ブリタニカ

好きなもの、好きなだけ、好きなように

※感想については全てネタバレあり。くれぐれも鑑賞後にご覧ください※

セックス・エデュケーション

原作:ローリー・ナン

出演:エイサ・バターフィールド

区分:海外ドラマ 

評価:★★★★★

 

マジでジーンときたよ、これは……。正直、この作品のためだけにネトフリ入る価値あり。ありっていうか、もう観て。すべこべ言わずに観て欲しい。とにかくいろんな意味で最高だから。何だかGOTのためだけにスターチャンネルに加入した時を思い出すが、それに匹敵するほどの満足感である(いやまあネトフリの方が汎用性高過ぎて、実際は比較できないんだけども)。

「性」という、本来身近にあるべきはずなのに実際は腫物を触るかのように扱われがちな題材を、逆に真っ向からメインに据え、なおかつここまでの推進力を実現した点こそ、今作が誇る魅力に違いない。とりわけ、思春期の実情にフォーカスしていくスタイルは秀逸。それとなくしか表現されないあの難しい年頃を、「性」のレンズを通してありのままに映し出すことで、誰もが口には出来ずそれでも間違いなく欲していたリアリティを、本作は逃げずに表現してみせた。オーティス少年は、みんなが大好きな冴えない主人公の典型である。しかし、冴えない奴はなぜ冴えないのか? 今作はそれを「性」というテーマによって文字通り赤裸々に視聴者へと届けている。そして彼だけではない、彼の親友も、憧れの女の子も、カースト上位のパリピたちまでも悩み苦しんでいる。そこにはティーンエイジャーたちの恥ずかしくも切実な、まさしく生の声がこだましていた。(余談だが、性的弱者(チェリー)であるオーティスが、性的強者(ヤリ○ン)の生徒たちのセラピーをする、という構図にはお見事というほかない。しかも、その活動を一つの軸としながらも、並行して展開される群像劇&恋愛劇の質は絶妙の一言。安心安定の海外クオリティ。何であんなに上手いんだろうね~。個人的には、オーティスとメイヴの悲しい告白合戦が一番グッと来ました……

ここまで手放しで褒めまくってきたが、まあポツポツと物申したいこともあるにはある。今作はタイトルにもある通り性教育であり、それは大人から思春期真っ盛り(いやまあ日本じゃ到底無理だろうが、外国はそこらへん進んでそうだし)の子たちまで、その全てが対象と思いがちだ。がちだ、というのは、その実どこまでそれが届くのだろうか、とふと疑問に思ったからである。まずは理解も寛容性も不足する(この時代に生きながらまだ!)頭のかたい大人たち。ここには効きそうである。知識が浅い子供たちも同様だろう。これが救いになってくれるケースがあればさらに言うことなしだ。問題はLGBTや冗談抜きで困っている立場にある人々。自分が偉そうに言えるわけないのだが、彼らから見れば、今作はそこまで革新的とは言えない気がする。せいぜいうまく出来た広告の一つに過ぎないのではないだろうか。まあ現時点でまだシーズン2。これからどこまで掘り下げていくか不明だが、テイストが違うわけでこればかりはしょうがないのかもしれない。それより、ライト層に向けた大きなきっかけ作りという役割を果たせれば、きっと万々歳なのだ。繰り返しにはなるが、とにかく制作陣には最高級の賛辞を贈りたい。

最後に気付いたことを少しだけ。今作がネトフリのドラマ再生数新記録を樹立したとかしないとか、そんな話を聞いて痛感した。それは自分自身のジェンダー問題に対する認識の甘さ。江戸時代とか戦後じゃないんだから、今さら女性の権利が~とか、言うことすら無駄だと思っていた。だってそれを言うってことは、裏を返せばそれが特別じゃないことの証明になるから。今もう令和よ? さすがにダサくない? とか、すかしていた自分はどうやら間違っていたらしい。エイミーの通学バス事件で身に染みて思い知らされた。こんないかにもと言うエピソードが現代でここまで受けるってことは、かっこつけてる場合なんかじゃなくて、ちゃんと継続して伝えていくべきってことなのだろう。これからは「ハイハイまたそれね」って感じのスルーは絶対にやめます、大変申し訳ございませんでした。

コンテイジョン

監督:スティーブン・ソダーバーグ

出演:マット・デイモン

区分:映画  

評価:★★★

 

コロナウィルスが猛威を奮いまくる20204月。医療の発達したこの現代において、まさかパンデミックが起きるとは……。冗談みたいな話が現実に起きていることに、今まで味わったことのない感覚が襲う。そしてこの作品は、その不思議な(かつおぞましい)インスピレーションをさらに増幅してくれる。少なくとも自分はそうだった。しかしこれ、東日本大震災のケースと同様、トラウマを呼び起こしかねないシーンが散見されるため、視聴にはくれぐれも注意した方が良いです。絶対。

時世に左右されては意味が無いので、作品自体の評価をしていきたい。結論としては、やや物足りなさが残る星3つ。ドキュメンタリーとパニック映画を足して2で割った感じのテイストは、良くも悪くも普通だったといえる。作中を終始支配するのは、蔓延するウィルスが生み出す恐怖と静寂。リアリティを追求するという意味では確かなリズムを生んでいるが、終わってみるとどこか味気ない。それはきっと、どこかで作為の手の存在を少なからず欲してしまうからだ。恐らく学術的なリサーチがかなりされているのだろう、一つ一つのシーンは真実味があって強度を感じる。だが淡々と進んでいくうちに、何だか映画というより「豪華俳優陣が演じる再現VTR」に見えて来てしまう。全体的に眺めてみてもそうだ。〇跡体験〇ンビリバボーの再現Vが超絶クオリティーに仕上げられた感じ。まあだからと言って、やり過ぎるとB級映画みたいになるだろうし、監督が作りたかったものと乖離することだろう。やるなら、主要人物たちを絡めたもっと凄惨なシーンも入れるくらいだろうか?(薬を求めて暴徒と化した市民が、さらにエスカレートしていくシーンとか観たかった、あとは病院の惨状とか?)

しかし、今作の公開は2011年。そこから9年、作中の世界が現実となった今、上記の評価なんてクソみたいなものだ。ノストラダムスも真っ青の予言的中っぷりに、ただただ震え慄くばかりである。ちなみにオススメの視聴タイミングは、ニュースやワイドショーを見た後。現実で起きていることが映画化されていて、逆に現実が映画みたいに思えてきて……んん?

スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け

監督:JJ・エイブラムス

出演:デイジー・リドリー

区分:映画  

評価:★★★

 

なんなんだよこの茶番は!!自分は違うから無害だけど、ファンの人はブチ切れてダークサイドに堕ちても仕方ないレベルだろ……。誰が諸悪の根元か知らんけど、フォースチョークで絞め○されても文句言えないぞ絶対。

真偽はともかくとして、聞いた話によれば次のようになる。そもそも7・8・9の3部作は、全て異なる監督が製作する(斬新さを求めたのか、この時点でかなりリスキーでは?)→7、8は予定通り製作・公開。但し、8に集まった批判の多さにルーカスフィルム(それともディズニー?)がビビり出す→そんな矢先、9担当の監督が直前の作品で大コケ→危険を感じたルーカスフィルムは、当初のプランを覆し、その監督を降板させる→では9は誰が?と思っていたら、まさかの7担当の監督を再び抜擢→後日、9監督の脚本がネットに流出。7監督のそれより、よっぽど出来が良いと話題に……。もちろん、これが全ての事実ではないにせよ、9がこの世に産み落とされ、人々の-そして何より期待半分、不安半分で震えていたファンの-もとへ届けられた事実は、もう動かない。動かないのである。何と惨い事実だろう。

確かに、これを単体の作品もしくは7からの続き(脳内補正で8の全てを補うというとてつもない想像力が要求されるが)として見れば、巷に溢れる王道SFエンタメという枠で悪くない仕上がりだと思う。その点については、復刻に定評があるらしいエイブラムス監督に素直に拍手を送りたい(後述の理由で、息継ぎ出来ないほど爆速!の脚本になったのは致し方ない)。冒頭から幕引きまで、一切頭を使うことなく、スターウォーズっぽい世界観に浸れるのだ。きっと小・中学生あたりは大歓喜だぜ!

しかし、忘れてはならない。当然だが、この作品の前にはエピソード8が存在する”……。そう、御覧いただいた方にはわかるだろう。全く、テーマも伏線も筋書きもあったもんじゃない!何もかもぶっ壊されている!「8なんて無かった、とにかく7から始まった物語を、この9で何とか終わらせなきゃ!」……”-すべて、終わらせるというコピーは、そうしたエイブラムスの歪んだ決意表明であり、そこには彼の悲痛なSOSまで感じ取れてしまう(きっとエイブラムスもプレッシャーかけられたんだろうな。そうじゃなきゃ、もっと8の流れを上手く汲み取れたはずだ)。せめて、8も彼が監督をしていたなら。いや、世間体と収益を優先し、直前で担当監督の首を挿げ替えるという蛮行が全てを狂わせた元凶だ。彼もファンも、全てはプロダクションの犠牲者に他ならない。

スターウォーズは4・5・6、そして1・2・3を以って完結。それ以降は別作品とすべきだ(黒歴史として、その一部に含めることすら憚られる)。そうするしか、この溜飲は下げられないように思われる。映画史に燦然と輝くこのシリーズに、泥を塗ったその罪は限りなく重い。

フォー・ルームス

監督:クエンティン・タランティーノ

出演:ブルース・ウィルス

区分:映画  

評価:★★★

 

4話の内、1話と2話がファッキン! 3話と4話がオーマイガッ! という前評判の元、視聴完了。先入観にはすこぶる弱いという自負があるので、きっとそんな感想を持つんだろうな~と思っていたのだが、最終的には1話がファッキュー! 2話は悪くないやん。3話でゲロって(良い意味で)。4話のタランティーノ全開!で終わったのだった。まあ、一個のオムニバス作品としては普通に良かったですな。

確かにネットに落ちてる感想にもあったように、1と2(いや2については自分はわかりやすかったので嫌いじゃなかったけど)悪い意味でぶっ飛び過ぎてる。というか、やりたいことは苦しいほどわかる自分がいるんだけど、エンタメとエゴのバランスが残念ながら良くない。ここが天才と凡人を隔てる超えられない壁なんだろう。観客からすれば、ひたすら「ふーん、で?」って感じになる感じなのだ。いや、4も「ふーん、で?」ってなるんだけど、巨匠タランティーノはそれを言語化し難いセンスを以ってして、きっちり魅せてくるのである(ってことは、3の人は王道ですごいから、一番すごいのはやはりタランティーノか!)。タランティーノが好きな人にはぜひオススメしたい一作。

007 スカイフォール

監督:サム・メンデス

出演:ダニエル・クレイグ

区分:映画  

評価:★★★

 

UKに忠誠を誓っておきながら、今まで一度も観ていなかった『007』。今回、同シリーズの中でも屈指の評価を獲得したスカイフォールを今更ながら鑑賞した。……って、大英帝国を代表するような超ド級のメジャー作品なのに、このローテンションな書き方はいかがなものだよ。もっと弾けて書こうよ!! ……とまあ、本当ならそうしたいとこだったけど。

なんだろう。自分の発狂気味イギリス補正抜きで言うのなら、正直普通。シルヴァの犯行計画は観る分にはすごいけど、よく考えれば観せること重視で中身がない。動機の方も積み上げが無いし。ホームアローンみたいな篭城戦の際、ヘリで遅れてやってきた時にはミサイル!? と思ったら普通に機関銃、緩いぜシルヴァさん。軍艦島のエレベーターで降りてくる登場シーンが一番カッコ良かったな~。ボンドはボンドで、今回のミッション結局失敗に近いような? アクションというか銃撃戦や格闘シーンもまあ普通だったし。

では前置きはこれくらいにして、ここからは英国万歳スタイルで行きますよ! もうとにかくね、この映画はスタイリッシュ、そして構成がクール。だって冒頭のシーン(これがまた秒で惹き込まれる!バイクにショベルに列車!)でボンド、仲間に誤射されてスカイフォールしちゃうんだよ? しかもそこからのタイトルクレジット挿入。クールだね、語彙力死んでんだけどもうクールだね。そう、この物語はボンド再生の物語でもあるわけ。一度失墜したボンドが復帰するところから本編が動き出すし、ラストシーンはボンドの生家で、敵もボンドと同じ元MI6の腕利きエージェント。2人の男が1人の女性(というか母)を巡って殺し合う、コンプレックスストーリーという見方もできる。もちろんそんな見方をしなくても良いが、とにかくキレイにまとまっている。細かい辻褄なんかどうでも良いんだよ!(さっきと言ってることが違うビョーキ)ロンドンやスコットランドの美しさは言うまでも無いけど、全編にわたってイチイチ画がかっこいいんだよな。ダニエル・クレイグも渋いし(というかこの作品自体が渋いので余計にマッチ)、シルヴァを演じたバルデムさんの怪演も雰囲気たっぷり。あと振り返れば、初見殺しじゃ無いところも良い。通年のファンだからこそ楽しめる部分だけじゃなく、一スパイアクション映画として完成されている。

あの印象的なテーマに、ボンドカーやボンドガール、ワルサーPPK、そしてスーツをバリっと着こなすジェームズ・ボンド。「ボンドだ。ジェームズ・ボンド」。とにかくクール過ぎ……!!

バーン・ノーティス 元スパイの逆襲

製作総指揮:マット・ニックス

出演:ジェフリー・ドノヴァン

区分:海外ドラマ

評価:★★★★★

 

マイケル:『俺の名はマイケル・ウェスティン。元スパイだ。』

マイケル&フィオナ:『「ここどこ?」「マイアミ♡」』

サム:『スパイって奴は、やんやあうるさいからなあ』

ジェシー:『こんちわ!』

ジェシーのセリフはタイトルコールでは登場しないが、妙に彼の「こんちわ!」がツボだった)

 

もうこれらのセリフを、新鮮な気持ちで聞くことはできない。とてつもなく寂しい。全ては良い思い出に成り下がってしまって、二度と最初に聞いたときの、いつも聞いていたときの、あの心持ちでは聞けなくなってしまったのだ。そして、その事実こそがバーン・ノーティスとの別れを痛烈に意識させてくる。こうして感想を言葉にしているときにも、それはじわじわと進行していることを感じているし、それだけこのドラマが良いものだったと改めて思うこともできる。

確かに、ファイナル・シーズンのあまりにも露骨な雑さっぷりに嫌気が差したのは事実だ。カイルXYしかり、ビバヒル(現代版)しかり、フリンジしかり。海外ドラマの、視聴者を物ともしない急降下にはいつも驚かされてばかりである。「俺の名は~」の名物タイトルコールを、視聴者へ向けたものではなく、甥っ子チャーリーへのセリフへと変換させたエンディング(つまり、このバーン・ノーティスというドラマはチャーリーための物語だったと観ることも可能になる。スパイのマメ知識的ナレーションが随所で挿入されているが、あれもチャーリーへのマイケルおじさん直伝の解説だったのである)は、多少気が効いたアイデアだったかもしれないが、それでも裏切られた感は拭えない。プッツンと途切れたカイルXYよりはマシかもしれないが、それ以上ではない。

そもそも勧善懲悪+スタイリッシュユーモアが、このドラマの醍醐味だった。ネットで他人の感想をググってみたが、「スパイドラマの仮面を被った、ホームドラマ」という中々ストライクなものを見つけた。まさにそのとおりで、いかにもホームドラマ的な温かさやジョーク、誰もが思い浮かべる正義の観念。それらの普遍的かつ不変的な要素が、視聴者を易しく(要するに頭を使わずに)楽しませてくれる。その心地良さには一定のリズム、すなわち「困った人を非合法なやり方で助けるメイン+解雇の真相を追うサイドの同時進行」があって、それがクセになる。バーン・ノーティスはまさしくエンタメの優等生である。だからこそ、そのリズムを崩したファイナル・シーズンはやはり残念でならない。放送終了に向けた製作サイドの事情はあったのかもしれないが、もっと他にやりようはあったと思う。

まあしかし、不満とは往々にしていくらか残るものであり、むしろこのバーン・ノーティスの場合、自分に与えてくれた良い思い出の方が圧倒的に多い。それだけは間違いない。最後になるが、このドラマの製作に関わった全てのスタッフ・キャストの方々にお礼を言いたい。というか、何度でも言いたい。心の拠り所となってくれる作品には、滅多に出会えるものではない。だからこそ、「初見のとき限定の感動」をもう味わえないことはつらいし、同じくらいその感動を味わうことができたのは、幸せなことだったと痛感する。本当にありがとう、バーン・ノーティス。そして、マイケル、フィオナ、サム、ジェシー、ママさん(主要人物は全員好きだったけど、ママさんだけは好きになれなかった。どうしてだろう?)、心の底からありがとう!!

 

『俺の名はマイケル・ウェスティン。元スパイだ。』

境界のRINNE

原作:高橋 留美

監督:菅原 静貴

区分:アニメ

評価:★★★

 

主題歌も去ることながら、内容も悪くない今作。超有名作者による経験と実績に裏打ちされた安定感。それだけには止まらない目新しい要素の数々。その二点のバランスに好印象が持てる作品だ。

前者に関して言えば、主人公・六道りんねを中心とした人間模様がわかりやすく楽しい。ヒロイン・間宮桜を巡る、十文字(通称、聖灰バカ)とのやり取りは、同作者による『犬夜叉』の犬夜叉・かごめ・鋼牙の三角関係を彷彿とさせる(自分が良く知る高橋留美子作品はこの犬夜叉だけ。そのため、他作品でも類似の関係性は見られるかもしれない。余談だが、犬夜叉の七宝や雲母と、本作の六文もすごくカブる)。また、そこへ加わる鳳はヒロインの恋敵ポジションであり、彼女を以って見事に四角関係が完成する。自分の好みが関係するかもしれないが、他人の惚れた腫れたの騒ぎを見るのは、なぜだか飽きない。お馴染みのパターンは山ほど見て来たはずなのに、ついつい見入ってしまう。やはりこれは自分の嗜好の問題だろう。

さて、本作で一番考えさせられたのは、「イケメン×貧乏」の持つ魅力についてである。ド級の貧乏少年である輪廻に、桜と鳳の二人の女性が恵んでやるという構図は、ごく一般的にドラマ等で見かけるパターンではある。しかし、それをアニメの画面で、しかもコメディ要素として用いていることに自分は驚いたのである。結果は大成功だと思う。単純な笑いだけではなく、別のアプローチによって女性ファンの心を周到に掴んでいるのかなどと深読みもできてしまう。いわゆる「母性本能」という、女性の無意識の部分に働きかける点が、この作品の内部には、存在するのかもしれない。そして、その仕掛けをスマートに組み込んだ手腕に、素直に感動させられる作品であった。