CAN I TRUST OVER FORTY?

四十までにどれだけ惑えるかを競うブログです

人生バカ一代

おはこんばんちは。髙橋です。

懲りずにまた絵を描いていたらこちらがおざなりになってしまいました。一応仕事は続けています。入院も失踪もしてないです。

今回の絵はとある生放送への投稿だったので、深夜にハガキを完成させたその足でコンビニで酒とつまみを買ってからPCの前に座りながらしこたまブログを書き始めました。随分前に買ったジャックダニエルテネシーハニーが最後の一杯残っていたので(偉いぞ過去の自分)ファミマのナッツ&フルーツを肴に絵を完成させた達成感に酔い痴れております。ああ^~、たまらねぇぜ

そんな変態酒親父はおいておいて、今回はその絵について話でもしようかと思います。

先回チラっとpixivへのリンクを貼って自分の描いた絵を載せましたが、ハッキリ言って才能がないです。真面目に描き始めたのがルサンチマンにまみれた高2、戦国大戦のイラストコンテストに応募したくてペンタブとSAIを導入したのが2011年なので、まあ最初から数えると15年ほど描いてる事になりますが、まあ上達しません。

小説は23だか24の時に書き始めてすぐ短編の最終選考に残ったり金貰ったりできたのですが、絵で貰ったものと言えばGBAのソフト2本くらいなものでしょうか。しかもデザインの賞なので絵の上手さは関係ありません。

となると、何で描いてるんでしょうか。今でも僕自身が訊きたいくらいですが、何かに真面目に取り組んだ事のある方ならば必ずぶち当たる問題だと思います。

絵なんてもっと上手い人が世の中にいっぱいいるんだから、その人たちに任せておけばいいはずなんです。今回の生放送のハガキもそうですけど、採用されなかったり日の目を見なかった絵の末路なんて悲惨なものですよ。しょうがないからpixivに上げて、そこでもまた評価されなくて惨めな思いして。仕事の時間ぬって睡眠時間や遊びの時間削って、仮に、万が一そこそこのお金をまぐれで貰ったとしても時給に換算すればいくらなんだよと、ちょっとでも頭の回る大人なら誰でもそう考えるはずです。

僕も若かった頃何度も何度もそう思いました。賢くないと。童貞のくせに青臭い自意識にまみれたクソ大学生は大嫌いだった大学を背に「お前らなんかとは違う!」と必死に足掻いていたわけですね。ああ典型的大二病。

ただね、それでもあの頃が人生で一番賢かったのは間違いないなと、三十を過ぎてしまった僕は改めて思うわけです。何故でしょうか。

それは、このくだらない世の中に付き合ってまだのうのうと生きている事を選んでいる人間は漏れなく全員バカだからです。

政治家がまたミスをやらかした。国会でくだらない事をしてる。もうこれから先の日本が良くなるビジョンが見えない。はい大正解。

じゃあ何でそんなくだらない世の中に付き合うのか。

何故自分で価値観の違う人間と同棲し、剰え子供を作って茨の道を進もうとするのか。

これはもう、狂奔という外ないのではないでしょうか。少なくとも僕は賢くなろう賢くなろうとし続けた結果、最終的に一番合理的なのはこの世に見切りをつけてさっさと消えてしまう事だと判断しました。仕事もロクにできず、ミスとロスとを振り撒き続ける僕のようなものはエネルギーの無駄なのだと。その事に気付いてしまった瞬間考えるのを辞めてしまったわけです。今なら義務教育がやたらと努力と根性を奨励していたのも何となくわかります。考えたら負け、という側面は人生において少なからずあります。

遮二無二走ってアホな事をしないと見えてこない事も多々ありますし、まさにこの世にアホしかいないのならば、見てるだけより誰が見ていなくてもとりあえず踊っていた方がまだいくらか生産的なのです。その最たる証拠が薩摩隼人ではないでしょうか。史実を知る度にハッキリ言って狂人としか思えない、山口貴由先生の世界観に現実が追い付いてしまうような狂奔さ加減が関ヶ原以降積もりに積もって遂には日本を変えてしまった。知恵棄て、強ちただの蛮勇と捨て置けるものでもないのではないでしょうか。

 

僕にも一応絵を描いている上で目標はありますが、プロになりたいわけではないのです。上手く描けたら今度は早く描かないといけなくなってくるので、美術2にそこまで求めるのは酷だと自分で思います。

でも「金にもならないのに何の為に」と今改めてオトナの人に訊かれたら僕は自信をもってこう答えます。「自分でもよくわかりません!」と(笑)

最近はもう、これくらい適当でいいんじゃないかなと思います。

こういう考え方も不惑に近いところなんでしょうかね、孔子先生?

ニワトリとタマゴ

すみません、三日坊主どころか盛大に間を開けてしまいました。僕です。

この間何やら色々ありまして、検査とは言え人生で初めて入院したり、薬が合ってなかったのか遂に休みの日に外へ遊びに行く気力を削がれたり、絵の締切と格闘したりしておりました。

www.pixiv.net締め切りはこいつです。映画『パシフィック・リム アップライジング』のイラストコンテストがあったので前作も観てたし折角なら、と参加を決めたのですが、ロボットってこんなに描くの難しかったんですね(白痴)

人間の肌なんかと違って形がキッチリ決まってるので(本当は)どこにもウソをつけないんですね。線画に時間を取られ過ぎて塗りまでしっかり手が回りませんでした....

....最近多いんです。このパターン。続けてもう一枚、昨日の休みに投稿したのが

www.pixiv.netこちらなんですが、これもTCG、『ファイアーエムブレム0サイファ)』の公式生放送に間に合わせようとしたら同じく線画に時間がかかり過ぎて、最終的には線画をハガキに印刷し色鉛筆で塗った、というお粗末なものでした。

こちらの締切が3月だったので今の今までずーっと放置していた事になります。実はもう1枚同じような境遇の哀れな線画があるのですが、次はいつになるやら....

 

仕事なんか辞めて絵の勉強したいなあ....とかぼやいてみるのですが、これが今回の本題であります。体調を崩して2日ほど休んだりしてしまったのですが、休日布団から出れなかったりとあまりにも精神状態がよろしくなかったのが伝わってしまったのか、まあ最悪身体を壊すくらいなら辞めた方がいいのではないかという話が出ました。

件のADHDストラテラの処方を得る為に心療内科に一緒に来て貰ったりしたのが功を奏し(?)たのか、5年前辞めた時と違って多少は理解が得られたようです。

(別に辞めたからって事態が好転するとは思えませんが、まあ今の仕事一生やるかと言われると、それもとてもではないですが首肯できません....)

 

じゃあもうさっさと辞めるしかないネ!と本来ならなるはずなのですが、困った問題があります。個人の体調不良と精神の不調以外に辞める理由がないのです。

別に誰も嫌いじゃないんです。むしろお世話になった人はたくさんいます。

そんな中ただでさえ人手不足なのに自分が足抜けしたら不義理ではないかと思うと、どうにも言葉に出して伝えられません。でも頭の調子も相変わらず良かったり悪かったりでもうダメだ即失踪しようと思う事もあれば、まだやれるかも知れないと思ってしまったり....そんな中で確実に体調は悪くなっていきます。

もう職場で倒れてしまいその姿を見せて、涙と鼻水を垂らしながらお願いします辞めさせてくださいと懇願するしか選択肢はないのでしょうか....

情に棹差せば流される、と夏目先生も仰っていましたが、本当にそう思います。

伊達政宗も仁に過ぐれば弱くなると言っていました。....この人は逸話が逸話なので別に真面目に聞かなくてもいいと思いますが。

いや、本質的には仕事が大嫌いなんです。仕事をしなければ生きていけないならじゃあ死ぬね!って割と躊躇いなく言ってしまう人間なんです。どちらかと言えば生まれてはいけなかった種類の人間なんです。

pixivでは髙橋螢参郎を名乗っておりますが、髙橋放子(ヒルコ)に改名したいくらいに

 

ワークライフバランスに気を付けてと高校時代お世話に?なった先生と職場で再会した時に言われました。心遣いには感謝しながらも、前時代的な公務員の世迷言だと内心では切って捨てていました。事実として先日、パート時代にお世話になった店長が店で倒れて右半身麻痺になってしまいました。なんて哀しい、つまらない末路なんでしょう。

見ての通り、努力は報われません。夢も希望もありません。

生きるために働くって本当なのでしょうか?僕はどうしてもそれが信じられずに新卒の就職活動を放棄しました。それが世の中のいろはを何も知らない自殺行為だったと思える程度には、自分も大人になってしまいました。

 

園子温監督の映画『冷たい熱帯魚』に出てくる殺人鬼そっくりの、弊社の人事部長は入社の時こう言いました。

 

「別にどこでだって人死にくらいは起きてるからね?」

 

うるせぇよ。知らねぇよ。俺はお前みたいな大人にだけは死んでもなりたくねぇよ。

 

もしこの時代はパッパラパーのままで生きていけないのなら、僕はパッパラパーを辞めるのではなくて死ぬまでに何をやりたいかを考えたいと思います。

まやかしの世界

突然ですが、僕の趣味はTCGと漫画を読む事です。

他にも余暇に行っている行為としては小説を読んだり書いたり絵を描いたり映画を観たり(ここ数年はめっきり本数が減ってしまいましたが)していたのですが、これらはあくまで自分の創作の為の自己啓発の一環であって、そんな趣味などというレベルのものではないのだと、数年前まで割と本気で思ってました。ええ、バカなんです。

まあ単純にかけた時間と結果として得られるものとの効率が一番良い、という自分との相性もあり、気楽に手に取れるという意味では漫画が最も趣味という言葉に近いのは本当です。人生で一回くらいは真面目に描いてみたいのですが、基本的には読む専です。二十代までは気になったものをどかどか買っていたのですが、流石に最近はあまりにも巻数の多いものは休日前の仕事帰りに漫画喫茶で読むようにしています。一番最近だと刃牙道とケンガンアシュラを最新刊まで読んできました。

が、その二冊は特に今回の話とは関係がありません。毎度前振りが長くて申し訳ない。

話は僕の高校時代に遡ります。

大学受験を控えた高校三年生の頃、特に人と比べて猛烈に努力したわけではなかったのですが、それでもメンタルの弱かった僕は勉強漬けの毎日の中、日に日に憔悴していきました。この一年を犠牲に四年間のモラトリアムをゲットするのだ(実際は夜間で五年かかりましたが)と頭では理解していても、中々キツかった記憶があります。まあ今仕事辞めて代わりに勉強しろって言われたら喜んで毎日机に向かいますけどね。当時は若く、何もわかっていませんでした。

となるとどうやってモチベーションを保つかというと、ニンジンです。必然的に受験の後待ち受ける四年間のモラトリアムには多大なる期待が寄せられ、妄想が募りに募り、幻想にまで膨れ上がります。当然高校三年生のクソ童貞の考える事など大半がセックスアンドザセックスです。ウェーイと飲み会をしたらその帰り道絶対にセックスできると思い込んでいました。彼女ができて休みの日は一日中だらだらとセックスできるものだと思っていました。時々本当にそういうのを達成した人の文章などに触れると自分の浅はかさと羨ましさで蕁麻疹が出ます。死んでくれ。そして俺も死ぬから。

閑話休題、まあセックスはおいといても楽しい大学生活、という幻想が高三の僕の脳みそを埋め尽くしていたわけです。そのイメージを助長していたのが当時買って読んでいた『げんしけん』という作品でした。アニメにもなりました。MANZOさんとアツミサオリさんの素晴らしいOPとEDも相俟って、僕は完全に虜になってしまいました。

(セックスはさておき)受験を終えて桜が咲けば俺もげんしけんみたいな生活が!

 

――そう考えていた時期が、僕にもありました。

 

僕の入った大学は夜間なのもあってかどうなのか(とは言えほぼ同じ歳で現役で入った人ばっかでしたが)、はてまた国文学科だったのがいけなかったのか、皆さんとても真面目な方ばかりでウェーイwwwwwwwww的なノリは一切なく、僕は明後日の方向へと突っ走った上に崖から落ちて、結局学科内に居場所を上手く見つけられませんでした。同じ匂いを感じ取った男女の友達各一名ずつも結局揃って中退しました。次は僕なんだろうなと覚悟を決めましたが、そこは最後までしがみつきました。

もうひとつの希望であったセックスも、結局身の程を知らぬまま彼氏のいる先輩を好きになってしまったが為に何もありませんでした。まあそういう問題でもなくキョロ充のクソデブに彼女が果たしてできたかというと疑問符しか残りませんが、とりあえずげんしけん2で班目が咲さんに告白したシーンは自分に重ねてしまい涙なしには読めませんでした。僕は最後まで言えなかったので。

結局大学前半の思い出と言えばあとはサークルが縁で知り合った先輩(今はTRPG作家をされています。もちろん男)と遊んだ記憶しかありません。僕は現実とのギャップにげんしけんを、木尾士目先生を恨みました。完全に逆恨みです。班目は結局最終的にスーとくっついてあんな事やこんな事をするんだろうけど俺は童貞やぞ、どうしてくれるんだアフタヌーン編集部!ええいヒストリエの新刊はいつになるんだ!

 

しかし賢明なる読者の皆様ならお察しの通り、悪いのは木尾士目先生ではありません。自分でも頭の片隅では何となく理解していたのです。

 

では本当は何が悪いのか。僕はこの体験を以て人生をかけて対峙すべき敵の存在に気付いたのです。NHKの陰謀?違います。全てはイメージ、バイアスなのです。

○○なら○○といった安易なアンチョコこそが正しい人生を曇らせている。そう考えました。更に恐るべき事にそういったまやかしを操って人心を惑わせ、それで利を得ているショッカー並みの秘密結社がいる。そう、電○や博○堂です。

また、JAFCAという団体をご存知でしょうか。日本流行色協会というのですが、この団体は恐るべき事にその年の流行色を決めてしまいます。流行っているからその色になるのではないのです。かわいいと同じくらいの感覚で流行の側を先に作ってしまうんですよ、奴らは!

世の中というものは結局のところ、どこまで行ってもそうしたペテン師のような奴らに誑かされているのであります。恋愛なんてものが最たる例です。とにかく色恋沙汰は金が動く、経済活動なのです。そこを衝いて人心をすかし、煽り、虚実を綯い交ぜにして初体験年齢だとか、とにかく、金を!金を動かさせるんです!本当の事なんて何もないのに.....いいですか、もしね、世の中に魔王なんてものが本当にいるとすれば、それは間違いなく○通と○報堂ですよ。あいつらはラスボスなんです!真の人生を生きる上で唾棄すべき、最低最悪の人類の敵なんですよ!俺は気付いた!だから闘う!

www.pixiv.net....とまあ、当時ハマっていた名著『NHKにようこそ!』の佐藤君ばりの妄執をこじらせて後年書いたのがこの『そんな風に過ごしたい』という短編小説であります。

本当は同じテーマで在学中に三十万字くらい書いた小説があったのですが、それはぽしゃりました。というか、この4万字足らずで同じ事が言えちゃったんですよね。

いやあ、いい経験だった。(と、思うようにしています)

 

で、岬ちゃんはいつうちへ勧誘に来るんです?

人にやさしく

昨日、アニメーション映画『火垂るの墓』で知られる高畑勲氏が亡くなられました。

僕は子どもの頃毎日夕方六時からアニメ漬けで育った世代ではありますが、浅学にして氏の携わった作品と言えば『未来少年コナン』くらいしか観た記憶がなく、火垂るの墓が公開された前後といえば専ら『魔神英雄伝ワタル』の再放送を何度も繰り返し観たりだとか、(最近出たスパロボのムービー見て懐かしさのあまり泣きました)買ってもらったコミックボンボンで読めない漢字が出てくる度親にどう読むのか聞いて一時的に漢字に強くなったりだとか、清太と節子や『母を訪ねて三千里』のマルコと比べるのも失礼なほど呑気な幼少時代を過ごさせて貰いました。記憶は薄いですが世はバブル景気の真っただ中で、僕も当時インドネシアかぶれだった母親にくっついて何度も何度も連れて行って貰った記憶があります。あのキンタマーニ高原も行きました。

そんな暖衣飽食が当たり前の時代に高畑勲氏が火垂るの墓の公開にあたって、「人がやさしいフリをできる間にこの作品で問いかけたかった」と発言されていた事を、逝去の際の報道で知りました。なんというニヒリズムなのでしょうか。

フリ。そうなんです。衣食足りて礼節を知るなどという言葉もありますが、この世の中のやさしさというのはほとんどがやさしいふりなのです。あの半分がやさしさでできているというバファリンもその原価を知れば疑わしくなるように、やさしさとはつまり社会の余力のバロメーターなのであります。福本伸行氏の『賭博破戒録カイジ』で窮地に陥りながらも誠実さを見せた主人公のカイジマザー・テレサのようだと称賛したシーンがありましたが、あれこそが真のやさしさでしょう。

現に火垂るの墓の劇中でも戦時中という極限状態で本来庇護されるべきであるはずの清太と節子に冷たい仕打ちを、あるいは非干渉を喰らわせる年長者というのが出てきますが、我々が戦争とは無縁であるからこそ非難できるのであって、真にああいう状況に置かれたら誰にも責められないはずです。その辺りを絶頂の時期に突き付けられるという事が、高畑勲氏の、世の天才と呼ばれる人々の資格の一端なのではないでしょうか。僕の大好きな漫画『漂流教室』もまた、似たような時代背景がありました。

ただ移り変わる世相という問題はもちろんありますが、今我々が置かれている状況というのもわかりにくいよう薄皮に一枚包まれているだけで、本質的には切った張ったの戦国期、いや原始時代と何も変わっていないようにも僕には思えます。

それは何も南アフリカヨハネスブルグだとかブラジルのファベーラに限った話をしているのではなくて、命そのものを取られるか心をすり潰されるかの差であって(命あっての物種、という言葉も重々承知しておりますが)抜き身でのやり取りというのはこの世の中の本質がゼロサムである以上必ずどこかであるのです。古代の兵法書である孫子がいまだにビジネスシーンで度々取り上げられるのが一番の証左ではないでしょうか。

就職活動、延いてはその先の仕事。結局のところ生きるために飯を得る、という生物としての最小の行為自体がどこまで行っても原始的な野蛮さとは切っても切れないものなのでしょう。戦時中とは比べるべくもないですが、少なくとも火垂るの墓の公開当初よりかはやさしいフリをしにくい時代になっていると思います。

そんな中で如何に反自然的に、人間らしく振舞えるのか。裏を返せば逆境の中でこそ少しでも、本当にやさしくできるチャンスなのかも知れません。そう思いたいです。

三十男はアムステルダムの夢を見るか

どうも、僕です。

先日はこのブログが死ぬまでにしておきたい活動のうちのひとつである事を取り上げましたが、実は始めるにあたってもうひとつ理由がありました。

それはとある薬を飲み始めたからです。トラステラという主にADHDの治療に用いる小さなカプセル剤です。心療内科で紆余曲折の末とりあえず、一番軽い10㎎のものを処方して頂きました。

自分がADHDなのかは結局検査をしても判然としませんでしたが、インターネット上の他の方の体験談を読んでいてあまりに当てはまる事が多過ぎたので相談した次第です。

○片付けられない

○順序立て、計画がとにかく下手

△言外の意味に気付けない

○興味のない事に対してあまりに関心がない

○勉強は特に問題ない(別に得意ではないですが、一応国公立には現役で入りました)

バイアスはかかっているかも知れませんが、現に最初の職場を不本意な形で去らなければならなかった上にその後数年アパシー(これは診断されたわけではないですが)と思しき無気力感と付き合わざるを得なかったのでかなり慎重になっていました。

今の職場も上手くいっているかと問われると、素直に首肯できません。それが薬でどうにかなるならと件の体験談に書いてあったコンサータを試してみたかったのですが、その病院では取り扱いがなくトラステラも検査を経てやっと、というところでした。

ちなみに検査の結果でもグレーゾーンである、としか言われず(迂闊に言えないのでしょうけれども)、真相はいまだ掴めておりません。

 

ともあれ一応は目当ての薬を手に入れたのですが、手に入れたら手に入れたで今度は別の不安に苛まれました。副作用はもちろんですが、この薬で自分の精神をいじくり回すという事の重大さに今更気付いたのです。

つまるところ(社会の為の)矯正をさせられているという敗北感もありましたが、それ以上に『死ぬまでにしたい事』の中には小説の執筆も含まれており、物の考え方が変わるような事になると困るのです。(先回の布石というのは文章のリハビリなのでした)

飲めばさぞや頭の中がスッキリするのでしょう。でもスッキリし過ぎても困るのです。最近は少し止みましたが、作業中僕の頭の片隅では常に小説のネタであるとか、基になる問題提起だとか、そういったものがぐるぐると渦巻いていました。

職場の健康診断の欄に『つまらぬ考えが頭の中から離れない』という項目が毎回ありました。僕はつまらぬ考えがどういうものなのかよく解っていなかったので毎回特にチェックは打たなかったのですが、きっと社会からすればそれこそが『つまらぬ考え』だったのでしょう。そのつまらぬ考えのおかげで少額ながらお金を頂いた事もありましたが、それも社会様の前ではゾウに踏まれる蟻のような程度の事でありましょう.…

 

閑話休題、話があまりにも逸れてしまいましたが要は客観的な経過観察をこの場でする、というのが当ブログ第二の趣旨なのであります。いわゆる人体実験です。かつての僕と同じようにトラステラについて知りたがる方もいらっしゃるかも知れませんし。

 

結論から申し上げますと、まだよく判りません。

最初に飲んだ日はすぐ頭痛と味覚障害に襲われ「あ、流石にハイリスク薬って書いてあるだけはあるな」となったのですが、確かに摂取2時間後のピーク時には今までにないほど頭が冴えるような感覚を覚えました。口の中の味が変になるのも飲んだ少し後だけで夕食は問題なく食べられました。

ただあまりに味覚が馬鹿になったのがショックで次の日の休みは早速飲むのを止めてしまったので、実質的にはまだ二日目です。今日は初日ほどの感動はありませんでしたが、まあ高い薬飲んでるんだからとプラシーボ的な効果はあったような気はします。

ある程度習慣化しないと効果が出ないとの記述もありましたので継続的に書いてこうと思いますが、鬱屈した社会に対して薬でも飲まないとやってられない、という構図は二十世紀初頭の阿片窟と何が違うのだと、それだけは強く思いました。

一部で言われている希死念慮こそ出ていないものの、物事を順当に考えたらこれほどアホな事はないという気持ちを心の底で噛み殺しながら毎日仕事へ行っております。

 

このように、そもそも四十までまともでいられるかというのも無視できない話題なのでした。TOM★CATさんの名曲『TOUGH BOY』の一節を噛み締める夜でありますYOU。

(権利のうるさいところに目を付けられると困るので敢えて表記しません)

CAN I TRUST OVER FORTY?

いきなり私事ではありますが、僕は一年と半年前に三十代へと片足を突っ込みました。

二十代は『DON'T TRUST OVER THIRTY』を心のどこかに掲げながら遅すぎた反抗期を闘っていたのですが、来るべき時が来てしまった。奇しくも新しい職は決まり、何とか形だけでも社会復帰を果たしたタイミングでした。

本当はその時にもこうしてブログを開設しようかしまいか考えていたのですが、生来の先延ばし癖によりここまで待つ事となってしまいました。毎年毎年年始にはあれをやってこれをやってと大層な目標を立てるのはいいものの、

結局仕事に忙殺され、

休みもどこかへふらりと遊びに行き、

気が付いたら2018年も4分の1が消えました。あああ。

この事からももう薄々お気付きでしょうけれども、今自室のPCに向かってこの文章を書いている僕はとてもではないですが、世の中から求められているであろう、脂の乗った男盛りの三十代のイメージとは到底かけ離れた人間です。

今はかろうじて正社員をしておりますが年収も大したことはなく、

趣味のTCGにいつまでもうつつを抜かし、

結婚はおろかクソ童貞まっしぐら。始まったばかりですけどもう書くのやめていい?

そんな有様であります。毎日毎日将来への不安で震える子羊。それが僕。

 

....だったのですが、遂に最近震える事を放棄し始めました。諦めなのか、好意的に解釈すれば達観、あるいは仏教でいうところの大吾なのか。

それは未熟ゆえわかりかねますが、どうもあの有名な孔子の『論語』によれば四十にして惑わず、とあります。ムーンライダーズと違い三十にしていまいち立ってない自分が言及するのもおこがましいですが、本当ですか先生。僕あと9年もないんですけど。

 

しかしながら同時に思ったのは、それは精神的な死ではないのか、という事でした。

 

この疑問は僕がまだギリギリ二十代だった時、大学時代のバイト先の先輩が飲みの最中急に来世がどう、などといった話をし始めてひどく面食らった記憶に端を発しました。

確かに先輩はその時もう結婚もしてお子さんも産まれていたのですが、それにしたっていくら何でもおおげさな、と。敢えて深くは追及しませんでしたが、それこそ脂の乗った時期じゃないかと。その時の飲み会で唯一ぶらぶらしていた僕はコンプレックス丸出しでそう思ったものでした。

でもいざ自分が先輩の年齢にこうして近付いた途端、ひどく死というか、具体的に言うと死ぬまでには○○したいよね、という考え方にぐっとシフトしたのです。

理由もなく死にたがっては滝本竜彦先生の小説を何度も読み返した若い頃とは違って死ぬ予定は今のところ一応ないのですが、現実的な話をすると健康面でも(幸い致命的なものはないものの)あちこちガタが出てきているのをこの一年で痛感しましたし、平均寿命が八十だろうと死ぬときは死ぬのです。あれはあくまで今の老人の指標であり、我々の未来を保証してくれるものではないのです。

そういった我々がつい追いかけがちなものは基本的に全てただの残像であって、今走り続けている一人一人の人間についてそうそう当て嵌められはしません。頭では二十代でも理解していたつもりですが、ここに来てやっと身体で理解できたような気がします。

 

またこれは精神的な死の方の話ですが、万一運良く今の会社で定年まで完走できたとしても、一体そこに何が残っているのだろうかと考えた時にちょっとぞっとしてしまいました。生き物としてはあとは子孫さえ残しておけばそれでいいのでしょうが、人間としては一体どうなんでしょうか。結婚は恐らく性分的にも不可能なので、その分尚更何かを形にしておかなければならないような気がしたのです。

 

他にもいくつか細々とした理由はありますが、この度ブログを立ち上げたのは三十の誕生日に感じた『死ぬまでに一度』といった点が大きく、また別の『死ぬまでに一度』の為の布石でもあります。

今の仕事を始めてからというものの本当に文章らしい文章を書く機会が減ってしまったのでお見苦しい点も多々あるとは思いますが、よろしければお付き合いください。

 

果たして四十になったその時、僕はどこに立って何が見えているのでしょうか。