雪見だいふく

雪見だいふくを頂戴って言われた時あげられるか、あげられないか。

ピノは良い、ポテチも良いしかしながら2つしか入っていない雪見だいふくはどうだ。

昔から言われるこの謎。

私の答えは、

奪えるものなら奪ってみろと言って口に咥えて雪見だいふくゲームに持っていく。

 

 

外山

102の外山さん

扉かから凄い物音がした。

ドンドンドン、ダンダンダン。

「イテテテテテテ、イテテテ」

「痛い!痛い!」

ただ、転んで悶絶しているだけかも知れないので、無視した。

どうせ扉は閉まっている。

扉の向こうはこちら側から干渉することではない気がした。

どういう背景なのかも分からずに突撃して、なんて事なかったら、今後も気を使われるし、気を使う。

そんな面倒臭いのはごめんだ。

年寄り

お年寄りに席を譲ろう。

よく聞く話だ。小学生の時に担任だった先生が道徳の時間に教えてくれていた。

お年寄りや妊婦、怪我人には公共交通機関を利用する際には席を譲りなさいと。

たしかに、彼等は座っていないと危ないだろう。わずかな揺れで体を揺らし転倒するような危険があるのだから。そして、転倒した際の被害も大きい。

それはわかる。理解できる。

ただ、何故席を譲らないといけないのだろう。

まるで義務のように、機械のように、年寄りが来たから先を譲るというのには納得しかねる。

同じ金額を払い乗車しているのに、何故わざわざ座っていた席を立つという不利益を被らなければいけないのか。

これが、最初から年寄り、妊婦、怪我人は高い料金を払っているならわかる。

席に座っていた人の善意ならわかる。

ただ、それが義務だ。当たり前だ。常識だとする奴らに腹が立つ。

 

まず、席を譲る理由があるだろう。

それは立っていると危ないからだ。転倒の恐れがある。それにより被害が大きいと判断するから席を譲る。

つまり、自分で立って入られそうな人間には譲る必要はない。特に最近の老人は健康だ運動だと元気に死ぬ間際の生活を楽しんでいる。そんな彼らに席を譲る必要があるのか。自分で運動して、自分で疲れて、倒れるなら、それは自業自得で、体調管理を怠った自分の責任だろう。

電車で立ってられないと判断したなら、休憩するなら、迎えを呼ぶなり、タクシーで帰るなり、方法はいくらでもあるはずだ。それをわざわざ自分から電車に乗ったのなら、それは席を譲られること前提で乗り込み若者の前で疲れた顔を見せるのは実に傲慢だ。

基本的に公共交通機関は他人に迷惑をかけない行動を求められる。ならば、他人に席を譲らせる行為は迷惑に当てはまらないのだろうか。私としては非常に迷惑だ。特に年寄り当人や周りの席を譲れというの主張は悪質と言わざる得ない。

私はもちろん年寄りを見て判断する。当人が断ったり、明らかに顔色が悪かなければ譲らない。ただ、当人同士ではなく、見当はずれな正義感を持つ第三者が周りにいると厄介だ。

ギャーギャー騒ぎ立てたり、肩を叩いてきたりする。なら自分が退けば良いのだ。その正義感で席を譲る不利益が帳消しになるのだから、それで良いではないか。自分は座ったまま年寄りの正義の味方としての満足感を得ようというのは傲慢だ。

 

 

夏の風物詩

なんでセミは駆除されないんだ。

彼等の鳴き声が煩くてしょうがない。

夏も中頃になると耳に残ってしまう。外に出ればミンミンミンミンと喧しく、室内にまで届いてくる。

それに彼等の行動も嫌だ。

なぜ彼等は無謀な突進や死んだふりなんかをするのだろうか。

まるで成虫になった俺たちには怖いものなんて無いぜ と言われているみたいだ。

虫界のヤンキーだ。

誰にでもぶつかっていき、煩く喚く。

臭い

臭いっていうのは人に伝えづらいものである。色ならば色自体に名前があるから、名を言えば伝わるし、インターネットで検索して相手に見せても良い。しかし臭いではそうはいかない。相手に伝えようとするならば、「◯◯みたいな臭い」と相手が嗅いだことのあるだろう臭いに例えてやらねばならない。つまり相手の知らない、似ている臭いすらないような臭いは伝える手段がないのだ。

    つまり私が今苦しめられている臭いについては世界中誰にも共感してもらえないという事だ。

    いつからだろうか。私は常にある臭いを嗅ぎとることができるようになった。それは特定の人から発せられているものであるようだ。今までその匂いがした人は私の祖父と看護学校に通う女友達、ツーリング仲間が2人だ。例外かもしれないが愛犬のちょこも最近彼らと同じ匂いがする。4人の共通点といえば私くらいのもので、みんなバラバラな知人だった。

    私の感じ取れる臭いの正体は何なのか。疑問に思って友達や本人にも聞いてみた。もちろん、彼らが臭いと言っていると思われないようにオブラートに包んでだ。「何か臭いのするものを付けていないかい?」「変な臭いしない?」聞いてみても誰も感じていないようだった。 

    つまり私しか嗅ぎとれない何かの匂いが彼らにはあるのだ。

    そして問題は今朝起こった。臭いのだ。部屋で臭うという事は私自身が臭いのかと思ったがそうではない。

   部屋から出て廊下からリビング、朝支度を済ませて外に出てもいつものあの匂いが漂っているのだ。とっておきは満員電車の中だった。匂いが強烈過ぎて私は堪らず大学に向かう途中のいつもは降りないだろう駅で降りた。

    耐えられない臭いに鼻をつまみながら階段を登り反対のホームに向かう。すると1人の中年女性が通り過ぎた。あの人は特に強烈な臭いなんだろうな。そんなことを考え、怖いもの見たさだったのか鼻をつまんでいた手を離し、恐る恐る鼻を鳴らした。

    そこには何の匂いもしなかった。朝からずっと充満していた悪い空気が吹き飛んだのかいつも通り、いや、今日に限ってはいつも以上に清涼と感じられた。

    朝からずっと浅い呼吸を心がけていた私はゆっくりと大きく深呼吸した。当たり前にしていたことがこんなにも気持ちの良いことだったとは。私の前を通り過ぎてくれた女性に心の中で感謝しながら、家路に向かう反対ホームに向かう。

    しかしながら空気が澄んでいたのはあの女性の周りだけだったのかやはり匂いがする。今朝よりは弱い。しかし確実に漂ってくる臭いは駅周りの飲食店の匂いでも、錆びた鉄の匂いでもない。あの匂いだ。 

    私は今日1日女性の近くにいることにした。ストーカーのようで申し訳ないし、あまり美人でもないから楽しくもないが、あの臭いを嗅ぐのはごめんだった。

   私は街を離れる。走る電車は山を登り、避暑地として栄える街まで辿り着く。オフシーズンの街は閑散としていたが人が少なく、臭いは全くしなかった。宿も安かったので今日はここで一日休むことにする。休憩したら川や森林を散策でもしてみよう。優雅な休日を過ごした翌日の朝、私は自分の住んでいた街が地震により崩壊したことを知った。

 

深夜の侵入者

 それは突然だった。

 いや、予兆はあったのだ。幾度となく私はそれに気がついたが、それが予兆だと言うことに気がつかなかった。

 正直平和ボケして居たんだと思う。今までが平和すぎたのだ。

 戦いは常に起こり、身近な人が襲われることも少なくなかった。しかし、それは他人の話で。私自身には全くもって関係がないと信じ込んで居た。

 警備は十全だと過信し、最悪を予想して居なかった。

 悲劇は誰の皆も起こりうることなのだ。なにせ、我々は生まれた時から悲し    まくて泣いているのだから。

 

 夜中の2時。今までラインをして居たが、そろそろ寝ると言われてしまった。  今日は昼寝をしたからまだあまり眠くない。それでも、特にやることもないし仕方ない、寝るかと思っている時だった。

 外からカサカサと言う虫特有の硬い物が素早く動くような音が聞こえた。動くと言うかもがいているようだ。

 もしかしたらどこかの隙間から入ろうとしているのだろうか。しかし、私の部屋はマンションの5階だ。虫が来ることまずないと不動産の太り気味のおじさんは言っていた。

 その言葉の通り、三年前に引っ越してから大きな虫を家では見ていなかった。カナブンや蛾、蜂なんかは1階住んでいるお爺さんよく出ると言っていたが、関係ない事だった。

 私の住むマンションは昔に建てられたらしくエレベータがない。だから私は毎日5階分の階段を上り下りしているのだ。5階と1階で虫の出る頻度が同じなんて不公平だ。おじいさんには悪いが天寿を全うするまでは幸せに、虫を駆除しながら生きていってほしいと思う。

 そんなことを考えている間にもカサカサ音は続いている。

 私家は目の前に大きな道路がある。夜中には車はほとんど通らないけれど、通行人はそこそこいる。彼らの足音まで反響して私の部屋には届いてくる。

 今回も虫ではなく誰かが歩いているのかと思っていたが、違うらしい。

これは私の部屋のベランダで発生している音だ。そう思いすぐに行動した。カーテンをあけて窓からベランダを覗き、音の正体を探す。ベランダの床はもちろん、網戸や目隠しまでじっくりと観察した。何もなかった。

やはり気のせいだった。街のどこかで誰かが音を出しているんだな。

 安心しきったその瞬間だった。黒い影がブーンというあの不快な音と共に私の目の前の壁に張り付いた。

 

 

、、、、、、、、

 

 

疲れなのでここまで

一日だったけれどまだ捕まえられてない。どうすれば良いやら。

うた

歌を聴いてると、特にそれが無名の日本人の歌っている曲とかだったりすると不思議な気持ちになる。不安と言っても良いかもしれない。僕はこの人のことをなにも知らない。顔や体つきは勿論、年齢や性格なんかもわからない。その詩を書いたのは別の人が本人なのか。調べればわかるだろうけれど、それ自体に大した興味はない。僕が不思議に思うのは知らない人の初めて聞く声を聞くっていうこと自体を不思議に思う。うまく表現できていないけれど、僕は自分の部屋でとてもリラックスした状態で、本を読んでいたり、ゲームをしていたり、ニュースを見ていたりする。僕は1人なのにそこには知らない人の声が響く。誰だなんて不思議に思うことはない。勿論それは僕が好きな歌手だったりバンドだったり、テレビに出ている人だったりするんだから。僕は全くその人について関わっていないし、その人の人生にもかかわらないのに、歌声を聴いて、息継ぎなんかの生々しい音を聞いている。それが不思議で不安に思う。そういう時はできるだけ声の入っていないもの聞くようにしている。インストやオーディオトラックとかクラシックなんかを。