エストニア法人の年次報告書について
エストニアで起業した後のプロセスで大事なことがあるのでそれについて解説します。
年次報告書とは
日本で言うところの決算のようなものですが、売上の有無に関わらず、決算日から6ヶ月以内に報告書を提出しなければいけません。
これを怠ると、罰金か法人登録の取り消しになるそうです。
先日、1officeからメールで年次報告(Annual Report)をするようにとの通達があり、忘れていたので、慌てて行いました。
僕の場合は、決算日が12月31日だったので、今月中にレポート提出しないと大変なことになっていたと思われます。
年次報告(Annual Report)の提出方法
この資料を使えば、一番詳細に説明があるので、こちらのページを参照しながらAnnual Reportを作っていけば、大丈夫です。
http://abiinfo.rik.ee/efilingguideofannualreports
大雑把に今回の手続きについて説明します。(僕も探り探りで起業しているので、間違っていることもあるのでご了承ください。)
e-residencyカードでログイン
まず、Company registration portalにログインしてください。
ログインすると、こんな画面が出てくると思います。
この画面の上部にある「Annual Report」をクリックし、手続きを行なっていきます。
Annual Reportを作成する
この画面にたどり着いたら、E-filing guideの資料に従い手続きを進めてください。
※このガイドは、少し古いサイトになっているようなので、多少フォーマットが違いますが、とても参考になるので利用してください。
1)Persons registered for entering dataを入力
2)Registred sworn auditor/audit firmを入力
3)Reports to be submittedを入力
このプロセスで解説が行われています。
Compiling a report
このページで「Filling in reporting forms」からフォームの記入を行います。
売上が報告年度で発生しなかった場合は、「Breakdown of sales revenue」から報告資料を作成します。
1〜4まで終わると、
ドキュメントがアップロードされて、手続きが終了します。
エストニアで起業された方は、決算日から6ヶ月以内に年次報告を行う必要があるので、手続きをお忘れなく。
"お金"が地球を滅ぼす
金融資本主義に対して、問題提起を行っていますが、今回はお金が地球環境に悪影響を与える理由を説明します。
なぜ、お金が地球を滅ぼすのか?
以下の図がすべてなのですが、補足説明をしていきます。
まず、基本概念として"お金"があれば、ある程度のモノを買うことができます。
ビルゲイツのような大富豪であれば、お金で売買されているものであれば、いくらでも手に入れることができます。
つまり、お金を持っていれば、「好きな物を好きなだけ買う」ことができます。
では、そもそも世界全体に流通しているお金の量はどれだけあるでしょうか?
"お金"について
世界銀行の発表した2017年の世界の通貨発給量は、1京円(87.9兆ドル)です。10年間で7割も増加しているようです。
お金は、不思議なことに増え続けていきます。たとえ使っても誰かはお金として使えるので、価値が減ることはありません。
"モノ"について
お金は、お金自体に価値があるわけではなく、何かと交換できるから価値があるわけです。その交換する先の"モノ"について考えてみましょう。
1日のライフスタイルに沿って考えましょう。
1)朝食を食べます。2)身支度を整えます。3)電車に乗って通勤します。4)仕事をします。5)同僚とレストランでランチをします。6)電車で帰宅します。7)夕食を食べます。8)布団で寝ます。
大きく、8つに分けましたが、このほとんどに経済活動があり、お金を使っているわけです。「お金を使うこと=地球資源を使うこと」と置き換えることも可能です。
つまり、我々は地球資源を使うためにお金を支払っています。(労働力のような人的資源も支払っていますが、人的資源も地球資源と考えることもできます)
では、その地球資源は、無限に地球にあるでしょうか?使えば使うほど地球資源はどうなりますか?
小学生でも答えられる答えですが、地球資源は有限で、使えば使うほど無くなります。
"お金"と"モノ"の関係性
何かおかしいことに気が付いたでしょうか?
お金は年を追うごとに増加しているのに、資源は年を追うごとに減少しています。
お金は使っても無くならないのに、資源は使うと無くなってしまいます。
お金とモノは、反比例しているのです。
ここで言いたいのは、「俺が稼いだカネなんだから、好き勝手に使わせろ」という論理がまかり通る現代社会がどれだけ愚かであるかということです。
お金を稼ぎ、地球資源を無駄遣いすることは、我々の子世代、孫世代を苦しめるだけなのです。
食品廃棄問題や森林伐採、漁業の乱獲などの問題は、まさに、利益追求の生み出した最たる問題だと認識してます。
最後に
個人にできることとしては、お金の使い方を変えることです。
エシカル商品の購入やフェアトレード商品の購入に切り替えることもしましょう。
また、次世代や地球の未来を真剣に考え実行する企業や団体に積極的に関わり、そこに出資したり寄付することも個人ができる努力だと思います。
20世紀までの資本主義は、私利私欲を発散し、自分さえ良ければ経済(利己主義経済)でした。しかし、21世紀の人類は、先人たちの努力によってモノの豊かさを手に入れ、さらに先の全生命体、地球の行く末を思考できるだけのゆとりを手に入れました。
21世紀という大きく変革する時代に生まれた我々は、次世代の人類と全生命体のためにこの地球の行く末を舵取りする大きな責任があると思います。
僕は、このことに気づいてしまったという責任と使命を感じているので、自分の人生を捧げ、命をかける覚悟で、感謝経済を提案しています。
感謝経済の社会的背景
前回は、「感謝経済とは何か?」ということを説明しました。
今回は、「なぜ感謝経済が今の時代に必要なのか?」を時代的背景か紐解いていきます。
感謝経済の社会的背景
現代社会は、過去に類を見ないほどの急激な成長を成し遂げました。先進国においては、衣食住が十二分に整い、家電製品も自動車もほとんどの家庭に浸透しています。
この発展によって、肥満や食品ロスが社会問題になったり、自動車の排気ガスによる環境破壊が起こっていたりと経済的に"豊か"になったが故の社会問題が世界中で起きています。
現代の豊かな社会を築き上げたのは、他でもなく資本主義という経済プラットフォームでしょう。
15世紀:大航海時代
時代は遡り、15世紀の大航海時代あたりから生まれたのが、現代にも繋がる資本主義です。この時代は、当たり前ですがインターネットも飛行機もありません。上下水道すら整備されていないため、ペストと呼ばれる死の病が大流行し、多くの死者がでました。
つまり、全くもって物質的な豊かさを持っていない時代です。アブラハム・マズローの欲求5段階説に基づくと、1~2段階目である生理的欲求と安全欲求が不十分な状態でした。そのような時代に、資本主義のタネが生まれたのでした。
また、16世紀の哲学者ジョン・ロックの提唱した所有権という概念もまた資本主義の前提となりました。(私的所有権を行使することで、地球を生命体ではなく、物質と捉え、利己的に扱うことを許される原因になります。)
18世紀:産業革命時代
その後、18世紀後半になるとイギリスを起点に産業革命が起き、一気に機械工業化していきました。
かの有名な「国富論」の著者であるアダム・スミスも18世紀の経済学者です。この時代は、15世紀に比べれば豊かになりましたが、まだまだ満足できるほどではありません。
この18世紀の産業革命によって近代資本主義の基礎が創られました。
20世紀:世界大戦時代
20世紀には、二度の世界大戦が繰り広げられた世界戦争の世紀と言えるかもしれません。第一次世界大戦は、大不況から立ち直るための植民地化が引き金になりました。第二次世界大戦は、アメリカで始まった世界大恐慌の影響を受けたドイツがポーランドへの侵攻によって始まりました。
こうして、経済的理由から世界大戦が勃発したのが20世紀でした。マズローの欲求5段階説に話を戻すと、自国民の生理的欲求と安全欲求が満たされなくなると、経済的に追い詰められ戦争に発展しているようにも伺えます。
第二次世界大戦後、日本では戦後復興を掲げ、高度経済成長時代・バブル経済を経験し、モノが世の中に行き渡りました。
アメリカは、太平洋戦争で本土が戦場にならなかったことが幸いし、軍需景気による恩恵を受けて、大戦後はアメリカ中心の経済時代が訪れました。
一方ヨーロッパでは、ソ連が台頭し、ドイツが二つに分裂するのなど資本主義と共産主義が入り混じる時代ではありましたが、西ドイツとフランスの平和的歩み寄りによってEUの礎となる欧州石炭鉄鋼共同体が生まれた。資源や領土の奪い合いではなく、協力しあい分け合うという平和的解決によって、経済を復興させました。
20世紀後半の1990年代になると、徐々に情報革命が起きテクノロジー(情報技術)の急激な成長によって、モノの限界費用が下がり、物質的豊かさを享受していった。このテクノロジーの発展の要因になったのは、間違いなく戦争でしょう。
資本主義の経済成長やイノベーションには、戦争という軍事産業が欠かせない存在です。
21世紀:精神文明時代
今世紀である21世紀は、人類史上もっとも平和かつ物質的豊かさを手に入れた文明であろう。その21世紀に突入して、18年目に差し掛かりました。
先進国においては、生まれた頃からモノがありふれているため、物欲を持たない世代が国境を超え地球中で登場しました。
そして、物質的豊かさを追い求める経済システムに違和感を覚え、心の豊かさを求めているのが我々ミレニアル世代です。
先ほどから、”先進国”とあえて限定させている理由は、日本をはじめとする先進国の経済成長のために、それ以外の力の弱い国々を利用してきたからです。
言うなれば、少し自由度が増した植民地時代とでも表現してみよう。その結果、我々は金銭的に安くモノを手に入れることができています。
ファストフードやファストファッションのような安くて良質な製品/サービスを手にできるのは、多国籍企業による奴隷制度のおかげと言えます。
このように、物質的豊かさを手に入れた我々先進諸国の人々は、今違和感を覚えています。「私たちは、本当に幸せなのか?」という疑問です。
我々日本人は、世界第3位のGDP(モノの豊かさ)の経済大国に暮らし、73年間戦争をしない平和な時代を歩んでいます。しかし、幸福度ランキングでは先進国最下位ですし、首都圏では毎日人身事故が起き、自殺者が後を絶ちません。
お金を稼ぎ、何不自由ない生活ができているにも関わらず、何かが足りないと。そして、私たちが豊かになればなるほど、世界では不幸になっている人たちがいるという事実もリアルタイムで知ることができるようになりました。
感謝経済と欲求5段階説
マズローの欲求5段階説を持ち出すと、20世紀後半から現在に至るまでに生理的欲求も安全欲求も満たすことができました。インターネットの登場で、社会的欲求や承認欲求も拡張した形で”埋める”ことが可能になりました。
しかし、社会的欲求から上の欲求は、資本主義では満たせないと私たちは考えています。なぜなら、資本主義はモノの豊かさを追求するために開発されたツールだから。そのため、競争の原理によって淘汰されるように促します。
豊かな人が5人いるなら、それとバランスするために、貧しい人が95人いないと成り立たないため、常に足の引っ張り合いや裏切りをしなければ、自分が生き残れない世界が資本主義です。
あなたは、互いに競い合い、Give&Takeの関係性を求められ奪い合い、足の引っ張り合いを強要されるコミュニティに属したいと思いますか?私は”No"です。
つまり、資本主義で成り立つコミュニティは、居心地が悪いコミュニティになってしまいます。
今日、我々が抱く”違和感”は、資本主義というモノの豊かさを追求するツールを使って心の豊かさを追求しようとしている点にあるのではないでしょうか。
私たちは、資本主義をアップデートするのではなく、経済の原点(家計の学問)である"家族"的な贈与への原点回帰として、心の豊かさを追求するツールとして感謝経済を提案しています。
今回、感謝経済に共感していただけた方は、ぜひ感謝経済の創り手になってください!
月1,000円から創り手に回れます!
*ファンクラブの会費は、感謝経済圏をよりよくするために使います。
エストニアがデジタルノマドビザの計画を発表
電子国家を成し遂げ、世界中から電子国民を誘致するエストニアはついにデジタルノマド向けのビザの計画を始めました。
デジタルノマドとは
デジタルノマドとは、世界中を転々としながら遊牧民のように「旅をするように生きる」ライフスタイルです。
デジタルノマドビザ
そのエストニアがついに、デジタルノマド向けのビザを発給する計画を公開しました。
今までは、ビザ発給には高い基準をクリアしなければならず、エストニア企業に就職するのが最短距離だと言われていました。
最近、スタートアップビザが発給されるようになりましたが、”スタートアップ“でなければいけないので、デジタルノマド(フリーランス)では難しいようです。
もしかすると世界一デジタルノマドに優しい国エストニアになる日は近いかもしれません。
おそらく、デジタルノマドビザを取得するためには、e-residencyの取得やエストニアでの起業は必須になると思うので、このタイミングで申請することもおススメです!
e-residencyについて
エストニアで起業する
感謝経済(Thanks Economy)について
感謝経済とは
感謝経済とは、「ありがとう」(感謝)で成り立つ経済のことです。既存の言葉で言い換えれば、ギフトエコノミー(贈与経済)、ペイフォワード(恩送り)という概念と置き換えることもできます。
僕らは、感謝経済によって資本主義0.0(資本主義の原点回帰)を目指しています。
資本主義が、現状を否定し成長する経済であるならば、感謝経済は、現状を肯定し満足する経済です。
言い換えると、「足るを知る経済」と言えます。
金融資本主義の限界
従来の金融資本主義では、満たされることのない無限の欲望をコマーシャリズムによって掻き立て、必死にその欲望を満たそうとお金を稼ぎ、モノを消費することで経済を発展させてきました。
GDPを指標とする経済成長を目指すあまり、人々が"今"という時間を犠牲にして、数字を稼ぎ、欲望を満たそうと消費を続け、世間が作り出した虚像な”幸せ”を目指したことで人々が疲弊していきました。
そのことに端を発したのが、ヒッピーカルチャーやミニマリズムです。
現在でも、ポスト資本主義を目指す活動家やオフグリッドで新たな経済圏を作ろうとする人たちが世界中にいます。
時代の変容
20世紀中盤までは、衛生面、健康面の十分な環境が整っていなかったため、生産活動が盛んに行われてきました。
しかし、20世紀後半からモノの豊かさの時代から心の豊かさの時代へと移行している中、21世紀の今日でも未だにモノの豊かさを示すGDPを最大の指標としています。
これでは、21世紀を生きる人々の価値観と経済のあり方が大きく乖離してしまいます。
国家のような大きなコミュニティが変革を行うには、長い時間がかかることは事実です。
国家という大きな単位では、数十年という長い時間をかけながらゆっくり変化していくことしかできません。
僕らは、国や社会を”変える”のではなく、自らの手で社会を”創る”ほうが早いのではないかという結論に至りました。
"みんな"で創る経済
資本主義も社会主義も共産主義も貨幣経済も全て"エリート"と呼ばれる人たちの手によってトップダウン式にルールが創られ、人々に押し付けられてきました。
感謝経済は、ボトムアップ式のみんなで創る経済を目指し試行錯誤をしながら育てていこうと考えています。
このボトムアップ式の経済が実現できるのもインターネットやブロックチェーンのようなテクノロジーのお陰です。先人たちが、「世界を良くしよう」と命を燃やして創りあげてくれたこの結晶を新たなフェーズに持っていくために、僕は命を掛けています。
まだこの世に生まれていない次世代が地球という星で幸せに暮らせる世を創るために感謝経済を創りたいです。
もし、共感いただける方がいたらぜひ一緒に創りましょう!
人生は"無駄"である
僕の人生哲学の一つに「人生は無駄である」というものがあります。
それに関して、今日は書きます。
なぜ、人生は無駄なのか?
"無駄"という言葉の語源から考えてみましょう。
無駄の語源を調べてみると、"駄"というのは、馬に積んだ荷物のことを表しているようです。昔は、荷物を運ぶときに当然のことながら車や船のようなものはなく、馬を使っていました。馬の運送屋みたいなのがあり、何も荷物を乗せずに歩いている馬がいるとその馬の分だけ売上が減ってしまうわけです。なので、そのことを"無駄飯"と言ったようです。それが短くなったのが現代でも言われている"無駄"という意味らしいです。
僕がなぜ、人生を無駄と定義する理由は、経済合理性の上で"無駄"と判断される時間の方が幸福度の高い人生だと感じるからです。
どういうことかといえば、経済合理性に基づいた無駄のない人生とは、365日毎日せっせと働き、お金を稼ぎ、豪邸に住み高級車を乗り回し、家庭を作り、子供の教育にお金を投資し、子供が巣立ってからは、貯金と年金でのんびり過ごす。
という世間で言われる成功者のロールモデルです。
僕はどうしても、この考え方に違和感を覚えてなりません。
なぜなら、365日成功を夢見て、せっせと働き、お金を稼ぎ、欲望に任せて使い、また稼ぐ。
こんな人生は平凡だなと。
経済合理性で考えれば、「時は金なり」ということわざ通りで、暇な時間を極限まで減らし、お金が儲かることに時間もお金も投資していく人生ですが、果たして本当にそれは幸せになれるでしょうか?
おそらく、お金持ちにはなれますし、成功者になれるでしょう。
僕は、お金持ちにも成功者にも興味はなく、自分が"幸せ"と感じる人生を"今"味わいたいんです。
だって、人間は"今この瞬間"しか生きていられないので。我々は、過去の記憶を持ち、未来を想像しながら生きています。しかし、リアルに生きられるのは現在だけです。
今の積み重ねでしか、未来はありませんし、過去もありません。
今現在が幸せでなければ、過去の記憶も幸せではありませんし、未来の幸せなど思い描けません。
僕にとって幸せだと感じる瞬間は、気の合う仲間とお酒を飲みながらくだらない話をしているときや、哲学的な話をしているとき、夜空をみながらぼーとしているとき、旅をしているときなどです。
こうやって「幸せ」を感じる瞬間をまとめてみると、案外身近にありますし、経済的に考えると無駄な時間と捉えられるものばかりです。
そのため、僕の人生哲学においては、この無駄な時間を最上な人生と考えているため、人生は無駄であると定義しています。
無駄を生むことの幸せ
最近、よく考えることがあります。
それは、自分が創っている感謝経済も無駄だなぁと思うのです。
なぜなら、今の価値観に置いて、今作るものは次世代の人類から見たら古いものだったり、しがらみになったりするものだからです。
全てのものは、時間軸は異なるものの"諸行無常"です。
なので、感謝経済も諸行無常なので、どんどん時間が流れる中で変化しますし、全く真逆に進むこともあります。
資本主義だって同じです。500年ほど前に先人が世界をより良くしようと生まれた資本主義ですが、21世紀を生きる我々は資本主義に対して異を唱えています。
このように、次世代にとっては価値の無いものと見なされる可能性は大いにあるわけです。
そのように考えると、感謝経済もまた無駄な創作なのかもしれません。
しかし、この感謝経済を構築するという想いを人に伝え、共感を受け、一緒に創る過程そのものが自分にとって"幸せ"だと感じるんです。
しかも、その感謝経済は、21世紀を生きる我々にとって希望の光でもあるわけです。
資本主義という単一的な指標によって成功が定義され、皆が同じ方向に向かう時代から、多様な価値観の人々が互いを尊重しあい、協調性を持って生きていく時代を創ること自体に意味を感じており、生かされている価値さえも感じています。
たとえ、将来世代がポスト感謝経済を目指し立ち上がったとしても、僕はそれはそれで美しいですし、そうなってほしいと願います。
普遍的なものは幻想でしかなく、時とともに移り変わっていくのが自然です。
感謝経済が21世紀を照らす希望の光となれるように今世紀を生きていこうと思っています。
人生は、無駄な時間の方が幸せですし、無駄な創作活動ほどワクワクするものはありません。
男性性と女性性について
先日、ふと思ったことがあったので、それを記事化したいと思います。
「男性性と女性性」という題名を見て何のことかなぁと思われた方もいると思います。
実は先日、あるイベントで「Be a Strong Women!」という言葉を聞いた。
「強い女性になろう」というキーワードは最近よく耳にするようになりました。なぜ、男性である僕がこのことに触れたかと言いますと、最近の「強い女性」に違和感を感じるからです。
「強い女性」「女性活躍」と聞いて、イメージする人といえば、小池百合子知事や立憲民主党の蓮舫議員などが頭に浮かびます。
僕の中で彼女らは、"強い女性"というニュアンスよりも、"男性思考が強い女性"という方が近いです。
つまり、男性社会でいかに立ち振る舞い、のし上るのかという意味において強い女性であるということです。
果たして、それでいいのだろうか?と思うのです。
なぜなら、20世紀までの時代は、男性中心の男性性の強い社会でした。その結果、経済は成長し、モノが豊かになったということも事実ですが、副作用が大きく、環境破壊、経済格差、戦争や紛争、テロリズムなど数々の問題も同時に引き起こしました。
もし、"男性思考が強い女性"が世に溢れた場合、目に見える部分には"女性"と"男性"が対等な立場になったとしても社会構造は男性性の強い社会のままであり、本質的には何も変わらないのではないかと思っています。
男性性は、競争を好み、戦いを好みます。しかし、女性性は逆で、協調性を好み、互いに認め合います。
女性性の強い人は、平和的解決を望み、和を以て貴しとなす姿勢が見られます。
男性性が強い人は、他人よりも上を目指し、時には戦いを持って制する姿勢が見られます。
21世紀は、精神社会の時代です。その時代において、人より抜きん出るために戦いを挑むような時代ではなく、互いに譲歩しあい、支援し合う関係において、持続可能な社会を創るべきです。
その21世紀以降を見据え、次世代に持続可能な社会基盤を残すためには、女性性の強い社会を実現すべき時が来ています。
長らく男性性の強い社会が続いたことで、女性性の社会に変革するのには、大きな力と忍耐力が入ります。
その女性性の強い助け合いの社会を創るために、女性も男性も力を合わせていくべきです。
この意味において、「Be a Strong Women」という言葉を使うべきなのではないかと思うんです。
僕らが創っている感謝経済は、恩贈りで繋がり、助け合いによって支えられながら回る経済です。
男性的な"戦闘"ではなく、女性的な"協調"を目指した社会をジェンダーに関係なく創って行きたいです。