映画 三姉妹

場面は「いま」からはじまります。別れた夫の借金を返しながら花屋を営む長女、聖歌隊の指揮を務め家族も高級マンションに越したものの、夫の裏切りが発覚し苦悩する次女、食品卸業の夫とその連れ子と3人暮らし、劇作家としては大スランプ中で酒浸りの日々を送る三女、それぞれの重苦しい日々です。

ある時、年老いた父親の誕生日祝いのために久しぶりに故郷で集まることになり、それぞれが家族を連れて総出、父親とご馳走を取り囲むことになりました・・・。が、記念日は、過去のさまざまな痛みを思い出させ、集まったその場で振り返ることになり、長く封印されていたそれぞれの感情がぶちまけられてしまいます。

長女と長男は異母姉弟、この二人が父親から暴力を受ける幼少期の日々、見かねて通報を願うが叶わない次女、三女。過去の痛みが一挙に放出されたのです。

普段は普通のフリをして、外からは何も無いかのように見える人々と家族でしたが、記念日でそれぞれのストーリーが暴露され家族ストーリーに統合される場面は大きく苦しい痛みを伴っていました。それでも、最後の場面での三姉妹の清々しさを見て、人生物語の生成の苦しさと人生における家族の意味を考えさせられました。韓国の家父長制の恐怖と、そこで生きる女性たちの苦しみと力強さにも心が揺さぶられました。

韓国映画賞女優部門を席巻、日本では第16回大阪アジアン映画祭の特別注視部門に出品され絶賛された、ヒューマンストーリー映画でした。

私と人生会議

かなり前にこのブログで紹介させて頂いた「浦安あおべか介護タクシー」の運転手さんが、医療ルネサンスの連載をしています。

昨年7月に肝硬変になり、療養生活をしておられるその人生会議の記事で、連続8回とのことです。人生会議はACP(アドバンス・ケア・プランニング)で、人生の最終段階に受けたい医療やケアを家族や支えてくれる人たちと話し合う 会議です。

療養生活に入られた当初は私自身がとても信じることができませんでしたが、こうして向き合っておられる姿を目の当たりにし、支えられ尊敬しています。

武田さんは、看護学校定年後1年になるまで、私が主催する看護教員グループに、ずっとご参加くださり、私は、メンバーとしてというより、人生の先輩として背中を見せて頂き教えられてきました。

夫婦とネコちゃんたちの、素敵な家族を知り、私たち自身の人生について考えさせてくれる記事でもあり、ぜひ皆さんにお読み頂きたいです。

 

f:id:keikonsakaki:20200613215635j:plain

 

Prison Circle

島根あさひ社会復帰促進センターは、ICタグCCTVカメラが受刑者を監視し、食事搬送やドア施錠を自動化する新しい男子刑務所で、日本で唯一Therapeutic Community 回復共同体 (TC) という受刑者同士の対話をベースに更生を促すプログラムを持っている刑務所です。冬はしんしんと雪に包まれ静かですが孤独な施設のように見えました。

処罰から回復へーと変わろうとしかけているこの刑務所で、2年間の密着取材により、描き出された映画が Prison Circle です。監督の坂上香氏は、「Lifers ライファ―ズ 終身刑を超えて」「トートバック 沈黙を破る女たち」など、これまで米国の受刑者を取材し続けてきましたが、今回は取材許可がおりるまでに何と6年かかったそうです。

服役中の若者の顔の部分はプライバシー保護用にブラーがかけられていました。

映画は10章にわけて進められましたが、各章には主人公の名前がテーマとしてつけられています。拓也、真人、翔、健太郎。TCは1クールが3か月。クール毎に新規生が入ってきます。

TCは、心理や福祉などの専門性を持つ民間の支援員が運営するグループで、参加する受刑者はその時間のみ通常の作業から離れることができます。明るい室内で円に並べられた椅子に座り、テーマごとに15~20名全員であったり、3~5名の小グループとなったりして、対話によって進められていました。

20名もの参加者の真ん中でのリーダーを務める支援員は、勇気が要るのではないかと感じましたが、観ているうちに、このグループの中心はピアによる支え合いだと確信させられました。受刑者同士だからこそ、苦しさや孤独感が分かり合える、その強固な支え合いによって、少しずつ、犯罪の現場やさらにさかのぼって、子どもの頃の記憶までが語り合われていきます。

受刑者の多くの記憶は否認され、抑圧され、記憶の奥底にうずもれ、その人らしさを隠蔽していました。例えば、22歳の拓也ははじめのころ、子ども頃の記憶があまりない、と言って、聞かれてもそれ以上答えられませんでした。けれども、TC参加継続のなかで、少しずつ記憶が呼び戻され、両親との苦痛な関係や施設でのいじめが語られるようになっていきます。

お金に困り親せきの家に押し入って怪我を負わせた健太郎も、その犯罪現場について、小グループでのロールプレイを通してリアルに思い出し、さらには被害者への感情を受け止めるようになっていきます。相談するよりも親戚を殺すことを選択する壮絶な孤立無援感をわかってくれるのは同じ受刑者だからこそではないでしょうか。聴く者からの共感が伝わり合うからこそ、今日まで感情を麻痺させてサバイバルしてきた受刑者一人一人が、改めてその人自身を過去と共に取り戻し変わっていくのだと知り、感動が心に残りました。

刑務所では番号で呼ばれ、みなイエローとグレーの同じ服を着せられ、食事、作業など決められた一日を送っていました。また他者に触れてはいけないというルールもあるようで、話を聴いた取材者に握手を求めた受刑者が警備員に禁じられるというせつない場面もありました。こうした日々に、TCでは名前で呼び合い人間性を重視した安定した安全な人間関係をつくることができます。人間の心の傷つきは人間によってこそ癒されるということやグループの力を改めて感じ、更生とは何か考えさせられた映画でした。

現在4万人に上る受刑者のうちTCに参加できるのは40名ということでした。

 

映画『プリズン・サークル』公式ホームページ

 

Each and Every Moment

吉祥寺アップリンクの上映最終日に観てきました。フランスの看護専門学校ドキュメンタリー映画で「人生、ただいま修行中」。講義、実習、学校の教官との面接、の3つのパート構成でしたが、最後の面接パートが圧巻でした。

フランスの看護教育制度は、セメスター制で3年間を6つのセメスターに分け、それぞれのセメスターに講義/演習、実習、バカンスがあるようです。

日本に比べかなり医学的技術重視で、はじめての血圧測定でコロトコフ音が聞こえなくて戸惑っているなど、日本と同じような微笑ましい演習風景はみられましたが、病院実習では、採血、抜糸、ギブスカットなど、日本の看護学生には許可されていない医療技術を徒弟的に学んでいて、学生も患者もハラハラドキドキの場面ばかり。それも、学校の教官と実習場での指導教官は全く別人で、学生は5週間にもわたる実習を実習場の指導教官から厳しく学んでいるようです。かなり強硬なカリキュラムですが、どんどん実習の体験の幅を狭めてきた日本と異なり、実践家を育てる一つの方法として再注目できるものです。

実習が終わると学生は学校に戻ってきて、学校の教官から面接を受けます。人の死に向き合った胸が痛む体験、女性患者ならいいが男性患者は苦手だと思った場面、故郷に帰りたいが頑張っている男性学生、実は看護助手と管理人もやりながらの実習で週7日間で大変な生活、空き巣に入られパソコンもとられ勉強に手がつかない現状、観ているこちらも涙が出そうな、人としての看護学生が、面接によって引き出されます。学校の教官は、一緒に涙ぐみながらも「孤独か勉強かいま何が問題?」と一定の距離で問いかけ学生を立ち上がらせます。日本だったら聴きすぎて逆にもっと依存させるのではないかと文化差を感じましたが、この学校は年齢、民族他、多様性が高い学生を抱えていたので、それらが、こうした教官のスタンスを決めていたのかもしれないと思います。

 

監督は「ぼくの好きな先生」「かつて、ノルマンディで」で知られるニコラ・フィリベール監督で、2016年に救命救急で一命をとりとめた体験がきっかけで、この映画に着手したそうです。病院実習や学生の語りの後ろに医療の抱える社会的問題もみせる映画です。

 

看護師は全ての人々に対して

耳を傾け助言し

教育および看護をする

出自や慣習 社会的な地位や

家庭環境 信仰 宗教 障がい

健康状態 年齢 性別

保険の有無にかかわらず

平等に看護を提供する

 

 

本編より

 

 

心の回復と芸術活動

10月中旬に箱根ヶ崎にある瑞穂町郷土資料館で開催された、精神障害者によるギャラリートークに参加してきました。平川病院などで長く造形教室を主宰されてきた安彦講平先生、地域活動支援センターひまわりで活動されている山本真由美先生による支援のもとに創作された作品の数々を、作者の語りによって紹介されるという企画でした。

精神科病院には学生の実習指導でしばしば行っているものの、急性期の病棟に通っていると、行くたびに入院患者は入退院によって変わっているし、学生には人としての理解と言いながらも、地域生活を含めた場面に参加したり、回復の途上をともにさせて頂きながら実習をすすめるような機会が少なくなっていたこともあってか、とても新鮮なインパクトを受け、あたらめて、作品と作者の語りをを通して、人の回復とは何なのか、考えさせられました。

なかでも、収容所となっていた精神科病院時代の病院の黒い扉を描いた名倉氏の作品は、強く心に残っています。何重にも重なった鉄格子とその奥に見える黒い扉。最近の病棟は新築され鉄格子が取り除かれ、外観もきれいになってきてはいますが、入院することへの思いは同じではないかとよぎりました。

看護師は日常性にかかわるうちに、心の内面よりも食事や入浴など日々がつつがなく進んでいくことに気持ちをとられることがしばしばありますので、日常性のなかでの一瞬一瞬の人の感情や思いに敏感になれる人を育てていきたい、とこれもあらためて思いました。

 

11月19日にプシコナウティカの会に安彦先生が来られる予定です。

主催の井上先生にお声がけ頂き、私も感想など述べさせて頂くことになりました。

以下、井上芳保先生によるお知らせです。

 

第20回 プシコナウティカの会のご案内 ―――――――――――――――――――――――

日時 2019年11月9日(土) 13:00~17:00

場所 東中野区民活動センター洋室1&2号 (「公教育研究会」名で予約) 

〒164-0003 東京都中野区東中野五丁目27番5号 電話 03-3364-6677

アクセス方法  JR「東中野」駅東口北側から徒歩8分・都営大江戸線東中野」駅から徒歩12分・東京メトロ東西線「落合」駅3番出口から徒歩5分 https://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/174100/d002446.html

テーマ 臨“生”(りんしょう) アートの原点を考える

報告者 安彦講平 (あびこ・こうへい 東京足立病院、平川病院「造形教室」主宰)

報告者プロフィールに代えて 「造形教室を主宰する安彦講平は、1967年から約40年にわたり、精神病院の中で心を病む人たちと共に歩んできた。その理念は近年よく目にする「芸術療法」や「アートセラピー」とは異なり、「参加者が主体的にアトリエに集い、外から与えられたり指導されたりするのではなく、身を持った自由な自己表現を通じて自らを“癒し”、また支えていく営み」を大切にしたものである。映画はこの造形教室を舞台に、心病む人たちが芸術を生きる支えとし、安彦と共に歩んだ10年間の営みを映し出す(なお安彦の造形教室は平川病院以外にも、東京足立病院〔足立区・67年~現在〕、丘の上病院〔八王子市・70~95年〕、袋田病院〔茨城県久慈郡・01年~〕でも営まれている)」

(月刊「ノーマライゼーション 障害者の福祉」20091月号(第29巻 通巻330号)映画「破片のきらめき」紹介記事より)

コメンテータ 榊 恵子 (さかき・けいこ 神奈川県立保健福祉大学教授、精神看護学)

----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

今回は、長年にわたって精神科病院で「造形教室」を主宰して来られた安彦講平さんに話して頂けることになりました。安彦さんは第17回の「古井由吉『杳子』を読む」(5月25日、武田秀夫さんの報告)の場に来て下さいました。そしてパターナリズムの功罪が議論され、「する-される関係」をどう問うべきかが話題になった時に、「臨床」を「「臨“生”」と読み替えてみたらどうなるだろうと提言されたのです。とても興味深いお話でした。

刺激を受けた私はお手紙を差し上げ、八王子の平川病院を訪れ「造形教室」を見学させて頂くことになりました。9月13日のことです。アトリエの入口には「芸術とは治ってはいけない病気なのだ」と書かれたモザイク作品があり、中ではメンバーが熱心に創作活動中。明るくて活気があって居心地の良い場所でした。「臨床」という捉え方だと彼らは「患者さん」ですが、その呼び方はふさわしくない雰囲気でした。「「臨“生”」の視点から捉えると、「病」というものの見え方も変わってくるようです。それは人生の中で誰にも起こりうる、一つのポジティヴな状態に他ならないのだと。以前に取り上げた「病者の光学」(ニーチェ)という概念を思い出しました。

当日は、造形教室の様子のわかる動画(「破片のきらめき」とは別のもの)を最初に映して開始する予定です。コメンテータは、1944年のブラジルにて女性の精神科医が行った実践を描いた映画「ニーゼと光のアトリエ」を紹介する文章を以前に『社会臨床雑誌』25巻1号に寄稿して下さった榊恵子さんにお願いしました。気づいたことを自由に話していただきます。「第6回 心のアート展 臨“生”芸術宣言!」のパンフレットに「臨“生”」を説明する文章と魅力的な詩が載っていたので下記に紹介しておきます。当日がとても楽しみです。  (文責 井上芳保)

----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

「臨“生”」とは、それぞれ、その時の、その人の生に臨んで全体を見る、全体に向き合う、という意味が込められている。従来の医療分野における「臨床」つまり、病気、障害、老年など、床に臥している人、援助を求めている人の傍らに寄り添い、治療、あたたかく見守ってあげる、安全であるように気配りしてあげる、という意味合いには、弱者・強者の段差、境界を隔ててきた関係性がついてまわる。

「心のアート展」の作品群は、上から与えられ、課せられ、外から評価、解釈されるものではなく、それぞれが表現の主体となって自由に描き、作り、身をもった自己表現の体験を通して、もう一人の自分と出会い、潜在する個性や可能性を引き出し、癒し、支えていく「臨“生”」のアートである。

 作品は観る人の立ち位置、視点・観点によって様々に変化、変容する。自己の現況と向き合った表現を通して、観る側もまた自己を開示し、自己と向き合う契機がもたらされる。「向く」の「む」は、古語では「身」であり、「合う」とは「交わり」であるという。つまり「向き合う」とは、身をもって交わることであり、それは“生”の全体と向き合うことに他ならない。

 生老病死、生きることは老いていくことであり、その途上、病い、障害、天然自然の様々な災厄に遭遇する。その時々の困難に向き合っていくことが、生命活動の絶え間ない営み、“生”であり、生命の計り知れない深淵との架け橋として「臨“生”芸術」は人間的感性の営為である。

 

臨“生”芸術宣言!

 

風に向かって叫ぶ

わたしは 何のために生きているのですか?

 

閉められた扉の前で

壊れゆく自分

 

出来ることを求める声が

普通という価値観を 冷たく尖らせていく

 

そばにいる人たちに受け入れてもらえるように

性格を削っていく

その痛み・・・

 

変えられないものがあるとしたら

それは いまの自分にとって 一番に大切にすべきもの

わたし に広がる世界は わたしが受け取った世界なのだから

 

声にならない叫びや 溢れ出す悲しみ

誰かにぶつけたら暴力とも言われる怒りを抱えながら

一本の線が 昨日と今日とを繋いでいく

 

風の中に答えを求めながら

何もかもを赦して この道を生きたい

 

そして 病むという苦しみを知った人の声を聞こうと

それを切望する人に出逢う時

わたしは心を開いて あなたの苦しみに触れよう

 

上記の文章と詩は、「第6回 心のアート展 臨“生”芸術宣言!-――生に向き合うことから」(2017627日~72日 東京芸術劇場、一般社団法人東京精神科病院協会主催) パンフレットより抜粋

 

 

 

 

身体・霊・死 の記憶


二年半前に東京都庭園美術館で行われたクリスチャン・ボルタンスキー展に行きました。再来日の展示、それも今回は、50年の軌跡―待望の大回顧展、とあり、国立新美術館に行ってきました。


f:id:keikonsakaki:20190718220654j:image

会場内はかなり広く、幾つかの展示が同時に開催されていました。


f:id:keikonsakaki:20190718220704j:image


f:id:keikonsakaki:20190718220729j:image

平日に関わらず老若男女、途切れることのない人々ー。

 

ところが、最初の部屋で咳と嘔吐の男性の映像、続けてマネキンをなめ回す男性。途中で退座する観客もいるほど、なまめかしく吐き気をもよおさせる映像ではじまりました。

次の部屋からは白黒写真がバネルになって沢山展示されていました。そこに、背中から、前の部屋の咳のごほごほする音がのしかかってきます。

居場所がなく気持ちがさまようようでした。すると、庭園美術館でみたような、小さな影絵で造られた部屋が見えてきて覗いてみました。骸骨やら藁人形やらの影絵で心休まるというのでもないのですが、あのはしっぽに小さくなって座り込みたいという衝動が起こりました。

けれども、先に足を進めてみると、心臓の鼓動を響かせ天井の電球を鼓動に合わせて点滅させている部屋に。さらに広間に写真、写真。比較的若い小さい子どもの写真が多いのですが、ぼかしてあったり、同じものを繰り返し貼ってあったり、大判、小さい写真とさまざまです。ただ底抜けの笑顔はなく、どこかに苦痛がこもっていて、苦しい気持ちになります。そこに背中から、鼓動や咳が被さってきます。

 

ーようやく金属音の風鈴が聞こえてきて少しほっとしました。


f:id:keikonsakaki:20190718222353j:image

しかし、室内には不安や恐怖があります。


f:id:keikonsakaki:20190718222448j:image

 

この世界に居続けるのは辛いと思います。咳や舐めるといった身体的に迫ってくる感触と死の表現が重なることで、観る者の身体記憶に苦痛や死が侵入してくる迫力がありました。

展示場という場の設定や人の多さが何とか世俗的な現実的な雰囲気に引っ張り、自我が支えられるといった感覚でした。

9月2日までの展示です。

 

精神障害者の地域移行支援と基礎教育

10日ほど前に、日本精神保健看護学会のワークショップで、精神看護学教育について話し合う機会を持ちました。地域や臨床では精神障害者の地域移行支援について取り組まれていますが、まだまだ社会的入院患者が多いなか、基礎教育における、現状や将来に向けた取り組みも十分とは言えません。

看護師が地域で精神障害者を支援する場は、訪問看護や外来看護の場が主になりますが、実際にそうした場で基礎教育の時から実習させて頂く機会は少なく、病院実習が主流のためか、学生は患者のゴールを実感しにくく、患者の持てる力を低くみてしまうことも多いように感じています。一方、訪問看護の実習となると、お宅に訪問させて頂くために必要なコミュニケーション力などが不足しているため、実習指導者の負担が生じ訪問看護の利用者である地域で暮らす精神障害者にもご負担が出る場合もあるかもしれません。そのような実情があり、遅々として進まないのです。

話し合いでは、病院実習で病院という場に慣れたり、患者理解を進めるので精いっぱいではないかという学生のキャパシティを案じる意見がでました。しかし一方で、地域保健施設での実習を進めている実際の方法や、入院患者の退院時訪問への学生の同行を勧める案がでました。

参加者は定員いっぱいで関心の高さがうかがえました。当事者のご参加も頂きました。基礎教育は、今後、精神科看護に携わっていく学生を対象としているからこそ、繰り返し、地域移行支援と精神看護学実習の方向や実際について情報を共有したり話し合う必要性があると実感しました。