教え子が落ちた

小学六年生、中学受験を終えた

 

結果まあ、滑り止めのところにしか受からなくて

 

中学受験を甘く見てました

 

とその子のお母さんから連絡があった

 

たしかに。

たしかに慶應はまぐれで受かる学校ではないし

慶應の前に、通常それよりも偏差値が低い学校でも怪しい学力で

正直に言ってしまうと

受かる学校があってよかった

という成績。

 

もしかしたら、を期待しすぎていたが故のショックだと思う。

冷静に見れば、ほぼ100%厳しい状況。

 

だけどなんか

 

 

 

いいな

 

と思った。

 

一生懸命努力して

まあ結構ふざけてたけど

 

わからないことをわからないと言う、

ショックだったことをショックだったと言う、

それでも僕はここから東大を目指す!と言う、

 

見栄のなさというか、

正直さというか、

自分にものすごく期待してる感じが。

素直さがとても

 

羨ましいなと思った。

 

 

 

 

みんなたぶんだんだん歳を重ねるごとに

 

どうせ私は、と思ったりとか

恥ずかしくて聞けないことが増えたりとか

どうしても賢く見せようとする気持ちがはたらいて

 

なかなか素直に言えないことが多くなる

 

 

 

最近、自分スカしてたなーと反省した

 

わからないことは聞く

悲しいときは悲しいと言う

自分に期待する

 

 

そういう小さなことが本当は大きなことで

大切なことなんだと思ったりした

 

 

彼にそのまま、そのまま大きくなってほしいと思う

ちょっと激しいところはあるけど

その素直さのまま、どうか大人になってほしいと思う。

忘れたいこと、ありますか

忘れたいこと1つだけ、

きれいさっぱり記憶から消してあげますよ

 

と言われたら私は何を選ぶのだろうか

 

 

あのときの父親のきつい一言か

どうにもうまく出来なかったあの瞬間か

好きだった彼との幸せな気持ちか

 

 

どれを消したら私はいま最高にしあわせになれるのだろう

いまよりもっと楽しい気持ちで生きられるのだろう

 

 

私たちは常に記憶という記録をつくりながら生きていて

そりゃ毎日生きていれば

大変なことも痛いこともあるし、面白いことも楽しいこともある。ラッキーなこともあれば超不運なこともあって、理不尽さとか退屈とか、どうにもならないことにもどかしくなったりもする。

これらは連続的につながってどんどんやってくる、よくも悪くも休む間も無く目白押しである。

 

 

だからなのだろうか、

つらいきもちはなんだかいつも

しあわせなきもちと紙一重で

 

つらいきもちを記憶から消されることで

そのときのしあわせなきもちも忘れてしまうくらいなら

なにも忘れなくてもいいかな

とも思う

 

思い出してはつらくなる引き金となったとしても

 

一生懸命にしあわせだった自分に申し訳ないし。

 

 

忘れたいこと、忘れられたら楽だけど

なにも忘れられなくても、まあいいのかな、

つらくてかなしくて、だから十分しあわせなのかな

 

 

 

 

 

たぶん。

 

むずかしいよねーで終わる会議

口ぐせではないのですが、口ぐせで思い出したことがあったので、書いておきます。

まず、会話をしていて

あこの人この話興味なさそう

って気づく瞬間やきっかけになる言葉って人それぞれあると思うのですが、

その1つに

むずかしいよねー

があると思いまして。

 

 

これがこうでこうなんだけど、どう思う?

それはむずかしいよねー。

 

 

完全に興味なさそう。というか、考える気ないのバレバレ。

でも本当に難しいとしか答えられないんだよ!!ってときもあるのはわかるけど

むずかしいよねーって言われてしまうと

そうなんだよねーわかるわかるーで話が収束に向かうことが多いんですよね。

 

ただ共感してほしい、答えなんて求めてないの!っていう会話ならいいんですけど。

 

会議とか反省会とかでやってはならないし、

あと恋人との会話でもあまりやらないほうがいいのではないかと思いました。

 

表題にあるように、むずかしいよねーで終わる会議の意味のなさ。

むずかしいから話題に出したんです。欲しいのは共感じゃなくて答えなのに。

それ、よくあって困ってるんですよねーなんとかしてます。

どうやってなんとかしてるか教えろよ!!!!!!

いい解決方法見つけようよ!!!!

共感はいらねえんだよ!!!!!!!

 

 

 

あと恋人との会話で。

 

ご飯、あれとこれとどっちがいい?

むずかしいなあ...

 

 

は??

どっちか答えりゃいいのに、考えるのが面倒なだから考えてる風を出すために言ってるだけでしょ?どっちでもいいなら先に言った方にするとか決めとけよ。

みたいな。

 

 

 

ただ、こりゃ困るなと思っていることもあって、本当に共感してほしいだけの会話もあるじゃないですか。

そのときの最適解は

むずかしいよねー

だと思うんですよね。

そんなの簡単じゃんって言われたらムカつくし

かといって、邪険にするのもあれだし

けど相手は答えを求めていないなあってときは

むずかしいよねー

が正解だとおもいます。

 

 

それを嗅ぎ分ける能力が私には乏しいので

基本的に

むずかしいよねー

は言わないようにしよう、と心に決めています。

 

 

相手は相談をしたいのか、共感を求めてるのか

見分けるのはむずかしいですよねー。

可愛いということ


私は可愛いと思われたいと思って生きてきて
そのくらいの顔面レベルではあると思っていて
人前に出るときは特になるべく多くの人に可愛いと思われたくて
何よりも自分を気にするタイプでした。

鼻毛出てないかなとかそれは礼儀の段階ですけど
いろんなことを気にしていました

でもまあ20歳も過ぎれば自分のレベルというか、いわゆる顔面偏差値とか臨機応変さとか
コミュニケーション能力とか優しさとかつまり

自分の中のあまり変えられない部分って
ある程度わかってくるじゃないですか

その際たるものが顔で。

やっと気づいたんですよね

私そんなに可愛くねえや

って。


いやもうさすがに気づかざるを得ないし。
もう少し可愛く生まれてたら人生違ったなとか思うけど無理だし。
よくも悪くも期待せず、諦められる年齢になってしまったんですよね。



でも、それで良いことがあったので
書いておこうと思います。

①人前に出てもあまり緊張しなくなった
可愛いと思われようと思わないと
自分がどうとかよりも聞いている人が楽しいか、笑ってくれるかのほうが重要になりました。
で、緊張しなくなりました。
単純、でも意外と重要。


②面白がってくれる人が増えた

そりゃ可愛いと思われたくてそういう態度でいたら、なんとなくその気持ちって見えるし
うざいなーと思います、自分でも。

けどそれを辞めたら、
いいよ、いい。おもしろい
って言ってくれる人が増えました。
楽しいです。







可愛い顔に生まれてちやほやされる人生も
羨ましくないと言ったら嘘になるけど
なんだか私は
おもしろい
と言われる今の方が幸せかもなと思っています。



とても可愛い、かっこいい人なんて本当にちょろっとしかいなくて

これを読んでくれた人がいたとして、
会ったことはないけどだいたいそんなに可愛くないしかっこよくもないです。
美しい顔に生まれたら人生イージーモードだったかもなと思うこともありますよ、ありますけど
美人も美人で大変そうだし
モテてモテても困るしね、いい男を見極める自信もないですし。


変えられない部分は諦めることも肝心。
だからって傲慢になってはいけないけど
それにこだわりすぎるより、
もっと自分のいいところを他人に認めてもらえたら
人生イージーモードだぜと思った深夜1時でした。

鈍いことの話

少し前なのですが映画をみました。

「おんなのこきらい」という映画です。

おんなのこの色んな面をえぐる最高の映画だったなあと今になって思うのですが、

見終わった直後の感想は

よくわからん

でした。

主演の女の子は本当に可愛い。間違いなく可愛かったです。


そして私はそんなに可愛くはなくとも少なからず共感できる部分はあった。

だけど、よくわかんなかったとしか言えなかった。



話はころっと変わるのですが、

私は紙に書いて物事を整理整頓するのが好きです。

予定を手帳に書いて、一週間分の予定を整理し何度も頭でシミュレーションする。

そうすると、ここでなにをやらなきゃいけないなとか、ここで時間があまるから何かでるぞ

とわかりやすくなります。

小学生の頃、算数の問題を解くときも、ちゃんと図を描いたほうがよく理解できた気がします。




そんなこんなでやっと、気づいたことがあるのですが端的に言って



私はどうも鈍いみたいなのです。




「世界にひとつだけの花」をはじめて聴いたとき、草なぎくんはその良さがいまいちピンと来なかったそうです。

国民的スターと同じと言ってしまうのは気が引けますが、こういうことだと思うのです。



そしてこれは現代社会を生きていく上でなかなかの欠点なのではないかと。

遅ればせながら気づいてしまったわけです。




10年ひと昔とはそれこそひと昔前の話で、今では5年ひと昔というそうです。

それ程はやいスピードで世の中は進んでいる。

そのスピードについていくには、

いや、

そのスピードで進む世界の中でも先頭を切りたいと思ったら、それ以上のスピードで走らなくてはならないのだと思います。

あらゆることをさっと捉えてアウトプットする力が求められているような気がします。



だけどたぶん

私にはそれが出来ません。

出来ない人は他にもたくさんいるんだろうなあと思っていて、

就職活動や受験の面接など、他の人と戦う場面、ちょっとずる賢さも必要な場面であまり強い人たちではないと思います。

それを言い訳にしていいわけではない(シャレじゃない)けれど、たぶんそうだし直すのもなかなか難しいんですよね。

そうやってこれまで生きてきちゃったし。


ただ、そんな私にもある強みがあると思っていてそれは


反応の瞬発力はないけれど、じっくり考えるのが得意であること

そして

そうやって出した答えは、誰の答えより考えに考えたものであること


です。


他の人がどのくらい同じことについて考えているかは知りません。アンケートを取ったこともないです。

だけど長い間考えて出したものは、ふとした気まぐれではないから自分の本当に近いはずなんです。

自分の心の中に本当にあるものは、ちゃんと自分の言葉にして、文字にして伝えることができます。

これは結構大切なのではないかと思うわけです。


付け焼刃ではない、本物の考えは意外と相手にきちんと伝わるものです。

これもだいぶ長いこと考えた結果なので大丈夫なはずです。



だから私と似て鈍いみなさん。

鈍いと思ってなかったけどこれを読んで気がついてしまったみなさん。






どんまい






だけど、がんばりましょ!



おわり。