「ヒトラー政権下の日常生活~ナチスは市民をどう変えたか~」
という本を読みました。
ナチス時代のことを書いた本というとたいてい戦時中の話が中心になり、しかもナチス党員や軍人など体制側にフォーカスしたものか、あるいは迫害を受けた側や少数の反抗者について取り上げたものが多数であると思われます。
そうではなくナチスの権力掌握以後、戦争に至るまでの平時の期間、特にその時代の市民生活について知りたいと思い、手に入れた本です。
そうしたことに興味をいだいたのは「ヒトラー暗殺、13分の誤算」という映画を前見たからであって、労働者や農民がナチス党を支持していった経緯、彼らの支持を得るためにどういう政策が行われたのか、といったことに興味を持つようになりました。
また前に取り上げた野外博物館のあるクロッペンブルクで、カトリック勢力とナチスとの緊張関係の歴史に触れたのも動機だと思います。
さて、本書の過半は学校、および青少年に対するナチスの政策とその反応に割かれています。反発する教師がいる一方で迎合する教師あり。前者が追放されても、一次大戦に敗戦した後のドイツには一度職にあぶれ、ナチスを支持するに足る理由を持つ知識人は豊富にいたのです。
ナチス政権以前のドイツでは学校は宗派別に分けられるのが一般的で、ナチスの政策によってドイツ系学校とユダヤ系学校(もちろん、後に廃されることになる)へと統合されていったというのも初めて知りました。この過程においては各キリスト教徒の反発も相当なものがあり、結局キリスト教系学校はもとの姿のまま名目のみドイツ人学校へと名前を変えたようです。
個人的に最も注目していたのは労働の章であり、ここには農業政策についても書かれています。労働組合が解体され、ドイツ労働戦線というナチス党傘下の団体に鞍替えさせられるのですが、これがもとの労働組合よりも遥かに経営側への圧力が強くてどんどん賃上げしてくれるので、もちろん労働者としては大歓迎せざるを得ないわけです。
そして農業に関しては、農民の支持を得るために農地は分割されずに相続されるものとし、売却することはできないものとしました。この点非常に興味深く、これによって農地は抵当に入れることができなくなり、農家は農地を失う恐れもなくなりましたが大規模な投資も不可能になりました。
もちろん頑張らなくても農地を奪われることはないのですから農業生産は低下し、さらに先の賃上げで都市や工場での職のほうが有利とみた農場使用人(Knecht)は都市へと転職を続けます。
農民を保護するために農業を衰退させるという構図は、どこぞの農協でも見かけるものですね。
さてドイツではその後戦争によって男手と馬とが戦地へ取られてしまい、その対策としてトラクターを導入した例もあるようですがもはやそんなものが思うに任せる時勢でもなく、戦時中の農業生産は事実上外国人捕虜の強制労働によって賄われるのでした。
こうしてみるとヒトラー・ユーゲントでの世界観教育といい、この時代のドイツ人の戦争観というのは遠征して一旗揚げて土地と財宝を奪ってきて、しかも外国人奴隷を連れてきて働かせるという一面伝統的というか、大時代なロマン溢れる時代錯誤な観念でできていたように思われます。
1930年代の平時にナチス政権を支えていたものは、普通のドイツ人の今より良い暮らしがしたいという素朴な願い、隣人を貶めてでも自分たちがより良くありたいという少し後ろ暗い思い、そして、いずれは一次大戦の復仇を為そうという仄暗い願望が噛み合わさったものだったのでしょう。
ところで去年は「幻の東部戦線」というPANZER誌の連載を頑張って買い漁っていたのですが、その頃の西ドイツ市民の戦争観というのはどうだったのでしょうね。
やはり月イチ更新位をしていこうと思うと読書レビューをしていくのがいいのかなと思っています。
もともと、現実逃避しつつ世の中になにかアウトプットを続けていきたいと思ってやっているブログなので、京アニ事件から引き続いてコロナのせいで鬱々している自分の現状をどうにかするためにもコツコツやっていきたいともいます。
ちなみにヴァイオレット・エヴァーガーデンの新作はもちろん見に行きましたが、作品と関係ないことばかり書いてしまいそうなのであまり書きません。ただ劇伴がドイツの楽団だったことには驚きましたので書いておきます。
最近読んだ小説 星系出雲の兵站/数字で救う!弱小国家
またまたご無沙汰しております。月イチ更新くらいは意識しないと続かないかもしれないですね。
相変わらずコロナ環境下にも関わらず、前回更新より一層三密環境かつ窓も開けられない部屋で外勤の人たちと一緒の職場になり、しかも例年より仕事量も増大するという世間とはかけ離れた状態に陥っております。
ということで日頃の楽しみがKindle小説を読むことぐらいになっているのですが、その中で一気に全巻読破を果たしてしまった二作を紹介したいと思います。布教用にリンクを貼りますがアフィではありません。
一つ目は「星系出雲の兵站」シリーズ、春頃に最新刊までを一気読みし、つい先週木曜に完結しましたのでその日のうちに読了しました。
本格的な宇宙戦争SFであり、遠い未来の人類対異星人の戦いを描いています。タイトルにもある通り双方兵站の限界の観点から行動が制限されていく展開となっており、どれだけ科学技術が進歩しても、あるいは異星人文明であっても物量の許す範囲でしか戦争できないのだなと思わされます。
ところで「兵站」という言葉は「後方支援」に比べて物資の移動に重きをおいた言葉なのかなと思っていましたが、通信や衛生、近年現実でも重視されているPTSD対策なんかにも触れられています。
無印の4巻と比べ、「遠征」編は兵站色は減り異星人の正体に迫る謎解き編となっていきます。次々と仮説が提示されては否定されていくその過程が面白い。そして終盤に向かって侵略してきた異星人への見方が大きく変化していきます。
星界シリーズや航空宇宙軍史の愛読者層には大変おすすめの作品です。
次は一気に軟派となり、「数字で救う!弱小国家」はカクヨム発の異世界転生もの、前から漫画版を読んでいましたが原作一巻の終盤部分にあたる展開に本当に感心してしまい全巻購入と相成りました。
魔法がなくてもチート武器がなくても、現代数学の知識は十分すぎるチートである、という作品。
そして「出雲」以上に兵站管理と兵站への攻撃、敵の兵站情報収集の話が多いです。基本的に英雄譚の形態を取ることが多い異世界ものの中で、戦場以外で勝ちをもとめる戦略家の話は少なく(というか、それを書ける作家が・・・)、玉石混交のネット発小説の中に埋もれてほしくない作品です。
今の所キリのいいところまで話が進んでいるのでこのまま完結なのかもしれませんが、数学と戦争というと割とすぐ思いつく暗号と曲射の話がまだ出てないので今後の登場に期待したいです。
ちなみに途中からルビに登場する「リクスキャンセラー(Rikskansler)」はスウェーデン語で王国宰相の意。ドイツ語だとReichskanzlerですね(いつもながら、申し訳程度のドイツ要素)。
そしてちゃんとヒロインたちも可愛いです(重要)。可愛そう系王女に仕えたいものです。
四則演算もできない上司じゃなくて。
デンジャー・クロース見てきました。
ご無沙汰しすぎました。世間はコロナ騒ぎではありましたが、仕事に一切差し支えることもなく、というかむしろ日常的三密環境で過ごしておりました。そしてしばらくぶりに見に行った映画が表題の作品です。
ベトナム戦争にオーストラリア軍が参戦していたことすら地味なのに、日本ではほとんど情報が見つからない局地戦が題材の物語。イケメンなし美女なし、人間離れした派手なアクションなし、思想的な強いメッセージ性もなし、ストーリーも実に王道で捻りなし、そんなこの映画の素晴らしいところは、圧倒的な戦場のリアリティです。
とにかく砲兵のお仕事の描写が細かい。序盤から対砲兵射撃の様子が描かれ、観測者が方位角を伝え、歩兵部隊からグリッド座標で砲兵へ伝達、砲兵は射方位と射角に変換するという射撃の手順が細かく描写されます。
歩兵部隊の野戦での行動も今まで見たことがないようなキレのよいものでした。傘型陣形から菱形陣形へ、そして銃声とともに「Contact left!」と一列横隊へ転換。このような操典通りの陣形転換は映画では初めて見たと思います。
他にもオーストラリア軍もまたイギリス軍の系譜だと感じるなんともジェントルなハンドサインや、実話に基づくからこその妙な小道具の多い基地内やら、ミリタリーな見どころたっぷりなこの映画。こういうのは戦争映画という玉石混交なジャンルのなかでも、リエナクトメント映画とでも称すべきなんではないでしょうか。
登場する銃の種類は妙に多く、オーウェン・マシンカービン - Wikipedia という珍しい短機関銃も登場。一つの小隊で7.62mm弾、5.56mm弾、パラベラム弾、あと多分散弾銃も持っていたように見えたので4種類の弾薬があるって、補給混乱するだろと思ったらちゃんとその描写もありました。これがフィクションならリアリティがないと叩かれていそうなところ。事実は小説よりグダグダなり。
とはいえ、基本的にオーストラリア退役軍人による俺たちバンザイな映画であるゆえに、ちと一般人を置いてけぼりにし過ぎな描写は多かったかな。翻訳もひどいもので、英語だから聞いてて字幕がむちゃくちゃなのがわかってしまう。ほんとはカッコつけたセリフなんてほとんどないんですけど、ヒーロー物っぽく訳すのやめてください・・・
けど、去年のアンノウン・ソルジャーといい、基本国内むけに作られる自軍バンザイな戦争映画が見れるというだけありがたいのかも。さもなければ、世界中の人が平和を望んでいるなんて言う誤解がまかり通ってしまいますからね。
der Kaiserwetter
謹んで天皇陛下の御即位をお祝い申し上げ、滞りなく一連の代替わりの儀式を終えられましたことをお喜び申し上げます。
さて、即位日当日は祝日なにそれで出勤していた上に、少し楽しみにしていた官僚たちの衣冠束帯は雨天中止となってしまう始末。しかし式典の最中は晴れ間も見えた由、また延期されたパレードの日は快晴となり、こちらもちゃんと休みだったのでコーヒー片手にじっくり中継を眺められました。
天も寿ぐかのようなこの天気は、エンペラーウェザーとしても話題な様子……エンペラーウェザー? そんな言葉あったのかな?
ドイツかぶれとしては、ドイツ語で快晴を意味する言い回し、"Kaiserwetter"のほうが先に思い浮かびました。手元の独和辞書には載っていませんでしたが、独Wikiによるとオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の誕生日が快晴であったことと、ドイツ帝国の皇帝ウィリアム2世が登場した国家的祭典での晴れが由来とのこと。
いずれにせよ19世紀頃の言葉ですが、20世紀中葉に入ると例の伍長のために転用され、それからは廃れた言葉なのかもしれません。
私がこの語を知っているのは佐々淳行氏の著書に出てきたからですが、そこでは昭和天皇の大喪の礼のときの天気をして、涙雨と同様の意味で使われていました。
このエンペラーウェザーという流行語がKaiserwetterを訳した結果生まれたのかどうかは知りませんが、また一つ、ドイツ語由来語が英語に駆逐されてしまった気がして少しさびしいドイツかぶれでした。
では、ドイツ語で天皇陛下万歳を称えて締めたいと思います。
Lang lebe der Kaiser!
相変わらず映画のことゴチャ混ぜ。響け!ユーフォニアム他
本当は四回も見に行くつもりはなかったんです。でも、上映していると知って見に行かずにはいられませんでした。
大入り満員の小さなスクリーンで、皆が京アニのロゴが出た瞬間に、エンドロールが始まった瞬間に息を呑んでしまうのを感じました。
ただ、続編決定のコースターはまだ配ってくれていました。ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝の上映も決定しました。やはり、見て応援買って応援ができれば一番だなと思います。
一方で、距離的には六地蔵にいくのはわけないところで生活しているのですが(実際、最初のあがた祭回放送直後に大吉山へ登りにすっ飛んでいった位なので)、現場を訪れる勇気がまだ湧いてきません。
日々の報道に接しつつも、まだまだ失われたものの大きさを計りかねています。
心境が変わってしまったためか、新たに気づいたことがあります。ユーフォという作品を通して、笑顔のシーンはほとんどないということです。だからこそ、貴重な優しい微笑みが特別なものになるんですね。。。
一部には聖地巡礼について云々する報道もありますが、ユーフォの場合宇治を歩けば聖地にあたりますので、根拠に乏しい話だと思います。
ともあれ、世間にはあるらしい夏休みに向けて、もともと毎週見たい映画があるというハードスケジュールな季節でしたので、最近は他にも「アルキメデスの大戦」と「アンノウン・ソルジャー」というのを見てきました。
前者は戦わない戦争映画ですが、冒頭数分のみの戦闘シーンにやたらと力が入っており、日本映画で軍事ものを作りたいなら戦闘シーンを短くしたほうがクオリティが上がるんじゃないかという本末転倒気味な感想を抱きました。
山本五十六までもを、好きなことを語りだすと止まらない、一種正統的なオタクタイプの人間として描いていたのも現代的解釈で面白い。一部吹っ飛んだ設定もなくはないですが、全編ツッコミ待ちの炎上商法コメディ映画だった某空母の口直しとしては満足しました。
そして、戦争映画といえばフィンランド製に限ると思っている俺得な映画だったのが、「アンノウン・ソルジャー」です。「戦争のはらわた」にも通じる、将兵個々人の戦争への価値観、スタンス、立ち向かい方、折り合い方を描いた作品。
ちょうど最近西ドイツ軍のLehrfilmを眺めていたので、おお、演習と同じことしてる、というこれまた主客転倒気味な感想を抱きつつも、少し主人公無双だった気も。
同じ継続戦争を描いた「Tali-ihantala」(今でもつべにあります)と比べると、期間の長い話を描きつつ主人公の属する一部隊にスポットを当て続けています。最後が局地的とはいえ勝利で終わるTali-と異なり、なんとも苦いものだけが残る今作ですが、これでこそ戦争映画だと思います。
戦争がいかに悲惨かを分かっていながらも戦わざるを得なかったこと、そうした自国の歴史に誇りを持っているフィンランドだから生み出せた名作です。
なお、主演の名前を検索してはいけません。
近況ごちゃ混ぜ。京アニのことと天気の子のこと
仕事が一段落するというタイミングで、感情がどん底に叩きつけられ、そして少しだけ落ち着いて現実を直視できるようになってきた気がします。
京アニは自分にとって空気のように必需のもので、その作品は山のように見上げればいつでもそこにあって癒やしてくれるものであって、新作は川の流れのように絶えることなく未来永劫届けられてくるものだと思っていました。
気づけば人生のいろんな節目で、悩んだとき、落ち込んだとき、何もする気力がなくなったとき、京アニの作品とそれを通じて知り合った人々に救われてきました。
まだ、その事実に今更気づいてそれが当たり前でなかったということに、当たり前ではなくなるということに、ようやく考えが及び始めたところです。
そんな気分のまま、金曜の夜のチケットは確保してありましたので、天気の子を初日に見てきました。アニメ好きの友人二人とでしたので、話題はむしろ京アニのことばかりでした。もちろん、天気の子は素晴らしい作品でした。しかし本当に楽しめる日は、少し先になりそうです。
それにしても、過去記事でこんな事書いてたんですよね。
結構あたってる・・・「奇跡を演出する乗り物としての鉄道」はそうではなかったですし、海外ロケでもなかったですが、拳銃はぶっ放しますし、雨で猫で異世界でしたね。
そして一番あたっていたのは、これらの定番を踏まえた上で想像を超える斜め上の結末を持ってきたということです。ネタバレ記事を書くにはまだ早すぎると思うので、感情的にも落ち着きましたらまたいずれ。
ドイツ連邦鉄道の操車場動画
今回はちょっと動画紹介
Lehrfilmということなので、職員の教習用映画といったものなのでしょうか。しかしお仕事紹介的なドキュメンタリーチックな作りで、見ていて興味深いです。
前半(Teil I)はAblaufbetriebということで、ハンプヤードにおける操車のお仕事を、後半(Teil II)はStossbetrieb、つまり平面操車場における突放のやり方を見せてくれます。
日本とは連結器の形式が違うので、ネジ式連結器のヒヤヒヤする連結作業シーンが連発します。しかし日本で一般的であった飛び乗りはやらずにヘムシューを多用しているので、どちらが危険だったのでしょう。
ヘムシューって意外とすぐ止まるんですね。連結に速度が必要な自動連結器を使っている日本ではあまり広まらなかったわけです。ヘムシューを自動で取り外して回収するからくりもあったりして面白い。
操車に必要なメモを貨車にチョークで書いて回るのも、豪雨に見舞われることが少ないドイツならではでしょう。てかたまに豪雨豪雪にやられたらどうしてたんだろう。
この映画はいつごろ作られたものなのでしょうか。E 40が出てくるので1957年以降ではあるでしょうが、ハンプの貨車のなかにDR Brit-US-Zonenと書かれたものがあったり。また制動手小屋のついた貨車も見受けられたりで、意外とこういうものは後年でも残っていたのだなということもわかります。
しかし、操車って人手のかかる仕事だな…