疲れたら休もう

人生に疲れた人が立ち寄るブログです

毒親に育てられた人は生きてるだけで立派

こんにちは。
これは疲れた人がちょっと立ち寄るブログです。
時間があったら読んでいってください。

今回は毒親の話です。
毒親に育てられた人は、親から離れた後も苦しみに苛まれることになります。

何かに挑戦しようとするにつけ、
「お前には無理だ」
「お前なんかができるはずない」
と言われているような気持ちになり、身動きがとれません。

それもそのはずです。
そうして自己肯定感を奪われてきたのですから。
それはあなたが臆病なわけでも、逃げているわけでもありません。

健全な親子関係の中で育った人が当たり前に持っているものを、あなたは奪われてきたのです。
自分を肯定することができないのは、勇気を出すことができないのは、奪われたもののせいです。

毒親に育てられた人はサバイバーです。
本来人間が健やかに生きるために必要な武器を奪われ、傷つきながら生きてきました。

だから、生きているだけで立派なのです。
生きているだけで戦っています。
それで疲れてしまって他のことをする気力がなくなってしまうのは当たり前のことなのです。

人間の欲求には段階があります。
これはマズローという研究者が提唱した欲求階層です。

 

低次の欲求が解消されなければ、より高次の欲求が生まれないと考えられています。
毒親に育てられた人は「所属と愛情欲求」が満たされていません。
その欲求が解消されていない人が、自己実現に向けて頑張ることは困難です。
「自分のやりたいことがわからない」
「頑張る気力がない」
それは、あなたの欲求が充分に満たされてこなかったからです。

まずは、自分を褒めてあげてください。
そして自分を肯定してください。
「ここまで生きてきた。私はすごい」と。

思い出してみてください。
あなたの人生は辛いことや悲しいことばかりじゃありませんでしたか?
虚無感や孤独感の中で、胸が張り裂けそうな思いをしたことは一度や二度じゃなかったはずです。
そんな苦しい人生を生き抜いてきた。
それはすごいことです。

だから自分自身を否定するのはやめてもらえないでしょうか。
他の人と自分を比べて「自分はダメだ」と思い詰めてしまったら、頑張ってきたあなた自身がかわいそうです。
苦しい人生を生き抜いてきたあなたは褒められるべきです。

自分だけは自分の味方で、優しくしてあげてください。
自分を甘やかして、褒めてあげてください。

まずは自分を大切にすることだけ考えましょう。
それが充分にできたらきっと活力がでてくるはずです。

ここまで生きてきたあなたなら、またそれができるはずです。

読んでくださってありがとうございました。

自分のために生きることは悪いことじゃない

 

 

「人のことを考えろ!」と言う人はいますが、その人は本当に人のことを考えているのでしょうか?

 

だってほら、あなたのことを考えてくれていないじゃないですか。

 

そういう人の「人のことを考えろ!」は「自分の言うことを聞け!」という意味です。

どちらが自己中心的なのでしょう。

 

自分のことを考えるのは決して悪いことじゃありません。

自分が満たされていなければ他人に優しくできないのは当たり前です。

自分を満たすのは他人のためでもあるんですよ。

 

自分だけは、自分のことを第一に考えてあげませんか?

自分に優しく、楽しい人生を送ってください。

本当にそれだけを考えてください。

 

死にたいあなたへ 人生に疲れた人へのメッセージ

こんにちは。

閲覧してくださってありがとうございます。

 

あなたはおそらく「死にたい 疲れた」と検索してこのページにたどり着いたのではないかと思います。

 

気休め程度に読んでいってください。

 

あなたがなぜ「死にたい」と思ったのか、私には分かりません。

おそらくずっと辛いことに耐えてきたのでしょう。

本当にお疲れ様です。

「死にたい」と思うまで耐えたこと、私はすごいことだと思います。

よく頑張りましたね。

本当によく頑張りました。

 

だから、そこまで頑張ったらもう耐えなくていいんじゃないでしょうか。

自分の気持に正直になってほしいな、と思います。

 

「死にたい」というのは、本当に死にたいのでしょうか。

「生きていたくない」が「死にたくない」より勝っているから、「死にたい」と言っているのではないですか。

本当は「今のように生きていたくない」だけで、「死にたくもない」のではないでしょうか。

あなたの考えと違っていたらごめんなさい。

でももし当たっていたら、「死にたくない」という気持ちを大事にしてほしいのです。

 

あなたはいろいろなものから責められてボロボロの状態です。

自分だけは、自分に優しくしてみませんか?

自分だけは、自分を守ってみませんか?

 

だって、何も悪くないあなたが死ぬ必要なんて無いんです。

あなたを責めて、精神的に殴ってくるやつが悪いのです。

そんなやつに否定されたところで、あなたの尊厳が揺らぐはずがありません。

あなたはきちんとした、立派な人間なのです。

自分で自分を否定しないでください。

自分が生きていても価値のない人間だなんて思わないでください。

自分が楽しむことだけ考えればいいんです。

人生を楽しむことは人間の義務です。

これは真理です。

あなたは優しいから、周囲のことを考え過ぎてその義務を怠っていただけなんです。

周りからの評価であなたの価値は決まりません。

頑張ることを子供の頃から強要され、それに応えてきたあなたは「人生は楽しむもの」だということを教わっていなかっただけです。

 

だから、もういいんです。

自分のために生きてみてもらえませんか?

 

あなたがこれを読んで、「もう少しだけ生きてみよう」と思ってくれたら、私にとってこんなに嬉しいことはありません。

あなたは自分のために生きることで、私を喜ばせることも出来るのです。

 

あなたが自分のために生きることは、きっと他の誰かを喜ばせることにもつながります。

自分のために生きることはわがままではありません。

 

だから、ちょっと休みましょう。

よく寝て、よく食べて、ゲームしたり漫画読んだり本読んだりして、英気を養ってください。

 

 私は辛い時に出会った本に救われることがあります。

あなたにも役に立ったら良いなという思いで、印象に残った本の一部を抜粋します。

「許す」前に、自分に正直になること

 自己軽視している人に「人を許すのは美徳だ」などと、けっして言ってはいけない

 そう言えば、真面目な彼らは許してはいけない人を許そうとすることで、いよいよ自己軽視が強くなる。いよいよ心が破壊されて、いよいよ生きていけなくなる。いよいよ利用され、虐待される。

 まず、強くなることである。自己評価を高め、自我を確立する。自分に正直になる。

「許す」のはその後である。

 自我の確立がないままに「許すという美徳」を教えるのは「お前は死ね」と言うのと同じである。

 ずるい人にとって美徳は人を搾取するための手段である。人を見ないで美徳を説けば、いよいよずるい人が、人から搾取する条件を整えるようなものである。

 安易に美徳を説くことは危険である。

 自己軽視している人にとって、大切なのは「自分を利用する人を許してはいけない」ということである。

 

加藤諦三 『どうしても「許せない」人』 p42-43

 気になる方は読んでみてください。

どうしても「許せない」人 (ベスト新書)

 

今あなたは自己肯定感が低くなっているだけなんです。

ちょっと休めば大丈夫です。

だから、自分に優しくしてあげてください。

 

最後にもう一度だけ言わせてください。

人生を楽しむことは人間の義務なのです。

 

読んでくださってありがとうございました。