雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

ゲイが「家庭を持つ」という夢を押し殺した結果

お久しぶりです。

雨橋です。

 

今日は最近の思いを記したいと思います。

(言葉は選びましたが

少々辛辣なところもあるのでご了承ください)

 

20代も後半となり、

周りにはぽつぽつ結婚し、

そして子どもを授かる人も増えてきました。

 

いかんせん、同性愛者である私。

まだ法律上は結婚することができません。

(最近は同性婚に関して

色々な話題が出てきていますね)

 

今日はそんな中で私が感じたことを

言葉にまとめたいと思います。

 

まず第一に、

ながーーーいこと、結婚は諦めていました。

諦めていたと言うか、

言葉を選ばず言うと

諦めざるを得なかった。

 

正直言うと小学生くらいのころは、

なんとなく男の子が好き、程度で

けどいずれは結婚して家庭をもてるのかなと

思っていました。

 

しかし、中学から高校の頃に

ゲイであることを自覚し、

あーもう自分は結婚して家庭を持てないんだ、

だから早めに諦めないと、と

周りの「結婚するならどんな人?」とか

「将来は子ども何人ほしい?」とかって

質問に「結婚する気ない!1人がいい!」と

延々と答えていました。

 

すると不思議なもので、

「俺は結婚する気も家庭を持つ気もないんだ」と信じこめてしまったんですね。

 

そうして長らく生きてきました。

ゲイだってことも肯定的に考え、

イカルチャー、ゲイコミュニティも

そこそこに楽しむことができていました。

 

しかし20代もそこそこに、

周りには結婚し、

家庭を築く人たちが出てき始めました。

 

「おめでとう」と言う気持ちとともに

(いや、そんな気持ちもないのかもしれないが)

「あーーーもしかしたら自分ってほんとは

結婚したかったのかもな」って言う気持ち。

有り体に言えば「ずるいな」という気持ち。

 

ずーーーっと口癖のように

自分に言い聞かせるように

「結婚しない、子どももいらない」なんて

言ってて、それで誤魔化してきていたけど

本当は結婚して子どもも授かって、

周りから祝福される、

せめてその選択肢は欲しかったのかなって。

(したいからってできるものではないのは

重々承知しています)

 

最近そんな気持ちになることが増えました。

 

もちろん、結婚することが

万人にとって幸せとは言いません。

必ずしも結婚生活がうまくいくと限らないし、

諸事情あって子どもを授かれない人もいる。

独身で最高の人生を歩む人もいる。

血縁関係が全てではないことも分かっている。

 

 

 

けど…正直言うとそんな中で、

 

好きな女性と結婚して、子どもを授かって

いろいろありながらも幸せや家庭を築いてく。

そんな夢を持つことすら無理やり否定し続けた

自分の人生って一体、ってなってしまいます。

 

 

 

時々、ゲイ男性、バイセクシュアルの男性で

既婚でお子さんもいて、

けど男性と関係を持つ、と言う方がいます。

(秘密厳守で、なんて言っています)

 

上記のせいか、最近そのような人に

(言い方は悪いですが)

嫌悪感を抱いてしまいます。

 

おそらくは、

「パートナーの女性もいて子どももいて、

さらにそれ以上なにを望んでるんだ」

って気持ち。

 

もちろんゲイ男性、バイセクシュアル男性

みんなそうだとは言いませんし、

私が知ってるのは一部であることは事実です。

 

堅実にパートナー女性とお子さんを愛し、

いわゆるストレートな生き方をすると

決めた男性もいらっしゃるだろうし、

ゲイ男性、バイセクシュアル男性を

一括りにして語るつもりは毛頭ありません。

 

しかし、最近は上記の思いが悪化し、

女性と経験を持つゲイ男性も苦手なのです。

 

もちろん元々ストレートで当時は愛していた、

そんな方だっていることはあり得ます。

セクシュアリティは流動的ともいえるから。

 

けど、「一回女の子と付き合ってみたけど

やっぱ無理だったw」とか

「女の子いけるかなって試したけどダメだった」みたいなノリの人。

なんか不誠実だと思ってしまう。

そんな軽いノリで人と付き合ったのか、と。

 

だからもうなんか、

「行為は男もいけるけど恋愛対象は女」とか

「今は遊んでるけど、

いずれは結婚するつもり」とか、

なんかそういう人たちをいろいろみていると

嫌になってしまうようになってしまいました。

 

 

 

性に「放埒」なことに対する、嫌悪感?

「不貞」に心痛まないことに対する、羨望?

自分には経験がないからという、嫉妬?

そんなことよくできるね、という呆れ?

 

嫌悪感とか羨望とか嫉妬とか呆れとか、

そういうのが入り混じって

すっっっごく嫌な気持ちになる。

(聞かなきゃいい話だけど

割と耳にする機会が多い)

 

ゲイコミュニティを去りたい気持ちもある。

一括りにするつもりはないけど、

どこか苦手だなって思い始めてしまったから。

かと言って女性を心から愛せる自信もない。

けど家庭への憧れが戻ってきた。

 

なんか毎日悶々といやーな気持ちになりながら

そして誰に対しても多くの場合

「肯定的な感情」を抱けないままに、

けどもう20代も後半か、と。

 

 

 

 

なんか世知辛いですね。

 

収まりが悪いですが、

今日はそんなお話でした。

 

共感してくれる人とかいるのかな。

「差別」はダメなことなんだけど。

お久しぶりです。雨橋です。

 

今年初投稿、

2021年あけましておめでとうございます。

 

さて、ふと書きたいなと思ったことを

まとめてみます。

 

それはタイトル通り、「差別」について。

今いろんな物議を醸しているトピックですね。

(内容次第で炎上するのか…なんて怖がりつつ)

少し書いてみようと思います。

 

※特定の集団などを揶揄したり侮蔑したりするものではないことを断っておきます。

あくまでも私の今の思いのまとめです。

 

 

 

私はゲイです。

まぁ世の中で言う、

「差別を受ける側」とされるポジションに

当てはまるのかな?と思ってます。

実際今でも、同性愛に対して

いろんなことを言う人はいます。

「キモい」とか「無理」とかね。

 

5年くらい前の私は確かに

そういうのにたいそう憤ってました。

「心ない!差別じゃん、けしからん!」と。

世の中からLGBT差別をなくすべきや!と。

 

さて、今の私はどうか。

有り体に言うと、あの頃みたいな

憤りの感情ってそんなに湧かないんですよね。

それは正直、私が味方

(=カミングアウトしても受け入れてくれた人)を見つけられたからなのかな?とも思います。

心に余裕ができたと言うか。

 

そりゃ正直、差別的な発言を受けて

いい気持ちは全然しませんよ。

「同性愛は間違ってる!」とか、

「男女の恋愛こそ普通!」なんていわれたら

「子ども作るのが自然て誰が決めてーん」とか

「普通て何基準やねーん」とかなります。

 

けど今はそうした憤りよりも、

差別問題に対する炎上の雰囲気のほうに

違和感を覚えてしまう私がいるんです。

 

もちろん大前提として差別はいけないこと。

マイノリティにもいろんな歴史があり、

いろんな文化的・政治的背景があります。

それぞれが抱えてきた、また抱えている問題に

向き合う必要はあると思います。

 

けどなんというか最近、

どこかしっくりこない場面が

ちょくちょく起こるんです。

 

 

私の断片的な視野でしか語れませんが

「え、そんなにボコる?」みたいな感じ。

 

 

ここで一つ、LGBTを例にとってみます。

たとえば「LGBTの悩み」と言うフレーズ。

 

性自認性的指向それぞれ悩みが違う」

まぁ確かにそれは事実でしょう。

私はゲイですが、トランスジェンダーではなくトランスジェンダーの悩みは分かりません。

ジェンダーが違うので、

レズビアンの悩みも分かりません。

わかるのはゲイの悩みだけ(しかも私と言うフィルターで見たものだけです)

 

確かにそこで

LGBTでも悩みはそれぞれ異なるんですよ」

と伝えるのは良いと思うのですが、、、

 

「LGBとTは全然別物、性的指向性自認ごっちゃにしてる時点で勉強不足」

LGBTってワード入れて配慮したらいいと思ってる浅はかさ」

このような喧嘩腰な指摘の仕方がちょくちょく目に入るようになった気がするんですよね…。

 

うーん、、、

うーーーん、、、なんだかなぁ、、、。

 

私は多分、自分がストレートだったら

全然LGBTに関する問題に

関心がなかったと思います。

だって関係ないもん。

(人間て割とそんなものじゃない?

これも差別なの…?)

 

自分がゲイだからこそ、LGBTに関して

そこそこ勉強して

そこそこ知識を培ってきました。

 

逆に言えば今の私は他の被差別集団について、

知識はあんまりないと思います。

ゼロではなくとも、当事者で悩まれている方よりかは少ないと思います。

(過去にどんな歴史があって、とか、

どんな経緯で今に至って、とかね)

 

 

 

多分マイノリティでない人の中には、

悪意なくとも良くない発言をしてしまった人、

試行錯誤の結果、行動が裏目にでた人などが

多々いらっしゃると思います。

私だってもしかしたら、知識不足が故に

他のマイノリティグループに対する

心ない言葉を発してしまうことも

あるかもしれません。

 

けど最近、その一度の過ちすら絶対許容しないと言うか、、、言葉を選ばずいえば「正義という大義名分を得たとばかりに袋叩きを許容する雰囲気」がどっかに見受けられちゃうんですよね…。

 

 

私のこの違和感は、

いつ、どこから、きたのだろう。

 

 

「あの発言を影響力がある人がいっちゃダメでしょ」

そんな言葉をちらほら耳にしますが

私はこの言葉もあまりしっくりきていません。

 

「え、ならあの人に影響力がなければ甘んじて受け入れるの?」と感じます。

 

だとすれば、私は

日常会話なら侮蔑的表現の横行が

許容されている雰囲気のほうが

腑に落ちません。

そんなん首相でも社長でも友達でも家族でも、

影響力関係なくダメなものはダメ。

(それこそステータスで差別してる?みたいな)

 

 

 

で、結論何が言いたいって。

(一部かもしれませんが)

マイノリティが「ポリコレにうるさいやつ」

「差別に厳しいやつ」みたいに思われて、

「あんま関わらないでおこう」

みたいな雰囲気になるのが怖いんですよね。

 

みんなで歩み寄っていく中で、

話し合ったり意見を出し合ったりする中で、

傷ついたり傷つけたりすることは

やむを得ず起こりうると思っています。

そうして、距離を縮めていくのかなって。

 

その機会を、何か一つのトラブルに対して

ケチョンケチョンに総批判することで、

願わないネガティブキャンペーンになってしまう可能性が怖いなと思っています。

 

もちろん繰り返しますが、「おかしなことはおかしい、間違っていることは間違っている」それらを異議を申し立てることは必要だと思っています。言わないとわからないから。

 

ただ、相手の悪意の有無を汲み取ることなし、

相手の気持ちを尊重することなく

いつも喧嘩腰で高圧的にボコボコにするのは

私自身違うんじゃないかな、と思っています。

(いや今この状況で加害者どっち、みたいなね)

 

そうなって誰も何も言えなくなると

亀裂は広がるわ、建設的な話もできなくなるわ、となっていきそうな気がしています。

(もちろんマイノリティ全員ではなく、私が見えている一部でしかないことはご了承ください)

 

「差別」はダメなことなんだけど。

 

うーん、、、これから大丈夫そ?

そんなふうに思う今日この頃でした。

ゲイ、懐かしさ、切なさ

生きてます。雨橋です。

 

今年は未曾有の災禍、色々ありましたが

何とか生きています。

 

さて、タイトルにあるように、

最近ゲイであることに慣れすぎて

忘れてかけていた感情について

懐かしむことも含めつつ書きます。

 

 

 

最近、tiktokというものに

今更ながらハマりました。

 

ライブ配信もあり、時折お邪魔するのですが

やはりタイプの男性というのはいるもので。

 

そこで話題となる

「今は彼女はいなくて〜」

「元カノとは数ヶ月前に別れて〜」

と言った類の話。

 

 

何というんだろう…

 

 

世間のヘテロノーマティブな雰囲気にも慣れ、

ゲイとして人生闊歩している今となっては

気にすることなどないことなのに、

どこか疎外感を覚える自分がいます。

 

かっこいい男性配信者に対する

「イケメン!」や「かっこいい!」という

女性リスナーたちの声と

それにひっそりと混ざっている私。

 

まるでどこか、高校時代に

好きな人にその想いを言葉にできなかった

もどかしさとか歯痒さみたいなものが

何となく思い出されてしまいました。

 

 

 

tiktokで私はセクシュアリティこそ

オープンにはしていませんが、

ジェンダーは男として参加しています。

 

配信者の方は平等に接してくれてはいるものの

何かにつけて

「やっぱりこの人も異性愛者で、

私は恋愛対象外なんだ…」

ということをひしひしと感じてしまいます。

 

別に自分が女性だったからといって、

その人との恋が成就したり、

実際に会えたりするわけではありません。

 

ただ、言葉にし難い距離感というか、

自分が同性愛者であるが故の、

マジョリティである異性愛者の空間における

寂しさ、切なさのようなものを

感じるようになりました。

 

 

 

そう思ったら、そうだよな。

 

やっぱり、特定のコミュニティに出たり、

アプリを通じななければ、

出会いの機会を作るのが難しい同性愛者に比べ

異性愛者はそこらに「出会い」はあるもん。

 

もちろん「異性愛者だから!」といって

必ずしも意中の相手と結ばれたり、

仲睦まじくなれたりするわけではありません。

 

けど、、、

結局はどんだけタイプの男性からしても

自分は「男」

 

仲良く離れても、恋愛関係にはなれない。

 

最近はそんな現実をよく突きつけられ、

考えさせられます。

 

もう恋なんてしないと決めた身ですが、

どこかぽっかり心に穴が空いたような、

そんな虚無感を最近はよく感じます。

 

 

 

話変わるけどブログって、

心の整理になりますね笑

 

復活!とまではいかずとも、

時折思いの丈を記す時間を

設けたいなと思いました。

 

また気が向いたら書こう。

 

お休みなさい。

 

遠隔授業の実施側と受講側に立つ私。

生きてます。雨橋です。

 

COVID-19の影響をもろに被り5-7月は

自分史上最も忙しい時期となりました。

 

なんとか今年前半を乗り切れた自分を

褒めてあげたいですね(笑)

(ただし今は夏季休業中の課題という

第二の波に追われています…)

 

さて、授業はオンラインが主流となりました。

ほとんどの学校は遠隔授業が大前提です。

とりわけて、小中高に比しても、

大学は遠隔授業が主になっています。

 

現状に鑑みてやむを得ぬ措置だと思いますが、

先日、「オンライン授業の現実」

という記事を見ました。

 

 

 

私は学生ゆえ、授業を受ける立場ですが

諸事情あって教壇に立つ立場でもあります。

すなわち、授業を受講する側でも

実施する側でもあるんですね。

 

そのような両者の境遇にある今、

私の思うオンライン授業についての実感を

書きたいと思います。

 

特定の誰かや何かを批判したりするのではなく

自分なりの考えを書いたものです。

ご承知おきください。

 

 

 

まず

受講する側として。

 

いいと思う点

 

通学が不要で5分前に起きれば間に合うこと。

 

…正直、このくらいかな…

 

たしかにカメラとマイクをオフにしていれば

トイレに行くもご飯を食べるも自由ですが、

授業としてのメリットとは言えないと思います。

 

過去の資料を読み返せることも挙げられますが

普通に対面で出席していれば

資料なんて印刷せずとも紙媒体で手に入るし

これもメリットとは言えない気がします。

 

課題に感じる点

 

質問したり議論したり

インタラクティブなやりとりが(対面に比べて)スムーズにできない。

遠隔対面授業は誰かが話しているときに

切り出すことが難しいです。

AとBが話しているときに、

私が割り込むと音声などの問題で

スムーズに会話ができなかったりします。

無論、割り込むことはできますが、

対面に比べるとやはり

「(生産的な)雑談」ができないのは事実です。

 

また、

力がついているかという不安。

有り体に言えば、資料が配られ、

テストをこなすだけの授業もあります。

文面を読むだけでは分からないこともあり、

質問したいことがあっても、

言葉ではニュアンスなどを

伝えることができないことがあります。

そのようなときに歯痒さを覚えたりします。

期末テストも不安の渦中に行われました。

無事1科目で撃沈しました。

 

先生の顔を知らない不自然さ

これもたしかに思います。

(オンデマンド形式に関しては)

単位をくれる先生の顔を知らない不自然さ。

ただ、この点に関しては後述しますが

やむを得ないところはあると思います。

(顔を晒す怖さ、がありますので、、、)

 

 

 

そして

実施側として。

 

いいと思う点。

 

これも

通勤がない。所定時間の拘束がない。

私自身、少し遠いところに勤めているため、

通勤がなく、また時間的な制限がないことは

ありがたいことではあります。

 

ですが、そのくらいです。

 

課題に感じる点

 

これはもう、

授業の実施のための作業が

鬼のように大変!!!

これに尽きます。資料作りに土日が消えます。

この5-7月はまともな休日がなかったです…

遠隔対面授業ができない受講生がいるため

オンデマンド形式にしているのですが

資料作りに追われます。

資料を作り、音声や解説を入れ、問題を作り、

学生が参照できるようにして

トラブルの際は個々人に対応して、、、

 

学生の反応がよく分からない。

対面だと、首を傾げたり、

「ん?」という顔を見て、

「ここはちゃんと説明しなきゃ」となりますがオンラインだと学生の反応がわからず、

それらがわかりづらいです。

ものすごく不満に思っているかもしれないし、

授業にどういう感想を持っているかも

分かりにくいので、

悶々とした気持ちで授業を実施しています。

 

またトラブルの対処が難しい。

正直受講生から「ネット不調」といわれれば

「仕方ない」となる部分はあります。

しかし、それを毎回許していると

「欠席オーバーでも許すのか?」となる。

対面の場合は「いる/いない」で分かりますが

オンラインはいろんな事情が考えられるため

一概に欠席や出席を決めることが難しいです。

 

そして、学生の顔を知らない不自然さ

先述しましたが、

先生(私)の顔を受講者は知らず、

私は受講者の顔を知っていません。

しかしこれは、

私だけスクリーンショットをされたりする危険を背負うのがどうしても嫌なのです。

対等な条件で授業を行いたいし、

私は顔を出したことはありません。

 

 

 

 

以上、ザッとまとめてみましたが、

総括してみます。

 

まず、課題と思う点が多いのが事実です。

いいと思うのは正直、移動時間だけです。

あとは心労が増えたものばかり。

 

今日みた記事の中に、

「授業がつまらないし、分かりにくい」

「こんな授業だったら学費返して欲しい」

という文言がありました。

 

この声に、

私は賛と否の両方の感情を抱きます。

 

たしかに遠隔では、

授業の質をなんとか維持することはできても

向上させることは難しい気がします。

私も初の試みに手探りで挑みました。

 

おこがましいですが、

私自身、わりと受講生のために

頑張るタイプだと思っています。

 

ただ、受講生の置かれている境遇を加味すると

(ある子は遠隔対面可、別の子は不可など)

万人に満足のいくパターンの授業展開は

難しいものがあります。

 

そのような中で、どれだけ必死に頑張っても

学生に届いているかわからない怖さ。

また、対面授業に比して感じる不十分さ。

 

学生に申し訳ない気持ちを抱くとともに

ただ、やむを得ないんだよなとも感じます。

(なにをしてもいいのであれば

いろんな方法を用いて学生に満足いく授業を

展開したい気持ちはありますが、

どうしても雇用主、すなわち大学の方針に

従わなければならない以上難しいです)

 

よって、自分が受講している授業についても

たとえ資料配布だけにとどまる先生がいても

自分以外に遠隔対面が難しい子がいるのかな…

と、その形態を受け入れている自分がいます。

 

 

 

保護者さんの声に、

お子さんが受けている授業に対して

「教師は顔出しもしないで授業している」

と書いているのを見ました。

そこに関しては正直「リスク」を

わかってほしいです。

 

私の受講している講義でも

先生の顔がわからない科目がありました。

けどそれはやむを得ないと思います。

 

顔出しをするのって、怖いんです。

対面ではないため

スクリーンショットをされて

SNSに投稿されていても分かりません。

 

「この授業の先生ww」などと

投稿される可能性が少しでもあるなら

避けたいのが本心です。

 

自意識過剰かもしれませんが、

実際友人の学校では起こったらしいです。

したがって、可能性がゼロではないことは

極力避けたいです。

 

なので、先生が顔を出さないなら

学生も出さなくて良い、

先生が顔を出すなら、学生も顔を出すなど

そのあたりは平等にして欲しく思います。

 

 

 

そして、総じて行き着くのは「学費議論」

 

有り体に言えば、私は学費を

「返してほしいし返してあげてほしい」です。

 

学費には図書館利用代や維持費など

諸費用が含まれていると思いますが、

それらを利用することが難しく、

またやはり授業も満足には行われていない以上

少なからず返してほしいのが実情です。

 

ただ、それは教える側の立場からも

同じことを考えています。

対面の頃に比べて、

自分自身の負担の量は(冗談でなく)10倍に

なっている一方、

その質は多少なりとも落ちている気がします。

 

そのような中で、

受講生には学費を返してあげてほしい。

(だけど、できれば私の賃金はあげてほしい)

 

 

 

大学以外のシステムの多くは稼働している中、

大学だけがいつまでも遠隔化しているのは

なぜなのでしょうか。

 

現状を踏まえれば、

決して「オフライン化しろ!」

という気はありません。

 

ただ、小中高をはじめ、

社会システムが(止むを得ずとも)

徐々に動き始める中

大学だけいつまでも

リモート形式になっていることに、

多少の疑問は抱いています。

なぜそこまでして大学は動かないのか。

(感染リスクが高い年代だから…?)

 

 

 

とりあえず、今年の私の状況を一言で言うなら

「予期しなかった地獄」です。

 

昨年、ここまでになると思わなかったので、

今年中に山のように予定を詰め込んだのですが

全てにイレギュラーな変更が加えられ、

ある予定は前倒し、

ある予定は中止、

ある予定は後ろ倒し。

締め切りもまともに把握できない中、

課題の量は膨大となる一方。

 

ほんと、害でしかないです、コロナ。

心の底から恨んでいます。

 

 

 

一刻も早くまともな日常戻ってきて。

(文系)大学院生あるある。

文系院生あるある

を自分なりにまとめてみました。

 

あるあると言いつつも、

がっつり主観に基づいているので

おそらくは「文系院生(の私)あるある」です。

 

理系含め院生全般の話になるかもしれないし、

もしかしたら

「あるあるじゃねーよ!」ってなるかもですが

軽い気持ちでみてください。

 

 

1.「院生なの?理系?」って聞かれる。

最も多いパターン。

院生=理系のイメージが強いのか、

理系だと思われることが多々あります。

「文系なんだ!オタクだね!」

と言われたことも。

 

2.業績というワードに過敏になる。

論文何本出したとか、学会発表何回とか、

その辺りのことに過敏になります。

自分は全然業績不足なので特にそう。

増やしていかなきゃなー。

 

3.査読落ちたとき、割とメンタルにくる。

ダメ元で出したはいいものの、

査読で厳しいコメントをもらうと

「そりゃそうだわねー」と思うと同時に

「この先やってけんのかなー」と

かなり落ち込む。うん、結構悲しい。

 

4.論文が通ったにしろ、不安になる。

通ったは通ったで嬉しい反面

「えっ、これパブリッシュしていいの?」と

結構不安になる。

「引用とか間違えてないよね?」とか

「叩かれるようなこと書いてないよな…」

みたいな不安が押し寄せてくる。

 

5.多くの先生ら最強説。

先生の経歴見てると

信じられないようなのばっかで病む。

〇大学〇研究科博士前期(アメリカ)とか

〇大学〇研究科博士後期(カナダ)みたいなの

異次元すぎて怖い。

 

6.学部生が若くてピチピチ。

部活やサークルしてる学部生が

キラキラしていて羨ましい。

そして彼らの方が先に社会に出ることに

一抹の不安を覚える。

 

7.卒論ってなんだったの、ってなる。

卒論書くとき、めちゃくちゃ頑張って

「俺こんな書けるんだ!」ってなってたのに

今思えば卒論がなかなかに稚拙。

博士課程の現在では

修士論文も書き直したいレベル。

 

8.「学生はいいね〜」にイラっとする。

うん、これはかなりイラっとする。

「あなたは私の境遇に立ったことあるの?」

「私が社会人のツラさを知らないように

あなたも院生のツラさ分からないでしょ?」

って言いたくなる、ってか言っちゃう。

 

9.時々、病む

周りは仕事をして、

着々と地に足ついた生活をしていく中、

自分だけ浮き足立ってる感覚に

時々すごい不安に苛まれたりする。

研究系以外の働き口を探してみたりもする。

 

10.やっぱり変人は多いって思っちゃう。

「院生は変人多いだろーw」なんて言われて

「なんて失礼なやつだ!」と思いつつも

なんだかんだ否めなかったりする。

変人ってか、少しクセがある人とかは

(自分の周りとかには)多いかも。

まぁ、こだわりみたいなのが強い人は多い。

 

11.全然緊張しない超優しい先生がいる。

もちろん敬語とかは使うけども、

「何かヘマしてもこの先生ならきっと大丈夫」

みたいな先生がいる。

メールするときとかも全然緊張しない。

コメントとかも優しすぎて

たまに「ほんとにこれで大丈夫かな?」

ってなったりもする。

 

12.一方で、めちゃくちゃ怖い先生もいる。

何かしら接点を作ることすら怖い先生がいる。

メール送るときとかめちゃくちゃ校閲する。

けど思ってるほど怖くなかったりする。

こっちが勝手に怖いイメージを

持ってるだけだったりする。

学術的に厳しいだけで根は優しかったりする。

こういう先生のコメントは

いわゆる「ご指導ご鞭撻」感が強い。

 

13.先生たちが揃う場の緊張やばい。

口頭試問とかで先生が数人座ってる場では

きっと俺、身長数センチ縮んでる。

「〇〇は専門じゃないんですが」

って前振りがある質問のレベルが、

専門にしてるはずの俺よりも専門性高い。

 

14.忙しいときと暇なときの差が激しい。

まぁ年中比較的忙しい方だとは思いつつ

結局、名目上、夏休みや冬休みはあるし、

割と時間が取れる瞬間もある。

ちなみに今はコロナのせいでクソ忙しい。

 

15.院生の扱いを変えてほしいと思ったり。

「文系なら学部卒、理系なら修士卒」みたいな

就活基準の風潮とかやめてほしい。

あくまで就職したいか研究したいかで

進路を決めるべきだと思う。

みんながみんな就職希望みたいな基準で

院生の扱いが変になっていくのが嫌だ。

あと博士課程を「墓場」みたいに揶揄するのを

やめてほしいと思ったりする。

それなりの覚悟の上だし、

「院まで行ってどうするの?」は

聞かないふりをしている。

「あなたは就職したけどどうするの?」

って質問と同じようなことだと思う。

 

16.院進してよかったのかは分からないけど

間違いだったとは思わない。

これに関しては言いたかっただけ(笑)

実際、就職してれば…って思うことはあっても

就職してたらしてたで

研究したかったと後悔してた気はする。

…分からないけど。

とりあえず院生は院生なりの楽しさがある。

それは事実かな。

 

 

いくらかは愚痴も兼ねたものでしたが

書いていてなかなかに楽しかったです。

また書こうかな。

コロナによるストレスが想像以上だった件。

世界規模で流行しているコロナウィルス

 

例に漏れず、私もそれなりに

自粛生活をしています。

 

密閉、密集、密着を避けつつ、

残り少ないマスクを着用して、

必要な時以外はむやみやたらに

外出はしないようにしています。

 

コロナ自体ももちろん怖いし

罹りたくないと思います。

また、いつ収束するのかもわからないことも

怖さの一つだと思います。

 

 

 

一方で私は、

家に自粛する事自体は

そこまで苦痛ではありません。

もちろん、海外みたいに

「外出したら罰金!」とかになって

一ヶ月も二ヶ月も厳しい外出禁止令がでれば

話は違うかもしれませんが、

もともとインドア派で、

家に籠ることについて

そこまで極端なストレスはないです。

 

 

 

しかし、コロナウィルスの件に関連して、

上記とは別にストレスに感じていることが

大きく二つあります。

 

※下記のストレスは誰かを責めるわけでなく

やり場のない愚痴を書き連ねたものです。

「あー!わかるー!」となってくれれば

嬉しいですが、

さらにストレスがたまりそうな方は

踵を返してください!

 

 

①この騒動の中、実に多様で

イレギュラーな動きが求められること。

 

授業、学校行事を始めとして

職場、外部との予定が次々と変化しゆく日々。

 

正直「キャンセル」「中止」となれば

私的にはありがたいです。

だって「×」をつければ良いだけですから。

そのことについては忘れれば良いだけ。

 

しかし、重要な事柄は

「延期」「見送り」となることが多いです。

そうなった場合、

リスケジュールしなければいけません。

 

最初は「4月末を目処に」と

書いてあったものが、

「GW明けの再開を目指して…」

「5月半ばを予定しており…」となり、

それもまた

「半期いっぱいは…」となっていく。

その度にスケジュール帳を書いては書き直し…

 

私は今年一年を通して、

例年に比べて、かなり予定が詰まっています。

そして、どれも大切なものであり、

大抵の場合は延期になります。

それらを全て把握するために、

メールやサイトのチェックを

欠かすことができません。

常にパソコンやスマホ

かじりついている状態。

 

気が抜けない状況が、

大変ストレスになっています。

 

②電子機器に疎く、

ネット社会が好きでないのに、

そこへ参入することを強制される。

 

情報化社会の今、

このような事態に陥り、

オンラインでの授業が行われつつあります。

 

私の学校もほとんどの授業は

オンラインで実施するという形になりました。

 

いやー、ぶっちゃけ

かなり嫌です。

 

そもそもあまりインターネット上のやりとりが

得意でも好きではないのに

学校から指示されたアプリをインストールし、

紆余曲折を経て操作方法を

習得しなければならない。

 

「若いんだから」と言われますが、

「若い」=「機械に強い」

ではないと思っています。

 

普段はワード、エクセル、パワーポイント

ぐらいしか使わないので、

急によくわからないものを指示されても

「ん?は?」となるわけです。

 

またそもそもネットに強くないから、

ネットが不調になったときに

どうしようもできなくなる緊張感と絶望感。

 

実際、今日も某アプリの練習を兼ねて

友達とオンラインでやりとりをしたのですが

もうすでにその時点で四苦八苦。

 

つながった頃にはヘトヘトだし、

「このアプリってセキュリティ大丈夫?」

みたいな妙な不安感を覚える始末。

 

もちろん、うまく使えれば

大変便利なものなのでしょう。

 

しかし、そう易々と慣れるものでもなく、

かなりのストレスとなっています。

 

 

 

以上やり場のないフラストレーションでした。

いや、仕方がないのは分かる。

それは重々わかる。

けど、だからこそ、しんどいのです。

 

もう一度言っておきますが、

これらは誰を責めるわけでもなく、

ただただ自分がひしひし感じている

個人的なストレスです。

 

 

 

本当に、早く収束する日を願うばかりです。

慰められたいという憧れ、強くなりすぎたワイ。

友達との会話で

「昨夜すごく落ち込んでたけど、

ずっと友達が話聞いて慰めてくれてたんだ」

と言われました。

 

 

いやー、心の中ですごく憧れました。

 

 

まぁ私の場合はもちのろん、

イケメンに慰められたい

わけでございますが、

最近気づいたこと。

 

 

ワイは

強くなりすぎた。

 

 

うん、きっとそう。

派手に落ち込むことが無くなった。

 

まぁそりゃ人間だから

落ち込むことはあります。

 

けど人に相談するほどのことでもないなーと

自分で頭の中で吹っ切ることを覚えました。

というか大抵寝たら治ります。

 

 

 

ゲイであることに悩んでいた時期は、

カミングアウトをしたときに

「辛かったね」とか

「そんなんで雨橋を嫌いにならないから」

などと慰められて、

いやあの時って

ほんと幸せだったなと思います。

 

あの当時は有り体に言えば

精神的にも不安定で、

将来への不安とか、

ゲイである自分への嫌悪感とか、

それから生じる家族とのすれ違いから

いっぱいいっぱいでした。

 

だから本当に心の底から悩んで、

本当に心の底から慰めを求めていました。

 

そんな私ですが、

いろんな人へのカミングアウトを経験し、

また自分なりに紆余曲折を経る中で

メンタルが異常なまでに

強くなってしまったんですね。

 

 

 

昔は

「ゲイってことで嫌われたら辛いな…

叶わない恋愛なんてしたくないな…」

と思っていたのが、

今や

性的指向で嫌ってくるようなやつ

こっちから願い下げだわww

辛いだけやしノンケは好きならんとこww」

という思考になったわけですね。

 

中高の頃は

「本当に消えてしまいたい…

明日目が覚めなければいいのに…」

と思う時期もあった。

それが今では

「いやなんで俺が死なんなんねーん!

他人を出し抜いてでも生きてやるわ」

と考えられるようになりました。

(いいのか悪いのかは別として)

 

 

 

だから根本的にメンタルは強くなり、

けどイケメンに慰められることには憧れる

ただの痛い大人

がここに誕生してしまったのですね。

悲しい。

 

 

 

「泣きたい夜もあるよ」

なんていうけど、

いやー、ないね。

飲みたい夜しかない。

 

まぁ「あっ、今日ちょっと弱ってるわ」

ってなったら

散々友達に愚痴り倒して

酒ひっかけて寝る、

そうすれば翌日元通りです。

 

 

 

けど、そんな私も一丁前に、

心のどこかで

 

雨「ねー、今日泣きたい夜だ笑」

イケメン「どした?」

雨「今日〇〇でやらかした…だめだ…」

イ「そっか、そりゃつらいな」

雨「うん、すごく悲しい」

イ「大丈夫か?今からいこっか?」

雨「大丈夫じゃないかも、来てくれる?」

イ「泣いてる雨橋放っておけるわけねーだろ」

 

みたいなこと言われたいんだよなぁ。

イケメンに!

言われたいんだよなぁ。

 

 

 

少しは弱みの見せ方も覚えていこう。

強がってるわけではないけど、

強がらない生き方をしていこう。

 

あ、こんな私を慰めてくれるイケメンさんは

随時募集しておりますので!笑

自薦他薦問いませんので!笑

 

では寝よっかなー、おやすみなさい!