1ページの紙で立証した神の存在
1970年のある日、クルト・ゲーデルによる神の存在の数学的証明が同僚の間で回覧に付された。その証明は1ページにも満たないものだったが、大変な物議をかもした。
- 公理1: (2項対立) ある性質は、その性質の否定が否定的である場合にのみ肯定的である。
- 公理2: (閉包) ある性質に必然的に肯定的性質が含まれていれば、その性質は肯定的である。
- 定理1: 肯定的性質は論理的に無矛盾である(何らかの具体例を持っている可能性がある)。
- 定義: あるものがすべての肯定的性質を持っている場合に限り、そのものは神性である。
- 公理3:神性であることは肯定的性質である。
- 公理4:肯定的性質であることは(論理的であり、従って)必然的である。
- 定義:性質Pは、xがPを備えており、かつPが必然的に極小である場合にのみ、xの本質である。
- 定理2:xが神性であれば、神性であることはxの本質である。
- 定義:NE (x):xは、それが本質的な性質を持っていれば、必然的に存在する。
- 公理5:NEであることは神性である。
- 定理3:xが神性であるような何らかのxが必然的に存在する。
1ステップで神の存在を証明したオイラー
数え切れないくらい多くの数学関係の本に、数学者レオンハレト・オイラーとフランスの百科全書派哲学者ドゥニ・ディドロの対決の話が載っている。その話によれば、筋金入りの無心論者であるディドロが、信心深いオイラーに「神の存在を数学的に証明せよ」と迫ったという。オイラーはこう答えた。
「
故に神は存在します。何か反論があればどうぞ!」
オイラーは、サンクトペテルブルクで行われた公開討論会でこう発信し、神の存在の単純な代数的証明で不可知論者のディドロを窮地に追い込んだ。この答えを恐れをなしたディドロ、その場から逃げ出したという。オイラーはこの種の議論がいかに下がらないかを示すために、わざわざこんなことを言ったのだろうか。
現在は、このような対決があったことを示す証拠がほとんどないことがわかっている。ダーク・J・ストルイクの A Concise History of Mathematicsの第3版(ニューヨーク、Dover、1967年、p.129)によれば、ディドロは数学に精通していたので、この程度の数式に恐れをなすことはなかっただろうし、オイラーもそんなくだらないことを言うタイプの人物ではなかったという。当時の人々が神の単純な数学的証明を求めていたことは確かだが、「オイラーとディドロの対決」はおそらくイギリスの数学者ド・モルガンの作り話だろう。
数学、心、宇宙
宇宙の本質を理解したいと望むなら、人間には目に見えない強みがある。われわれ自身が宇宙の一部であり、それ故に、答えを内に秘めているからだ。
ジャック・ボアバン、The Single Heart Field Theory、1981年
アインシュタインの神
あなたが読んだ、私の宗教的信念の話は、もちろん嘘であり、それも意図的に繰り返し語られている嘘である。私は人格神を信じていないし、その事実を否定したことがないどころか、はっきりと証言しています。私の心の中に宗教的と呼べるものがあるとすれば、それは、今まで科学が明らかにしてきた世界の構造への尽きることない賛嘆の念です。
アルベルト・アインシュタイン、無心論者に宛てた1954年の私信から