現代大学生

ウェイ系にも意識高い系にもなりきれない慶応ボーイ

非日常と日常の音

普段生活をしていて「音」を全く受容しない時間はない。

無音室に居ない限り、どこにいても何かしらの「音」を私たちは聞いている。

しかし「音」が意識に上ってこない時間はある。

例えば読書に夢中になっている時、「音」を感じないことがある。

私は学校の課題で無音を録音しようとした時、以上に事実に気がついた。

私たちは「音」から逃れることができない。

 

転じて

耳では受容していないのに感じる「音」というのもある。

例えばホームを歩いているとき、一定のリズムで聞こえるヒールの音。

例えば電車が刻む一定のリズム。

リズムを刻む時、私たちは、何かの「音」で例える。

タン、タン、タン

ズッタ、ズッタ、ズッタ

 

 

作曲すること

Aviciiを知っているだろうか。彼の音楽は記憶に残る。

現代的な電子音、ダンスミュージック。

よくあるクラブミュージックの様でもあるが彼の音楽のリズムはなぜか記憶に、残る。

そこである疑問が湧いた。

「彼は音楽を理論で創っているのか、感覚で創っているのか」

彼の曲をいくつか聴いてみると、共通点を感じることができる。

しかしそれを言葉にしろと言われると、難しい。

彼はこの類似性を故意に演出しているのだろうか。

 

答えは、分からない。

私たちは彼の素性を作品とメディアを通してでしか知ることができない。

これだけ記憶に残り、多くの人にまた聴きたいと思わせる曲を創る過程を見てみたい。

しかし、私たちは消費者でしかない。

今までもこれからも彼のプロダクトを消費するだけだ。

現代の大学生

最近の大学生は…

「意識が高い」「大学生活を人生の夏休みだと思っている」

双方とも事実だ

どちらの大学生もいる

岡田斗司夫評価経済社会によると、

「いかに他人に評価されるかに最も関心がある」ことが現代の若者の特徴である

私も彼の考えに強く共感した。それと同時にこれは文化の変化であり必ずしも悪いことであるとは言えないと思った。時代が変われば文化も変わる。

先の本によれば、資本主義社会、拝金主義社会の中では年収が高いことが善とされ、求めるべきものであったがしかし、現代は違う、現代の若者の天秤はやりがい>年収である。

 

私はこの考えに同意した。しかし拝金主義であり資本主義社会を美と考える若者も依然として多いと私は感じた。私自身、資本主義に賛成であるし、やりがいよりも、外資系金融やコンサルで鬼の様に忙しく働き、使い切れない程の年収を得る生活を3年してもいいかなと思っている。慶応というそれなりに高学歴な学校に通い日々思うが、友人でもそのように考る人は少数ではない。

ただ、時代は変化している。

今後は更にやりがいを重視する若者が増えるだろう。

これは経済的視点で考えると良いことだ。

経済の大原則は、「いかに効率良く資源を配分できるか」だ。

やりがいを重視し、年収にこだわらない若者が高齢者を介護する職に就き、安い給料に文句も言わず働く。その人材を管理するのは資本主義信者の同年代の若者。彼らは稼いだ金で六本木で朝まで飲み歩く。双方幸せ。万々歳。

 

以上