日本の未来を変える論理

30代の地方に住む営業マンです。 今までこれからを生きる子供たちの未来を変える生き方を模索してきました。 本当にやりたい事をして本当に生き易い子供たちの未来を作るためどうすればいいのか? その結果として今年2016年に大きな決断をしました。 そんな私の過去の軌跡と日々の気付き、ポエムを掲載してます。

偽りの自分

おはようございます。ヨシケンです。

 
さて今日のお話しはカナリディープなお話しです。
 
突然ですが皆さんウソは好きですか?
 
普通『嫌いっ』て言う人が多いですよね。
 
では改めてウソって何ですか?
 
事実と違う事、思った事と違う事、話した事と違う事etc
はて?何でしょう?
 
明確にお答えできる方がいるでしょうか?
難しいですよね。
では『この世界に生きている人全ては、今この瞬間もずっとウソをつき続けるている』と言ったらいかがでしょう?
 
そんな馬鹿な!( ゚Д゚)
 
私は正直者だからウソなんかつかない、ましてやこの瞬間もウソをついてるなんてありえない、と思う方も居るかもしれません。
 
でもこれは紛れも無い真実です。
正確には100%の人では無く、一部の人はこの事に気付いて本物の人生を歩んでいます。
 
私も多分に漏れずウソをついて生きてきました。しかも営業マンだったのでカナリのウソの達人です。
作り笑顔、作り笑い、とり繕い、感情の制御、考えの制御とありとあらゆるウソのトレーニングを続けてきました。
今日の今日まで、その事に薄々気付いていましたが辞めることが出来ずに心の奥底では叫んでいました。
『誰か俺のウソを止めてくれ』と。
 
でもどうやって止めるか全くわかりません。意識的に止めたくても、無意識にはこのウソにメリットを感じてしまっているので制御が聞きません。さらに表面上には上手くいっている様に見せかけているので誰も気付きません。自分じゃ止められない、誰も気付けない、そうやってドンドンウソは膨らみ、取り返しがつかなくなって行きます。そしてこのウソのループの本当の恐ろしさは、自分でもウソにウソを重ね過ぎて、「本当の自分」がわからなくなってしまう事です。
それ故、感情が出てこなかったり、感性も鈍くなります。
人の気持ちや感情が理解できず、疎通交流もできない状態になっていくんです。
チームプレーなんてもってのほか、大切な人にも理解されないし、理解することもできません。
 
どうやったら止められるのでしょうか?
何が本当の問題なんでしょうか?
 
私は幸いにも「観術」という教育コンテンツに出会うことができ、「本当の自分」を知らないことが最大の問題であることを知りました。そこからさらに、自らの意志と同じ悩みを持つ仲間の手助けが必要でした。その2つが一つになった時、初めてその「ウソをつく自分」を仲間に公開出来たんです。
涙が止まりませんでした、人目を気にせず号泣しました。大切な人の事が脳裏を駆け巡りました。そしてこのままウソを続けた時の絶望、地獄も明確にイメージでき、もうウソをつく自分は本当にイヤだ!と心底思えました。その結果そこから出る事が出来て、本当の自分に近づけたのです。
 
皆さん自分の心にウソをついていませんか?今一度胸に手を当てて感じてみて下さい。
そしてもし感じるものがあるなら、本当の自分を探しに行きませんか?
私もまだまだ道の途中です。
もしよかったら私と一緒に「本当の自分」を探しに行きましょう。
 
 

講演会に行ってきました!

こんにちは、ヨシケンです。

 

6月4日(土)こちらのイベントに参加してきました。

www.pbls.or.jp

長野から嫁さんと二人で4時間30分のバスの旅( ゚Д゚)、夫婦二人で10年ぶりくらいの東京でした。

今回のスピーカーである、林英臣先生は松下政経塾1期生でこれまでに志ある政治家の肩を数多く育成された方、「綜学」という独自の教育を提唱されています。。対してNohさん(わが師故親しみを込めてさんで呼ばせていただきます。)は「観術」の創始者であり観術によって、日本から世界へ教育革命を起こすことを提唱しております。

私は林先生のお話を聞くのは初めてでしたので、どんなお話をする方なんだろう?とかなり構えて臨んていました。ところが話し始めると一瞬で惹き込まれていました。

今振り返ってみると3つほどポイントがあったかと思います。まず「非常に解り易い」こと、「日本語とはそんな深い意味があり、それが今我々にもつながっている」ということを滅茶苦茶解り易く解説されるんです。普通こんなテーマは中々自分事として捉えられないもの、それにも拘らず聞いている傍から自分事のように感じられ、日本語や日本人のことを知るのが楽しくなっていってしまうんです。

続いて「ユーモアがあり話が飽きない」こと。こんな堅苦しそうなテーマを話しているのに、間にユーモアを挟んで聴衆を惹きつけられていました。話の「間(ま)」の取り方が素晴らしかったです。その「間」によって聴衆との対話をされていて、一体感を生み出せるからこそ成せる業だと感じました。

最後に「日本に対しての愛情がある」こと。今回の講演で終始感じられたのが、林先生の日本に対しての愛情でした。日本人はこんなもんじゃない、もっと可能性がある。それを知るために「もっと正しく日本、日本人、そして日本語に対して理解することが重要である」というメッセージを頂いた気がします。

最後のパートに関してはNohさんも20年前から全く同じことを言い続けられています。それ故に本当に響くものがありました。

全体を通して私がメッセージとして受け取ったのは「日本のことをもっと深く知る必要がある、そしてもう一度本当の日本人としてアイデンティティを再設定しよう!」ということです。

いやぁ、認識が変わる瞬間って本当に可能性が広がるのを感じますね。

これからは日本のこともBlogに載せていこうと思います。

 

 

 

人を導く人になるためには?

こんばんは、ヨシケンです。

前回からご無沙汰ですね。そして今回も予告を無視して書いちゃいます。

なぜなら今日メッチャ感動する記事を読んだから。( ゚Д゚)

その記事はこちら⇒TEDな朝【Simon Sinek's How Great Leaders Inspire Action】 

mikikoumeda.hatenablog.com

彼女は先日一緒に3か月の研修を受けた仲間で、英語も堪能で論理もスピーチもイケちゃう聡明な女性です。他の記事も非常に面白いので是非ご覧ください。

 

ということで、今回は私がこの記事を読んで何故感動したのか?を書こうと思います。

結論から言うと「自分の現在地を再認識しビジョン、ミッションの重要性を再確認することができたから」です。

経緯をお話しすると、5月20日に3か月にわたる長き研修を終えて、自宅に帰ってきました。

研修中は環境や一緒に学んだ仲間の支えもあり、研修で学んだことを体現し日々成長を感じられました。しかし予想通り、自宅に帰ってくると家族の影響や現実的な問題(時間やお金)がどんどん降りかかってきて、少しずつ何かに囚われるようになっていました。自覚はあったので、その都度囚われないように気を付けてきましたが、脳に蓄積された過去の経験、特に無意識に蓄積されたものがジワリジワリと忍び寄ってきて「なぜかわからないけどうまくいかない」そんな日々を過ごしてました。

こうなると自分で囚われているものを特定することは非常に難しくなります。

なぜなら自分の無意識は自分自身だけでは気付くのが非常に難しいからです。

では私は何にとらわれていたのか?それは「目先の現実の問題」です。

例えばこれから収入は大丈夫か?嫁さんとの関係は今のままで問題ないのか?仲間に置いて行かれないように今すぐ何かを始めなければ、もっと早く今の問題を解決すべきでは?など、まー考えだしたらキリがありません。

そんな時に先ほどの記事を読んで「自分はなぜ(why)今の決断をし、どんなビジョンを実現したいのか?」を気付くことができたんです。

先ほどの心配事はすべて「不安」から出発している、しかも「過去の経験」からくるものです。それとは反対に「自分はなぜ(why)今の決断をし、どんなビジョンを実現したいのか?」は「夢」から出発し、「未来の可能性」から今を選択決断する考え方です。

そう、私は「全ての人の心と心が繋がる社会を作りたい、そしてそれを実現するための本物の教育を世界一拡げる人になる」。研修中に何度も思い描いたことを忘れていたことに気付かされたんです。

改めてこの記事を書く中で「人はなに(what)ではなくなぜ(why)に動かされる」と感じています。そう、人は「論理」ではなく「感情」の生き物、そして人を動かすのは「頭」ではなく「心」であると。

そしてこれを気付かせてくれるような仲間がいること、それこそが最も大切なことなんだと。

そんな仲間を一人でも増やせるように、これからもこのブログがんばろう!っと。

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

福岡イベント

お久しぶりです。ヨシケンです。

前回の予告で建前コミュニケーションについてお話しする予定でしたが、急遽イベントの報告を入れさせていただきます。
 
先週研修の集大成として、200人規模のイベントを行いました。結果は大成功に終わりました。今までにないチームプレーでメンバーが結束し感動の会となりました。私は僭越ながら4人のプレゼンターの1人をさせて頂いたのですが、直前リハまでは散々たる状況で、セリフも間の取り方もグダグダでした。完全に自分を見失って、他のメンバーが台本を見ながらスラスラと喋るから、真似してみようとやってみたら喋るのに精一杯で全然言葉にエネルギーが乗りません。そんな状況だから間の取り方もバラバラでスライドとも合わずテンポも悪かったです。
それで本番を迎えたのでドキドキが止まらず、考えている事は『上手く話せなかったらどうしよう?』とか『台本見ようか見まいか』とか、まーグルグルでした。
バイバイと思ってた時、同じプレゼンターの女性から『真面目にやらずにワガママにやったら』と言われハッとしてハマってる自分から抜け出せたんです。
そして本番は台本無しでやる事を決めて臨みました。その結果!台本を見ながらやった時と比べて言葉にエネルギーが乗って、しかも観客の暖かい対応もあり、やりきる事が出来ました。
終わった後、メンバーから『リハの時と段違いだったのでビックリした!』と嬉しい言葉も貰えて本当にホッとしました。
 
後で振り返ってみると場全体の雰囲気や前のプレゼンターからの流れ、そして観客の暖かい対応、全てがあったからこそ本番は上手くいけたんだと感じます。
全てがチームプレーの賜物ですね。
本当に自分にハマってる時は周りのエネルギーや流れが全く見えなくなるので、今回は良い勉強をさせて貰いました。
 
どちらにせよこの研修の集大成が最高のチームプレーで終えられたのは、本当に嬉しかったです。
 
観客、メンバーがいたから自分がプレゼンターができる事を忘れずにしたいものです。
 
次回は予告通り『建前コミュニケーション』についてお話しします。

感情を出せない理由

おはようございます。ヨシケンです。

本日のテーマは『感情を出せない理由』です。

前回日本人が建前コミュニケーションによって、感情が出せない事とその悲劇をお話ししました。
そこで今回お話しするのは、何故日本人が感情を出せなくなったのか?について私なりの見解をお伝えしたいと思います。

今でこそ建前コミュニケーションは当たり前となっているので、想像し辛いかも知れませんが、昔日本人は感情豊かな民族でした。昔といっても、それ程昔ではなくつい最近です。そう、第二次大戦前までは。
私も、私の親も戦後の生まれのため第二次大戦の事は歴史の教科書で習った知識しかありません。祖父は戦争を体験していましたが、10歳の時に亡くなったため戦争の事を聞いた事はありませんでした。そんな私は、残念な事につい最近まで教科書で習った通り、日本は侵略戦争をしてアジアの国々に迷惑をかけた加害国だと思ってました。ですので本当に大切な事、この時代を生きた日本人の感情や想い、そしてそれに基づいた事実を知らなかったんです。歴史は解釈によって変わるものである事は理解した上でも、明らかに私は戦後左翼によって作られた歴史の情報しか知りませんでした。
ここで伝えたいのは事実がどうであったか?では無く、この国の近代で最も大きな出来事であった戦争の事について知ろうと言う意思さえ無かったと言う事です。
そうですこれこそが、戦後の教育によって骨抜きにされてしまった日本人のなれはてです。そして敗戦により日本はアジアの国々に迷惑をかけた加害国と教えられ、無意識深くに人に迷惑をかけてはならない事を刷り込まれてしまったんです。そこから生まれたのが建前コミュニケーションです。日本人は本来、和を大切にする民族です、その為無意識に人との繋がりを感じ求めています。しかし、敗戦によって受けたトラウマにより迷惑をかけない様に人と繋がりたいと思うようになりました。そんなとき感情は邪魔になる事が多い、相手にコレを言ったらどう思われるか?、皆んなが一致団結してるのに私の意見なんて、と考える様になります。皆さんもそんな経験ありませんか?
そうやって皆んなが感情を抑えて行くと社会全体に感情を抑えるのが当たり前になり美徳とされます。そうやって日本人は感情を出せない様になってしまったと私は考えています。
そう、個人の問題では無く日本社会全体の問題なんです。
この問題は今や社会問題の一つ鬱増加に密接に関わっています。

皆さんは本音が言えて分かり合える、そしてどんな隠し事もせずに付き合える人がいますか?
そんな人が、そして仲間が居たら最高ですよね。

次回は『建前コミュニケーションから本音コミュニケーションへ』というテーマでお話ししたいと思います。




感情って何?

お久しぶりです。ヨシケンです。

 
GWいかがお過ごしでしょうか?
私は家族を離れ研修三昧でして、家族には申し訳ないですが楽しくさせて貰ってます。福岡は天気も良く本当にいい陽気です。
 
さて本日のテーマは『感情って何?』です。
そんなの知ってるよ、喜ぶとか怒るとか哀しむとか楽しむとかでしょう?
エエ、その通りです。喜怒哀楽ですね。
でもそれだけでは何の事やらってな話ですので、今日は『自分の感情出せてますか?本音出せてますか?』が本当のテーマです。
 
実は私、全く感情が出せない人間でした。感情を出すのは恥ずかしいとか、感情を出す奴は自己管理出来てない奴だ!とか本気で思ってました。感情が出せないのでその代わりに手に入れた武器が論理だったんです。
論理的に感情を出さない事が◯で、感情的な事は✖︎だったんです。
そうするといい事としては、いつも冷静に仕事が出来てあまり浮き沈みしなくなります。その反面大きなマイナスがあります。それは相手の感情が全く分からなくなり、更に自分の本心も全く分からなくなる事です。
コレは本当に怖い事です。なぜなら相手と関係性を築こうとしても理解出来ないので繋がる事ができず、ぶつかってしまうんです。また、今考えている事が本心なのかも分からなくなり、自分が何者か分からなくなります。
 
私は30代後半になってやっとこの事に気付きました。当初私だけの問題かと思ってましたが、学べば学ぶほどコレは多くの日本人に共通する問題ではないか?と確信を持つようになりました。
日本では建前コミュニケーションが本当に多いのは皆さんも周知の通りですよね。この建前コミュニケーションでは感情を出す事は出来ません。本音、本心を言おうものなら周りからの集中砲火は凄まじいものです。故に感情を押し殺して働く『感情労働』なんて言葉さえあります。それ位、社会やコミュニティからの抑制が強いんです。
人は感情の生き物です。感情は大きなエネルギーを持っています。それを日本人はほとんど使えて無いんです。本当に哀しい事です。
 
感情の解放は人間らしく生きる為に本当に重要な要素です。
ではどうやって感情を解放したら良いのでしょうか?
次回は、感情を解放出来ない原因は何処にあるのか?をテーマにしたいと思います。
 
 

友達

こんばんは、ヨシケンです。

私は今研修で福岡にきてまして、昨日の熊本の地震は福岡でも凄い揺れでした。
今朝になって多くの被害が報告されています。被災者の皆様には未だ大変な状況のようです。お悔やみ申し上げます。

今回のテーマは『友』です。
突然ですが、皆さん本物の友達はいますか?

本物の友達とは何でしょうか?

答えは後からお伝えするとして、まず今日あったエピソードをお伝えしたいと思います。
本日研修で、ある映像を見た時、私の心にエネルギーが強く流れる瞬間がありました。
それはある二人の偉人の関係性を描いた映像だったのですが、その瞬間はその中で『生涯を懸けた関係』という言葉に有りました。
自分に『生涯を懸けた関係』に当たる人はいるだろうか?なぜこの言葉に反応するのだろうか?色々な考えが巡りました。そして出た答えは、『私は本物の人間関係を築きたかったんだ!』でした。

そう本物の人間関係=心が通い合う関係です。そんな友達が欲しい!そんな人間関係を築ける人になりたい!
本気で感じました。

今そんな事を勉強してます。
そしてそんな仲間に囲まれている事を本当に嬉しく思います。

皆さんは本物の友達いますか?
もしいない方は私と友達になりましょう(笑)