7月5日の気付き

普段と違う道をあえて選んでみる。

普段使っている道が最善の道と思っていた道より善い道が見つかったりするものだったりする。

 

今日、ある道と違う道をあえて遠回りすることを選んでみたが、結果的に近道になった。

 

生きていく上で、あえて遠回りと思う道をあえて選んでみることも大切なのではないか。

想像力の限界は何が影響するのか?

人生で会ったヤバい人、すごい人が自分の思考や想像力の限界になる。

テレビで見た有名人や、雑誌で見たアーティストなどから多大な影響を受ける感受性を持ち合わせている人は、実際に会わなくても影響を受けることはできるかもしれない。

 

しかし、基本的には物理的に会ったことのある人だ。

一度物理的に会ってしまえば、あとはSNSで情報を知り得るだけでも多少の影響力は受けることができる。

 

影響力には鮮度がある。毎日ヤバい!と思う人に会っているのか、2年前にヤバい!と思う人に会ったけど今はあまり驚くことがない、という状態であれば、やはり影響力は減っている。

 

ヤバい!と同じように、ネガティブかポジティブかも影響を受ける。受けていないと思っていても無意識下で受けている。無意識の影響力は意識下の10倍以上はある。

 

なので、日々誰にどのような影響を受けるようにするのか意識するのは大切だ。

 

知らんけど。

運動と思考の関連性

今週はまとまった運動を一度もしなかった。

その影響でネガティブな思考に陥りやすい状況だった。

生活サイクルや仕事の質もイマイチだった。

こんな感じで死ぬのはなんか歯切れが悪いという過ごし方だった。

 

つまり運動をしないと無駄に脳のエネルギーが働いて、血液が滞っているから思考も滞っていると思う。

 

仕方ないので今日はサウナ行って、明日ははよ起きて公園で筋トレしてスッキリしとこ。

今日の仕事のテンションを上げること

なんか最近細かいこととか、これ今やることなん?ということが多々ある。 何かしらモットー的なものを持って生きると都度都度迷わなくていいのではないか? と思うことがある。

がんばれば世界で5年後に世界にほんのり出現されることを1年後にガッツリ出現させることができる。 普通にやれば3年後に世界にほんのり出現されることを1年後にガッツリ出現させることができる。

時空を歪ませることができる技能があるとテンションが上がるのではないかと思う。

その上で、身近なことに関しては 「自分がやらなくても他の誰かに任せた方がいいものかそうでないか」 は判断軸として置いて置けるといいかもしれない。

ではなぜ自分がやるのか?というと 「自分が得意だから」と「自分がやりたいから」の2つがあると思う。責務と興味みたいな違いかもしれない。

根底には、世界平和を実現しているかどうかという問いはあるのだけれど その上で今やるべきか、自分がやるべきか、という問いを常に持ち続けていたいものだと思う。

だいたいは動機づけだけど、動機づけを面白おかしく上手くできる大人でありたいと思う。

なぜ私は今、このタイミングでコーラを飲まなければならないのか?それは2つの世界を1つにするためだ。 つまり...

習慣化、人生を取り戻す旅

寝る前にカイジを読んでいる。 自分の人生を自分で決めるむずかしさ。

中動態という状態があるとしたら、日々外部の刺激によってのみ活動をしてしまっている。

結局のところ、教育とやらの本質は思考や行動をいかに習慣として定着させるかに落ち着くのかもしれない。 毎日ブログを書く。毎日英会話を学ぶ。

それがむずかしのは外部の刺激があまりにも強いからだ。 だからむずかしさの原因となる刺激を減らしてあげることと、 ほんの少し、昨日とは違う行動を取れる時間と体力を持つこと。

中動態で受け身の状態から主体を取り戻す。 明日の衣食住に悩まなくなった恵まれた現代人だからこそ陥る問題なのかもしれない。

事務作業が苦手、からのお楽しみ化へ

経営をしていると、どうしても避けられないのがお金と契約。一番大切なこと。

チームビルディング、良いプロダクト、顧客のイシュー、社会貢献。 論語と算盤、永続してなんぼ。良いことを動かすためにはその下支えが大事。

マイケル・コルレオーネが「友と金、それは水と油です」と語っていたように 陰と陽、プロダクトとお金、エネルギーとガソリン、作用が違うものを上手く使うことが大切。

じぶんの話で言うと、どうしてもお金と契約は弱いという先入観を持ってしまっている。 自分はそういう細かいのが苦手で、エモ系は得意なんですよね。

明日会社を潰しそうなタイプ。

苦手を得意にするのも一長一短。 さて、どうしたものか。

モチベーションの源泉はどこにあるのか。 この作業ができたら漫画を読んで良い、この作業ができたらYouTubeの動画を見て良い。

んー、もっと本質的にアプローチしたいんだよな。 なんかこうロールモデル的な感じの。

クロロ=ルシルフルだ。 クロロだったらどうするかを考えるんだ。

クロロだったらそんなことを言うのか?どうだ?

案外、動機づけなんてのは、こんな些細なことの繰り返しなのかもしれない。

習い事、学校、SDGsと真逆を突っ走る業界

あと20年ぐらいはこの慣習はなくならないと思う。

 

この慣習というのは、新品礼賛主義を元にした市場のことだ。

小学生になるから新しいランドセルを。

習い事を始めるから新しい服を、道具を。

 

神道の穢れをルーツに敗戦から脈々と続いているこの文脈。

「持続可能な開発目標」の中の「つくる責任、つかう責任」だけを取っても真逆の行いだろう。

 

毎年大量につくられる教科書もそうだ。

毎年貧しくなっている日本において、教科書代を税金で担保する前に、そもそもの大量生産大量破棄という前時代的な仕組みを改善するのが先だろう。

 

とはいっても、少なくともそのような考えを持っている年齢、今の20代の方がある程度の役職に就くまでにあと20年ぐらいはかかる。

 

はてさて、どうしましょうかね。