あの日をもういちど
ここ10年、ボール(軟式のボール)を投げるとすごい右の側胸の筋肉やわき腹が痛くって。
ボールをリリースした瞬間・・・
ビリッ!
とくるんですよね。その瞬間はたっているのも辛いくらい。
怖くて全力で投げれない(T T)
わたし、バドミントン部だったのですけども、現役のころは全力でスマッシュを打ってもそんなの一度もなかった。
これが年取ったってこと?身体が硬くなったってこと?
ピッチングあるじゃないですか。野球の。別にすごい玉を放れるわけではないのですが、きちんとしたフォームで投げて、ボールにきちんと無理なく指がひっかかり、綺麗にボールに逆スピンがかかって飛んでいくあの感じが大好きなんですよね。
体の重み、重心の移動、筋肉の反射、骨格の捩れ・・・
そういうものを理想的に引き出してやると、何でこんな少ない力であんなにボールが飛んでいくんだろうってうっとりするんです。ピッチャーってすげーや。
まあ自分の中の感覚の話なので大分イメージに補正かけてます(笑)
ただ理想に近づけたい思いで、全身を使って投げるほど痛くてしかたがありません。
と、思って最近また投げることがあったんです。テニスボールでしたけど全力投球でした。
アレ?イタクナーイ!?
歓喜!
心の中でサンバが鳴り響いてました!!!
投げれたことはもちろん、いろいろ自分に治療してたんですよね。それが正解だったのかもとチョーうれしかった。そのあと何回も全力で遠投しましたが無痛でした!
加齢とともに内臓が弱ってくると、だんだん筋肉が縮もう縮もうとしてくるんですよね。
縦方向に全体の筋肉、特に脊柱付近の筋肉が勝手に縮もうとしてくる。
加齢とともにその傾向が当然強くなるのは自然の流れで仕方ないのです。
しかしそれが痛みなく投げれたというのは、上記の絵を右から左に少し戻れたってことなんじゃないかと妄想してます。若返ったとまでは言えませんけども。
そして背骨付近の筋肉が柔らかくなったせいか、以前より呼吸も深く吸えるようになったし、体幹をねじったときに背骨がバキバキ鳴るようになりました。鳴らすことにまったく意味はないのだけれど、20代まではよく鳴っていたんです。それが鳴らなくなって身体が側湾し始めてたのは自覚してました。
今度軟式のボールなげてみよ。
どこからどこまでが体に自分が関わっているのか
日々人の体に触れて、いろんなものをこの手に感じます。変な意味はありませんよ。
この仕事を始めたとき、この手に感じるものはあまり多くありませんでした。
それが毎日毎日来る日も来る日も触っていると、いろんな感覚がこの手に出来上がってきます。
調子いい人と調子悪い人と感触が違います。
元気な人と弱っている人と感触が違います。
せっかちな人とおおらかな人と感触が違います。
ほかにもいろんな違いがあります。
きっと十人十色、千差万別。同じ人を違う人が触っても違うはず。
そんないろんな感触の中で、治りそうな気持ちいい感覚と、これはまだ痛みが取れていないなという、なにかおしりからうんちがすっきり出て行かないような詰まった感覚があります。
この詰まった感覚というものにいつも助けられ、また悩まされてます。
仕事ではなるべく理論と技術で治療をし、その感じた詰まりがとれるのをめざしているのですが、なかなかその詰まりがとれないときもあります。そのときは診断から見直すことが多いです。
結果的にそれで治ることも多いし、常に見直しをするのは当然のことです。ただ今の理論と技術というのは限界があるのかなと。体の状態を見極めて、どの場所にどのような刺激をあたえるか、という理屈的なもので人の体を診断するというのはやっぱり100%ではないのかなと。
たとえば、下痢をしてぎっくり腰が治った人がいました。
たとえば、胃薬を飲んで肩の痛みが取れた人がいました。
たとえば、引っ越して偏頭痛が解消された人がいました。
えーっと、たとえば仕事先の配属がかわって背中の痛みが取れた人がいました。
えー!なんでなんで?
そんなあっさり治るもの?
みたいなのあります。生き物の不思議、というか生き物の備わってる機能ですよねきっと。
医学が先で、体が後。じゃないんですね。
体が先で、医学は後。です。
欲張りですが。もっと簡単に、もっと早く、もっとお求め易く。そんな治療をめざしたい。