目が不自由でも絵を描く楽しみはある

■目が不自由でも絵を描く楽しみはある<視覚障がい者専門NPOでのボランティア体験より>

足立区にある視覚障がい専門の“特定非営利活動法人アイ・サポート” http://shikakushougai.life.coocan.jp/index1.html 代表理事の三谷求(みたに もとむ)さんを訪ねました(“東京セカンドキャリア塾”のボランティア体験授業での貴重な体験)。“NPO法人アイ・サポート”は、1)視覚障がい者同行支援と、2)視覚障がい者デイサービスを行う視覚障がい者専門の民間NPO事業者です。

当日はパステルによるお絵描きの日。写真のように利用者のOMさん、NAさん、NIさんに其々ガイドヘルパーさんが付き添いパステル画を一緒に仕上げていく内容でした。会話をしながら描くことで、豊かな時間を過ごすことができるのです。ソーシャルアートビュー活動とは違い、美術館では音声ガイドで絵をみているとNIさん、NAさんは言われていました。そしてそんな“鑑賞体験から明るい色や美しい色を想像してパステル画などを描く際にイメージを拡げ描いている“と言っていました。素晴らしいと思いました。

五感を駆使して、フラワーアレンジメントやちぎり絵も行っている。OMさんは絵の時間が終わり、コーヒータイムの時には編み物をしていました。思いがけずに、お土産に“タワシにもなるのでどうぞ”と頂いてかえりました。帰りの電車の中で十数年前の学生時代に高齢者施設を訪問して介助具デザインの素晴らしさに出会った時の感動がよみがえってきました。まだまだ、やるべき、できるコト、モノがありそうだ。

■事業内容
1)同行支援はガイドヘルパーさんが18名いらっしゃって交替に勤務。ガイドヘルパーは専門教育を5日間程受講していただける専門家。
 ホームヘルパーとは職種が違う。買物同行や映画鑑賞同行、美術館での絵画鑑賞にも同行している。当然ロウビジョン外来 http://www.ntmc.go.jp/sinryo/ka/17gan/lv/page01.htm にも同行する。
 年間イベントで温泉地や花見、寿司、鰻ツアーなどにもいっている。先日の土曜日には千葉県の館山にいってきたとのこと。また毎月のように歌って踊る“ひまわりダンサーズ“の活動で高齢者施設を慰問している高齢者施設を慰問しているとのことでした(視覚障がい者のナカニシさんより)。

2)デイサービス事業では利用者を視覚障がい者に絞っている。1日6時間(10時から16時)。足立区では月間10回、64時間まで無料で利用できる(アイ・サポートは介護補助金を請求する構造)。
 登録利用者は現在40名。ガイドヘルパーさんは18名。

■館内案内
月曜から金曜はアイ・サポートが利用。土曜日曜は知的障がい者が利用。2つの団体の相互交流も行っているとのことです。
建物はあしながおじさんとも言える米重さんの配慮で格安で賃貸を受けている。 https://www.city.adachi.tokyo.jp/hodo/30granfamilia.html、1階に認可保育園、2階にNPOの事務所、Café Ohanaダイニングなどが併設された複合施設。

■関連ホームページ
http://www.nhk.or.jp/heart-net/shikaku/list/20150201.html#siteNavi
「さわって・転がして・想像して」みんなでコミュニケーションする大型サイコロ
http://www.tils.gr.jp/hapticdice/index.html

#クリエイティブライフデザイン#セカンドキャリア塾#足立区#アイ・サポート#松本すみ子さん#

地域の人と絵画鑑賞を通じて知り合い楽しむ~福祉のミッションを自覚した一日~

 対話型グループ絵画鑑賞(SAV:ソーシャルアートビュー 2018年度 第2回目)を実施しました。

【開催中の企画展】横山操展 ~アトリエより~ | 公益財団法人 三鷹市スポーツと文化財団


 簡単な自己紹介とスケジュール説明を行い、4名の方が約15分ギャラリーを自由に鑑賞し、皆に紹介したい(感動した、良いなと思ったな等)作品を選んで集合場所に再集合しました。(9名の応募があり、スタッフ2名を加えると11名の予定でしたが)前日キャンセル1名、当日キャンセル2名があり、最終8名でスタートができました。内訳はスタッフ2名(MAさん、KYさん)+目の不自由な方(NAさん)、ガイドヘルパーの(MAさん)そして晴眼者の(CHさん、MIさん、YUさん、NBさん) でした。



 MIさんは<花>、CHさんは<山>、YUさんは<紅梅図屏風と白梅図屏風>、NBさんは<茜>を紹介した。対話の最後に作品名を言うルールにしましたので、NAさんとMAさんは、一通りの紹介説明のあとに「そこに何が描かれいるか」、「そこから何が観えるか」、「その作品のどこが好き?」と質問され、それぞれの作品を深めていきました。


 一人の画家の一生を垣間見る感じになった作品の変容がこの4点の作品からも良く分かる結果となり、特に最晩年に(脳卒中で倒れたあとの左手の作品)描かれた<茜>は<山>の描き方とは全くの別人のような落ち着いた描きかたで、人生の充実ぶり、画家として到達した心の安寧のようなものを皆が対話のなかで共感した。


 アフタートークはギャラリーから徒歩2分の<ミタカノイス>へ会場を移動して感想をシェアした。あまり絵画鑑賞をしないというYUさん、MAさんも絵画をとおしての対話型のグループ絵画鑑賞はとても楽しく、多角的な視点を得られ、また参加したいという感想でした。


 全員が満足度良好で主宰者としても幸せな一日でした。今回は目の不自由な方も初参加でしたので、事前に質問の仕方や、問いの立て方のフレーズなどをお話しておくことが重要であったなと改善ポイントを自覚いたしました。


 地域の人達、誰もが平等に絵画鑑賞を通じて知り合い、楽しむという、【ふ】普通に【く】暮らし【し】幸せになるという地域福祉【ふ】【く】【し】のミッションを意識できた至福のひとときでもありました。
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ソーシャルアートビューの幸せ。

山口蓬春さんの “耕牛“ を対話型グループ絵画鑑賞(SAVと略します:ソーシャルアートビュー)しました。

 200号はあろうかと言う大型の日本画です。

MTさん(視覚障碍者)は部屋の中で大きな画なんだよね?とききました。
Hさんは部屋の中で一番大きな画ですとこたえた。

Yさんは画面右下の“どくだみの白い花“に気づきMTさんに伝える。
Mさんは牛の毛並みや若い牛か?年を重ねた牛か?をたずねた。
Tさんは若い牛が農耕作業から解放され佇んでいる感じかなと答えた。
Iさんは今一度牛の顔の方向や尻尾の方向そして角の話を伝えた。
Mさんは水辺と空の境目はあるか?どれくらいが空でどれくらいが水辺?とたずねる
Mさんは3分の1は水辺で3分の2は空っぽいが境目はぼかしでみえないと応える
Kさんが紙が折れたような白い縦線や牛の顔の下の水辺の白い点を発見。
 


 皆でこれは何だろう?と一斉に考え・・・あちこちで“あっ雨だ・・・“
水田で農耕作業をすませた若い働き牛が佇んでいるシーンなのだと皆が物語を
自分の頭のなかで考えていった瞬間でした。


 画家の伝えたかったコトまでも皆が夫々にイメージし紡いでいきました。
私は対話促進者の立場ながら、この画の印象をこのようにまとめました。


 小春日和の水田で柔らかく、生あったかい雨がここちよく、労働のあとに
牛さんが優しく、精一杯働いたんだ・・・。少し休憩して、また元気に働こうよ!
とみる人に訴えかけているように感じました。


 視覚障碍者のMさんの息づかいや表情の変化。何かをイメージ出来た時の皆さんの
明るい笑顔が印象的なSAVの幸せな瞬間でした。

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本格的な『暗闇ワインバー』に参加して感じたコト。

多様性社会(ダイバーシティ)におけるミュニケーションの在り方を考える(エンタメ性も高い)時間だったと思いました。

ちょっと怪しい響きのある「暗闇ワインバー」プロジェクトでしたが参加してとても良かったです。私達の「ソーシャルアートビュー」活動のコアメンバー谷口響子さんからの招待でした。日本ソムリエ協会認定ソムリエの斉藤紘一さん、目の使えない方が3名、目が使える方が11名、スタッフの皆さんが2名。合計18名と盲導犬2頭の参加メンバーだったと思います。

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 4つのワイングラスの飲みくらべと食事を味わいながら会話を楽しむという趣向でした。目が使える参加者もお店の前でアイマスクを渡されて店内に案内される。約2時間暗闇の中でワインと食事を楽しんだ。美味しいワインと食事そして楽しい会話で、あっという間の2時間でしたが酔いが回るのは目を閉じているせいなのかとても早い感じがしました。

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 ソムリエへのトレーニングの基礎として、まずレモンの皮と果汁を嗅ぎ分けるというのを最初におこなった。果汁より皮の方がレモンの香りがすることを初めて知りました。毎朝の通勤途中でも街でどんな匂いや香りがするかを何時も感じて出社すると言われていた。つよく意識していくことで嗅覚も味覚も鍛えられていくということでした。(栄養士、調理師のトレーニングにも応用できる)。

 「ソーシャルアートビュー」との役割比較で言うとプロデューサー兼ファシリテーターが谷口さん、ナビゲータがソムリエの斎藤さん、という配役でしょうか。会話から対話へと進行していく際のキッカケにワインティスティングがあるんだなぁ~と思いました。

 聴く(信頼構築)段階では見えないなかでの握手そして簡単自己紹介そして一対一の会話…。ワイン2杯目あたりからの会話はじょじょに訊く(相互理解)段階となりテーブルでグループになった4名が相互に自己紹介と意見交換、食事もメインディシュの頃となると積極的に想いを伝える(行動促進)段階になっていった。職業の話や趣味の話そして何故、いつ頃から目が使えなくなったのか等々の話から、私も「ソーシャルアートビュー」活動へのお誘いの話も出来た。各テーブル毎の話の流れにまではソムリエもプロデューサーも突っ込んではこないので対話の時間のデザインにはもう一工夫いるのかなとも感じた。
 

 全体には日ごろの関係性がまったく無いメンバーがあつまっての飲み会の白けた雰囲気は微塵も感じられなかったのですが、段階的にコミュニケーションの質を変えていくへの“場”のデザインやファシリテーターの関与が不可欠だと思いました。

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 会場全体の中で語られたワインや食事を話題にして、目の使えないかたへ
の興味や配慮など“暗闇“のなかでコソ感じた“平等”な対話の感覚が、この “暗闇ワインバー”の醍醐味だなと思いました。谷口さん、スタッフの皆さん、参加者の皆さん楽しく実りある会話と対話の時間を有難うございました。

「ソーシャルアートビュー」とは
170930(土)。場所は和食ダイニング“SORA自由が丘”。

“分人”を意識した日

 <本当の自分>はひとつじゃない!
『私とは何か「個人」から「分人」へ』(2012/9/14_講談社現代新書) の小説家‗平野啓一郎さんの講演会に参加した。2017年9月9日(土)午後。武蔵野スイングホール。


 明治以前に「個人」はなかった(士農工商で決まった人生をあゆむ)。individual(indi否定、vidual分ける)とは、分けることのできないもの、「一個人」のと訳され、その後「個人」として定着。分かられない個人のイメージが強かった。



 平野啓一郎さんは中学生時代より、本当の自分と仮面の自分を意識してきたといいます。人間は分けることの出来る存在という概念を打ち立てて「分人」概念を確立したようです。対人関係毎に色々な自分がいて全てが自分であると気づいたときに「分人」化は出来たといいます。


 昔はケータイ、メール、LINEがなかったので「分人」化させやすかった。ともいい、今はとても「文人」化させにくい時代。しかし嫌なコトも多い昨今、今こそ「分人」化を意識して対人関係毎の自分を考えてみようという提案。


 
 中学生のワークショップなどでは嫌な友達と会っている自分が嫌ならココだけをやり直すという考え方にたって、「分人」比率を変えることを考えるのだと言います。今の「分人」円グラフと5年後の円グラフは違うということを気づいてもらう。心地の良い「分人」を増やしていく。比率を高めていく。


 社会人も、会社の仲間といる分人、友人といる分人などから、妻といる分人、息子達といる分人、同好の士といる分人、地域社会の同好の士といる分人など嫌な「分人」比率を減らし、好きな「分人」比率を増やそうと提案。

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 “恋”と”愛”との違いは”恋”は一過性のモノ。”愛”は継続性が重視される感情。その人といる時の自分が好き(「分人」的な観点でで考えるとわかり易い)というコトに他ならない。

 
 “死”はもう“その人”と一緒にいる時間が持てないということの悲しみ。“喪”の作業は“その人”との別れで生きている人との「分人」化比率を大きくしていくより仕方がないというコト。しかし亡くなった人との「分人」時間は“0”にはならない。アルバムを見たり、仏壇で祈るとき“その人”と一緒にいた「分人」はそこに在る。“愛する人”が亡くなった時、罪悪感はもたなくて良いのです・・・。


 <まとめの話>
 私たちは“死”を想像しながら、人生をふり返りながら生き、"死"をむかえる時、自分の好きな「分人」時間がおおきかったなぁ~と思えたら、満足して"生きた"と言えるのではないでしょうか? 生きにくい現代を生きる社会人も"これこそが自分"だと言える複数の足場をつくっていき(収入源の「分人」化)リスクヘッジをして生きていきましょう!


 帰りの電車の中で、自分の5年前の「分人」比率、そして現在の「分人」比率、理想の「分人」比率を考えた一日でした。

幸せに生きていくための活動計画

 還暦を過ぎ、会社を定年退職し、セカンドライフに入った私。2017年5月19日、土日のコミュニティ活動組織として特定非営利活動法人「クリエイティブ ライフ デザイン(Creative Life of Design)」を立ち上げた。
 

「組織の目的」
は「真善美の探求で、ひとが幸せな人生をおくることに貢献する」
「目指す社会像」
は「老いも若きも対話、交歓できる社会」
「果たすべき使命」
は「親切な場の提供」
「提供価値」
は「魅力ある企画の実施」と「安全で安心な対話」の「場」づくり



「真善美」は普遍妥当な価値。学問、道徳、芸術の追求目標。三つの大きな価値概念。「真善美」の生き方を貫いていく。正しく美しく。そして若々しく日々感謝する生活をしていく。これが私の「老年を超える」境涯(幸せ)を得る計画と覚悟だ。私にとって、これは「幸せに生きて行くための活動計画」だ。


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幸せのキーワード

 人生の命題である「幸せ」になる方法は数々の哲学者が語り、最近は幸福学の研究者たちがその研究成果を披露している。共通するメソッドはあるものの詳細部分ではやはり個々人が感じる「幸せ」の観念が違うので、どういう方法をとるかも個性が発揮される。
 クリエイティブ・シンキングから多くの「幸せ」のキーワードを出して、それらを自分の感性で三つに絞り込んだ。
 ——「ひとが喜ぶことをしていく」
 ——「感謝して暮らす」
 ——「真善美の探求をしていく」
 
 この目的を自分らしさで達成しようと「創造的な生活をデザインするコミュニティ活動」を考えた。まさに「幸せに生きて行くための活動計画」だ。

 色々なことを安心して自由に話せる「対話の場」を設けることは出来そうだ。若い人たちや子育て終了前後の世代、そして若い起業家やリーダーを対象に「考える視野をひろげる対話」をリードしていきたい。
 活動のスタンスを明解にするために、
 ——何のために働くのか?
 ——より良く生きるとはなにか?
 ——成すべきことは何か?
 ——いま、この時を生きて何を成し遂げようと心に願っているのだろうか?
 これからも生き続ける存在理由を考え、活動のコンセプトを整理した。



ひとが喜ぶことをしていく

 私には、これまで「ひとが喜ぶこと」をあまりして来なかった思いがある。
「創造的な生活」は働き方と暮らし方のバランスをとることで実現する。ご縁のある方々や次世代の方々に、数十年来提案と実行をしてきた働き方から「暮らし方の提案」に言及し、幸せな生き方を手に入れてもらいたいと思い、この「考え」をカタチにしていく。
 若い頃から真理の探究に興味があり、真善美(まこと)の探求と実践が近道だと感じてきた。         
 哲学者の三木清は『人生論ノート』の「虚栄の章」で「創造的な生活のみが虚栄を知らない、創造というのはフィクションをつくることである」と言っている。創造的な生活によって、今ある自分よりもそれ以上の自分を目指し努力し、自分を高めようとするのは、「虚栄の行為」ではなく「真善美の探求」で出来ていくと考える。
 活動は、独りよりも仲間と活動を行うことで継続できると考えて「創造的な生活をデザインするコミュニティ活動」で楽しい真善美の催しを企画し、安心できる対話の「場」づくりを実行していきたい。



感謝して暮らす

 私は、これまでも幸せでした。
 これからも幸せであり続けるために幸せの物差しを再定義する。
 まず「吾唯足知(われ、ただたるをしる)」の境涯へ行きたい。そのためにも「断捨離」という新たな生活を行っている最中だ。これもなかなか難しいが、早いうちに終わらせ、ツボを披露したいと思う。
 多くのモノやお金を持ちながら「欲しい欲しい」と満足できない状態が「餓鬼」だ。虚栄をはることも醜い行為だ。いままでも何かと人と比べて高ぶる気持ちを何とか落ち着かせてきた。これからも比べることは止め、徹底した「断捨離」で、自分自身の幸せの物差しを確実にして「感謝して暮らす」遊行期を迎えたいと思う。
「創造的な生活をデザインするコミュニティ活動」で緩いつながりをつくって行き、シビックプライド形成に貢献し、新しい公益事業として「感謝して暮らすひと」を増やして行きたいと。


真善美の探求をしていく

 組織の目的は、「真善美(まこと)の探求で、ひとが幸せな人生をおくることに貢献する」こと。
 当面のゴールは親切で安心して対話できる「場」を創り、ご縁ある方々と出会いのイベントを企画し、対話をデザインしていくコトだ。
「新しいことを創(はじ)めることを忘れない限り、人はいつまでも若く生きることができる」と、百五歳で亡くなった日野原重明さん(聖路加国際病院名誉院長・同理事長)が語っていた。
 長寿の方の多くが多幸感を感じる「老年的超越」と呼ばれる豊かで「幸せ」な精神世界に早くたどり着くためにも、この計画を実行していきたい。
 当面の目標は二か月に一回程度ペースで、「美しいモノ」「歴史あるモノ」を訪ねて歩き、描く会や、芸術鑑賞の会、読書会などの見知らぬ人が出会うきっかけづくりの活動をしたい。その後に安心できる対話の時間をセットした「場」の企画で広く交流しコミュニティ形成を行っていきたい。

 慎重派の私ですが組織もつくり、人も巻き込んだ。
 考えた理想に近づけるよう「創造的な生活をデザインするコミュニティ活動」を実行するのみだ。


 真善美(まこと)を今後の活動指針のフレームワークとして考えてみました。>><<「真」の反対は偽り、「善」の反対は悪、「美」の反対は醜。

「真」
は真心サービス。親切なサービスで安心できる対話の場を創る。   
「善」
は善き行い。「真」を行い、世のため他者(ひと)のためとなる。
「美」
は「善」を行うために集う仲間は尊く、美しい。
 
 真善美(まこと)とは、人間の理想としての普遍妥当な価値。学問、道徳、芸術の追求目標。3つの大きな価値概念。真善美(まこと)の生き方を貫いていく。清く正しく美しく、生きていく。そして若々しく、日々感謝する生活をしていく。これが私の“老年を超える”境涯をえる作戦です。

「場」の「気」配について

 私は昔から、話題の店や新しく開店したお店、一味違うといわれる店に行くことが大好きです。サービス業はスタッフ一人一人の「人の力」によって支えられています。


 良い店には「場」を支配する清潔で明るい「気」配が感じられます。色々な意味で後味がよく、とても充実した時間を過ごした感覚になります。


 いわゆる雰囲気の良い店というもの。なぜ雰囲気が良いのかを分析すると優れたマネジメントがされており、従業員がイキイキと働いているということ。


 飲食業の場合は機能品質面では料理自体に独自の工夫や改善が加えられたいて、この店ならではの美味しさ、味の特徴がある。 また知覚品質面では挨拶、販促物、ユニフォーム、パッケージツールなど見える部分のデザインが良い。そして雰囲気を良くするリーダーやキーマンが存在する。


 このような運営、工程管理ができていることは経営者がしっかりマネジメントしているということ。私もフィーを貰っている以上、うかうかしていられない毎日だ。