kiiroiennpituの日記

目についたことを書いてみたい

走れ、走れ、走れ

買い物に出かけた。家の近くの公園で園児の集団に会った。

バス停に向かうには、その中を通って行かなければならない。園児が走り回っている。その中を行くと園児が私の周りを走りながら「おはよう」「おはよう」と一人ひとり声を掛けてくれる。女の子、男の子と実に愛らしい。

子供に声を掛けられることなど滅多にない。私の顔は、自然にほころび「おはよう」「おはよう」と一人ひとりに声を掛けた。

園児が遊んでいる端で女の先生がそれを見ていた。

私は、軽く会釈をした。先生も笑顔で頭を下げてくれた。

園児の走りが方が速い。壮快である。実に頼もしい。

私もあのような年ごろには、速く走ったのであろう。誰よりも速く走った筈だ。

それが、今では、自力で自分の体を前に押し出す事さえおぼつか無い。足が痛む。途中で小休止をとりながらの歩きである。

遠い、遠い昔の話だ。

バスに乗り優先席に腰を下ろし、ほっとした。

 

老いると病院へ走る回数も多くなる。今日は二つの病院を

一週間前から腰が痛みだした。転んだ記憶がない。考えてみると左肩からショルダーバックを下げ

右手には買い物袋を持って歩いた。それもいつもより重い。特別なものを買ったわけではない、年を重ねるにしたがって、荷の重さが肩に食い込む。昨年は、こうではなかった。最近は、ショルダーバックを肩から下げるのも億劫になってきた。兎に角辛い。歩いたのは、時間にして僅か20分程度である。歩道の雪も解け始めアスフアルトが顔を出した。そこを若い者に負けじと胸を張って歩いた。途中で右の腰に痛みが走った。「うっ・・やったか」と思った。しかし、このぐらいのことで根を上げてたまるかとそのまま歩いた。痛む、腰が痛む。

家に帰って早速湿布薬を腰に張った。少し楽になった。翌朝ベッドから降りると右足の太ももに痺れがあった。「なんだ、これは・・・」洗面所に立つと腰が昨日よりも痛む。転んだわけでもないのに「なぜ・・」と思いながら、前に病院で貰った湿布薬を貼っておいた。

しかし、なかなか良くならない。だんだんと痛みが増しだした。家内が腰を見て「少し赤くなっている。それに腫れている」という。指で触ってみると確かに腫れている。これは皮膚科に行く必要があると思った。が初めは腰の痛みからである。整形外科か皮膚科と迷ったが、そもそもの発端は、腰の痛みである。整形へ行くことにした。レントゲン写真を5枚ほど撮られ

たが、医者がいうには、「これは帯状疱疹です。今、手紙を書いてあげますから皮膚科へ行ってください」と言う。

その手紙を持って、家の近くの皮膚科へ行くとそうだという。

帯状疱疹になったのは、初めてである。医者から貰った説明書では、一度この病気になったら二度と罹らないそうだ。年齢層は50代から80代と高年齢者に多く、特に女性に多いそうだ。

それにしても、先月は、胆石の疑いで2週間ほど入院したばかりである。自分ながら嫌になった。

 

老いても友は生涯の友

昨日、一年ぶりで札幌にでた。デパートで買い物をして地下街を歩いていると前方

から二人連れの男が腕を組み合って歩いてくるを見た。

一人は、背が高く、細身である。もう一人は、無精髭を生やした丸顔の男で背が低く体全体も丸く体重が相当ありそうだ。その背の低い男が、高い男の右手に左手を回し込み腕を組んでいる。

この昼間から酒でも飲んでいるのかと思ったがそうでもないらしい。足が悪いのかと

思ったがそうも見えない。背の高い男は、黒のダウンジャケットを着こみジーパンをはいている。年の頃は、二人は既に70歳を超えているだろう。丸顔の男は、白の防寒コートを着ている。二人は、楽しそうに歓談をしながら小生の傍を通り過ぎていった。

あれは、どのような関係なのか。子供どうしの腕組や女性どうしの腕組は、何度も見掛けるが年寄りの腕組みは夜の歓楽街ならいざ知らず、昼間に見かけることは珍しいことだ。あれは気心の知れた者どうしでなければ出来なことだ。兄弟か、それにしても似ていない。腹違いの兄弟か、まさか親子か。いや、どう見ても他人どうしに見える。飲み友達か。遊び友達か。何れにしても二人は、定年前の職場の友では決してありえない。地下鉄の中でも考えたが結論がでない。

それで思った。あれは、恐らく竹馬の友だろうと。

 

 

 

 

 

春がそこまで

やっと春がそこまで来たようだ。散歩にでた。だが、風が冷たい。この時期の風は、融けだした雪の上を撫で回し冷たくなって人に纏わりつく。陽の光が射しているにも係わらずフードを被っての散歩である。それに口には、マスクを。どうも怪しい奴に見えやしないかと心配である。大型スーパーに入っても落ち着かない。マスクを取るわけにも行かない。そうインフルエンザである。既に峠を越したと言われているが、このあたりが最も危ないと思っている。暑からず寒からず、丁度、中間地点である。ここで気を抜いたら最後のインフルエンザを貰うことになる。

4月まで、この姿で通そうと思っている。というのは、マスクをしていると冷たい風が直接当たらず顔が暖かい。物怪の幸いである。

それにしても北海道の春は、まだ先のようだ。

春がそこまで

やっと春がそこまで来たようだ。散歩にでた。だが、風が冷たい。この時期の風は、融けだした雪の上を撫で回し冷たくなって人に纏わりつく。陽の光が射しているにも係わらずフードを被っての散歩である。それに口には、マスクを。どうも怪しい奴に見えやしないかと心配である。大型スーパーに入っても落ち着かない。マスクを取るわけにも行かない。そうインフルエンザである。既に峠を越したと言われているが、このあたりが最も危ないと思っている。暑からず寒からず、丁度、中間地点である。ここで気を抜いたら最後のインフルエンザを貰うことになる。

4月まで、この姿で通そうと思っている。というのは、マスクをしていると冷たい風が直接当たらず顔が暖かい。物怪の幸いである。

それにしても北海道の春は、まだ先のようだ。

病み上がり

先月のことだ。18日間病院へ入院した。急性胆のう炎である。前から糖尿病であった。余病の併発かと思われたが、そうでもないらしい。

とにかく、定年退職してから、この方10年以上は、家内に面倒をかけっ放しである。

それで二人で旅行らしき旅行にも行ったことがない。元気になったらと思おうが、なかなか元気になれないでいる。

世の元気な高齢者を見ると羨ましくなる。定年退職したなら好きなことを大いにやってみたいと思っていたが、病気がその一つになろうとは夢にも思わなかった。

まあ、これも宿命と割り切り、これからの生き方も自分の身の丈にあった生活に心掛け、無理をせず気長に生きることにしている。

家内に世間並みのことができないためその埋め合わせとして、小生が寝たきりにならないように、できる範囲での身体作りをしている。

一日おきに散歩に出る。30分は歩くことにしている。これがつらい。つらいが歩く。黙々と歩く。歩道を歩いていると結構、歩いている人に出会う。一人や二人ではない。中には、高齢者を見かける。中年らしき人も走っている。なんだか同類がいるかと思うと嬉しくなる。自分自身に頑張れと声を掛けながら一日おきに歩く。

何となく定年後の大いにやってみたいことが定まってきたようだ。小さな趣味だが自分にとっては、最も大切なことになりつつある。

歩くのにも命がけ

今朝、カーテンを開けて驚いた。裏の家の屋根の雪が一気に落ち、我が家のベランダのガラス戸の半分が埋まっていた。

この家に住んで30年が過ぎたが、これまでこのような経験をしたことが無かった。毎日、カーテンを開けるたびに裏の家の屋根を見て、今年は雪が多いと思っていたが、このような被害にあうとは思ってもいなかった。

この家は、3年前から空き家である。人が住んでいないせいか家の中が、常に冷え込んでいる。人が住むと屋根が暖められて雪も少しづず落ちるのでそれほど実害はない。

ところが空き家で3年も過ぎると、外観は、何の遜色もない形で残っているが家の中が徐々に朽ち始めているのであるう。

今日は、少し暖かいので散歩に出た。昼ごろ、帰ってくる途中で似たようなことに出っくわした。

我が家の一本裏の道で、角地の家の前に消防車が2台、それにパトカーが2台停まっていた。「火事か・・・」と思ったが、火が出た様子がない。

屋根の上に、消防士が2人上がって、スコップで雪を下している。その家の周りを12.3名の人が取り囲み心配そうにそれを見ている。

「どうしたんですか」と小生が見ている人に聞いたところ、人が埋まっているかもしれないので調べているという。

「人が・・・」確かに道路側に屋根から落ちと思われる雪が、それも小型トラック一台分はありそうだ。

この角の家は、小生が、散歩の帰りに必ず通る道に建っている。この家も既に5年以上前から空き家になっている。角地で道路側に屋根の雪が落ちるよう設計されている。運悪くその家の角を曲がったときに屋根から雪が落ちたらと思うと背筋が寒くなる。

雪解けが始まり足もとばかり見て歩くが、そうもいっていられない。下を見たり上を見たりと散歩にも骨が折れる。そのうち首が疲れ肩が張り、簡単に散歩にも出られないようになるかもしれない。