疏水分線

ソガ/疏水太郎のブログです。

対話についてのアンカー (3)

「対話」という言葉について確認しておくと、それはデジタルコンピュータの歴史において「ユーザとコンピュータのインタラクティブなやりとり全般」を指す比喩としても使われましたし、人間同士の対話に近いことを人間とコンピュータの間に実現する意味でも使われてきました。

 

1960年の「Man-Computer Symbiosis」(ヒトとコンピュータの共生)で、リックライダーは人間とコンピュータが緊密に連携しながら知的な活動を行うための条件を幾つか挙げました。一つは処理速度の課題であり、これは Time Sharing System (TSS)による解決が期待されていました。ここで最後に挙げられていたのが入出力装置の課題で、そこでは「対話」という言葉の幅を窺うことができます。

まずは、現代でいうタブレットとペンのような入出力装置がほしい。これは「effective man-computer interaction」のための課題としています。

次に、複数の人が共同作業する場にコンピュータが参加するための壁面ディスプレイがほしい。これは「cooperation between a computer and a team of men」のための課題としています。

最後に、自動的な音声合成と音声認識によるコンピュータとの意思疎通に触れています。これは「speech communication between human operators and computing machines」のための課題としています。

以上では、interaction、cooperation、communicationという言葉が登場しています。いずれも日本語では対話と関わりのある語といえますが、特にコンピュータの世界ではinteractionにあてられる日本語訳として「対話」がよく採用されています(これは誰が最初に訳したのでしょうね?)その一方で、タブレットとペンのような入出力装置を用いたやりとりを対話と呼ぶことは、この3つの言葉の中でもっとも比喩的であるように感じられます。音声で意思疎通することのほうがより直截に対話と呼べないでしょうか。

 

interactionに対して日本語の「対話」という言葉をあてるとき、わたしたちが「対話」として感じ取れることの幅は少し広がっているのではないかという気がしています。

 

リックライダーが旗を振ったその後の人とコンピュータの対話の様子について、Project MAC(1963年~)で確認しておきたいと思います。Project MACはリックライダーの資金提供によってMITのロバート・ファノが開発を進めたTSSで、最初期のTSSであるCTSSの後継とされています。Project MACは文献や実機デモの様子が残っているため、当時の様子がある程度わかります。

こちらの動画の5:15あたりから、ファノ本人がデモをしてくれます。端末はテレタイプで、タイプライターのようなキーボードから入力した内容は電話回線で繋がったリモートのコンピュータへ送信され、コンピュータからの応答が印字で返ってきます。

Robert Fano explains scientific computing (youtube.com)

1964年のプロジェクト進捗報告書では、このデモの内容を文字で確認できます。動画では何が印字されているのか判らないため有り難いです。

THE MAC SYSTEM: A PROGRESS REPORT (dtic.mil)

進捗報告書では、まずABSTRACTにおいて人間とコンピュータの共同作業を「dialogue」と呼んでいることには注目しておきたいですね。

The notion of machine-aided cognition implies an intimate collaboration between a human user and a computer in a real-time dialogue on the solution of a problem,

Fig.2dにあるのは、素数を求めるプログラムをユーザが実行したときの様子です。下では判りやすいよう太字がユーザの入力、緑のItalicコンピュータの印字した応答としました。

resume prime
W 1112.0
# EXECUTION.

TYPE RANGE N1. TO N2. ON 2 LINES
1000000.
1001000.
PRIMES ARE
1000003
1000033
1000037
1000039
1000081
1000099
1000117

(以下略)

resume primeは、prime(素数を求めるプログラム)の実行を指示しています。

Wはコンピュータが指示を了解したことを示す応答で、その時刻が後ろに続いています。

その後、コンピュータは「TYPE RANGE N1. TO N2. ON 2 LINES」つまり、求める素数の範囲を2つの数字で2行に分けて入力するようにユーザに要求します。ここは原文では次のように説明されています。

The PRIME program asked for the numbers N1 and N2 defining the desired range of prime numbers;

コンピュータがユーザに対して ask していますね!

ユーザが1000000と1001000を入力すると、コンピュータは「PRIMES ARE」から始めて1000000と1001000の間にある素数を全て応答します。

 

コンピュータがその場で質問を返してくるこの体験は、マッカーシーが述べていたような1回の入力から応答まで3時間から36時間はかかるコンピュータとのやりとりとは大きく異なっていますね。

 

もともとチューリングによる思考実験の水準では、テレタイプ越しにコンピュータと対話することが語られてはいました。その後、実際にテレタイプ越しでリアルタイム利用できるTTSが生まれたとき、これこそが人間とコンピュータが言葉で「対話」している様子なのだということを、ようやく実機の存在をもって論じることが可能になったようです。これが、アンカー(1)で触れたJohn Walkerの整理によるTTS世代のユーザインタラクションなのでしょう。

 

対話についてのアンカー (2)

Time Sharing System(TSS)についてアンカーした点を埋めてゆきたいと思います。

 

TSS前夜としては、そのアイデアを記したジョン・マッカーシーのメモ(1959年)が広く知られています。当時のデジタルコンピュータが実際どう使われていて、今後どう使えたらもっと嬉しいのかということが背景として綴られています。

Memorandum to P. M. Morse Proposing Time-Sharing (stanford.edu)

*1

こちらのメモから注目したいことを数点挙げておきます。

Computers were originally developed with the idea that programs would be written to solve general classes of problems and that after an initial period most of the computer time would be spent in running these standard programs with new sets of data. 

デジタルコンピュータが生まれた当初の想定として、まずは汎用的な問題を解決できるプログラムが開発されて、完成後はそのプログラムを用いて新しいデータセットを解くことにコンピュータの時間は費やされると考えられていた、ということでしょうか。

1950年前後の初期のデジタルコンピュータがこの想定だったとすると、それは現代の私にとってピンとはこないのですが、どうだったのでしょうか。しかし、その後間もない1956年にマッカーシーが人工知能という名前を示したこと、1957年にはサイモンとニューウェルが汎用の問題解決プログラムの一種(GPS)を開発したこともあって、デジタルコンピュータの最初の10年は汎用的な問題解決能力を持つ人工知能の検討とも切り離せない揺籃期だったようには思えます。

This view completely underestimated the variety of uses to which computers would be put. The actual situation is much closer to the opposite extreme, wherein each user of the machine has to write his own program and that once this program is debugged, one run solves the problem. This means that the time required to solve the problem consists mainly of time required to debug the program. 

しかし、現実はそうでなかった、というのが論旨となっています。実際には、ユーザごとに自分が解きたい問題のためのプログラムを書く必要がありました。完成したプログラムが存在しない場合、ユーザは自分のプログラムをデバッグしながら完成させる必要があります。つまり、ここで問題解決にかかる時間とは主に、このデバッグのための試行錯誤に掛かる時間になっているということです。

ここでは、当時のユーザとコンピュータの間で発生しているやりとりが、ほとんどデバッグであったという様子を窺えます。マッカーシーのTime Sharingはこのデバッグのために必要なやりとりの速度を改善するアイデアで、従来は入力から応答まで3時間から36時間までかかっていた人的・機械的手続きを数秒程度に短縮することを目指しています。

 

この Time Sharing の実現のために必要な装置は次のものです。

a. Interrogation and display devices (flexowriters are possible but there may be better and cheaper).

デバッグのためにコンピュータを操作し、素早い応答を得て、試行錯誤できること。この操作をマッカーシーは「Interrogation」と呼んでいることに注目したいと思います。Interrogationとは、質問をする、特に系統だった質問をすることを言います。マッカーシーの感覚では、コンピュータに対して人間に行うよう「Interrogation」の語をあてるのは、自然なことだったわけです。

マッカーシーとしては、コンピュータがいずれ知的な相手になるものと考えていたから出てきた言葉だったのかもしれません。

*1:宛先のP.M.Morseは当時のMIT計算センターの所長であり、このメモはセンターに次年度導入予定のIBM 709の用途に関する提言となっています。 Project MAC (archive.org)

対話についてのアンカー (1)

会話型インタフェースに関する通史をひとつ整理してみたら3時間ほどの話になったのですが、それでもそれぞれの項目が薄くはなってしまったので今後の取っ掛かりとなるアンカーを残しておきたいと思います。

 

そもそも人工物と会話するという観点の発生について。例えば太古から鍛冶師は鉄器と会話するという気持ちでいたのかもしれません。そういう比喩が文献として出てくるのか、少し気にはなっています。ただ、話題としてはコンピュータの時代を扱いたいので、遡るとしてもまずはデジタルコンピュータの誕生に繋がる話までで良いかなとも思っています。

 

それでは、1949年のEDSAC誕生の時点ではどうだったでしょう。ハードウェア面では入出力にテレタイプ端末が使われています。それまでのテレタイプの機能は、キーボードや紙テープで入力した電信が遠隔地で印字されるものでしたが、それは当時どのような気持ちで使われていたのか。ペンのように体に馴染んで透明化する道具であって、テレタイプ端末「と」対話するという感じはなかったかしら?

 

デジタルコンピュータは、機能面では従来の機械式計算機の延長上にもあります。つまり、入力すると計算結果を返してくれるという風に。これは当時、どの程度対話的な出来事だったでしょうか。プログラム内蔵型になったので、以前よりも幅のあるやりとりができるようになった、という印象はあったかもしれません。

 

後の60年代にタイムシェアリングシステム(TSS)が登場するに際し、少なくとも遡及的には、まだ生まれたばかりのデジタルコンピュータは対話的ではなかった、と考えられていたようです。TSSの文献は直接当たっていないのですが、たまたまさっき読んだAutodeskの創始者John Walkerの整理によると、タイムシェアリング以前のバッチ処理の世代に対し、TSS世代は対話的(conversational)であるとして、かつてチューリングの仮定した思考実験(チューリングテスト)がようやく実際に出来るようになったことを指摘しています。

Third generation: Timesharing

ちょうど1960年には、リックライダーが「ヒトとコンピュータの共生」のなかで、人とコンピュータがまだ対話的なやりとりの出来ていないことを指摘していた、ということもあります。

 

しかし、人とコンピュータのやりとりが対話的と思えるかどうかはいつも現在の技術水準における物足りなさがもたらす属性であって、それはその後もコンピュータの世界で言われ続けることになる「速度」の属性と似ているのかもしれません。

 

 

聖痕とヴィジョン

 


劇場アニメ「青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない」を観てきました。劇場前作は進路の話として、本作は母子の話として揺さぶられるところがありました。いずれも兄妹の動きが軸となるところも大いに好みでした。

 

映画館から帰ってきて、作中の概念である思春期症候群について話したい気持ちになりました。原作小説は読んでおらず、テレビシリーズを観た記憶もだいぶ古くて印象に頼るところが多いのですが、ランドセルガールを観て個人的に好きな主題があるように思えたため勢いのあるうちにここへ書き残してみます。

 

今作で何度か説明されることとして、母親とは母である前にひとりの人間で、自分の考えでなにか行動を取ることがあります。そして子供の側としては、母がどういう人間かというのはよく知らなくて、何を考えているのかも判りません。その結果、麻衣さんは中学時代のグラビアの件で怒りを抱え、理央さんは母のことを諦めています。咲太さんも自分の母親がひとりの人間としてどうかはほとんど知らなかったといいます。親の気持ちは親になるまで判らなくてよい、とも語られました。ここで、こうした難儀さはどうしようもなさそうに言われているのですが、どこかに解消の余地がないのでしょうか。いえ、実際、母と兄妹が集う最後の場面には、これまでの関係が氷解する瞬間がありました。しかし、そういうことは簡単には起こらないわけで、では、あの瞬間に至るまでになにがあったと言えるのでしょうか。

 

そのためにはまず映画一本分の尺を要したということになります。青ブタシリーズのお話は、基本的に思春期症候群によって幕を開けます。今回、咲太さんは思春期症候群の訪れをお腹にできた傷によって確信します。傷や痣が体に生まれることは、本シリーズでは思春期症候群の証拠のひとつであって、今作でも麻衣さんや理央さんに見せて回ることになります。でも、えっと、これ一体どういうことなんでしたっけ?

 

不可解な出来事を理由のよく判らない不可解なものとして抱え続けるのではなく、解明すべき事件として取り組むための確信をもたらすものとして、傷は現れています。人は、目に見えるものは本当らしいものとして感じてしまう性質がありますね。だけど、《目に見えることならすべて、すぐに信じるかい?》どうかな?

 

目に見えるものの一種として古来、夢で見たことについても信心されてきました。あるいは巫女が見る宗教的な幻覚のようなものもあったかもしれません。それらは神託として、あるいは未来視として、目に見えるように思えることはヴィジョンと呼ばれてきました。現代人のわれわれはヴィジョンにどこまで信を置くことができるでしょうか。(いえ、昔の人もあまり信じてなかったかもしれません。)身体についた傷は、たしかに目に見えるものです。そしてダメ押しと言ってよいでしょうか、本シリーズではこの傷が別のひとによって実際に触ることもできることが強調されています。

 

ヴィジョンは、自分の意志とは関わりなく降りかかってくるものであるといえます。これは夢のことを思えばそうですよね。ときおり迫真の夢から目覚めたときの戸惑いを思えば、それに類したことが降りかかってきたとき、自分になにができるでしょうか。本作において体に物理的な傷や痣ができることは、ヴィジョンに襲われ、いったいいま自分がどのような状態であるのかすら曖昧になる、というようにはならない手がかりを与えてくれています。つまり、いま自分が思春期症候群と呼ばれる都市伝説に見舞われているという確信によって、事態を解くための動きを取ることができるようになっています。

思春期症候群に関わる彼らは、眼の前で起こっているありえない出来事について、傷と同様に目で見えていること(ヴィジョン)であるがゆえに、実際的なものとして捉えてゆきます。今作で変容して見えたヴィジョンは、自分がまわりの人々を映像のように見ていることしかできない状態であったり(これは第1話の麻衣さんと同じ)、ランドセルガールの登場というのもありましたが、そのうちもっとも巨大だったのは、家族がまったく別の生活を送っている世界にほうりこまれたことだったと思います。こんなにも思い通りにならず降り掛かってくる事態はいったいなんなのでしょうか。まぁ、判らないのですが、そのなかで母の日記を読んだり、別の世界の母と会話をしたりということが出来て、そのことが最後の病室の場面へ繋がってゆきます。

 

母親とは母である前にひとりの人間である、という言説で閉ざされてしまう事態があって、それによって生きる難儀さを抱えているとき、不随意に訪れるヴィジョンは言葉を超えるための希望になるのだと思います。映像作品において彼らの見たヴィジョンとはわたしたちもそのまま目の当たりにすることであって、映像作品の良さというのはヴィジョンの共有、ひいてはこうした希望を分かち合えるところではないかと、わたしは思っています。

 

さて、今作の最後は大学生編の予告となっています。ここでは本シリーズにおいて一種の未来視ができるとされる牧之原翔子さんが「見る」ことのできない存在として、霧島透子という人物の存在が警告されます。このことは、これまでヴィジョンについて描いてきて幕を閉じた高校生編に一石を投じる展開であるように感じています。

 


なお、わたしのヴィジョンへの思い入れについては「宇宙よりも遠い場所」という作品でわたしが好きな場面を語るときにも出てきていますので、宜しければそちらも読んでいただければと。

白石結月さんと夜のヴィジョン - 疏水分線 (hatenablog.com)

 

 

アリスとテレスのまぼろし工場

以下、映画「アリスとテレスのまぼろし工場」のネタバレはたぶんありませんが、TVドラマ「ねらわれた学園」(原田知世さん主演)のネタバレがあります。

 

 

上の本予告映像を映画館で見たときの「未来はあなたのものよ、でも、正宗の心は私のもの」という言葉が気になっておりまして。じゃあ、正宗くんの体は誰のものになったの?

そんな変な問いが出てくるのにはわけがあって、昔みてたTVドラマでずっと心に残っている場面があるからなんです。SF作品「ねらわれた学園」で京極さんという超かっこいいエスパーがおられるのですが、このひと最終回では結果的にある女の子の体だけ未来へ連れていって、心は現代に残ったんですよね・・って言っても伝わらないか。

未来からやってきた京極少年(本田恭章)の手下で彼のことが大好きな高見沢みちる(伊藤かずえ)というひとがおられるのですが、京極さんは主人公の楠本和美(原田知世)のほうをパートナーに選んで未来へ連れて帰ろうとします。和美さんはみちるさんの気持ちを知っていたので、超能力でふたりの意識を入れ替えて、未来へは和美さんの体(意識はみちる)、現代にはみちるさんの体(意識は和美)が残るという結末でして、文章で書くとそんなんでいいのかと思われるかもしれませんが、ドラマとしてはこれがなかなかにファンタスティックで晴れやかな終わり方でした。現代におけるラストシーン、みちるさん(伊藤かずえ)のそれまでのことが吹っ切れたような笑顔は、中身が和美さんであったとしても、ふたりにとっての良い結末を感じさせるものでした。これずっと好きです。

あとは映画本編を見た上での感想となります。さて、あの場面ですが、例えば「正宗の心は私のもの」でなく「正宗は私のもの」と置き換えることができるだろうか、というのがこの台詞を気にしていた結果として抱いた思いでした。「心は」というのがあえて入れられたように思えたわけですね。作品の射程として心身問題のことも考えてしまうところはありましたが、その話題を差し置いても、あの場面で睦実さんが「心は」とあえて仰るのは、変化しない暮らしのなかでの心の変容を描いていた物語の流れにぴたりと当てはまる瞬間だったなぁと思えましたので、なんだか妙なフックをもったまま本編を見たのではありますが良かったんじゃないかなと。

陽菜さんはじめクラスメートのひとたち好きです。車のシーンとくに。

イメージの領域

 

映画「グリッドマンユニバース」の感想です。まず六花さんが、もう高校2年生だから、と言うところが好きでして、自分たちが変わった理由として学年を持ち出す言い方にわたしはいつも胸がざわっとするので、今回もまずはそこで立ち止まりました。もう〇〇だから、っていうのは幼稚園児から高校生まで誰にでも当てはまる瞬間がありそうなフレーズでして、もう小学6年生だから、と言った次の年にはまた、もう中学生だからと言えます。ここで学年や小中高という水準が持ち出されるのは、去年の自分を振り返るためにそういう学年の節目が判りやすく思える、変わってゆく自分を毎年のように学年で測ることができるのは、毎日を通園、通学して過ごす年ごろのひとたちの特権であるような気がしています。

 

しかし中学生であることへの気負いは当事者だけのものであって、大人が新世紀中学生を名乗ることにはズレを感じます。彼ら、彼女らは世界を渡り歩いて、裕太さんたちの生きる時間の流れからも切り離されてるようにわたしには見えるのですが、ズレ、というのはそのこととも重なってるようで、ガウマさんに至っては名前すら変わってしまった、そういうマルチバースの旅人になってしまったひとたちのことを考えると、ガウマさんとの二度目の別れもやっぱ辛ぇなあと思いました。

 

とても面白い作品と自分が大好きな作品というのは別でして(というのはよくあることだとは思いますけども)、よりもいも単にとても面白い作品ではなく大好きなほうの範疇に入れてる作品になっていまして、それは自分だけがここを好き、と思い込める強度をどこかに見つけた作品、ということになります。よりもいだと第3話の結月さんの夢うつつがそれでした。それはもうこのブログとかでいっぱい書いてきたやつです。

 

SSSS.GRIDMAN がわたしにとって単にとても面白い作品ではなく自分の大好きな作品になってる理由は、最終話のラスト3カットが深々と突き刺さっているためです。以下は直後に書いた感想から。

これ友達に説明しても、そうでしたっけ・・?と言われたところなんですが、まず SSSS.GRIDMAN の OPアニメのタイトルバック、つまり、しーんりゃーくーさーれーてーるーぞー、の後にでる画は、顔を天へ向かって上げるグリッドマンのスチルでして、最終話のラストカットでもタイトルバックでアカネさんらしき人物が顔を天に向かって上げる同じシルエットで重ねてきています。そこに美しいものを見てしまったんですよね、わたしは。

 

シルエットというものは具象が落ちますので抽象が滲んでくるように思えます。シルエットと観念的なところを結びつけるのは通俗的でいやん、という方もおられると思うけど、影もわたしがむかしっから好きな要素なので熱く語るのは許してほしくて、なんか普段そういうことを思ってるとね、また今回の劇場版で見ちゃったわけですよ、影を。

 

SSSS.DYNAZENONの「インスタンス・ドミネーション」は、声に出してポーズを取りたい日本語として記憶されます。河原に立つアカネさんがこのポーズをなぞった瞬間、それがあの時のシルエットと同種のものに感じられたのでした。絵を描いてると、シルエットにはポーズが伴うよう意識してることとも関わってるのかもしれません。また、劇場版本編開始前のTRIGGERのオープニングロゴから気になっていた「瞳」の存在も影響していたかもしれません。瞳へ向けていた注意と「インスタンス・ドミネーション」の構えが重なったとき、はっとする思いがありました。

 

SSSS.GRIDMANのラストカットのシルエットも、ユニバースの河原でのインスタンス・ドミネーションの構えも、どちらも人間がイメージの領域に触れる瞬間が描かれていたのではないか、そう感じられることがわたしには嬉しかったのです。

 

ひといきの漫画

さて、夜闇にまぎれて今年あらたに読んだ漫画で好きな作品の話をしてゆきます。

 

加藤 龍勇「Scar Face」1-6巻

加藤さんの漫画の境地に至れるなら今の自分の絵などはぜんぶ投げ出してよいと思われるのですが、覚束ないまま明後日の方向を向いて絵を描いている次第です、

だけど、時々まねしようとしてみたり。

 

Scar Face では特に美少女と猫、音楽そしてSFという初期短編作品の諸要素を見つけられることも楽しみでした。それでいま改めて思ったのは、近年の長編作品では漫画の姿も変わってきてたのだなぁということ。読んでいてロングトーンを感じるんです。一息が長い。

 

漫画からコマ割りがなくなって、フルカラーのページを1枚ずつめくってゆく形になったのが見た目における明らかな変化です。コマがリズムを生み出すのではなく、1ページが1つの拍を生み出して1つの巻を構成する270ページを一気に吐き出しています。

加藤さんの漫画において音楽が世界の核心であることはモチーフであり続けていますが、いまは絵も言葉も音楽的なものと一体になりつつあるのをこのロングトーンについて感じています。人物と環境は半ば溶け合いながらも確かなエッジをもって連続し、言葉は明確に置かれて、独り言やふたり言を時にまくしたてる、そこに拍があって、拍を追いかけるときに感じる長い一息のような持続性は、たぶんわたしが息を止めるようにしてこの漫画を読んでしまうことと呼応しているように思われます。