ぷっとろぐ

会社員の備忘録。

下手な伝え方は余計な揉めごとになる

先日、皿洗いのやり方が妻の思った通りじゃなかったのでダメだしをもらった。

「だから、なんでそうやってやるの!」

かなりの怒り口調で目も血走っていた。

ボクも負けじと「俺には俺のやり方があんだよ、任せたなら黙ってみてろ」と言った。

 

いくら夫婦だからといって自分のこだわりを相手に求めるのはおかしい。

ボクにはボクのやり方があるし、任せたなら口に出さないでほしい。これがボクの主張だ。

ボクはあまり人に自分のこだわりを求めたりはしない。(これは性格的にそうかも)

だからどうして人のこだわり通りにやらなきゃいけないのかがどうしても理解できなかった。

結局、喧嘩になってしまいそこから一切口を聞かなくなった。子供の前で喧嘩してしまったことが一番後悔している。

 

全ては言い方、言われ方で決まる

 

喧嘩したのは夜の7時ぐらいだ。そこから口も聞かずに寝た。

次の日の朝、仕事に行く前もお互いムスッとしていた。あまり会話もせずに玄関を出た。

通勤の自転車を乗りながら昨日のことをずっと考えていた。

自分のこだわりは相手に求めてはいけない。ただそれが妻なり子供なり自分の家族の誰かのこだわりなら家族の一員として理解してあげた方がいいのか。

あの時、理解してあげれなかったボクはまだまだ子供なのか。

そんなことをずーっと考えていた。

 

妻とボクはもともとは知らない人同士だし育ちも違う。

掃除をどこから手をつけるのか、洗濯物はどれをハンガーにかけるのか、食べる時はなにから食べるのか、まったく違う。

それを強制的に「私はこうだからこうして!」とか「ボクはこうだからこうして!」とかはおかしい。もしそれが正論を言ってるとしても。

相手が自分のやり方を押し付けてくるなら俺には俺のやり方があると思ってしまうのは当然だ。なにも間違っていないと思う。

 

ただ、何か胃らへんがモヤモヤがする。それはきっとボクが妻を理解しようとしなかったからだ。

最初から自分のこだわりをボクに押し付けた時点で、「そんなの自分のこだわりだろ」ってイラッとしてしまった。

それがすごく引っかかっていて「まだまだボクは子供だなー!」と思っている。

でもいつもなら「こうして」って言われたら「ハイよー」って答える。なのになんでそれができなかったのか。

それは妻の表情と口調だ。

「だから、なんでそうやってやるの!」って言われた時、妻は怒った顔をしていたしキレ口調だった。だからボクはすぐ応戦した。

もしこれが普通の表情で「こうやってよ。よろしくー」と言われたらボクはいつも通り「ハイよー」って答えていたと思う。

ここまでの喧嘩になったのはこだわりがどうこうじゃない。全ては言い方、伝え方だ。

 

家族内でもどう伝えるかは大切

 

いくら夫婦だからといってこだわりは求めない方がいいという意見もある。

でもこうしたい、あーしたいという思いは積極的に伝えるべきだ。

その変わり、こうしたいという思いがあるなら、相手で理解するまで優しい表情と口調で伝えること。伝え方で受け取り方は違うからだ。

 

ボクの結論は家族の誰かのこだわりは家族の一員として理解するべき…だ。

もちろんこだわり同士がぶつかったら話し合わないといけない。 ただ大事なのは伝え方だ。

伝え方で受け取り方は変わる。

父親の役目は「精度の良いパス」を「絶妙なタイミング」で送ること

父親の役目は子供にパスを与えることだ。子供の試合に父親のボクが点を取ってはいけない。それは子供の人生という試合だからだ。

ボクのパスを生かすも殺すも子供次第。

よく親が子供の道を勝手に決めてしまう人がいる。だが、ボクは子供にお前の未来はこうなるからこうしとけなんて言いたくない(言ったとしても多分その通りにはならないが)

子供には夢中になるという体験をたくさんしてもらいたい。それが大人になった時の一番の武器になるからだ。 

繰り返すが、ボクの役目はアシストだ。 

どんなパスかを具体的に書いていきたいと思う。

 

「こういうの世界もあるぞ」っていうパス

 

ボクは子供の頃は、学校に行って、夕方は友達と遊んで、週末はサッカーのクラブ。

毎日そんな感じに過ごしていて、それはそれで満足だった。

だけど、もう少し色々な世界があることを知れていたらどうなってたんだろうって思う。

例えば、ボクはブログというのを大人になってから知った。本当かよって思うかもしれないがマジだ。

ブログの良さを親から教えてもらってブログを書いていたらどうなっていたんだろうと思う。

大人になってから知ったことを子供のうちに知っていたらまた変わってくる。ボクの子供時代はとても世界観が狭かった。だから自分の子供にはこういった世界もあるんだぞっていうのを見せていきたい。そんなパスを送りたい。

 

「これやりたい」って時のパス

 

ボクの一番の願いは子供には好きなことに没頭してもらうこと。

だから、子供のこれやりたいってことがあったらできるような環境を作ってあげたいと思う。

そのパスは主にお金だ。

やっぱりやりたいことをやるのにはお金がかかる。うちにはそれをやらせてあげるだけのお金がないとはボク個人では思わせたくないと思ってる。もちろんその事実を教えて、お金の大切さを学ばせるのもいいと思う。ただ父親としてはどうにかしてあげたいと思うしそのためにギリギリまで必死になることは大切なことだと思う。

 

「助けてほしい」って時のパス 

 

子供も生きていく上では落ち込んだり、悩んだりすることは絶対にある。

そういう時にこそ、新しい視点を持ってもらえるような言葉を送りたいと思っている。

人に相談してスッキリすることはあるし、究極にわからない時はやっぱり誰かに話をしたい。

ボクもそうだった。

だから子供が迷った時に答えられる父親でいたいし、表情や態度をみて感じとれるようになりたい。

 

GOODなアシストを送れるようにボクもパスの精度を磨かなければならない

 

父親はたくさんのパスの種類を持つに越したことない。

そして注意しなければならないのが、父親のパスがひどければ間違いなく子供に影響するということ。

ひどいパスでは子供は点をとることはできないからだ。

大人になって父親になってそれで終わりじゃない。またまだボクは人として成長しなければならない。

ボクの成長こそがパスの精度を上げる。だから大人になったからって父親になったからってそれで終わりにしてはダメだ。学び、行動にうつし、失敗をし、また学びを繰り返していく。

ボクの成長が子供も成長だ。つくづくそう思う。

他人との人間関係より自分との関係を良好にするのが一番のストレス対策

ボクは以前、精神的に病んだことがある。

その理由ははっきりしていて自分との関係に欠陥があったからだ。

人間関係というと会社、友達、家族を思い浮かべると思う。

 

ただ、忘れてはいけないのは人間関係は他者だけではない。自分との関係も大事な人間関係だ。

 

自分との人間関係が大切だと思った日

 

ボクは比較的、まわりとはうまくやっていけるタイプであると思っている。

世の中、色々なタイプの人がいるけど、ボク自体が人見知りをしないし「この人どんな人なんだろー、喋ってみよう」とコミュニケーションには前向きだから。

ただ、周りとはうまくやっていけても自分との関係は最悪だった。 

いつも自分を責めて、ムチを叩いていた。

なにか失敗すれば、俺はダメだと責めてしまう。自己肯定感なんてマックスに低かったと思う。

自分の性格なんだからしょうがないかって思いもあった。でも結局、ボクは倒れた。

自分と良好な関係を築けなかったからだ。

ストレスは他者から受けるものだと思うだろうがそれだけではない。自分で自分にストレスをかけてしまうこともある。

他者との人間関係を気にするよりも自分との関係をしっかりしないとボロボロになるとボクは学んだ。

 

自分との人間関係は最悪だった

 

幸福感や満足感というのはとても大切。

ボクは倒れるまで、ほとんどそんな事を感じたことがなかった。

「人より成長したい」「立派になりたい」という気持ちが人一倍強かった。ボクなりにどうしたら成長できて立派な人になれるのかを考えた答えが自分を律して厳しくすることだった。

ただ、自分に厳しくすると、他人の行動が許せなくなる。

「本当にこいつなにも考えてないな!!」って否定的になってしまう。

そして継続して自分に厳しくすることで、どんどん自己肯定感が下がり余裕がなくなる。

結果、俺はダメな人間だと否定的になる。

自分に厳しくしたことで他者を許せなくなり、自分も許せなくなった。

これも全て、自分と良好な関係を築いていないからだ。

ボクは幸せというのは主観的なものだと思っている。幸せの答えは自分しか知らない。

主観的だからこそ自分との関係は大切だ。

自分と良好な関係を築くのには少し優しすぎるんじゃないかぐらいがちょうどいい。

時には厳しく、時には優しくが理想だけど日本人は真面目だから少し甘いぐらいでちょうどいいバランスになるんではないか。

 

他者との関係より、まずは自分との関係が大切

 

まわりとの人間関係より、自分との人間関係の方が大事だ。

幸せじゃない人が誰か幸せにすることはできない。だって幸せを知らないんだから。

それと一緒で、自分と良好な関係を築けない人は他者とも良好な人間関係を築けない。

だからまずは自分だ。自分を満たせれば他者を満たせる。

まわりとの人間関係も大事だが、やっぱり自分との関係を優先したい。

だから常に自分とどうしたら良好な関係をとれるか考えている。

それがボクのストレス対策でもある。

彼女との結婚に踏み切れないのはお金からの束縛だった

男はある程度の収入をもらえるようになったら結婚するべき。

これは男からすると常識だ。あなたもそう思っているはず。

ある程度というのはその人によって違う。ほとんどが高い収入を想像する。

ボクは結婚しているが、なかなか結婚に踏み出せなかった。もちろん大好きな相手だから結婚はしたい。でも……ってなってしまっていた。

その理由はやっぱり経済的な話になる。

30歳以内で結婚するとしたら高卒だろうが大卒だろうが約10年勤めてきたことになる。

新卒で10年勤めたぐらいじゃ、大した収入は見込めない。まだまだ低所得者だ。

低所得者の男が結婚に…となってしまうのはしょうがない。常識でいう経済的に責任が取れる自信がないのだから。

 

最近は晩婚化が進み、少子化に勢いをもたせている。晩婚化になればやはり少子化になるのは仕方のないこと。

だから晩婚化に焦点をあてて考えてみる。

晩婚化の原因は主に女性の社会進出と男性の低所得化だ。ただ、いくら女性の社会進出と言っても85%の女性は結婚願望があるというデータがある。(ニュースでみた)

晩婚化はやはり男性の収入が低いところにある。

ここからはボクの話だが、晩婚化に男性の収入が低いのが原因というのは理解できる。

なぜならボク自身も収入が低いからだ。

いくら相手のことが好きでも、生きていくお金は必要だ。衣食住にはお金がかかる。

男は家族を養っていかなければならない。

そういう思いが強すぎてなかなか結婚に踏み切れなかった。

結婚=しっかりとした収入があることが条件というのが頭の中でしっかりと根づいていた。

 

風習や常識が行動を抑制してしまう

 

国が晩婚化や少子化に対策をうつのは重要なことだと思う。

ただ、ボクが低所得者なら国がいくらそういった対策をうってもすぐには結婚に踏み切れないと思う。

男は経済的に安定してから結婚するべきという常識のような風習のような、そういったものがどうしても邪魔するからだ。

だから制度を変えるより、そういった風習を変えた方がいいと思う。ただ、風習を変えるには制度を変えるしかないというのも理解できる。

問題なのは制度を変えるというのは本当に時間がかかる。

 

仮想だけど、しっかりとした収入がなくても結婚できる世の中になったらどうなるか。

晩婚化、そして少子化は多少なりとも改善されていく。

ボクだったらもう少し早く結婚していた。

どうしても結婚を考える時には経済的な話になる。結婚は気持ちだけではどうにもならないと上の世代はそう口にする。

ただ、低所得者のボクは結婚して子供が2人いる。裕福ではない。住んでる家も大きくない。

ただ、妻も今の生活に満足してくれてるしボクも満足している。

ボクは結婚になかなか踏み切れなかったが、結婚してみて思った。結婚してからでもどうにかなると。

経済的に安定できるようになったらというのはボクの本心ではなく、まわりの目だ。

 

お金でどうにかなるほど結婚は甘くない

 

結婚=お金は正しいようで正しくない。

いつ仕事をクビにされるかわからないし、AIに仕事を奪われるかわからない時代にボクらはいる。そういった不安定な時代に高所得で安定した収入など無理。

結婚=お金だと思っていたがお金自体に価値はない。重要なのは夫婦の絆だ。

いくらお金をたくさん持っていても絆のない夫婦は時期に終わる。

結婚=お金だと思っていた自分が恥ずかしい。

結婚するのに必要なのはお金ではなく、彼女を信用していこうと覚悟だ。

意思が弱いとこの時代を生き抜くことは厳しい。強くなるための考え方

ボクたちはまさに大量消費社会の中を生きている。

駅のホームや電車にはたくさんの広告があるしテレビもCMがたくさん流れるし、ネットの記事をみていても広告だ。

経済を回すためには広告は必要だ。

ただその広告に騙されてはいけない。

良い物を紹介する広告がある一方で悪い物を広告している場合がある。

ボクらは広告に振り回されず、自分の頭でしっかり判断していかなければならない。

 

企業は利益を上げるためなら手段を選ばない

 

ボクは最近、医者が教える最強の食事術という本を読んだ。

著者は糖尿病の治療に30年以上携わる現役の先生だ。その先生はこの本で普段から糖質を制限することが重要だと述べている。

糖質制限と聞くと、ダイエットを浮かべるがそうではない。肥満にはもちろんだが痩せてる人でも糖質を制限することが大切だと言っている。糖はあらゆる病気の原因であるとまで主張していた。

この本で印象的だったのが、誤った情報が流れるのは会社が利益優先だからだと書いていたことだ。

これにはボクもなるほど!と思わされた。

ボクは健康には結構気を使うほうで、たくさん調べている。医者が教える最強の食事術って本を買って読むぐらいだ。

「健康にいい」「免疫があがる」「調子が整う」といったうたい文句にはすぐ釣られそうになる。企業側は法律に当たらないギリギリのラインでそういったコピーをうってくる。

以前、体すこやか茶Wを3ヶ月間毎日飲んだ記事を書いた。

 

 

www.fujisakikazuya.com

 

「糖の吸収をおだやかにする」「脂肪の吸収を抑える」がキャッチコピーだ。

ようは痩せるってことだなって勝手にボクに連想させた。

そう、企業側は消費者がどう想像するかまで考えてコピーをうってくる。 

会社は利益がなければ存続できないからだ。

言葉巧みに商品を売りつける企業には国や自自体からやめさせてほしいがそれもできないだろう。なぜなら企業はその売上から国に税金で収めているからだ。国はお金を払ってくれる企業に規制なんかできない。

ボクはこの大量消費社会によって体をずたぼろにされるかもしれなかった。

 

大量消費社会に必要なのは自分力だ

 

「疑う」「知識をもつ」「自分を信じる」

ボクたちが大量消費社会をいきてく上で持っていたい考え方だ。

 

まずは疑う。これがなければ前に進まない。

「本当にそうなのだろうか」だけでいい。

いくら発信力のある人だろうとなんでもかんでも「そうなんだ!」とお人好しになってはいけないと思う。

 

次に知識をもつ。

疑ってそのままにしてはいけない。自分で調べること。事実を知ることほど楽しいことはない。

 

最後に自分を信じる。

疑い、自分で調べ、知識を得たならそれを信じよう。まわりはとやかく色々な事を言ってくる。たとえ自分の尊敬している人がなにか言ってこようが雑音だと思うぐらいでいい。

 

もし、キャッチコピーを信じ、実際その通りにならなかったら騙されたという気分になる。

しかし、疑い、知識を得て、自分を信じるということをすれば、もし間違っていたとしても大した後悔はしないしあきらめがつく。自分で決めたことだから。

誰かに人生を振り回されてはいけない。

自分で自分の人生を決めていく。それにはまず、広告に騙されないように自分で考えて生きることを試してみるといい。

 

自分でなにかを決定し実行するのは楽しかった

 

ボクは口にするものは必ず裏っ返しにして栄養成分を見るのが癖になった。

医者が教える最強の食事術を読み、この本に書いてあることすらもまずは疑い、糖について調べ、自分を信じることにした。

ボクは肥満ではない。ただ、糖を取りすぎている。それによって心身に負担をかけすぎている。そう判断したから今、糖質制限を実行している。

この結果がどっちに転ぼうがボクは後悔しない。自分で決めたからだ。

いや、もしかしたらちょっとだけ後悔するかもしれない。

ただ、誰かを恨むようなことにはならない。

ボクは今、自分で決めた糖質制限がどうなるかめちゃくちゃワクワクしている。

日本では母親思いもマザコンの定義に含まれているのが現状だ

母親思いも日本ではマザコンととらえられてしまう。

だから男はそんな自分を隠す。誰にも知られたくないからだ。

 

マザコンはバカにされて嫌われる

 

ボクがマザコンという言葉を知ったのは小学生の中学年ぐらいだったと思う。

「お前、お母さんのことまだママって言ってんのかよ。マザコンだなー」 

ちょっとませてる友達がそうやって気の弱い友達イジメていた。

ボクは初めてそこでマザコンという言葉を覚えた。

女子も「男がマザコンってダサいよね。男らしくない」なんて言っていた。

ボクにとってマザコンは友達にイジメられることでもあるし女子からはカッコ悪いって思われる要因なんだなって学んだ。

最近までまだその考え方は変わっていなかった。マザコンは男にバカにされて、女には嫌われる。

 

マザコンについて考える人なんかいない 

 

夕方のニュースでマザコンが急増していると報道されていた。 

ボクにとってマザコンとは母親を少しでもかばったりしたらマザコンなんだと思っていた。

でも本当の意味がわからなかったからマザコンについて調べてみた。

マザコンとは…

マザー・コンプレクスmother complexの略。母親に対して過度の愛着や執着を抱くこと。若い男性がいつまでも母親の影響下にあったり,母親のような女性を思慕したりする傾向をもいう。

引用 wikepedia

まとめると、母親に対していきすぎなぐらいに依存してしまうことをマザコンという。

母親を思っての行動はこの説明だとマザコンではない。

しかし、本当にそうだろうか。

世の中の大多数の人は母親思いもマザコンだととらえていないだろうか。

ボクは正直、母親思いの人をみるとマザコンかって思ってしまう。自分が母親思いの行動をする時もこれはマザコンって思われないかと気にしてしまう。

小学生の頃に理解したマザコンの定義がボクの中で変わらずそのまま残っているからだ。 

母親思いはマザコンじゃないという人がいる。今はボクもそう思えるようになった。それはマザコンについてしっかり考えたからだ。

でも世の中の大半はマザコンについていちいち考えている人なんていない。

だからボクみたいに小学生の頃のマザコンのイメージが頭の中にあって、それを元にあいつはマザコンだと判断する。

それだと母親思い=マザコンになる。

 

マザコンがこの世の中で普通になればいい

 

この歳になっても母親は大切な存在だ。

ここまで育ててくれたことを本当に感謝している。

それを誰かに口に出すことはしてこなかった。

マザコンだと思われたくなかったから。

バカにされたくもなければ、女の子から嫌われたくもない。ボクは隠していた。

わざわざ、誰かに言う必要もないし自分の中に閉まっておけばいいやって思ってた。

でも最近,少し考えが変わった。

ボクが父親になったからだ。このブログでは何度も登場しているが、ボクには一歳半の息子がいる。

ボクは出産に立ち会い、妻から息子が出てくるのを見届けた。

出産後にはカンガルーケアというのをやる。ママの胸の上で赤ちゃんを抱っこし、触れ合いながら少しの間一緒に過ごすのだ。

その時、妻と息子は誰より一番最初に裸で触れ合っていた。生まれたばっかりの息子は泣きやみ口をパクパクしていた。

それから一年半がたち、息子はものすごくママっ子になった。

それもそうだ。多くの時間をママと過ごしている。ママが一番だ。

ママがいなくなればこの世の終わりなんじゃないかって思うぐらい泣いている。

 

ボクは父親になり、息子のそんな姿をみていて子供が母親思いなのはしょうがないと思った。

母親思いをマザコンというのなら、ボクはマザコンである。

母親思いをマザコンというのなら、男はみんなマザコンである。

だって一番最初に出会い、多くの時間を喜怒哀楽全開で過ごしてきたんだから。

だからもう男はみんなマザコンなんだっていう結論でいいんではないかと思う。

男はみんな結束して俺らはマザコンだって肩組んで女子に訴えて、それが世の中で普通なことになればいい。

そうすれば母親思いなのを隠さなくて済む。

息子が大きくなる頃にはそういう世界であって欲しい。だってボクの息子にはボクの妻をずっと大好きでいてほしいから。

尊敬できない先輩に怒られるから人はより成長できる

尊敬できる人から怒られたら、ボクはなにも変わらなかった!

尊敬できない人から怒られたからこそ、ボクは前に進めた。

今となっては本当にそう思う。

 

ボクは尊敬できない先輩に怒られた

 

ある日、ボクは先輩にお叱りを受けた。

「お前のそういうところがいけない」

最初はアドバイスだったけど喋っててイライラしてきたのか突然ヒートアップしていた。

ボクもまったく腑に落ちなかったけどとりあえず「はい、すみません気をつけます! 」と謝った。

 

ボクはこの先輩に対して最初から不信感をもっていた。先輩としてまったく尊敬できない。

そんな先輩からお前のそういうところがいけないって言われて本気で腹が立った。

「お前が人に対してどうこう言えるタマか!?」

ボクはお叱りを受けた瞬間、正直にそう頭の中で思った。

すみません、気をつけますと謝ったが、ボクの怒りは頂点に達して「そういうところってもうちょっと具体的に言ってもらっていいですか」と言い返した。

本当はそんな事を先輩に聞かなくても自分でわかっていた。でも何か少しでも言い返したくて思わず口から出ていた。

 

先輩も「そうやって聞き返してくるところもだよ」と言ってきた。

これ以上、ボクが言い返したらケンカになる。

そう思ったから「わかりました!」とだけ言った。

 

お叱りを受けてからはずーっと悶々していた。

「お前のそういうところがいけない」と言われた時の先輩の目つき、態度、口調がずーっと頭の中に残った。

ずーっと落ち着け、落ち着けって自分に言い聞かせた。

2、3時間してようやく落ち着いてきた。

イライラしててもダメだ。真摯に受け止めなければいけない。

ボクはボクなりに考えて行動した。でもそういうところがいけないと先輩が言うならそれは正すべきだ。

具体策も考えた。どうすればこの先輩を納得させられるのかと。

前向きに考えることができて、そうか、怒られてカッとしたけど時間が経てば落ち着いて良い方向に考えられるんだな。そう思った。

 

その日、お家に帰り、1歳半の息子といつも通りお風呂に入って、のぼせちゃいけないから先に出してあげて一人で湯船に浸かっていた。

ふっと今日のお前のそういうところがいけないと言われた事を思い出した。顔の表情と口調も同時に。

思い出したらまたカーっとしてきてお風呂のお湯を叩いた。顔が濡れたけど何度も叩いた。

やべぇまた思い出した。真摯に受け止めなければダメだ。先輩はボクを思って言ってくれたんだ!そうやって何度も自分に言い聞かせた。

 

お風呂を出てからは息子とたくさん遊んだり、妻とお話をした。

いい時間になったから子供を寝かしつけて、ボクも自然と寝ていた。 

 

自分としっかり向き合って見つめ直す

 

最近は5時ごろには外が明るくなりだすから、その影響からか5時ごろに起きた。

さぁー仕事かーって布団からはい上がろうとした時にまた、昨日の先輩のことがいきなり頭をよぎった。

また思い出してしまった。1日の始まりだっていうのに最悪な気分になった。やっぱり納得できない。

 

何度も何度も思い出すということはなにかが引っかかってんだろうなって思った。

だからもう一度考えなおしてみた。

お前のそういうところがいけない。確かに先輩がそう感じたそうかもしれないけど、あくまでもそれは先輩の意見だ。

ボクは違う意図があったしめちゃくちゃ考えた上でそういう行動をしてる訳だから自信もあった。

それを否定されたんだからカッとなるのはしょうがない。でも先輩もボクに対してそういうところはダメだって思うのもしょうがない。人間だから。

正直にボクのイライラがおさまらない理由は自分が尊敬できない奴にお叱りを受けたことだ。

怒られた瞬間にボクは「お前がそんなこと言えるタマか」と思ってしまったのも先輩が尊敬できない奴だからだ。

そんな奴に否定されたことが気に食わないしイライラする。

マジでストレスだわって一人で口に出してた。

 

自分に正直になってハッキリみえた

 

尊敬もできない人間に何言われようと「なんでこいつに言われなきゃなんねーの」と思ってしまう。本気でストレスを感じる。

でもこのストレスってエネルギーに変わるなって思った。

もしこれが仮に、尊敬していた人だったらどうだろうか。

「先輩がそういうならそれが正しい。叱ってくれてありがとうございます」って瞬時に頭によぎったと思う。

でもそれだとダメなんだと思う。

尊敬できない奴にボクは否定されてめちゃくちゃイライラした。次の日の朝起きた瞬間に思い出すぐらいムカついた。

「いくら先輩だろうがこいつには言われたくない。絶対にこいつには負けたくない」心の底からそう思った。

もしお叱りを受けたのがめちゃくちゃ尊敬できる人だったらこいつに絶対負けたくないって目が血走るぐらいに思えなかった。

尊敬してない奴に否定されたからこそ、闘争心がめちゃくちゃ湧いた。

そこからボクは絶対に先輩に負けたくないし、すげぇって認めさせてやろうと行動にうつした。

最近、憂鬱な日々だったけどこの一件で前のめりで積極的な自分になった。こんな自分がけっこう好きだ。