ちっぽけな自分の話

最近考え事をしてる時間が以前より増えて、今生きてる現在の次の瞬間に死が訪れるような感覚に陥ることが多々あります

 

歩いてるところに車が突然突っ込んできて死ぬとかの話ではなくて、自分に何十年後かに訪れるであろう死の瞬間と隣り合わせのように感じるという話です

 

悠久の時の流れの中で、自分が生きてる時間なんてちっぽけに感じて、神さまから見たら自分はちっぽけな存在だろうなんてことを考えたり

 

過去のことを思い出したり、将来の自分に想いを馳せていると

 

意外と人生の終わりが身近に感じたりします

 

自分がいつかは死ぬという事実が重くのしかかってきて、逃がれようはなくて、どうすればいいかわからない

 

死んでしまうことも怖いけど、それ以上に死んだ後のことを考える事も怖いです、自分が死んでも世界は続いていくことの恐怖の方が重くて暗いです

 

自分なしでも世界が続いていくのが怖いのではなくて、自分が死んでるという状態の世界に終わりはないということへの恐怖です

 

書き綴っているうちにまた恐怖に思考を乗っ取られそうになります

 

共感してくれる人がいたらいつでも話したいです

服の話。

久しぶりに書いたあ、

時間あったら読んでね。

 

服の話してみようと思います。

 

 

いつだか忘れたけど、どこかで、

「洋服は何を着るかではなく、誰が着るか。」という言葉を見かけました。

 

この言葉、おれはまさにその通りだと思います。

 

一見かなり厳しい事言ってるようにみえるけど。

 

 

その人がどういう意図で言ったのかは分かりかねるけど、おれはこう思うなってのを書きます。

 

 

 

 

さて、

 

 

 

どんな服でも顔整ってる奴が1番似合うんだよ、服は美男美女が着るのが1番!

 

ってことを言いてえのか?!

って思った人もいると思います、

 

なにも、そんなことが言いたいわけではないのです。

 

この世の中には沢山の種類の服があります、数え切れないほど。

組み合わせは、無限大。

 

 

 

 

そこから服の大まかなタイプ3つを取り上げて、仮にA、B、Cとしましょう。

 

おれは、AもBもCの服も、美男美女がいちばん似合うってわけではないと思うんですね。

 

負け惜しみじゃないよ!!!ww

 

でもどゆこと?

 

というのも、それぞれの人に似合う服があって、この人はAがすごい似合う、この人はBっぽいなあとか。そう思うわけです。

美男美女がいちばん似合うCも、もちろんあると思います。

 

そんでもって、自分の似合うAなりBなりCを見つけて極めてる人って、めっちゃくちゃかっこいいんですよ。男女関係なく。

 

だから、「なにを着るか」、ではなく、「誰が着るか」、だと思うんです。

 

もっと言うと、「誰がなにを着るか」

 

「俺は服似合わねえからさあ、どうでもい〜んだ〜よね〜」なんて言ってる友人がいました。

 

そんな人も、自分がどんなタイプかちょっと考えてみて、自分のドンピシャを見つけてみたらどうでしょう。

 

おれも毎日考えてます。

 

 

ちょっと楽しそうでしょ?

 

大勢の人がそんな事を考えて、もっと服が大好きな人が増えたらいいなって思います。

 

 

自分に似合う服を着れるって、自信にもなるし、すごい幸せな事だと思います。

 

 

 

服大好き!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不死身

みんなは望みを叶えられとしたらなにを望みますか?お金ですか?名誉ですか?

不死身と答える人も中にはいるとおもう
でも俺は、不死身ってとてつもなく深く深く何よりも、考えようによっては死よりも怖いものだと思うんです。

永遠という言葉の意味をもう一度考えてみてください そこには終わりがない果てしない果てしない時間が続きます 終わることができないんです 何万年何億年と宇宙規模の単位の時間を過ごさなければいけないんです 周りの生き物はどんどん死んでいく中自分だけは永遠に生き続けなければいけない これほどの地獄はあるでしょうか

地獄で思い出しましたが、死後の世界についてはどう思いますか?
僕はこれにも、不死身と同じ恐怖を感じます。もし死後の世界があるとしたらそこにはおそらく死という概念が存在しないですよね ここでまたすこし上に書いた恐怖を僕は感じます。 

永遠が怖いなら、生まれ変わるごとに記憶をリセットすればいいんじゃないか?そんな考えも通りましたが全体で見たら結局は永遠です。

でも冷静になり、客観的に見ると生き物が、命がただ一つ消えるだけ。脳が機能しなくなるから感情も意識もなくなる。意識がなくなるんだから永遠の中に生きることなんてできるわけがない。死んだ後は燃えて消えるだけ。フッと自分が消えてしまう。こんな事を考えていると恐怖に押し潰されます。

でもどうせ死ぬんだしかぎりある時間を有効活用しよう、そう思いもします

つかれたからこのくらい。またあした

1年経ったのにまた廻ってきた

1と3が4と6になったような0と10が10と20になったような

形は変われどまた同じ気持ちで見てる
でもここで折れてたら終わることを1年間で学んだんだから
活かしていかなきゃ生きてる意味なんかない

幹から枝が広がったような気もするけど裂けてるだけかもしれない
わかんない
枝を広げすぎて細くなってるかも
枝が多すぎて全部に栄養を送るのが大変なのかもしれない
けど
そこは無理したいんだ大変でも 無理しないと楽しくないんだ

成長しなきゃ何も楽しくない
楽しむためには苦しまなきゃいけない
苦しまずには楽しめない

頑張ります

優しさ

中途半端に優しい人って常識のハードルが高いことの裏返しなんじゃないかってふと思った


例えば、優しい人は誰かがAしてたらBと言う優しさしてあげる(?)ことが当たり前なわけじゃないですか
でもそれって、裏を返せば自分がAをしてたら誰かがBをする事が常識なわけでしょ

本当にほんっっっとうに優しい人なら私は他人にはするけど皆がそんな事私にしなくていいよ!って思うかもしれないけど、中途半端って言い方悪いけど、少しのレベルの優しさで、少しひねくれてる人だったらそう思ってしまうのではないか、と思いました