夫との生活 2
暴れるようになった夫に対して、顔色を伺いながら生活する日々だった。
幼い我が子は顔色なんて分からず、床にごろ寝している夫にあそぼうと登っていく。
そんな愛らしい子供の動きにも、反応しない時が多々あった。
ソファーに寝たら?と勧めても、何故かいつも床なのだ。
しかも、
掃除できない、洗濯物を干しに行けない
それくらい家の生活導線のど真ん中に寝そべり動かなくなる。
そんな、24時間夫がリビングで動かない生活に、だんだんと私は煮詰まっていく。
不安と焦り。日に日に近づく出産予定日。
なのに働かない夫と、
「病気のせいだから仕方ないじゃん。あなた奥さんなんだから、面倒見るの当たり前」と言う舅姑の態度。
舅姑は20年ほど前に離婚し現在それぞれ再婚しており、簡単に言えば、夫には実家がない。
だから、奥さんが面倒見るのが当たり前。
結婚する時に
病めるときも、健やかなる時も、と誓っただろ?と。
じゃ、なんであんた達は離婚してんだよ!と思う私。
そんな時、ガスの使用量のお知らせが投函されてきた。
夫が寝そべってる部分は床暖房付けてるからいつもの倍近くの料金請求。
それを見て、夫が私に
「お前さ、何考えてんだよ!湯水のようにガス使うんじゃねーよ!少しは節約しろよっ!」
その瞬間、ずーっと堪えていたものがはち切れた。
すぐ必要な物と保険証類だけ持てるだけ持って、
息子とスーパーに買い物に行くふりをして羽田空港に向かい、遠く離れた実家に戻った。
私がでかい腹なのにベビーカー無しで小さい子供を抱いて、持てるだけパンパンにはち切れんばかりのバックを持って搭乗手続きをする私の形相がどんなだったかは分からない。
空港カウンターの女性からは、
「顔色が悪いから飛行機に乗るのはやめたほうが・・・」と言われたが、
大丈夫だから、とお願いして乗せてもらった。
夫の出がけの鬱モードと暴れてグチャグチャになっている玄関を思い出しては息が詰まり、からだが震えてきた。
離陸して時間が経つにつれ、徐々にほっと出来て、小さな息子に、「ごめんね」と謝った。
夫との生活 1
今までの結婚生活を振り返る。
まず、私が結婚に対しての考えが安易すぎた。
とりあえず結婚すれば一人前で親孝行だと、
普通の人と普通に結婚するのが幸せなんだと、
それ以前に大切な、相手への尊敬や愛情が、
人並みより少ない結婚だったのだと思う。
だから、仕事に行けない、行かない、すぐ帰ってくる夫を 多めにみてやれない。
共感もない。
結婚してやったのに、なんて自分にたいする奢りの気持ちは全くない。
でも、どうしても今の夫と結婚したい、とまでの気持ちは無かった。
「今なら結婚しておけるな」という、打算だ。
打算で結婚する人は珍しくないと思う。
共に過ごす時間の中で、共感や同じ経験を積んで、情が湧いたり、俗にいう「空気のような存在」になれたりする場合もあるのだろう。
ただ、私の場合は、結婚からわずか2年半にも満たない寒い日の朝、
夫が「仕事に行かない...行けない」と言い出した。
その時、私の片腕には1歳になったばかりの小さな子供。
お腹の中には7カ月になる2人目の子供がいた。
まず、退職するよりはマシだろうと考え、夫を無理やり心療内科に連れていった、お先真っ暗とはこのことだな、と思いながら・・・。
診断は予想通りのうつ病。
医師の言葉「鬱病です、しばらくお仕事はお休みしてください。お薬があわないようだったら直ぐに病院に来てください。規則正しい生活を心がけてください。日中は適度に外にでて散歩程度でいいから運動するように」
これを全く守らない夫は、
薬があわないないようで、放心状態のように一日中どんより、ダラダラ、ぐだぐだし始めた、しかも、何故か常にリビングのど真ん中、私と息子の生活動線のど真ん中に。
遊ぼうと近づく息子にイライラする夫。
寝室で横になったら?と促すとさらに火に油。
ひどい時は子供のおもちゃを私に向かって投げつける。
「薬があってないのかもしれないから病院に行ったら?」という言葉にもキレた。部屋中グチャグチャになるくらい、おもちゃや絵本をガシャンガシャンと投げつける。