「前神一心堂」の『水軍太鼓』、『よろい最中』 (愛媛県今治市)

感 想

芸予諸島の大島の東部に位置する宮窪。
村上水軍ゆかりのこの地は、漁業が盛んな静かな町。

狭い路地の途中に、創業120年余の老舗和菓子屋「前神一心堂」はあります。

昭和で時間が止まったかのような、なんともレトロな外観。
店内も素朴で、昔ながらのお菓子屋さんといった感じ。

このお店では、大島・宮窪らしいお菓子を作っています。
いくつか紹介しますね^^

まずは、『水軍太鼓』。
イメージ 1

まん丸な形のお饅頭です。皮には「みやくぼ 水軍太鼓」の焼きが。

ふつうのお饅頭だと思って、一口食べてビックリ!
磯の味と香りが口の中に広がります。

よく見ると、白あんの中に青海苔が入ってる。
ちょっと塩味も効いてます。

なるほど、海に近いところならではのアイデア
不思議な組み合わせだけどくせになります。

食べ終わった後、歯に海苔が付いてないか確認が必要なお饅頭というのも珍しいです^^
食べさせた人、みんなビックリしてましたよ。


続いて、「よろい最中」。
イメージ 2

鎧の形をした面白い最中です。
村上水軍博物館に展示されている能島村上氏伝来の鎧がモチーフだと思いますが、
なんだかすごい細かいとこまで再現されてます。
中にはやさしい甘さの餡が入ってます。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101011300.jpg村上水軍博物館蔵の鎧 入場券の半券(ポストカード)撮影

それと、蜜柑まんというお饅頭も有名。
まん丸なお饅頭の中には、蜜柑の皮入りの白餡がぎっしり。
しまなみの特産品、蜜柑を使ったやさしくて素朴なお菓子です。


出迎えてくれたお店のおばちゃんは、長年一人で店を切り盛りする名物おばちゃん。
僕が訪ねた時も気さくに話しかけてくれました^^
いつまでも元気で伝統のお菓子を作り続けてほしいです。

地域に愛される、水軍の島の素敵なお店でした。

情 報

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101011310.jpg前神一心堂 【住所】愛媛県今治市宮窪町宮窪2742 【営業時間】8時~20時30 【休業日】正月 【TEL】0897-86-2026 【アクセス】大島BS~島内バス「宮浦港バス停」下車~徒歩 【周辺史跡】能島城

能島城 (愛媛県今治市)

イメージ 1

★★登城33城目★★ 訪問日:2010年4月4日

【通称】 なし
【城郭構造】 水軍城
天守構造】 なし
【築城主】 村上雅房
【築城年】 応永26年(1419)
【主な城主】 能島村上氏
【廃城年】 天正13年(1585)
【遺構】 曲輪、岩礁ピット跡
【指定文化財】 国史

解 説

戦国時代、瀬戸内海を制圧した三島村上氏(来島・因島・能島)。
その能島村上氏の本拠だったのが能島城である。
城の築かれた能島と鯛崎島は周囲長1km余りの小島で、島全体を三段に削平して曲輪を形成している。
本丸、二の丸、三の丸があり、東の尾根には矢櫃、南には東南出丸、能島のすぐ南の鯛崎島も頂部を
削平し曲輪が展開する。

城の構造は簡素で、通常の山城に見られる土塁や堀切は確認されていない。
周囲には最大10ノット(時速約18km)の複雑な潮流が取り巻き、渦巻く急流を天然の要害としている。

なお、能島には水が得られないことから、近傍の鵜島や木浦から補給していたとされる。
対岸の宮窪には「幸賀屋敷」をはじめいくつかの城跡があり、これらが連携して本拠を防衛する
城塞網を構成していたと思われる。

感 想

瀬戸内海に浮かぶ能島に築城された能島城
戦国時代に瀬戸内海一の水軍勢力を誇った海賊衆、能島村上氏の城です。

一番上の写真は、対岸の山頂にあるカレイ山展望台から能島城を眺めたもの。
手前左側の島が「能島」、右側の小さい島が「鯛崎島」です。
この二つの島には、お城だった当時は橋が架かっていたそうです。
能島の奥に見えるのは「鵜島」という島で、先端の砂浜になってるところには造船所があった
と言われています。

能島は無人島で、通常は定期船等の交通手段がなく上陸できません。
でも毎年4月、能島の桜が満開になった週末の2日間、「能島の花見」というイベントが
開催され、シャトル便が運航されます。

今回は、そのシャトル便に乗って能島城に登城しました!

宮窪港から船に乗って、5分ほどで能島に到着します。
コバルトブルーの海の色が綺麗です。
島に入ると、地元の子供たちが郷土芸能 能島水軍太鼓でお出迎え。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010930.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101011110.jpg

今回は海賊のお城ってだけで、なんだかテンションが上がります(笑)
城跡に建物は残っていませんが、曲輪がよく残っています。
左下の写真は、矢櫃という弓矢の訓練を行う場所だったとか。
戦国時代のお城らしく、矢の材料となる矢竹が植えられています。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101011140.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101011150.jpg
瀬戸内の青い海と島々に囲まれて桜を見るというのもいいものです^^

能島の海沿いを歩いていると、岩礁に左下の写真のような穴がいくつも見つかります。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101011200.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101011210.jpg
これは岩礁ピットと言って、繋船施設の柱穴跡なんだそうです。
上の右の写真のように、船を繋いでいました。
城全体で400基近くあるそうです。

そして能島城の特徴はなんといっても、島を取り巻く潮流です!
宮窪に戻って、村上水軍博物館の前にある船乗り場から、能島周辺の潮の流れを間近で見られる
潮流体験」という船が出港しています。
こちらは年中運航。

さっそく乗船します。

能島周辺に付くと、海の水が川のようにゴーゴーと流れています!
波立ってるのは船のあとじゃありません。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101011220.jpg
途中、船のエンジンを止めるイベントがあるんですが、潮流に流されて船が横滑りするんです!
「湧き潮」や「うず潮」も見ることができました。
満潮、干潮時はもっとスゴイそうですよ。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101011230.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101011240.jpg

この潮流に囲まれていれば、敵の船は容易には城に近づけないでしょう。

このあたりは瀬戸内海の主要航路でもあったそうで、一般の船舶には潮流を熟知した海賊衆が
水先案内人を務めて、お金を稼いでいたんだそうです。

中世の瀬戸内を駆け回った海賊達の城。
取り巻く潮流は当時のまま、激しく流れています。

見どころ

曲輪、岩礁ピット、海蝕テラス、潮流

情 報

住 所:愛媛県今治市宮窪町宮窪
移 動:大島BS~島内バス「宮浦港バス停」下車~臨時船5分
特産品:海産物、水軍太鼓(菓子)

Photo

 写真01:南部平坦地/写真02:三ノ丸/写真03:二ノ丸
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101011250.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010940.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010950.jpg
 写真04:二ノ丸と本丸/写真05:本丸/写真06:東南出丸
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101011000.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101011010.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101011020.jpg
 写真07:矢櫃/写真08:船隠し/写真09:鯛崎出丸
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101011030.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101011040.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101011050.jpg
 写真10:海蝕テラス/写真11:桟橋柱穴/写真12:幸賀屋敷跡
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101011100.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101011120.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101011130.jpg

「松屋菓子舗」の『鶏卵素麺』 (福岡県福岡市)

イメージ 1

感 想

福岡は博多にある、創業 延宝元年(1673)の老舗「松屋菓子舗」さん。
ここで作られているのが、見た目が素麺のようなお菓子『鶏卵素麺』です。

鶏卵素麺は、沸騰させた糖蜜の中に卵黄を糸のようにして流し込んで作るお菓子。
日本の三大銘菓の1つに数えられることもある歴史ある銘菓なんですよ。

写真は、この鶏卵素麺を食べやすい大きさにカットして求肥昆布で束ねた「たばね」という商品。
そのままの鶏卵素麺はちょっと食べるのが面倒くさそうだったので。。。(笑)

菓子の栞にはこんな注意書きが。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010910.jpg
「このお菓子は形が素麺に似ていますので、湯などをかけられる方もあるように
 聞き及んでおりますが、湯水をかけられず、このまま適当な寸法に切って、お箸で
 お召し上がりください。」

確かに未加工の鶏卵素麺の見た目は乾麺みたいだし、名前も素麺だし。
気持ちはわからないでもないですが、、、
いるんでしょうね。お湯かけちゃう人(笑)


そもそも、「鶏卵素麺」の元はポルトガルから伝わった南蛮菓子。
フィオス・デ・オーヴォスポルトガル語で「卵の糸」を意味するお菓子だそうです。
砂糖が高級食材だった時代、卵黄と砂糖のみで出来ている当時としては夢のお菓子です。

このお菓子に330余年の昔、長崎の平戸を訪れた松屋菓子舗の初代 利右衛門が出会います。
その味に感動した利右衛門は、点心師の鄭(テイ)さんという人に製法を伝授してもらい、
さらに、それを日本の風土に適応するように研究工夫をかさねて完成したのが「鶏卵素麺」です。

時の筑前福岡藩黒田光之もこのお菓子を気に入り、松屋菓子舗に黒田家御用菓子司を務め
させたほか、黒田家の家紋である定紋藤巴の使用を許したといいます。


では、さっそくいただきます!
口の中で金の束がほろほろと解けていく。
そして噛みしめるたびに、ジワっと甘い蜜が舌に広がります。
その甘さの中に、卵黄のふんわりとした風味が。

普通の和菓子とは、やはり少し趣が違います。

それにしてもこの甘さ。作られた当時は衝撃的な甘さだったことでしょう。
贅沢な甘さと風味に、当時の人達は異国を感じたのかもしれませんね。

お茶席でも喜ばれるようですが、コーヒーにも合うお菓子だと思います。

情 報

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010920.jpg松屋菓子舗 【住所】福岡県福岡市博多区上川端町14-18 【営業時間】9時~18時 【休業日】年始 【TEL】092-291-5244 【アクセス】市営地下鉄「中洲川端駅」下車~徒歩 【周辺史跡】福岡城

福岡城 (福岡県福岡市)

イメージ 1

★★登城32城目★★ 訪問日:2010年3月21日

【通称】 舞鶴城、石城
【城郭構造】 梯郭式平山城
天守構造】 不明
【築城主】 黒田長政
【築城年】 1601年
【主な城主】 黒田氏
【廃城年】 1871年
【遺構】 櫓4棟・門3棟、石垣、堀
【指定文化財】 国史

(出典:ウィキペディア)

解 説

関ヶ原の戦いの戦功により黒田孝高(如水)、長政親子に筑前が与えられた。
はじめ名島城に入城したが、領国経営の利便性を考えて慶長6年(1601)、この地に福岡城を築城し、
ここが明治まで黒田氏の居城となった。

本丸を囲むように二の丸、その外に大きく三の丸が配され、東側に那珂川を以って堀とし、
また西側の干潟「草ヶ江」を大堀として活用した。
この大堀は現在大濠公園として整備されている。

天守、中天守、小天守が連なる巨大な天守台が築かれたが、天守が建てられたという事実は
いまだ確認されていない。
城内にはかつて40基以上の櫓が曲輪の要所要所に建てられていた。

普請奉行は石垣積の名人と言われた野口一成が務め、今もなおその規模の雄大さを誇っている。

(出典:現地案内板、日本100名城公式ガイドブック 学研)

感 想

福岡市の中心部にある福岡城
現在、お城があった場所の大部分は舞鶴公園として整備されています。

何年か前までは、お城の一角に平和台球場という野球場があったそうで、
西鉄ライオンズ福岡ダイエーホークスの本拠地だったそうです。

そして、その球場の下から福岡城が築城されるよりもずっと前にあった建物「鴻臚館」の跡が
発見されます。
鴻臚館は平安時代に建てられた古代の迎賓館で、唐や新羅からの使節や商人をもてなすのに用いられた
建物です。
現在も発掘調査が続けられています。

そんな場所に建てられている福岡城は、名軍師であり築城の名手でもあった黒田孝高(如水)
猛将 黒田長政親子が縄張りしたお城。
城内にはかつて47基もの櫓があったとされ、九州では最大規模の城郭でした。

また、「福岡」という地名も、実はお城の築城にあたって付けられたもの。
当時、この辺りは「福崎」と呼ばれていたのを、黒田家再興の地である備前国福岡の地名にちなみ
福岡」と改めたのだそうです。
もし、地名がそのままだったら「福岡県」は「福崎県」だったかもしれなかったのかな?

現在、福岡城には数基しか櫓が残りませんが、その中で一番立派なのが南の丸多聞櫓
江戸時代から城内にそのまま残っている数少ない建物のひとつです。
南の丸に長~い平櫓の両端に2階建ての角櫓を備えて存在感を放っています。

そして、福岡城には巨大な天守台があります。
天守、中天守、小天守が連結する天守台は、立派な石組に圧倒されます。
ここに実際に天守が建てられたかは不明だそうですが、もし建てられていたら熊本城の天守
同規模のものになるそうです。

決定的な資料が見つかれば、ぜひ復元してほしいものです。

見どころ

南の丸多聞櫓、天守台、潮見櫓、祈念櫓、下の橋大手門

情 報

住 所:福岡県福岡市中央区城内
移 動:市営地下鉄空港線赤坂駅」下車~徒歩5分
特産品:博多ラーメン、明太子、鶏卵素麺

Photo

 写真01:上之橋/写真02:上之橋御門跡/写真03:東御門跡
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010510.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010700.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010750.jpg
 写真04:扇坂御門跡/写真05:本丸表御門跡/写真06:祈念櫓
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010800.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010810.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010820.jpg
 写真07:本丸跡/写真08:鉄御門跡/写真09:埋門跡
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010830.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010840.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010850.jpg
 写真10:小・中天守台/写真11:天守台/写真12:天守
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010900.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010520.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010530.jpg
 写真13:裏御門跡/写真14:御武具櫓門跡/写真15:生捕櫓跡
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010540.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010550.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010600.jpg
 写真16:水ノ手御門跡/写真17:南丸多聞櫓/写真18:桐木坂御門跡
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010610.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010620.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010630.jpg
 写真19:名島門/写真20:母里太兵衛長屋門/写真21:下ノ橋御門
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010640.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010650.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010710.jpg
 写真22:伝・潮見櫓/写真23:下之橋/写真24:大堀
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010720.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010730.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010740.jpg

「一蘭」の『博多ラーメン』 (福岡県福岡市)

イメージ 1

感 想

福岡に行ったら、必ず一杯は食べて帰る『博多ラーメン
なんか、これ食べないと福岡(博多)行ったー!って気がしないんですよね(笑)

博多ラーメンのお店は全国展開している有名店から屋台まで、たっくさんお店がありますが、
今回訪れたのは、言わずも知れた有名店、「一蘭」さんです。

初めてお店に入った時は、びっくりしますよね。

食券を買って案内されるのは、クイズ番組でもするの??と思うような左右に仕切りがある席。
味集中カウンター」って言う名前らしいです。

確かに周りを気にせずに、ラーメンと向き合える気がします。
女性ならラーメン食べる時、うっかり自分の髪の毛まで一緒に食べてても大丈夫!誰も見てない。

オーダー表で麺の硬さとかを選んで、しばらく待つと、来ましたよ。おいしそうなラーメンが^^
カウンターにラーメンが置かれると、店員さんが正面の暖簾も下げてくれます。
これで左右と前を仕切られて、目の前にはおいしそうなラーメンのみ。

舞台は整った。いざ実食!!

スープを飲んで、麺をすすって。やっぱおいしい!

両親が熊本県の出身のせいか、おいしい豚骨ラーメンを食べると、
「やっぱラーメンは豚骨たい。」と思ってしまいます。
(他の味もおいしいですけどね^^)

もちろん食べ終わったら、替え玉!
博多の味を満喫しました^^

記事書いてたら、やっぱ食べたくなってきた。。。
一蘭」も広島に出店しないかなー。

情 報

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010500.jpg一蘭 【住所】福岡県福岡市南区那の川2-2-10 【営業時間】10時~翌7時 【休業日】年中無休 【TEL】092-523-8606 【アクセス】西鉄「平尾駅」~徒歩7分 【周辺史跡】-

※上記は発祥の店とされる「那の川日赤通り店」の情報です。
 店舗は福岡市内各地にあります。

大野城 (福岡県大野城市)

イメージ 1

★★登城31城目★★ 訪問日:2010年3月22日

【通称】 なし
【城郭構造】 山城(古代朝鮮式)
天守構造】 なし
【築城主】 大和朝廷
【築城年】 天智4年(665)
【主な城主】 不明
【廃城年】 不明
【遺構】 石垣、土塁、門跡、礎石群
【指定文化財】 国特別史跡

(出典:ウィキペディアなど)

解 説

大野城白村江の戦い(663)で、新羅・唐の連合軍に敗れた大和朝廷が、連合軍の日本への侵攻に備えて
西日本各地に築かれた山城の一つである。

太宰府の北側の守りとして四王寺山に築かれ、北西の水城、南方の基肄城とともに太宰府政庁を中心
とした防衛ラインを形成していた。

百済の亡命高官2名による戦略的・技術的指導のもと築城されたことが「日本書紀」に記されていることから、
一般に朝鮮式山城と呼ばれている。

北は博多湾から南は筑後方面を眼下に納める絶好の場所に立地し、山頂と山腹に土塁が、谷間には石垣が
構築されている。
また、山頂や稜線を土塁や石塁で取り囲んだ城郭内には食糧の備蓄や居住に利用されたと考えられる70棟
余りの建物の礎石が残されている。

(出典:現地案内板など)

感 想

大野城は、四王寺山一帯に築かれた2市1町にまたがる巨大な朝鮮式山城です。
大野城と書いて「おおののき」と読むそうです。

四王寺山の山中には、現在も至るところに石塁や礎石群が残っています。
それでは、古代山城の遺構を求めて散策してみましょう!

太宰府から林道を登ってくると大宰府口城門に辿り着きます。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010110.jpg

この城門は、大宰府政庁側に位置し、幾つかある城門の中でも規模が最も大きいことから大野城の正門では
ないかと考えられているそうです。
城門に接して左手には石塁(水の手口石塁)が、右手には土塁が築かれています。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010300.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010340.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010350.jpg

明らかに人口的な土塁や石塁が張り巡らされている様子に、当時の緊張感を感じることができます。


https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010400.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010410.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010420.jpg

城門から少し歩くと、尾花礎石群(上写真左)という建物の跡が。
食糧や武器を保管する倉庫として建築されたものだそうです。

近くには、焼米ヶ原(上写真中)というところ。
なんでも、昔ここに建物があり、火災で焼けたという言い伝えがあるそう。
辺りを探せば、黒く炭化した米や麦が見つかるそうです。
しばらく地面を探してみましたが、残念ながら発見できませんでした。

ここからの景色も最高です。


八ツ波礎石群という建物の礎石跡。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010430.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010440.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010450.jpg

結構な広範囲に、四角く区画された礎石の跡があります。
どんな役割の建物が建っていたのでしょうか?


さらに先に進むと、大野城最大の見どころ百間石垣が見えてきます。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010120.jpg

どどーんと長大な石垣が奥まで続いています。
谷間に当たるところは、土塁ではなく、石を積み上げてダムのような石塁を築いているそうです。
こんな石塁や土塁が、山をグルっと取り囲んでるというんだから、相当な労力がかかっただろうな。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010130.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010140.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010150.jpg

この百間石垣をはじめ、大野城の多くの石垣が、近年の集中豪雨で被害を受けたのだそう。
復旧工事で今の姿まで復元したそうで、工事にあたった方にも頭が下がります。

道を挟んで反対側には、北石垣(上写真右)という大きな石垣も。


来た道とは別の山道を太宰府口城門の方面へ進みます。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010200.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010210.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010220.jpg

途中、けいさしの井戸(上写真左)という石を円形に組んだ井戸があります。
その近くには、広目天礎石群(上写真中)。

四王寺山の名前の由来となった、四王寺の跡(上写真右)。


その先に大石垣という名前の通り大きな石垣があるんですが、標識に従って歩くと急斜面が。。。
でも確かに下には石垣らしきものが見えます。

滑り落ちるようにして、斜面を下るとありました大石垣
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010230.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010240.jpg

この石垣も大雨の被害を受けて、修復されたものです。
とはいえ、高さも長さもなかなかのもの。
下って来た斜面も、どうやら石垣の上だったみたいです。


最後は増長天礎石群
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010250.jpg

土塁に囲まれた、建物跡がいくつかあります。
食糧庫として使われたそうです。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010310.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010320.jpg https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010330.jpg

すぐ近くには円形の井戸跡、鏡池(上写真右)。
池の底には鏡が沈んでいるそうで、日照りが続く時には、この池に沈んでいる鏡を取り出して雨乞い
をしたといわれています。
今でも、水が湧きだしています。


時間の関係ですべては廻れませんでしたが、古代の人達が当時の持てる技術を結集して作り上げたお城。
歴史のロマンを感じるスケールの大きなお城でした。

見どころ

城門跡、百間石垣、石垣・土塁、礎石群

情 報

住 所:福岡県糟屋郡宇美町四王寺
移 動:西鉄太宰府駅」~徒歩1時間
特産品:梅ヶ枝餅

「梅園」の『梅守』 (福岡県太宰府市)

イメージ 1

感 想

太宰府天満宮にお参りに行った際のお土産といえば、「梅ヶ枝餅」が真っ先に浮かびますが、
参道沿いには、梅ヶ枝餅以外のお菓子を扱っているお店もたくさんあります。

中でも存在感を放つのが、1946年創業の老舗「梅園
太宰府天満宮御用達の御菓子処のようで、参道に入って少し歩いた右手にあります。
歴史を感じさせる大きな「梅園」の看板が目印。

お店に入って物色していると、お店の方がお茶を出してくださいました。
お茶なんか出されたら、試食の手が止まらなくなります^^
片っ端から試食して、今回は『梅守』というお菓子を購入しましたよ。

白い最中の皮のような、お煎餅のようなものに漉し餡を挟んだお菓子です。
表面には太宰府のお菓子らしく、梅の焼印が捺してあります。

天皇皇后両陛下にも献上されたという赤札付の一品。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010050.jpg


食べると、お煎餅のサクッという食感の後に、滑らかな漉し餡の上品な甘さ。
甘さの加減といい、なんとも気品のあるお菓子です。

大きさはレギュラーサイズとミニサイズがあります。
上の写真のはレギュラーサイズ。


「梅園」さんには『梅守』の他にも、『うその餅』や不思議な食感の『宝満山』というお菓子も
あります。

あと、ここはお菓子を買うと、おまけが付いてくるのも嬉しいです^^

情 報

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101010100.jpg梅園 【住所】福岡県太宰府市宰府2-6-16 【営業時間】8時30~18時 【休業日】1/8、8/17~20 【TEL】092-922-4058 【アクセス】JR「西鉄大宰府駅」~徒歩 【周辺史跡】太宰府天満宮大宰府政庁跡、大野城