気を利かせたいところと鈍感になりたいところ
敏感に感じ取って気配りしたいところ
「気が利くね」ってよく言われます。
地域のゴミ捨て場のゴミが散らばっていたら片付けて、ご近所さんから「あら、気が利くわね」って言われたり。
職場で頂き物のお菓子が置きっぱなしになってるときはお茶を入れてみんなに配って、同僚から「いつもありがとう、ホント気が利くよねー」と感謝されたり。
ボランティアの集まりで何となく決まったことを、その場でさくっとまとめて周知メールを送ったら「気が利いてるよね、助かるー」って褒めてもらえたり。
多分これらはすべて私がいちいち覚えているだけであって、これくらいのことはたいていの人が当たり前にやっていること。
特に女性は、子どもの頃から周囲に気を配ることを求められることが多いから、自然と振舞っているだけでも「気が利く」って評価されることが多いんだと思います。
こういう気遣い、嫌いじゃありません。
男女の別なく、周囲の人への心配りってある種のマナーであると思うし、社会生活を営む上で必要なもの。
だから、周りの状況はよく見ておきたいし、相手の人が今何を求めているのかには敏感でいたいと思います。
反対に、ここは鈍感になってしまいたいところ
その一方で、ここに関しては鈍感になりたいなっていうものもあります。
それが、自分以外の誰かの行い。
例えば、夫の雑なお皿の洗い方。
例えば、気の利かない同僚の無関心っぷり。
例えば、母親の痛烈な嫌味。
こんなのは全部、見ない・気づかない・気にしない。
自分だったらこうするのにとか、なんでそんなこともわかんないのとか、そんなこと言われたってとか、そういうことをいくら自分が考えていても相手の行いを変えることはできません。
気にしてもどうしようもないものは、最初からもう見ないフリ・気づかないフリ・気にしないフリをしてしまいます。
見極めが大事
鈍感であることがプラスになることがあるっていうのは大人になって気づきました。
敏感であるべきところと、鈍感になってしまうところを見極めて、無駄に消耗せずに楽しく日々を過ごしましょう。
今年1年を振り返る10の質問
今年も残すところわずかとなりました。
忙しい時期ではありますが、ちょっと時間をとってこの1年を振り返ってみるのもいいものです。
よくある質問を10個にまとめてみました。
ぜひ、ご自身の振り返りにお役立てください。
今年1年を振り返る10の質問
- 今年の大きな出来事は?
- その時学んだことは?
- いつか、と思ったまま実行していないことは?
- 何度挑戦してもなかなか続けられないことは?
- 失敗したことは?
- チャレンジしたけど達成できなかったことは?
- 今年1年でこれはうまくいったなぁ!ってことは?
- 今年買って良かったもの3つは?
- 今課題だと思っていることは?
- 自分の好きなところ、伸ばしていきたいところは?
早速答えてみましょう!
1.今年の大きな出来事は?
・自宅をリフォームしたこと。住みやすくなったし、窓も結露しない。生活のあらゆる面が快適になった。
2.その時学んだことは?
・やろうと思ったことは勇気とちょっとした行動で実行できること。
・分からないことは分からないままでも進めること。
・自分一人では難しくて嫌になってしまうことでも、協力者が必ずいること。
3.いつか、と思ったまま実行していないことは?
・がっつりメイクしてお出かけすること
4.何度挑戦してもなかなか続けられないことは?
・疲れた時に、つい家族にきつい言い方をしてしまうこと。元気な時はいいんだけど、疲れてたり体調不良だったりすると途端にだめ。
5.失敗したことは?
・夫との連絡ミスで行政上の手続きにミスがあったこと、リカバリーに時間と手間がかかっちゃった。
6.チャレンジしたけど達成できなかったことは?
・とある賞を狙っていたのだけど、見事落選。大丈夫、諦めないから。
7.今年一年で成し遂げたことは?
・仕事を1年間続けた。対人関係も成果も、仕事はすごくうまくいってる。
8.今年買って良かったもの3つは?
・赤箱石鹸のハンドクリーム。すごくいい匂いで使うと幸せな気持ちになった。
・イケアの黄色いソファ。オットマン付きのすごくかわいいソファ。大好き。
・家族で行ったグランピング、夫とデートした萩の城下町。家族との遠出はいつもとても楽しくて幸せな思い出になる。
9.今課題だと思っていることは?
・家族への接し方と自分への接し方。なんでも家族に甘えない、自分のせいにしない。
10.自分の好きなところ、伸ばしていきたいところは?
・愛嬌のあるところ、人とにこやかに接することができるところ
・趣味でやっていることを少しずつ人前にさらしていく勇気を持つ
質問を使って振り返ってみると、案外良い1年だったことに気づける
私の場合、ぼんやりとこの1年間に思いを馳せていると「なんか今年も代わり映えしない1年だったなぁ」とか「もっと色々できたはずなのになぁ」と出来なかったことにばかりフォーカスしてしまいます。
でも質問に答える形で出来たことも出来なかったことも振り返ることで、「この1年も色んなことしたな」「結構頑張ったよな」と思えるから不思議です。
1年365日。何はなくともそれだけの時間を無事に生活してきているんですもんね。
どうせなら、前向きにこの1年をふりかえってみませんか?
人の話は遮らずに最後まで聞く
みなさん、人の話を遮らずに最後まで聞いていますか?
私はできません。
やったほうがいいと分かっているのに、もう何年もやろうやろうと思っているのに、できていないことの一つです。
つい、遮っちゃう。
相手がまだ話してるのに、「あ、こういうことだな」ってひらめいた途端にこっちが話し出してしまうんです。
「あ、こういうことが聞きたいんだな」「あ、この話題知ってる」「あ、それ昨日食べた!」
そう思ったらもう黙ってられない。
先日も娘の保育園の先生とのやり取りでこんなことがありました。
先生「あの、先日の・・・」
私「あ、次のお休みの件ですよね!多分明日には分かりますので!すみません!」
先生「あ(そうじゃない)」
私「あ(すいません)」
ちゃんと聞けよって今は思います。なんで最後まで聞かんねんって。
その場では、早く答えなきゃって焦っちゃってすぐ遮ってしまうんですよね。
けれどその返答自体が見当違いなことだったら、その方が余計失礼だし迷惑だし、だからやっぱり人の話は最後まで聞くべきなのです。
わかってるんだけどなぁ。
最近は傾聴の大切さをよく耳にします。
普段から話しやすい雰囲気でいるとか、同じ言葉を繰り返して聞いてることをしっかり伝えるとか、相手の目を見て話すとか、いろんな気をつけることがあるんだろうけども、そもそもまずは相手の話すことを遮らずに最後まで聞くという基本から始めるべきじゃなかろうか。
全てはそれからだと思うのです。
つまんないのはその作品じゃないかも
最近、美術にまつわる本を読みました。
みんなが知っている有名なあの絵画、プロはこんな風に見ているんですよっていう内容の本です。
これまでは、美術を専門に扱っている人はその絵が描かれた背景や芸術家その人についての知識が豊富だから絵が楽しめるのだと思っていたし、実際そういう面ももちろんあるのでしょうけれど、なんの予備知識がなくともそういう見方で絵画を楽しむことができるのか!ということが分かって、目からうろこがぽろぽろ落ちました。
私はもともと美術館や博物館が好きです。
でも芸術に関する知識なんて全然なくて、例えば絵画を見るにしてもパッと見たときの印象で「なんか好き」「なんかよく分かんない(=好きじゃない)」って思うくらいでした。
ところがこの本の知識を持って絵画を見てみると印象だけではなく、「画家の意図は?」「一番コントラストがきいているのはどこだろう」「なんでそういう印象になるんだろう」っていう見方ができるようになって、以前よりぐっと楽しめていることに気づいたのです。
何かを「あ、これつまんないな」と思うとき。
映画だったり、テレビ番組だったり、漫画だったり、本だったり、ゲームだったり、どんな作品でも、途中で「なんかつまんないな」って思うときがあります。
なんかダラダラした感じ。
意味不明。
言ってることが浅い。
そんな風に思っちゃって、作品を楽しめなくなる。
これ以上続けるのは時間の無駄だなって思って、途中で見るのをやめてしまった映画やドラマもたくさんあるし、途中までしか読まなかった漫画や小説もたくさんあります。
むしろこんなつまんないものに費やした分の時間を返してほしいよ、なんて思ったり。
だけどそれってもしかして、つまらないのは作品そのものじゃなく見ている私なんじゃないかな。
私になんの知識もないから、その作品の良さに気づけないだけかもしれない。
知識に限らず、人生で味わった感情、得られた知見。
自分の知っている、理解できる範囲でしか人は情報を受け取ることができないのかもしれない。
ただ「つまんないから」で途中で楽しむことを止めてしまった作品たち。
実は私が理解できなかっただけで、もしかしたらすっごく面白いものだってあったかもしれないよね。
物事から受け取ることができる情報量は、私の器が大きくなるほど増えていく。
自分の知識や経験が増えるほど、楽しめることが増えていくなんてなんて楽しいことだろう。
人との関わりがくれるもの
一人の時間を過ごすことがなにより好きです。
そして一方で、誰かとの関わりの中で新しいものの見方をできるようになることにもこの上ない喜びを感じます。
先日、友人にある悩みを相談しました。
別に深刻なものではなく、まぁ雑談がわりに話したに過ぎません。
友人は「難しい問題だね」って言った後、「でもまぁボブディランも言ってるからね、”答えは風の中にある”って!」とあっけらかんと言い放ちました。
ボブディランの「風に吹かれて」。
曲は聞いたことがあったけど、歌詞を認識したのは初めて。
調べているうちに、この曲に関するご本人のこんなインタビューも見つけました。
この歌についちゃ、あまり言えることはないけど、ただ答えは風の中で吹かれているということだ。答えは本にも載ってないし、映画やテレビや討論会を見ても分からない。
(中略)
俺にとっちゃ(答えは)風にのっていて、しかも紙切れみたいに、いつかは地上に降りてくる。でも、折角降りてきても、誰も拾って読もうとしないから、誰にも見られず理解されず、また飛んでいっちまう。
(雑誌「シング・アウト」より)
曲のタイトルにもあるように、答えは「風に吹かれて」いると和訳されるから、多分解釈としては「答えは神のみぞ知る」「答えはすぐそばにある」みたいな感じよね。
すべての答えは多分もうどこかにあるんだけど、今は風に舞っていて分からないだけ。
いつか落ち葉のように自分の足元に落ちてくることもあるかもしれないし、あのビニール袋のようにどこまでも風の中を漂い続けるのかもしれない。
友人のこの、ボブディランの話は、私の悩みに関する具体的な解決策では全くないし、正直なんのアドバイスにもなってない他人事な返答だなって感じもするのですけど、私は「見える世界が広がったな」って感じがしたのです。
今まで見えなかったものが見えるようになったような。
今までもボブディランは知っていた。風に吹かれても聞いたことがあった。
でもその歌詞の中に「友よ、答えは風の中を舞ってるぜ」というメッセージがあるって知ることで、本当に答えはその辺にあって今の私には分からないけどそのうち見えるのかもしれないなって思えるようになりました。
そういう世界の捉え方があるってことを知りました。
世界の捉え方が増えるってことは、世界が広がることでもあると思う。
今までとは違う、世界との付き合い方ができるようになったわけだしね。
友人の何気ない一言で私の世界が広がった。
こういう経験をするたびに、人と接するのって面白いなって思う。
人はみんなそれぞれ自分の見方で世界を見ながら暮らしている。
誰だって自分の知っていることで、ものを判断したり、感じたりする。
その感覚は完全にその人のオリジナルのもので、他の誰とも違う世界の捉え方だ。
あの人はどんなことを知ってるんだろう。どんなふうにこの世界を見ているんだろう。その見方を私にも教えてほしい。
そういう人との関わりは私の住む世界をとても豊かなものにしてくれるだろうなと思います。