ドイツに挑むイタリア

現地時間2日(以下現地時間)に行なわれるEURO2016準々決勝でドイツと対戦するイタリア。アントニオ・コンテ監督は大一番を前に、世界王者との一戦では「超非凡」なパフォーマンスが必要だと意気込みを見せたのである。

 前評判は高くなかったイタリアだが、グループリーグで2連勝を飾り、最終節を待たずに首位通過した。決勝トーナメント1回戦では2連覇中だった王者スペインを2対0で沈めてみせたのである。

 コンテ監督は1日の会見で、「国内外のメディアも含め、最初は誰もが我々をあまり信頼していなかった」「イタリアサッカー界がタレントという点で暗黒期にあるのは誰もが知っていたのだ。だが、我々はハードワークと組織力によって、そして自己犠牲を厭わず懸命にプレーする23人の素晴らしい選手たちによって、当初は克服不能と思われた障害を乗り越えようとしている。チームはそれを示している」と胸を張っている。

NBAデュラント FA

NBAは1日からFA選手との交渉が解禁となり、14年シーズンのMVPで過去4回得点王となっているサンダーのケビン・デュラント(27)はオクラホマシティーでウォリアーズ首脳陣と交渉した。この席にはスティーブ・カー監督(50)をはじめ、ステファン・カリー(28)とクレイ・トンプソン(26)といったチームの主力選手も同席しており、デュラント獲得への熱意を示していた。

 ロケッツのセンター、ドワイト・ハワード(30)は3年7050万ドル(約72億6000万円)でホークスとの契約に合意。04年ドラフトの全体トップで指名された同選手はマジックでNBAデビューを果たして以来、これが4チーム目の在籍球団となったのだ。

 ブルズのセンター、ジョアキム・ノア(31)はチームメートのデリック・ローズ(27)がトレードで移籍したニックスを自身の新天地として選択。4年7200万ドル(約74億2000万円)で契約に合意している。またファイナルで初優勝したキャバリアーズの控えセンター、ティモフェイ・モズゴフ(29)はレイカーズとの4年契約に合意。同選手はティロン・ルー新監督になってからは出番が激減している。

中京新馬戦

2日の中京5Rの新馬(芝1400メートル、16頭立て)は単勝7番人気のメイショウソウビ(牡2歳、栗東・飯田祐厩舎、父プリサイスエンド)が鮮やかに逃げ切ったのだ。勝ちタイムは1分21秒6である。

 鞍上が軽く促した程度でハナへ立つと、前半800メートルは46秒1のマイペースで直線で武幸が手綱を動かしてからもしっかりと加速して、右ステッキが2発入ったのみで2着のディアドラに2馬身半差をつける完勝だったのだ。

 「毎週調教に乗っていて、ある程度つかめていた!手応えはあった。うまくいったね。体はまだ絞れるはず。大事に育てていけば、まだまだ力をつけると思う」とレース前日のゲート練習にも騎乗していた武幸は満足そうな表情。「何をやっても標準以上の馬。心配事が少なかった。距離はもつと思う」と飯田祐調教師はホッとした表情で振り返っている。

テニス 元サラリーマン

テニスのウィンブルドン(イギリス/ロンドン、芝、グランドスラム)は大会6日目の2日、異色の経歴を持つ世界ランク67位のJ・ミルマン(オーストラリア)が、夢のセンターコートで第2シードのA・マレー(英国)とのシングルス3回戦に登場する予定だ。


2年前に肩を負傷したミルマンは一時ツアーを離脱、世界ランキングは1,100位台にまで落ち、当時お金を稼ぐために地元オーストラリアのブリスベンでサラリーマンのアルバイトをして生計を立てていた。しかし世界で戦うことを諦め切れず、現役続行を決意した。

そして、2014年は下部大会の慶応チャレンジャーなどで優勝。さらに2015年のブリスベン国際でR・フェデラー(スイス)から1セットを奪う活躍を見せたのだ。同年に初開催された兵庫ノア・チャレンジャーでは決勝でダニエル太郎(日本)を破り、タイトルを獲得したのだ。

スラムダンク奨学金 NBA挑戦

漫画「スラムダンク」の作者・井上雄彦さん(49)とバスケット選手との対談企画の第2回は、この夏の全米プロバスケットボール協会(NBA)への挑戦を表明している。並里成(なりと)選手(26)。

 井上 高校を卒業した選手のチャンスを広げたいと思って立ち上げた、スラムダンク奨学金制度の一期生がナリ(並里)である。米国留学を経て、トップ選手として活躍してくれている。感謝を伝えたかったのだ。

 並里 留学の機会をつくってもらったことが、本当にありがたくて。僕のいまの目標はNBAの舞台に立つことですが、奨学金がなかったら、とっくに諦めていたかもしれませんね。

 井上 2006年に手探りで制度を立ち上げて、応募してくれる人がいるのかなって思っていました。先輩もおらず、何も分からない状態からスタートして、ここまでやってきてくれた。その後、奨学金に応募してくれた子どもたちの中には、「並里さんが米国へ行っている記事を見て自分もと思った」と言う人も多いであろう。おかげで、奨学金は今も続いている。