歌手・村下孝蔵の半生
めぞん一刻。ご存知、高橋留美子先生のラブコメディです。不朽の名作、同先生の作品でも一番好きだと言う方も多いと思います。
いつもならここからめぞん一刻の話を長々と始めるのですが、今回はそれはできません。何故なら、僕はめぞん一刻を読んだ事がないからです。信じられない、お前はそれでも日本人かと言われそうですが(言われない)事実です。申し訳ありません。
では何故話題に挙げたのか。それは、アニメ・めぞん一刻のOP「陽だまり」を歌った、僕の大好きな歌手について書きたいからです。
村下孝蔵さん。どの程度知名度があるのか分かりませんが、きっとご存知の方も多い・・・と思っています。某掲示板サイトでも定期的に話題に挙がるフォークシンガーですね。歌声、ギター、詞と多くの魅力をお持ちの方です。特に詞が素晴らしい。陽だまりの歌い出しなんて「蝉時雨遥か 簾越しに」ですからね。こんな詞他に書ける人居ません。
そんな村下さんはデビューするまで、そしてデビューしてからも、多くの苦労のあった方のようです。
生まれてから高校卒業までの経歴は面倒なのでWikipediaに譲るとして。
高校卒業後、社会人として勤務しながらも音楽活動のために会社を辞め、専門学校に入学。自主制作楽曲を発表する等地道に音楽活動をしていたようですが、実ることなく就職。その間もデビューへの道を模索していましたが、やはり実らず。
それから再び職を辞して発表した楽曲がとあるディレクターの目に止まり、バックアップを受けていたようです。それで勢い付いたのか、応募したソニーのオーディションにて見事グランプリを獲得しました。
ついに陽の目を見る時が来たかと思われましたが、そこで立ちはだかったのは、長い下積み時代で重ねた年齢と、フォークシンガーという斜陽になりかけたジャンル、そして華の無い見た目でした(村下さんには「部長」という愛称があります。顔を見れば一目で納得してしまうでしょう)。
しかしそれでも売れる事を確信したプロデューサーに支持され、1980年、27歳にてついにデビューします。初めはそれほど売れることは無く、またテレビ出演もしなかったため大きな変化はなかったようですが、それも5枚目のシングル、代表曲である「初恋」にて終わることとなります。
オリコンチャートでは3位を記録し、テレビ出演も多数舞い込んだようです。しかしこの時村下さんはタイミング悪く肝炎を患ってしまい、精力的な活動ができませんでした(この売り込みに重要な機を逸してしまったことが、後々曲が売れなかった一因なのではないかという話もあります)。
その後、楽曲は暫く好調な売れ行きを見せていましたが、80年代後半からは徐々に落ち込んで行ったようです。そして92年、これが売れなければおかしいというほどの自信作、起死回生の一手として世に放った「ロマンスカー」も売り上げ芳しくなく終わった時、村下さんと彼を支持してきたプロデューサーは時代の移り変わりを実感したそうです。時代は追いかける物ではない、向こうから勝手にやってくる物だとも。
自身のペースで活動を続けていった村下さんですが、事態は思わぬ展開を迎えます。99年の6月のこと、コンサートのリハーサル中に突然倒れた村下さんは、しかし自らの足で病院に向かったものの、その4日後に帰らぬ人となってしまいました。死因は脳内出血。46歳、あまりにも早く、あまりにも急すぎる死でした。
暗い話は僕自身書いてて楽しい物ではないので、これ以上はやめましょう。
前述しましたが、村下さんの楽曲は素晴らしい物ばかりです。中でも「陽だまり」「少女」「夢の続き」は大のお気に入りですね。しかし惜しむらくは音源化の際、主旋律にギターが目立たなくなっている事です。特に陽だまりはシンセサイザーがメインになっており、個人的にかなりマイナスです。しかしこれもまた時代でしたから、仕方のないことなのでしょう(陽だまりが発売された80年台後半はシンセサイザーを駆使した楽曲が人気でした。TM NETWORKが売れ始めた頃です)。
ギターの演奏を楽しみたい方は動画サイトでライブ映像を見て頂ければと思います。
一人でも多くの方に魅力を知って頂けたら、ファン冥利に尽きるというものです。少しでも興味が出ましたら、是非御一聴ください。
遠野物語とマヨヒガの不思議
遠野物語。
日本民俗学の先達・柳田國男が、民話・妖怪譚の収集家である佐々木喜善から聞いた岩手県遠野地方の民間伝承を纏め記した本です。
最近は創作界隈で「遠野」というワードが使われる機会が増えたため、それを通じてご存知の方も多いと思います(「うしおととら」「東方」「ぬらりひょんの孫」あたりが幅広い年代・クラスタに広めたのだと勝手に考えていますが実際はどうなのでしょう?)。
僕自身、東方やうしとらで遠野という言葉は知っていましたが、遠野物語を読んでみようと思い立ったのは本格美少女麻雀漫画こと「咲-Saki-」の影響でした。
咲の作者である小林立先生は全国各地の神話・民俗学・妖怪譚に造詣があり、それを麻雀用語の「山」などと絡めて登場人物のプロフィールを設定しています(先生からすれば「設定した」のではないと思いますが)。
熱心なファンの方々はその設定を受けて考察を行っているのですが、その内容の緻密さと、それらを設定に盛り込んでしまう立先生の手腕に驚かされます。
そんな咲の登場人物の中で、岩手県出身のキャラクターたちは遠野物語に関係した設定を持っており、それで興味を抱いた僕も遠野物語を読んでみたいと思ったわけです。余談ですが姉帯豊音ちゃんはちょーかわいいです。
話を戻します。遠野物語は、今では多くの人が知る存在となった「座敷童子」と「マヨヒガ」を世に知らしめた作品です。
座敷童子。最も有名な超自然的存在の一つですね。どことなく素朴でかわいらしい印象。ご利益も抜群で現金な方にも嬉しいです。
座敷童子に出会えると有名なスポットは岩手県に二つあるそう。二戸市金田一温泉郷の「緑風荘」と、盛岡市天神町の「菅原別館」です。緑風荘は2009年に火事で全焼してしまいましたが、今年の5月に営業を再開したみたいですね。
そしてマヨヒガ。ここからがようやく本題です。
岩手県遠野郷にある白望山の伝承で、山中を歩いているといつの間にかマヨヒガという無人のお屋敷に辿り着くことがあり、そこから食器でも何でも持って帰ると幸福になるという話です。ただし欲のある人間には決して見つけられないと言われています。
欲ばかり追い求めず質素に日々を過ごしていれば、いつかふと幸運に巡り合えるかもしれないよという夢のあるお話ですね。
無欲な人にこそ幸運は降りかかるという話は数ありますが、その中でもマヨヒガの変わっているところは形はどうあれ物を盗んでいくことでしょう。
それも相手方から被害を被ったからその慰謝料代わりとしてお宝を頂いていくぜというパターンではなく、とりあえず貰っとけというストロングスタイルです。
この手の話は大抵、物を盗る前にまず罪悪感を薄れさせるプロセスが挟まれるのが普通だと思っていたのでこれには驚きました。
実際には山の神様からの贈り物なので盗みではないのですが、お屋敷から勝手に物を頂いていくというのは常識ある人間には厳しいものがありますね。
しかしそこは御安心。何も取らずに帰ったらお椀が俺を使えと言わんばかりに川から流れて来たという例があります。まさかの押しかけです。この親切さは流石神様と言ったところですね。
ただし何も取らずに帰っても、後でマヨヒガだったと知って引き返した場合、お屋敷は跡形も無く消え失せており、また向こうから贈り物がやってくることもないそうです。事実を知って欲を抱いてしまうと恩寵は授かれないということでしょうか。何とも神様らしい。
遠野物語は日本民俗学の走りとも呼ばれる偉大な作品です。山間に伝わる妖怪や伝承・・・河童、天狗、山男、神隠し、オシラサマなどが、実際にあった体験談として語られています。中には執筆当時まだ御存命だった方が体験したという話もあります。
興味の湧いた方は是非読んでみてください。ただの昔話にはない奇妙なリアリティが、この世界に神様や妖怪がいるのではないかと思わせます。きっとあなたも遠野郷の虜になることでしょう。
モルフォチョウとヒョウホンムシ
蝶の美しさは人を魅了して止みません。
この世の物とは思えない、艶やかな色と不可思議な模様をした美しい翅。その翅を揺らしながら、優雅に、どこか儚く飛ぶ姿・・・。
中でも僕のお気に入りは(月並みですが)世界一美しい蝶と呼ばれるモルフォチョウの仲間で、「スルコウスキーモルフォ」と「アオタイヨウモルフォ」です。
Morpho、すなわち「美しい」を意味するギリシャ語を冠するのも頷けます。太陽の光に煌めく宝石のような翅。どうしてこのような色を持つに到ったのか。進化という二文字だけでは納得できない、神の介入すら疑わせます。
そんな蝶の美しい姿をずっと留めておきたいと人が思うのも無理はなく、標本コレクターが世界中にいることもまた当然のことでしょう。中には数百万円の値が付く物もあるそうです。しかし、それだけの価値が認められるほどの魅力に溢れていることもまた事実です。
ですが今日の本題はそんな美しい蝶やその標本ではありません。ごめんなさい。
むしろ対象にある存在と言ってもいいでしょう。嫌悪感を煽る見た目と、人に害成す生態。そう、害虫です。我ながらまた害虫の話かよと言いたくなります。
今回紹介するのは「ヒョウホンムシ」です。
名前からしていかにも標本ばかり食べていそうですね。相当なマニアであり偏食家であることが伺えます。コレクターの方々には親の敵の如く憎まれていることでしょう。こんなところでも人と虫の争いは続いているのです。
・・・と思いきや。
実はこの虫、名前に反して標本を食べることはあまりないようです。
むしろ標本を食べる虫としては「カツオブシムシ」や「チャタテムシ」がその筋では知られてる様子。この二種は剥製や書物なども食べてしまうため「文化財害虫」とも呼ばれ、貴重な資料を収蔵する博物館では要注意対象とされています。
一方ヒョウホンムシはというと、標本はそこそこに米や毛織物が主食のようです。厄介であることには違いありませんが、何とも拍子抜けですね。
では何故ヒョウホンムシと名付けられたかと言いますと、まあ標本によくくっついてるのを見つかったからなんですね。別にバリバリ食い荒らすからとかじゃないようです。
生物界にはニンジャスレイヤー並の直球キラキラネームを付けられたちょっと可哀想な子たちがちらほらいますが、ヒョウホンムシはその中でも名前のせいであらぬ誤解まで受けている一段と可哀想な子なんです。
名前なんて所詮人が勝手に付けたもの。モルフォチョウのように名は体を表す場合もあれば、そうでない場合もある。先入観に捕われず、冷静な視点で見て物事を判断していきたいと僕は思いました。
良い感じに締まったので今日はこれで終わりです。
モンシロチョウとモンキチョウ
7月です。近いうちに梅雨が明けて夏も本番になるでしょう。
僕は夏が嫌いなのですが(かと言って冬も嫌いなのですが)、その原因の一端を担っているのが「奴ら」です。
「奴ら」は夏になるにつれ徐々にその数と種類を増やしていき、不快な姿と羽音でもって精神的に僕を苦しめます。たまに直接攻撃を仕掛けてくるのが一層恐ろしいです。
そう、「奴ら」とは虫です。中でも害虫、不快害虫と呼ばれる連中のことです。蚊、ハエ、クモ、アブ、蛾、ハチ、ゲジ、ムカデ、よく分からない甲虫・・・。
どうして人間界に出て来るのか。その辺の茂みや林に引きこもってはいられないのか。時おり人のいる方向に向かって突っ込んでくるのは何故なのか。古来から続く害虫との戦いの歴史。この戦いに、果たして終わりはあるのか・・・。
などと無駄に長く壮大な前置きはここまでにして、本題です。
先日の朝、河原沿いを散歩していた時のことです。この時期よく見られる虫の中で、人の目を楽しませてくれるものの一つが蝶です。特にモンシロチョウはどこにでも見られる、有名で一般的な蝶ですね。
そんなモンシロチョウのオスとメスが、仲良くじゃれあって飛んでいるのを見かけました。白い蝶と、黄色い蝶。くるくると互いに位置を変えながら踊る姿は見ていて楽しい気分になります。白い方がオスかなー、このプロボーズは成立するのかなー、なんて思いながら通り過ぎて帰宅した後のことです、ようやく気付いたのは。
黄色いモンシロチョウって何だよ。
と。
今までの僕の認識はこうです。
・白い蝶→モンシロチョウ
・モンシロチョウに姿かたちは似てるけど色は黄色いの→何か別の蝶
あまりにもあんまりで恥ずかしくなりますが、そんな風にしか判別していませんでした。なんと失礼な事でしょう。何か別の呼ばわりされた黄色い蝶に謝りたい。
とにかくここではっきりさせておきたい。白黒(白黄色?)つけたい。はたして黄色いモンシロチョウは本当にモンシロチョウなのか。調べた結果はこうでした。
・モンシロチョウは雌雄で色が違う。メスが白でオスが黄色。
・ただし、この黄色というのは黄色がかった、という程度である。
あの二匹モンシロチョウじゃないよ。
今までモンシロチョウだと思ってたやつ別の蝶だったよ。
いささかショックを受けながらも、じゃあ正体は何だよとさらに調べてみれば至極単純で、その名を「モンキチョウ」というみたいです。白いからモン白。黄色いからモン黄。分かりやすい。
モンキチョウもメスは白くオスは黄色ですが、こちらのオスは真っ当な黄色をしています。真っ黄色というほどではないですが(真っ黄色なのは「キチョウ」というそうです。こっちは雌雄どちらも黄色)。
ですが、個体によっては黄色が濃いものや薄いもの、メスなのに黄色いものもいるようなので、色だけでモンシロとモンキを判別するのは難しいそうです。今回は濃い目の黄色と綺麗な白の個体のカップルだったので運良くモンキだと判別できたのでした。これからはモンキチョウを何か別の呼ばわりしないことを誓います。
・・・ここまで書いといて何ですが、蝶に少し詳しい人から見たら鼻で笑われそうな内容ですね。
ブログ始めました
やろうやろうと思いつつ3年ほど放置していたブログをようやく開設しました。理由は暇すぎたからです。
休みは欲しいけどいざ休みになるとやることがなく暇なのが悲いところです。まあ現状毎日が休みのようになっているのが暇の大きな要因なのですが。
このブログは、僕が気になった事を調べて書いて時々見返して思い出す、そんなノートの代物です。
ネタが見つかり次第書いていく不定期更新なので、のんびり見守ってやってください。