また、イチから。

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快晴のゴールデンウィーク

花を見たり。

美術館に行ったり。

体調を崩したり。

心も体もリセットした感じ。

 

4連休ともなると、3日目辺りから仕事がどうでも良くなってくる。

やっておきたかったことも、まあ休み明けでいいかなと。

毒気が抜けて、休みに集中出来る。

強制的な一時停止。

それが、割と良い仕事をするには、重要な気がする。

 

気が抜け過ぎたのか、3日目に頭痛と吐気に襲われてダウンする。

胃もたれたかと、昨晩の揚げ物に呪詛を唱えてみるけど、そうではないらしい。

睡眠負債、オーバートレーニング、、、。

それが複合化して疲れとなって臨床化したようで。

 

無理矢理、ご飯を食べ、薬を飲んで寝る。

ようやく立ち上がれたのは、午後三時。

せっかくの休みをという後悔より、疲れてたんだなという自分を労る。

のんびりと、コーヒーを淹れて、一息つく。

コーヒーを美味しいと感じられたら、それが自分の元気のパロメーター。

 

疲れていると、美味しいものも味気なく、楽しいこともつまらなくなる。

コーヒーを飲むこと、おにぎりを頬張ることが義務的になってたし。

ライミングすること、自転車に乗ること、走ることが、自分に課した苦行になってたような。

 

ロキソニンを飲んで、一昼夜寝込んで、目覚めたら、コーヒーの香りが恋しくなり、岩を登りたくなってきた。

鼻が詰まりで香りはまだ味わえないし、体がガタガタで思うように登れない。

だけども、美味しいと感じるし、楽しいなと思う。

良くも悪くも、リセット出来たようだ。

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なんだか、これまでのトレーニングがゼロになってしまったような体たらく。

また、ここから、一から、やり直そう。

美味しくご飯を食べ、楽しく体を動かしていれば、きっと自然と身体は甦る。

不惑の歳。

不惑の歳。

四十にして惑わずとはいうものの、変わったこともあれば、変わらなかったことも。

そして、また膨らんでいくことも。

 

変わったことと言えば、食の嗜好。

揚げ物といえば、トンカツだったけれど、今はアジフライ。

味の好みというより、胃もたれに悩まされる。

今、身体が欲するものがわかるようになってきたように感じる。

 

変わなかったことは、体型と性格。

体型は20年前と変わらず、服のサイズもそのまま。

性格は短気のまま、すぐにカッとなる。

だけれども、上手く自分をコントロールできるようにはなってきたような気がする。

 

でも、今だに夢はしぼまず膨らんでいる。

行きたい場所は増えていくばかり。

やりたいことは広がり続けている。

全てを叶えることは出来なくても、叶う夢をチョイスし、行動することが出来るようになったと思う。

 

これらは、自分の理想と現実のギャップが少なくなったからなんだろう。

理想の自分のレベルダウンしたのか。

現実の自分がレベルアップしたのか。

恐らく、どっちもなんだろう。

 

自分に馴染んだという感覚。

出来ない自分を許せるようになり。

出来た自分を認められるようになった。

若い時より自身を好きになれたのか、諦めがついたのか。

 

わからないけれども、自分を乗りこなせるようになったのは確か。

だから、この体と心で、行きたい場所に行けるし、やりたいことが出来る気がする。

少なくとも、挑戦は出来ると思う。

 

あと四十年くらいの人生。

惑わずにはいかないだろうけど、この身体でいけるとこまで行ってみよう。

ピュアソウル。

「いちばん大切なのは、一生懸命、生活すること。一生懸命したことは、いちばん純粋なことであり、純粋であることは、もっとも美しく尊いことです。」ー土井善晴

一汁一菜でよいという提案 (新潮文庫) https://amzn.asia/d/j8XStuE

 

ライミングをしていると、ピュアになれる。

正確に言うと、登りたいという課題と向き合っていると無になれる。

ただただ、単純に登りたい。

 

そのことだけしか、頭に無い。

ホールドを握るのに、必死で何もかにも見えなくなる。

そんな時間が尊い

 

無駄な力、過剰な知識、余計な思考。

どこかに置くことが出来た時、ピュアな時間が流れる。

ハイになる。

ゾーンに入る。

言い換えると、そんな感覚だろうか。

 

ボルダー、リード、クラック、ジム。

ジャンルは問わないけども、ピュアタイムを欲してクライミングをしている気がする。

達成感より、そんな時を刻みたいのだと思う。

青い鳥を追い続けるみたいな。

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今、追いかけている3羽を籠に入れるのは、夢物語なんじゃないかと感じている。

だからって、サジは投げない。

自分にカッケーと陶酔したいわけでもなく、誰かにスゲーねと承認して欲しいわけでもない。

ただただ純粋になれるから。

 

人間だから、見栄や誇示もある。

汚いヤツだと、自己嫌悪に陥ることは多々ある。

そんなヨゴレを拭きとる手段が、自分にとってクライミングなんだと思う。

 

愚者が、聖人になる一時。

子どものように、目がキラキラする瞬間。

スーパーマリオのスター状態。

そんな風に、一生懸命になれるのは幸せだ。

 

ただ、歳を重ねる程に、余分な肉、知識、考えに毒されてしまう

知らず知らず、自分の内側にベタベタと癒着していく。

そして、時間が経てば経つほど、落ちにくくなる。

そいつらは、贅肉、固定観念、先入観といった臨床症状として現れる。

解毒してやらないと、中毒になってしまう。

 

そのアンチテーゼ、今はクライミング

だけど、何かに移り変わるかもしれない。

新しい何かに。

その時は、変化を恐れず、目の前のことを愉しみたい。

一瞬でも、ピュアな時間が多いに越したことはないのだから。

 

仕事、生活、趣味で、純粋になれる時間の割合を増やしていけたら良いなと思う。

全部とはいかなくても、その一部だけでも、夢中になれるものを見つけたい。

 

もし、何かしらに一生懸命でずっといれたら。美しき日々だった。

と、涅槃の時に思えるんじゃなかろうか。

そう思って、最後に目を閉じれたら、幸せですね。

日常茶飯事。

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育児休暇を取得して二週間。

オムツを交換すること、早朝にミルクを飲ませること、泣き止まないこと。

それが特別ではなく、日常になってる。

そして、隙間にクライミングをすることも。

それもまた、生活に息づいてる。

 

育児も岩登りも、生活の一部。

スペシャルなイベントではなく、日常茶飯事。

食事と一緒で、今日というパズルのピース。

だから、そのワンピースが足りないともどかしくなる。

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育児は、毎日だけど、クライミングはいつでもって訳にはいかない。

だけども、クライミングジムはそうだし、フィットネスジム、家でのトレーニング。

何もできない日はレストと、どこかでクライミングした気になってる。

欠くことの出来ない人生のピース。

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ピースがはまった日は、気持ち良く眠れる。

パズルをコンプリートしたようで。

どちらかというと、ルーティンをこなす派だから、毎日、同じことを重ねる方が好み。

だから、新しいピースをはめ込む余白を作るまでに時間がかかる。

 

1日は24時間だから、どうしてもピース数は限界がある。

場合によっては、はまらなくなるものもある。

一方で、形を変えてはまるものも。

それらを取捨選択しなくてはならないのが悩ましい。

諦めなきゃいけない事もあるから。

でも、そこで残った欠片が、今の自分の人生で必須なものなんだろう。

 

二週間かけて、ようやく今の生活パズルが完成した感じ。

また、完成させてはバラバラに、完成させてはバラバラにを繰り返していきたい。

でも、新たなピースを加えることも続けていこうと思う。

まだまだやりたいことがあるし、行きたい所もある。

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とはいえ、育児休暇期間は、スペシャリティなことも楽しみたい。

美術館に行ったり、映画を見たり、e-ラーニングを受けたり。

何より、抱っこするという時間も期間限定のものだからより大事にしたい。

そして、非日常から新しい日常も生まれるのだと思う。

 

簡単なパズルが確実に作れるようになったら、複雑なパズルにチャレンジする時。

一度、手放したピースもいつか拾える時がくる。

だから、ゴミ箱に捨てずに、心の隅っこに置いておこう。

きっと必要なパズルのピースなのだから。

 

BACK TO THE TOYOTA.

遠征で一番訪れている場所、豊田。

近年、足が遠のいていたけど、思いが再燃。

仲間に会いに、岩を登りに、何かを探しに。

金曜日の夜に、google mapに教えを乞う。

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久しぶりのロングドライブ。

福島FMからTOKYO FMへ。

電波の途切れるラジオをつないでひた走る。

K-FMに切り替えた辺りで眠気に従い停車。

そのまま、寝袋に抱かれて就寝。

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お腹が空いて目覚め、SAでモーニング。

人心地付いていると、見慣れた顔ぶれ。

測ったように東北メンバーと顔を合わせ。

せっかく遠くに来たのに。

寂しいようで嬉しい。

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唯一、場所が記憶に残っていた歌石駐車場が集合場所。

西から東から仲間がぽつりぽつりと揃っていく。

馴染みの顔、どこかで見た顔、久しぶりの顔、新しい顔。

役者が舞台が揃えば、自然とセッションが始まる。

最後は一手目から遠いカチを止めに行く課題。

初手が核心かと思いきや、マントルでみんな苦戦。

右手が持てなくなり、スタートが切れなくなり、夕暮れに近づいて終了。

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明けた翌日は、岐阜は白川ボルダー。

いつだかの年末に、来る予定がドタキャンとなった因縁の岩場。

国内外問わず、ツアーに行きたくても行けないタイミングってある。

経済的、時間的、仕事的な因果関係によって。

そういう時、昔は悶々としたけれど、今は時期尚早だったんだなと受容できるようになった。

むしろ、ようやく来れた今が自分にとって最もグッドタイミングだったのだなと。

苦手な河原エリアだったけど、楽しく遊べたのも相応しい時だったんだろう。

強烈に痛い指が痛い課題もエンジョイしたけれど、左手がジンジンした辺りで終了。

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ツアー最終日は、みんなが寝静まってる時間に出発し猿投山。

豊田で右手、白川で左手の力を出し切ったので、割り切ってハイキング。

ヘッドランプの光を頼りに、コンクリートを刻んで登山道へ。

途中から起伏に富んだコース、展望台からの景色、山頂付近の雪化粧。

道に迷って、日の出には間に合わなかったけれども、ふくらはぎも良い感じに張ってツアーの終幕。

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帰路は、気分転換に、静岡回りではなく、岐阜から中山道へ。

昼食で立ち寄った定食の味噌汁が赤出汁でないことをどことなく寂しい。

また、飲みたくなったら、その時が来たら、迷わず、有無を言わさずやってこよう。

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挨拶もろくにせずに、お別れした馴染んだ仲間に申し訳なく思う。

でも、そんなことで絆が切れるような人達じゃないかなと甘えておく。

名古屋には、仲間が集うギルドがあったなとつくづく思う。

ドラゴンクエストルイーダの酒場みたいな。

自分は酒は飲まないし、みんなでワイワイするのは苦手だけれども。

角でガヤガヤを聞いているのが好き。

ワイガヤの端っこに入れてもらえるのがとても嬉しい。

ここで、出会った仲間とまた冒険に出れたら良いな。

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旅の終わりに、手帳のチェックリストを確認する。

どうも、心残りがあるらしい。

岩場に宿題も残ったし、矢場とんも食べれなかったし。

 

”もっとも、私は旅先に心残りを作ることも悪くないと思っているようなところがある。そこに心を残しておけば、いつかまた訪れることができるだろうから、と。そう、残した心を「回収」するために。”

ー「飛び立つ季節」 沢木耕太郎

 

難しく考えずに、来たいと思ったら、また来よう。

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理由なき登攀。

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今日、出来なかったらやめよう。

毎回、そう思って上ってく。

もう何度、上って下ってを繰り返したことやら。

 

細かいスタンスを踏んでたふくらはぎとホールドを抑える肩の痛みが終了のゴング。

やっぱり登れなくて日が暮れる。

けれども、不思議と次は出来ると希望が湧く。

 

ジェームス•ディーン曰く。
「Dream as if you’ll live forever. Live as if you’ll die today.(永遠に生きるつもりで夢を抱け。今日死ぬつもりで生きろ)」

 

まだ、登り切る夢を抱いてる。

今日も、足の踏ん張りが効かないくらい、肩の上げられなくなるくらい、打ち込んだ。


陽はまた昇り繰り返す。

自分も登り繰り返そう。

学食を食べて想う。

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報告会に参加するために大学へ。

学生だらけの食堂で肩身の狭いランチを食べる。

周りを見回すとそこは大学。

 

喧騒的なキャンパス。

妙に細かいパワーポイント。

ちょっと言葉足らずなプレゼン。

リーズナブルな学食。

修士に課程に進まなかったことへの後悔。

ちょっとセンチメンタルになる。

 

研究発表をする学生の姿を自分に重ねる。

何もわかっていないのに、自分が第一人者になったつもりで粋がって発表してたなと。

恥ずかしい話だけども、何でも出来るし、何にでもなれると信じてた。

きっと社会に出ても通用する。

そんな無敵感が懐かしい。

 

会社に入って、高い鼻はへし折られて。

自分の無力さ味わって。

ダークサイドへ陥って。

暗闇の中で、自分のやりたいという光明を見つけて。

卒業してからの時間は、そういう流れだったと感じる。

 

もう一度、学生に戻りたい。

誰しもが考えること。

自分もそうだし、今なら社会に役立つ勉強ができると思う。

誰でも一度は思うところを、何度も思ってきたんだから、まだ想いはあるんだろう。

 

時は来るかもしれないし、来ないかもしれない。

だからこそ、その時がきたら飛びつこう。

もし、その時には、堂々と学食を食べよう。