントがやるんですね~。
去年も行ったんだけどその時はまだ映画を観たことがなくてうまくイベントの活気に乗り切れなかった。アナ雪を観ずにアナ雪イベントに突撃するとは今思えばなんとバカなことを…。
もうこれは行くしかないでしょう!
ただ問題なのがグッズへの出費ですよ。
ちょっと目安として去年のグッズの中から買いたいものをピックアップしてみますか…。
- ぬいぐるみバッジ ¥1600×2
- カチューシャ ¥1800
- ティッシュボックスカバー ¥2200
- マグネット ¥2200
- タオル巾着 ¥1600
- ポーチ ¥1500
- タンブラー ¥2800
- ……
週1冊本を読む
就活中は就職試験関係の本だとか参考書しか読めなかったから、就職が決まった今何でも好きな本を読めることが幸せだー!
活字っていいよね~!
文字を操る能力を授かった人間だけに許される娯楽だよ~!
というわけでできれば週に一冊、様々なジャンルの本を読んでみたいと思います!
ちなみに今読んでいるのがこちら。
小説を1本書く
せっかく文章書くのも好きなんだからなんかしら1本書けたらいいな~ということで。
ラーメンズのこのコントでも「誰でも人生に1本は面白い小説が書けるもんだ」って言ってるし。
ラーメンズ『CHERRY BLOSSOM FRONT 345』より「小説家らしき存在」
積みゲーの消化
やろうやろうと思ってやってないゲームがいっぱいあるのです。
どのゲームも、ドラクエ的に言えば主人公が最初の町に行って王様に会いに行ったら追い返されたあたり。
ほんとに序盤やないかい!!
就活中はあんなにゲームを渇望してたのになあ…。
いざ望んだものが手に入るとそのものへの愛がスーッと冷めるものですよね、人間って…(黄昏)。
映画と音楽に詳しくなる!!
最後に、これはもうこのブログのメインテーマみたいなもんなので改めて説明するまでもないかなと!
このブログ最初の記事にも書いた通りです!
岡崎体育 アルバム「BASIN TECHNO」全曲感想|ネタ歌手かと思ってたらしてやられた
岡崎体育は突然に
始まりは先日京都旅行に行った時のこと。
鴨川に架かる橋を歩いていた時に連れが「岡崎体育の『鴨川等間隔』って歌あるよね。あれ結構好き」と言った。
私はその「鴨川等間隔」を聴いたことがないから「はえ〜そうなん」としか言えなかったが、なんとなくその時から私の頭のどこかに岡崎体育がいた。
岡崎体育。「MUSIC VIDEO」のミュージックビデオ(ややこしい)がYoutubeでバズってたまにMステに出たりしてて、太った南キャンの山ちゃんが大学生みたいな格好した感じの(失礼)、ネタ曲に定評のあるピン芸人歌手。
それまでの私の認識はそんな感じ。
こちらが岡崎体育のおそらく一番有名な曲「MUSIC VIDEO」のミュージックビデオである(ややこしい)。知らない方は一度見ていただきたい。
京都に行った数日後、CDを借りにTSUTAYAに行った。何を借りるか迷いながら店内をウロウロしていると、近くの棚にちょうどそのコーナーがあった。「お」で始まる名前のアーティストのCDたちの間に挟まる「岡崎体育」の札の隣にあったそのアルバムが「BASIN TECHNO」。岡崎体育のメジャーデビューアルバムである。
これが私と「BASIN TECHNO」との出会い。
ノリで借りてノリで聴いてみた1枚。
が、
見事にハマった。
めちゃくちゃバカバカしいことも全力でやればなぜだか感動が生まれる。
そんなことを感じさせるアルバム。
みんなとりあえず岡崎体育を聴いてくれ!
というか岡崎体育の曲のMVを見てくれ!
最高のエンターテインメントが!そこに!存在する!!
以下、全曲感想。
一度聴いてから読むことをおすすめします~。
岡崎体育「BASIN TECHNO」 全曲感想
1. Explain
タイトル通り、「曲を説明してるだけ」の曲。
バカバカしい。超絶バカバカしいしい。
でも、なぜだろう。
超かっこいい。
っていう曲。
「MUSIC VIDEO」が「MVで見ることによって楽しめる、MVあるある」だとすれば、この曲は「曲単体で楽しめる、最近のバンドの曲あるある」
「MUSIC VIDEO」の難点がどうしてもMVありきになってしまうことだとすれば、視覚情報が伴わない「アルバム」の1曲目にこういった聴覚情報だけで楽しめる曲が設置されているのは当然と言えば当然。
とはいえ、
・面白い
・かっこいい
・盛り上がる
・これが岡崎体育だ!!
といった要素が曲の中に見事に埋め込まれている点で、これ以上にアルバムの1曲目にふさわしい曲はないんじゃないだろうか。
なんだよ……「MUSIC VIDEO」で岡崎体育に興味を持った人をアルバムで一気に引き込むにはあまりに完璧すぎるじゃねえかよ……
きっとめちゃくちゃ頭いいんだろうなあ岡崎体育。
というか私は世の中で売れている人は全員頭いい人だと思っている。
鈴木奈々とかもお勉強ができるかどうかは別問題として確実に頭はいいはずなんだよ。
つるの剛士とか上地雄輔とか昔あれだけ「おバカタレント」で売ってた人たちも今やもう普通のタレントで「おバカタレント感」はほとんど消え失せてさあ。
ローラなんてちょっと前まで「オッケー☆」の頭悪そうな女の子だったのに今となってはカリスマモデル兼インスタグラマーっすよ。
やっぱ「おバカ」なんて自分を世に売り込むためのカードでしかないんだね~。
めっちゃ脱線した。
改めて曲について。
まずイントロは普通にかっこいいのよ。戦隊モノのオープニングみたいな。
かと思えば一番の歌詞からもう頭の悪い感じが滲み出ている。
だって「わりと気持ちよく」の「わりと」って普通曲の歌詞に使う言葉じゃないじゃん?そういうのって話し言葉っていうんじゃん?
Bメロでは「ううぃーん」なんて擬音まで出てきちゃうし。
そのまま勢いに乗ってサビに突入。相変わらず歌詞には文字通り意味なんてないしタイトル通りの説明ソング。
ただ、何故だかカッコイイんだこれが。
「ここからサビ!」
の爆発感とキタ━(゚∀゚)━!って感覚の爽快感といったらもう。
「ここでまさかのYeah Yeah」でオーディエンスと一緒に盛り上がるポイントを作るのも忘れない。
2番に入ると今度は、堂々と口パクでパフォーマンスをするアーティストを皮肉るような歌詞が入ってくる。
かと思えば最後のサビで「いつか埼玉スーパーアリーナで口パクやってやる」宣言
もうなんでもありなんすね。
っていう岡崎体育の曲を聞く時に必要であろうマインドを聴く者に植え付ける1曲。
2. MUSIC VIDEO
言わずと知れた代表曲。
ミュージックビデオあるあるをひたすら詰め込んだ歌詞で、これに関しては本当にMVを見ないと何が何だか分からんとこが多いですね。特に「何のメッセージ性やこれ?」のところとか。
そんなに音楽に詳しくなくて色んな歌手のMVを知っているわけではなくても、「あ〜あるあるこんなMVw」と思えるのが不思議。
だって「無意味に分身するよね〜」とか「あるある!」とは思うけど具体例は浮かばなくない?
そんでサビがとてつもなくキャッチー。
「クリエイション クリエイション クリエイション」ってフレーズも、「音楽と」「映像が」のところでレコードを回したりカメラのレンズのところをキュッキュッってやる(伝われ)ような振り付けも、一度聴いたり見たりすれば頭から離れなくなる謎の力。
そりゃーバズりますわ。
これだけ最初から最後まで飽きさせないMVって意外とないよね。
3. 家族構成
コミカルなイントロで始まり、最初の歌詞がいきなり「父 母 兄 俺」。もはや歌ってもいない。喋りに近い。
その後も様々なパターンの家族構成を列挙。
なんだこれ、なんだこの歌…。と思わせといてからのやたら明るくて無駄にハートフルなサビ。
洗濯物がどうのこうのって小さな喧嘩も 家族がいなけりゃできない会話
家族愛 ぬくもりの家
2番からもパロディや語りなど様々な演出を絡めながら、おふざけと心温まる家族愛の奇妙な融合が展開される。
個人的には2番頭の「新しい父さん」の言い方がツボ。
アタラシイトゥサァン。
こればっかりはMVを見てもらわないことには私の語彙力では伝わりそうもないのでぜひ見ていただきたい。
4. FRIENDS
バンドざまぁみろ
もうさぁ……それやりたいがためだけに1曲作ったやろ……。
簡単に説明すると、ピン芸人ソロアーティストの体育くんが布切れパペットのテッくんとおしゃべりする曲。
もうね、こればっかり言ってて申し訳ないんですけどね、
1回MVを見てくれ!!
タワレコでのバンドざまぁみろの舞いの時の右足のバタバタ加減に毎回笑う。
5 Voice Of Heart
曲名を訳すと「心の声」
聴けば曲名の意味が分かる。
私これ曲聴く前に歌詞カード見たんだよね。
僕だけずっとこのままかな
クルマエビ関係ないかな
ここどんな感じで歌うんだろ〜って楽しみにしながら聞いたのに。
アホすぎる。(いい意味で)
1番聞き終わって「このサビのオシャレな感じ、私の好きなやつだわ〜」って思ってクルマエビのことを忘れてた私のちょっとした感動を返せ。
「岡崎体育こんな曲もかけるんだ」って思った私はなんだったのか。
けいいちくん、ゆうこちゃんにも望遠鏡覗かしたって〜。
6. Outbreak
普通にかっこいいインスト曲。
前の曲の意味不明さに(゜д゜)ポカーンとなってる聞き手をここでちょっと正気に戻す。
7. スペツナズ
たぶんここから2曲がこのアルバムの肝。
調べてみると、スペツナズとはロシア最強特殊部隊のこと。
紛争地帯の情景を描いた曲だそう。
ここまで散々ふざけてきた人がこういう本気モードの歌を歌うと、何故だか2倍くらい深く心に刺さる。
はっ、まさか……!
こういうメッセージをより効果的に届けるために岡崎体育はいつもふざけたおもしろソングを作ってるんでは……!
いや、考えすぎか。
もしそうなんだとしたらもはや恐ろしい。
写真を抱いた泣きじゃくる老婆
待ち望んだ言葉はいつも「ただいま」
この辺とか個人的にグサッとくるなあ。
平和な日本に住んでると死と隣り合わせの状況をどうしても他人事に感じてしまう。
最近は他人事とも言ってられない状況になってきてますけどね。
何はともあれ、私はこれから色々なメディアやカルチャーに触れて、またそれだけでなく自分の足で色々なところに行って、新しい世界を知らなきゃなあ、と今思った。
8. エクレア
特にすごいことが起こるわけでもなく、ぱっとしない平凡な日常。
そんな毎日を大切にしていきたい。
私がこの曲を聴いて思ったのはそういったこと。
そう思うのはこの曲が「スペツナズ」の後に置かれているからっていうのも確実にあるんだろうなあ。
自分の知らない場所では今も誰かが傷ついて、傷ついた人の大切な人が泣いている。
そんな場所がある中で今何事もない平和な日常があるっていうのはどれだけ幸せなことなんだろう。
1人の人間として暮らしているとどうしても、自分の目線に凝り固まってしまう。
自分が今辛いとか苦しいとか思っていることも、ちょっと大きな視点で見ればちっぽけな悩みなのかもしれない。それに、そんなことよりもっと大きな幸せがすぐ側にあるのかも。自分が気づいていないだけで。
出かける時に「ついでにファミマでエクレア買ってきて〜」って頼んでくる誰かがいる、それってもう十分幸せなことじゃないか。
まさか「MUSIC VIDEO」の人の曲でこんなにもしみじみとした気分にさせられるとは……。
岡崎体育、振れ幅ハンパない。
以上、全曲感想でした。
いや〜自分の考えを言葉にするのって難しいですね。
これからも色々なカルチャーに触れて感想をこうやって残していきたいと思います。
ありがとうございました〜!
Twitterも始めました
この間の話なんですけど、地下鉄に乗ってたんですね。
帰宅ラッシュのちょい前でまあまあ混んでて。
そしたら電車が揺れたのと同じタイミングで車内のどこかでどよめきが起こったんです。「うぉっ」みたいな。
声が聞こえた方を見たら、中吊り広告が半分外れてびろーんってなってたんです。
おそらく、あるおじさんがつり革や手すりではなく中吊り広告につかまってて、電車が揺れた時に中吊り広告を引っ張ってしまった。
そして中吊り広告が半分外れてびろーんってなってしまったと。
おじさんの連れと思しき数人のおばさんは笑ってました。「あんたちょっと何やってんのよ〜ww」みたいに。
「この中吊り広告、いつまでびろーんってなってるんだろう……」と思いながら、私は2駅先で電車を降りました。
こういうしょうもない出来事って、しょうもないんだけど誰かに話したくなるよね。
でも、これで1本ブログの記事を書くにはあまりにしょうもなさ過ぎる。
この出来事から得たものとかなんもないし。
でも誰かに話したい。
という訳で、はてなブログと同時にTwitterも始めました。
フォローしていただけると全力で喜びます。
「絶対今眼球とコンタクトの間にまつ毛挟まってるわ〜」って思って鏡見たら全然挟まってなくて、でもやっぱり「絶対今眼球とコンタクトの間にまつ毛挟まってるわ〜」って思えてしまう現象に名前をつけたい。
— 郁(かおる)@はてなブログ (@kaorudayo723) 2017年10月2日
(このブログは多分こんな感じのゆるゆるテンションで続いて行くと思われます。)
ありがとうございました〜!
はてなブログ始めました
初めまして。郁と申します。「かおる」と読みます。
この度はてなブログを始めました。
ここに来て下さったのも何かのご縁ということで、よろしくお願いします!
ブログの最初の記事って何書いていいか分からんよね~!
分からんからググったけど「好きなように書いたらいいよ!」って出てきたんですよ。
困ったもんだぜ…。
とりあえず無難に自己紹介とブログの方針を書くことにします。
それでは軽く自己紹介をば。
ただ今大学4年生、なんとか就職も決まり、卒業単位も無事取りきって残り半年のモラトリアムを満喫中です。
軽くディズニーオタク(いわゆるDヲタってやつ)であること以外に特に趣味がなく、週3,4回のバイトと週1のゼミに行く以外やることのない空虚な日々を過ごすことに嫌気がさして、はてなブログを始めてみました。
ブログの内容としては、雑記ブログになるかと思われます。
というのも、正直ブログの記事の方針が全く定まっていないので何とも言えないのです。
ただ、これからは色々な映画や音楽や本に触れてみたいと思っているのでその感想を書いていければとは考えております。
ちなみにこのブログのタイトルですが、自分が今のところ何事につけても浅い知識しか持ち合わせていないので、博識になりたいという思いも込めてつけました。
少しずつでも、語れるもののある人間になっていければいいな、と思います。
漱石の名にかけて!!