気仙
気仙(ケセン)
③語源、地名由来
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「気仙郡」から引用
901年成立の日本三代実録に「計仙麻(ケセマ)」という地名の記述があり、これが、歴史上「ケセン」という言葉が載っているもっとも古い文献であるとの説があるがこれは明白に誤りである。正しくは、気仙郡という郡名は『続日本紀』の弘仁2年(811年)の条が初出である。語源としては以下のように諸説がある。
アイヌ語説
ケセ keseが末端、モイ moiが入り江で、「南端にある入り江」を意味するケセモイからきているという説。戦前、気仙地方の教育長を務めた金野菊三郎がとなえた。別説ではケセモイは「静かな海」の意味ともいう。これは気仙沼の地名の語源説としてもいわれる。また別説では、ケセ keseが削る、マ maが場所で「削らせた場所」を意味するケセマが語源とする。いずれも戦前の古い説である。
日本語説
茨城県の「鹿島」という地名は、船着場を意味する「かせ」から「かせ間」が語源であり、計仙麻(ケセマ)や気仙沼も「カセ間」の訛りで同語源という説。奈良時代は国名も郡名も2文字表記と定められていたので、最後の「ま」を略して「気仙郡」と書いたものであるが、当初は気仙郡と書いても「けせまのこほり」と読んでいた可能性もある。別説では「かせ」が訛ってケセンになったが、計仙麻(ケセマ)や気仙沼は「ケセンの真ん中」という意味だという。
漢語説
海道の入り口という意味の滊先(読み方:ケセン)に当て字したという説。
#ケセン #ケセマ
気仙・熊野・堺
気仙(ケセン)
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気仙郡
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町に大船渡市、陸前高田市および釜石市の一部(唐丹町)を加えた区域にあたる。
熊野
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熊野(くまの)は、和歌山県南部と三重県南部からなる地域である。紀伊半島南端部を占める。
旧国では紀伊国南部にあたり、上古の熊野国と大概一致する。熊野三山(田辺市の熊野本宮大社・新宮市の熊野速玉大社・那智勝浦町の熊野那智大社)を中心とする熊野信仰の中心地として知られる。
堺
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堺(さかい)は、大阪湾に面し、大阪市(大坂)の南に位置する都市。また、その市街地を中心とする地域。
地名は、方違神社付近がかつて摂津国・河内国・和泉国の3国の「境(さかい)」であったことに由来する。市街地はその西方に形成され、大小路通を境に摂津国住吉郡と和泉国大鳥郡に跨っていた。