graffitti

ストレスフリーー

嵐の発表に後押しされる背中

前々から文章を書いてみたいと思っていた一方で、「続ける忍耐力なんてねえよ三日坊主もびっくりの一回ぽっきりババアだぜ」なんて考えが頭の中を埋め尽くしていたのですが、「やっぱり書きてえ!!」となったので、思い立ったが吉日、今日からブログを始めます。続かなくてもええんや、書きたいことができた時に、それをしっかりと記していく。残したいと思える日、想いを増やせるようにしていきたい・・・。なんて調子の良いこと言っちゃうのが一回ぽっきりババアの習性なので、よろしくお願いします。

 

 ポルノグラフィティのファンなので記念すべき初記事はそのライブレポにでもしようかと思っていたのだが、あくまでも自分の考えを発信していく場にしたいので、素直に今思うことを書くことにしたい。ということで、やっぱり嵐のことなんですね。

 

私は嵐ファンではない。と言いつつもはや国民的アイドルなわけで、花男を見て育った私にとっても結局のところその存在はものすごくでかい。デビュー曲はもちろん、『Love so sweet』とか『One Love』とか、『サクラ咲け』とか、『truth』とか、比較的最近のものなら『Sakura』も好きだ。思い返せば共に歩んできたわけではないと思っていた私にですら、印象深い曲がこんなにもたくさんあるのだ。だからこそファンの胸中は察するに余りある。もし自分の好きなアーティストが同じように活動休止を発表したら、果たして私は月曜日にきちんと出勤できるだろうか。ずっとその姿を見て毎日の励みにしてきたはずなのに、それが、たとえまだ先だと言われても、もう見られない、知ることができないなんて地獄でしかない。単純にアイドルとバンドを比べることはできないだろうが、「推し」のいない日々が色のないものになるのはどのファンにも共通することだと思う。

でも、これは私が嵐ファンでないからこそ言えることなのかもしれないけれど、大野くんの気持ちがすごく分かる。「自由がほしい」。見られる仕事は時にとても窮屈だろう。最近の西野カナの休止に伴って出回ったいくつかの記事を読んだけど、そこで初めて彼女の「やりたかったこと」と「やっていたこと」が違っていたことを知った。自分を殺さないといけない場面が存在するということは一般人の想像の範疇を越えてしまうのかもしれない。

芸能人ではない、私みたいな一社会人でも、休日に遊んでいるとふと「明日仕事や・・・」とどんより暗くなる。なんなら仕事のことを考えて遊びそのものに気持ちが向かなくなることだってある。何百人、何千人が関わり、何万人ものファンと向き合う仕事ならば、その責任が重くて仕方ないはずである。

そういう大野くんの声を、他の4人はきちんと受け止めた。これって嵐という組織がとても健全であることを物語っている。

 

平成は、「終わる」ことが既に分かっている初めての元号だ。終わると分かっているからこそできることってたくさんある。何でもかんでも「平成最後の○○」と呼ばれていて、それに辟易してしまうのも確かだが、それでも最後を意識してその時を過ごせば、何年か先に味わう後悔は幾分か小さくて済むだろう。その意味で、嵐があと2年設けていることにはすごく誠実さを感じる。メンバーがお互いを尊重して、ファンのことも思いやって、周辺にも配慮して出した大人の結論やなあと思う。嵐のメンバーの方がもちろん年上で、また断るけど特別ファンなわけでもないし、ずれた観点なのかもしれないけれど、長期間の話し合いを経て深まった理解っていうのはあると思う。『A・RA・SHI』の頃から大人になったんだなあと。めちゃくちゃに揉まれていく中でたくさん考えることがあって、その考えを共有して・・・。あまりに忙しいと気付けないことたくさんあると思う。ふと立ち止まりたくなったんかなあと。

固い意志を持っている人を動かすのってめちゃくちゃ難しいと思う。そうなったら相手を理解して、相手にも自分を理解してもらうしかない。その上で本人が経験を重ねて、分かったことが増えて、そうなった先に本当の結論があると思う。

 

仕事を始めてから、自分のキャリアとか将来とかについて真剣に考えることが増えた。少し落ち着いて今回の会見を見ることができた立場だというのもあって、エンタメの最前線を走っている嵐が休止を発表したのは「嵐の活動休止」以上に大きな意味を持っている気がした。今の自分を見つめ直して、このままでいいのかって悩んだり、新しいことやってみたいって思ったりした人、結構いるんじゃなかろうか。私もその一人で、もっと言えばそんな人が多いからこそ、嵐のみんながその感覚を理解できるからこそ、温かく受け入れられたんやろうなあ。

 

さて、私は何をしようか。