経営の戯言

経営に関する戯言をつらつらと

経営者の仕事とは何か?

 

 経営者の仕事とは何か?よく聞かれるので書いておくこととする。

  • 徹底的に現状を把握すること
  • 過去からの大きな潮流を把握すること

この2つの答え以外持ち合わせていない。この2つを徹底的に実行することで必ず成果はついてくる。

 

「徹底的に現状を把握すること」これは、採用と人事制度、社内生産性向上に活きる。具体的に言えば、どういう人に適正があるか、どういう人に来てほしいかが具体化される。評価制度に適用できる。今、皆何に困っているか(ボトルネック)を解消できる。ドラッカーはこれらを丸めて「計測する」と問いている。

 

「過去からの大きな潮流を把握すること」に関しては、所謂、大局観、つまり未来を見る、長期的な戦略立案に役立つ。時代に合わせてピボットできる、先回りできる、取り残されない。

 

基本はこの二つで成り立つ。また、これができれば、どんな企業がクライアントとして相応しいか、また、その企業とどう接点を持つか(流通チャネル)が見えてくるので、あとは実行力あるのみ。プライシングもこれに付随するというイメージ。

 

経営者の仕事とは人、物、金を集めることだなどと言われがちだが、このたった2つのことが出来なければ人と物のミスマッチが現場を疲弊させ、結果的に金を集められるなくなるだろう。

経営者に必要なのは危機回避能力かもしれない

私は凡人だ。すこぶるよい遺伝子ではないし、すこぶる良い成績だったわけではない。恵まれたなと思うのは、少しばかり健康で、圧倒的な運の強さと、経営者の親族に囲まれたことくらいだろう。そんな私の特殊能力は恐らく、他の人よりもかなりの方面、時間軸で鼻のきく危機回避能力のようだ。

私は未来に起こるであろうと予測できうる限りの問題を摘むようにマネジメントをする。だからクリティカルな問題はほぼ起こり得ない。そのほとんどが想定内の問題だ。

しかし、通常どおりに動いて当然とされてしまうインフラエンジニア的な役割となってしまうために、なぜうまく行っているのか?裏があるのではないかと疑われてしまうことが増えたのがもっぱらの悩み。全部説明するほど暇ではないのだ。

しかしまわりを見渡すと、皆"今"を凝視し、未来を軽視しているように感じることがある。"今"を見るのは100歩譲って構わない。しかし、未来に出るであろう芽を刈り取るための種まきは、その"今"するほかないのだよ。それを忘れてはいけない。

起業家は尊い

バタバタしててちょっと更新が滞ってしまった。

事業会社で事業を行いつつ、一昨年から始めたエンジェル投資を行うという所謂二足のわらじ状態で時期を間違うとバタバタだ。この中でやっと気付けたことがあるので備忘録的に書いておく。

私には投資家に憧れた時期があった。そして、それを一昨年から叶えることができ、進行形で二足のわらじを履いているんだが、やればやるほど、起業家が如何に素晴らしい仕事かが痛感させられる。いや、別に投資家を軽蔑していたり下卑しているわけではない。投資家だって素晴らしい人は素晴らしいし、その人々がいなければ成り立たなかったビジネスも非常に多い。ただ、やはり実行している人間が最も尊いと感じる節がある。

 

人間の行為のなかで、何がもっとも卑劣で恥知らずか。それは、権力を持った人間、権力に媚びを売る人間が、安全な場所に隠れて戦争を賛美し、他人には愛国心や犠牲精神を強制して戦場へ送り出すことです。宇宙を平和にするためには、帝国と無益な戦いをつづけるより、まずその種の悪質な寄生虫を駆除することから始めるべきではありませんか。 ヤン・ウェンリー

 

私の敬愛するヤン・ウェンリーのセリフだ。繰り返すが、投資家が悪いわけではない。何もなさぬものよりよほど素晴らしい。しかし、自身の意志でこうあるべきという未来を描き、それを当たり前のものとするためにブルドーザーのように突き進む起業家は投資家なんかよりも尊いと思うのだ。

起業家は尊いんだ。

銀座という夜の街が衰退していく理由と、IT業界関係者が銀座に寄り付かない理由

ここ数ヶ月、自分の知見を広げるためにさまざまなことを経験してきた。普段自分では絶対にチョイスしないような誰かが進める飲食店、観光地、普段接しない人との飲み会や打ち合わせ、会合など、可能な限り受け身の姿勢で未経験のことに関してはほとんどのことを受け入れていった。

その中の一つが銀座という夜の街だ。経営者たるもの、銀座に馴染みの店の一つでも持っておきたいものである、いや、別にそんなことはないんだが。六本木、渋谷、恵比寿など、大抵の女の子のお店は20代のうちに経験していたおかげで、30代で金銭感覚や女で人生を狂うことがなくなった身としては良かったんだが、銀座の夜のお店に関しては20代の前半に前々職の社長に連れて行ってもらったきり、ご無沙汰もいいところだったし、あの頃の僕は銀座を楽しむことはできなかった。まぁ自分の金じゃないからね。

そんなこんなで、知人に今の自分のフェーズを伝えると、「いとこが銀座で働いてるから、これから行ってみようか」ということで早速誘いに便乗し、銀座の5本の指に入るというお店へ。

女の子のお店、という意味ではほかと大差ない。強いて言えば、六本木、渋谷、恵比寿なんかよりお年を召された女性が多い。僕の席についたのは27歳から32歳くらいの女子が5名だった(男性は2名)。決して美人ではない、いや、2名はどこかの会社の受付にいるくらいの普通の可愛い子、くらいで、正直顔だけで言えば六本木と恵比寿の方が圧倒的に可愛いだろう。まぁサービスとかそのへんは徹底されていて、トイレ行けばついてくるし、おしぼりや飲み物のタイミングはさすがだなぁと言うところはいくつかあった。ただ、会話は期待していたほどのレベルの高いものではなかった。話を合わせるのがうまい、これだけだった。

その中で面白いな、不思議だなと思った彼女たちの話が、「銀座にIT業界の人はほとんど飲みに来ない」というものだった。僕の知人だけでも豊洲のタワーマンションに住んでいる知人が複数いるのに、ちょっとおかしいなと疑問に思った。このときは不思議だな、くらいにしか思わなかった。

知人のアドバイスで12時前にチェックし、そこそこのワインを空けて誕生日のお祝いなどをして、おおよそ2名で30万円くらい、まぁ銀座なんだからそんなもんだろう。両隣の女子と連絡先を交換して解散。問題はその後だ。

数日後、案の定、お礼のLINEとお誘いがきたのだが、最初は前に話したときの雑談などが続くのだが、どこかでスイッチ入ったようにクロージングにくるのだ。やれあのフレンチにいこうだとか、あの鮨にいこうだとか。いや、食事は全然良い、奢る。ただ、彼女らの連絡はかなりの確実でテンプレート化されているのが透けて見えるのだ。その上で同伴をしてほしいのが丸見えで更に寒い。そこで僕ははっとした。

これこそが"IT業界関係者が銀座に寄り付かない理由"だろう。現代の経営者はさまざまなルートで情報源に触れる。数多くのメルマガやブログ、Twitterを日常的にみたり、分析する。Twitterに上がるテキストやInstagramにアップされる画像から相手の感情を感じ、先読みする。僕らは(少なくても僕の仕事はマーケティングだ)相手の感情や先を読み、曲がりなりにも成長してきた。マーケティングを専門にしていないような経営者ですら、それが専門なのではないかと錯覚するほどに嗅覚が鋭い。これが僕が知っているIT業界者なんだ。そんなクレバーな彼らが銀座に寄り付かないのは、単純に費用対効果があっていないからにほかならないだろう。

高額なお金を払う、それは全然いい。そもそもお金を気にする成功者は稀だ。ただし我慢ならないのは、高貴でも賢くもない女性を相手にし、更に感情が透けて見えるような女性を相手することほどつまらないものはない。そんな無駄な時間はないのだ。

それだったら、素人丸出しの六本木、恵比寿あたりの会員制のキャバクラで口説く、タイプじゃなければ今使っているアプリやツールの情報を仕入れたほうが断然面白いし、費用対効果がよいのだ。

今はオリンピック需要で銀座周辺は盛り上がっているようだったが、ここ2.3年で銀座の夜の街は豹変すると思う。

 

自分の能力に蓋をしてたのは結局自分なのかもしれない

 
今日メンターに言われたことが忘れられない。数年後に振り返る為に、自分の為に備忘録として残しておく。
 
「少しいいか?年寄りの戯れ言だと思って聞いてくれ。 若くて才能の塊なのに、どうして世界を狙わないんだ?」
 
お世辞がほとんどなのを承知で、少しこのお世辞に乗っかってみようと思った。ここ数年の自分自身を振り返ってみれば明らかで、僕はぬるま湯に浸りすぎている気がする。
自分の能力に蓋をしてたのは結局自分なのかもしれないね。みてろよ。

企業の本質的な価値とは人材輩出なのではないか?

企業の持つ価値として、事業としての価値であったり、雇用だったりとさまざまな議論があるのを承知で言うと、最近は人材輩出こそが本質的な価値なのではないかと思うのだ。

 

昨今において、昭和の頃の封鎖された企業というのはほぼ皆無に等しく、転職自体も決してネガティブに取られなくなった。つまり、オープンであるのを前提に考えなければこれからの企業・組織は成り立たない。

 

これらを踏まえ、現代における企業の正しい姿を考える機会が増えたのだけれど、それは"出入り自由の宗教"のようなものが最も良いのではないかと思う。人は変わる。だから入るやつもいれば辞めるやつもでるし、副業のようなパラレルな形態を持った人材はより増えていくだろう。そのように捉えると、企業の本質的な価値とは"人材輩出"なのではないか?それこそが今の世を次世代に繋いでいき、進化させる唯一の価値なのではないかと思うのだけれど、どうだろうか?

 

落ちはないよ。

「努力します」「頑張ります」を信用してはいけない

 

人間は怠惰な生き物だ。元来人間は努力できないし、頑張れない。

世の中にはなにかあることにつけて、「努力します」「頑張ります」という人がいるが、基本的にこれらの言葉を信用してはいけない。

 

では、どういう人間を信用すべきなのか?

それは習慣化するように働きかける人間だけだ。"人間は努力できないし、頑張れない"、DNAレベルで植え付けられたこれらを逆手に取り、努力のレベル、頑張るレベルを当たり前化するように、つまり習慣化出来るように仕組み化する人間こそが信頼に値するのだ。

 

「努力します」「頑張ります」という人がいれば、その後の行動がどう変わったのか見てみよう。それが3日坊主で終わるのか、習慣化されて継続し、激的に成長につながっていくかは数日で解るはずだ。