なぜリスク度外視の安物がはびこるのか

 
 
少し前に、また高速バスの事故がありましたね。そこで今回は、バス会社はなぜリスク度外視で価格を下げようとするのかについてお話ししようと思います。
 
 
 
当然のことながら、一般的には、企業は競合他社との競争に勝たなければ利益を上げることはできません。また、企業は利益を得なければ、その事業や活動を維持できません。したがって、競争に勝つことは非常に重要なことです。
 
 
経営学によると、競争に勝つための戦略において、以下の4つの差別化のポイントがあるそうです。
 
  1. 価格
  2. 製品
  3. サービス
  4. ブランド
 
 
1.の価格について
これは単純で、同じ製品で価格が低ければ消費者は優先的にそれを買います。
 
 
2.の製品について
これは、製品の質や性能での差別化です。例えば、服であればより高級な素材を使ったり、パソコンであればより高性能なCPUを搭載している、などです。これも、他の条件が同じならば、優先的に製品性能や質が高いものを買います。
 
 
3.のサービスについて
これは、製品そのものではなく、それに付随するサービスでの差別化です。例えば、カフェであればよりホスピタリティある方に消費者は行きます。また、ネット回線であれば、契約後のアフターケアも万全の方を優先的に選んだりしますよね。そのような、製品そのものではなく、その周辺の諸々のサービスに消費者は価値を見出すこともあります。
 
 
4.のブランドについて
名前が知れ渡っている企業の製品は買われやすい傾向にあります。また、同じ品質で少し高価格でもそちらを選ぶ場合も多々あります。このように、ブランドに対して価値を見出し、優先的に購入する消費者も多いため、これも差別化のポイントとなります。
 
 
 
以上が競争戦略における差別化のポイントなのですが、製品やサービスでの差別化は、基本的には他の企業も追随するため、成熟している市場においては価格競争に陥りやすいです。また、服や電子機器などではブランドに重きを置く消費者も多いため、ブランドによる差別化を築きやすいのですが、バスにおいてはブランドによって差別化がなされることはほとんどありません。
 
したがって、バス市場では、価格競争が起きやすいと言えます
 
 
 
ところで、バスという商品において、安全性というのは重要な要素です。しかしながら、高速バスなどでの事故は絶えません。なぜなのでしょうか。
 
なぜなら、当然のことですが、安全性というのを何かで表すことが非常に困難だからです。消費者は、それぞれのバスの安全性を視認することができません。そのため、バス会社はこれを差別化のポイントにできず、安全性を削ってまで、視認することのできる低価格という差別化をしようとするのです。
 
そして、低価格のために安全性が削られ、その結果事故が起きやすくなるのです。
 
 
 
 
今回はバスの話でした。
 
 

「科学的」とはなにか



こんにちは、けいです。



今日は科学的という言葉について書こうと思います。


科学的、と聞くと普通の人は「正しいことかな」とか「論理的と似た意味なのかな」とか考えると思います(以前は僕もそう思ってました)。

科学的という言葉を辞書で調べると、「考え方や行動のしかたが、論理的、実証的で、系統立っているさま。」とあります。(引用元:デジタル大辞泉



このうち、「論理的」というのは、論理学で言えば「推論が妥当である」ということです。推論が妥当であるというのは、前提Aと前提Bが真(正しい)であれば、結論Cも必ず真となるということです。

例えば、「ボールを投げて(前提A)、それを捕らなければ(前提B)、ボールは地面に落ちる(結論C)」という推論があったとします。この場合、前提Aと前提Bが正しければ、結論Cは必ず成り立ちます。このような推論が論理学では「妥当である」と言われます。

次に「妥当である」と「恒真である」の違いについてお話しします。この、恒真である場合には科学的の要件を満たしません。つまり、恒真であれば科学的ではないということです。

恒真である例は「私は走る(A)ならば、明日が雨(B)ならば私は走る(A)」などです(日本語が変なのはお許しください)。この場合、AとBが真であっても偽(間違っている)であっても、これは必ず真となる命題(文と思っていただいて大丈夫です)となります。このような命題を恒真命題と言い、この場合も推論は妥当となります。

(もっとわかりやすい恒真命題の例は、「私は立っている、あるいは立っていない」などがあります。この命題は必ず成り立ちます。)



しかし、恒真であるということは、必ず真であるということで、このようなことは「自明である」ので科学の対象にはならない(絶対正しいので実験などを必要がない)のです。

(これに注目したのが反証可能性という概念なので、よろしければ調べてみてください。)


このように科学的であるためには「推論が妥当である必要がある」。しかし「恒真であってはならない」のです。




次に、「実証的」という言葉について。

実証的とは、思考だけではなく、実験や体験などの事実によって導かれるさま、ということです。要は、科学的であるためには、データに基づいてなければならないのです。


なぜデータに基づいてなければならないのか、についての答えは、前提を真であることを証明するためである、だと考えられます。推論が妥当であるというのは、「前提が全て真であれば、結論も必ず真となる」ということなので、前提が真であるかどうかというのは、論理的であることは何も寄与していません

したがって、前提が真であるというのを担保するために事実に基づく必要があり、それを実証的であると言うのです。




最後に、「系統」についてです。

これは、順序があり、統一的な繋がりのことです。どういうことかというと、実証→論理→結論→実証→論理→結論→……という風に、順序を守り、それぞれが独立しておらずにつながっているのです。それぞれの結論が独立していて関係がないようなものは科学的ではないということですね。





以上をまとめると、科学的というのは、

推論が妥当であり、且つ恒真命題ではなく、事実に基づいており、それらが順序良く統一的である」という意味になります。



公務員の給与

 
 
こんにちは、けいです。
 
 
 
公務員の給与が2年連続で上がることに対して、様々な人が批判していますね。
 
 
 
彼らの主張はこうです。
慢性的な赤字であるのに給与や賞与の額を上げるのは民間ではありえない
 
これに少しだけ反論すると、公務員がする仕事はそれの対価として何ももらっていないんです。例えば、道路工事をしても周辺の住民から追加的に代金を徴収していません。このことは、そのサービスの対価は何ももらっていないから赤字であるのは当たり前である、ということです。
 
税金を徴収しているじゃないか、とおっしゃる方もいるかもしれません。
 
しかし、税金はサービスの対価ではありません。なぜかというと、受益者と負担者が一致していないからです。先ほどの道路工事の例で言うと、道路工事で効用を得る人と、そのお金を負担している人は違います。その時点で対価として税金を支払っているわけではありません。
 
 
また、政府も必ずしもサービスを提供するから税金を徴収しているわけでもありません。
(これについてはまたお話しします。)
 
 
 
したがって、そもそも民間企業と政府を比べられないのです。また、赤字であるのは当たり前です。
 
 
これらを考えると、公務員の給与は民間の平均給与を基に考えられていいはずです。また、以前大幅に給与削減されたので、今回給与が上がったのは妥当とも考えられます。
 
 
このように、単純に民間と政府を比較できないという話でした!