どうしてミスを素直に認めないのか?
推敲の大切さを訴えている文章に表記の誤り
あるブログで「推敲の重要性」について書いていました。しかし、誤記が一箇所ありました(「完成」を「感性」と表記)。私はそれをメールで指摘しました。しかし、それに対して返信はありませんでした。そのブログはメールと電話による連絡先を記載していました。
そこで私は電話で問い合わせました。そうしたところブログの管理人は「今からメールを見ます」(メールを見ていなかった)と言っていました。私は「よろしくお願いします」と言って電話を切りました。
翌日になってそのブログを見たところ、記事は訂正されていました。そして、そのコメント欄に「ご指摘いただきありがとうございました」とありました。
すなわち、私の指摘に間違いはなかったということです。それを確認してとりあえずは一安心しました。しかし、メールでの問い合わせに対してどうしてメールでの返信でなかったのかということが私は納得できませんでした。
そこで私はそのコメント欄でその疑問を表明しました。そうしたところ、私の疑問に対して返信のコメントがありました。
>大変失礼いたしました。
>実は、ここで返信したのには理由があります。
>なぜだと思いますか? 「翻訳」というキーワードを入れて長文でご回答いただければと思います。
メールで指摘したのにどうしてメールで返信しなかったのか、その理由がこれです。この説明では、「キーワードを入れて」とはどういうことか、どうしてそうする必要があるのか、さっぱりわかりません。そもそも、「キーワード」を「どこに入れるのか」わかりません。
「長文でご回答いただければ」もさっぱり要領を得ません。私が問い合わせている(質問している)のに「なぜだと思いますか?」と問い返しています。回答のしようがないことには、長文も短文もありません。
その記事に対するコメントはすべて承認されて掲載されるのですが、それに対してブログの主からは何のコメントもありません。まったく訳がわかりません。
推敲の重要性
http://ribosomaltranslator.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-c3b9-1.html
哀悼「短足のスーパーマン」
幸せをありがとう
http://jkondo.hatenablog.com/ より
Jkondoさんのブログで初めてしなもんを知りました。また、れいこさんがしなもんの日記を公開されていたことも。しなもんがいかにみんなに愛されていたかが痛いほどわかりました。
「会ったこともない犬なのにこんなにも悲しいとは・・・」というコメントがありました。私も思わず涙腺が緩んでしまいました。
まさに「幸せをありがとう」という思いです。
短足のスーパーマン
http://jkondo.hatenablog.com/entry/2013/06/25/191806
さようなら。ありがとう。
http://cinnamon.hatenablog.com/
わんことともに~いつまでもどんな時も~
http://ameblo.jp/0401-0529/entry-11517390453.html#cbox
ペットと家族の中の序列をしっかり作る
http://ameblo.jp/y-eiko/entry-11562651599.html
ペットは家族。だからいつも一緒にいたい。The pet is a family.
https://www.facebook.com/Rocky.no.papa
ペット同伴でのエレベーターで注意すべきこと
http://mondai-kaimei2011.blog.so-net.ne.jp/2013-06-05-3
ペットは「家族」「伴侶」「恋人」 2 まさに家族の一員
http://mondai-kaimei2011.blog.so-net.ne.jp/2012-11-16-4
一ヶ月ぶりのブログ更新
このブログ(「kem2005のブログ」)は、コミュニケーションについて考える手段として開設しました。たまたま、jkondoさんのブログの「君が歩くのを待っている」を読み、考えさせられました。そこで、その記事にコメントしたところ、返信コメントを頂きました。
コメント有難うございます。受け取られていたご友人の方がどう感じられていたかは、結局その方にしか分からないことですので、僕にはなんとも言えません。もしそのご友人がkem2005さんにとって大切な方ならば、一度話しやすい場を作って謝罪をし、どこが嫌だったかをお聞きになるのも手かもしれませんね。
それに対して私は、「さっそくのご返事ありがとうございます。私はとんでもない誤解があると思います。ですのでそういう場を作ろうと思っています。ありがとうございました。」と御礼のコメントをしました。
これに対してjkondoさんから「誠実な態度でお話されれば、きっと素晴らしい関係に発展すると思いますよ」というコメントを頂きました。jkondoさんのブログの素晴らしさもさることながら、一つ一つのコメントに対する誠実な対応に本当に感服しました。
ブログを開設して一ヶ月が経ちました。しかし、私はこのブログを開設したことを失念していました。最初の数日間は何度か覗いていましたが、その後はまったくの放置状態でした。今日、久しぶりにこのブログを覗いたのですが、何とコメントが来ていました。しかもそれは、私がブログを開設した4日後でした。
宣伝もしないのに開設したばかりのブログにコメントが来ること自体が信じられないのですが、それよりも驚くのがコメントの主は、ブログの主(管理人)の私を知っているという事です。まったくどういう事かわかりません。
コメントの主は、私の知り合いから情報を得たとして私を批判していました。果たしてその通りなのかわかりません。個人が特定されないためにカモフラージュしているところがあるようにも思えます。まったく面白い展開になったものだと思います。
コメントの主は、「ブログ記事に欺瞞を感じます。見解をお聞かせください」と言っていました。じっくりコメントの趣旨を検討した上で改めて私の見解を表明したいと思います。
ありがた迷惑 ?
私は友人のために良かれと思ってネットで見つけた様々な資料を送っていました。
彼は、ネットにつながる環境にありませんでした。そのため彼から情報の提供の依頼があったことからその後、私の独断でたびたび彼に情報を送っていました。
そうしたら彼は喜んでいました。「いつもありがとう」とか「ためになります」とか言っていました。しかし、ある時に突然「送ってくれるな」と言われました。
そう言われてからは送らないようにしましたが、その時すでに、発送済みのものがありました。それがその翌日に彼のもとに届きました。そうしたところ、「どうして送るなと言っているのに送るのか」と、私は抗議を受けました。
彼は勘違いしているのですが、私はその心理がどうにも理解できません。彼を知る人から聞くと、彼は私からの情報の提供を本当のところは嫌がっていたといいます。
これはいったいどういう事でしょうか。よろしかったらご教示ください。