空薬莢

創作と世界観

2019年の創作活動まとめー効力感、苦悩、そしてー

この記事は隔日でなんか描く(書く) Advent Calendar 2019 - Adventarの2日目の記事です。

 みなさんこんばんは、きーのです。もう1月も終わろうとしています。早すぎる。さて、本年初の記事です。

 

なんかここ数ヶ月くらい力尽き気味だったけどアドカレ全然更新できてないからそれがより明白となったね。アドカレは更新できるか分かりません。すみません。全然アドベントカレンダーじゃないし。ですがそれっぽいテーマで記事をいくつか書くのはあきらめずやりたいと思います。

 

そもそもなぜ更新できなかったかと言いますと、まあぼくがサボってたのもあるんですが、文章をまとめるより先に思考をまとめることができなかったんですね。12月1日に九州コミティア3があり参加する予定でしたが、結局参加できず(それは体調不良なのですが)、加えて漫画を描くのもしんどくて、あんなに漫画を描くのを楽しんでいたのにそんな自分とは思えないくらいに筆が進みませんでした。無理矢理進めても苦しくて、1日以降しばらく同人活動を控えめにして学業に専念しようと決めました。活動報告しなきゃしなきゃと思いつつも行動とかみ合っていなかったように思います。最近はやっと持ち直した感じがあり、同人活動のやり方を見直して長期的に、持続的にやっていこうと考えています。

 

さて、今日のお題です。

 

去年の創作活動まとめ

去年(2019)はコミティアになんと4回?いや厳密には3回?参加しました。

 

1回目 1/20 関西コミティア56@インテックス大阪、『オーダーメイド彼女』1巻プレビュー版コピー本頒布

2回目 5/12 コミティア128@東京ビッグサイト青海展示棟、1、2巻頒布

3回目 9/30 関西コミティア59@OMMビル(大阪)、3巻頒布

4回目? 12/1 九州コミティア3@西日本総合展示場北九州市)、4巻プレビュー版コピー本頒布

 

はい、こうして見るとなかなか短いスパンですね。しかもオフラインでの同人活動は今年が初ですからがんばった方でしょう。九州ティアが?になってるのは体調を崩したうえにメンタル面含めて諸々がわりときつかったため、会場へ足を運ぶのは見送る形になりました。(みやいさん緑石先輩のご協力により、頒布そのものはできました)

 

戦場に生きることに快感を見出してしまった上半期に比べて下半期はやや失速気味になってしまったなあ。

まあこのスパンでしたし、何よりペースがつかめてなかったのとか色々理由がありそう。

しかも毎回(一応は)新刊を頒布してるからそれがきつかったね。いや、楽しかったです。楽しかったけど特に九ティア前はなんか漫画に気が向かなくて注力できない状態が続きました。

 

こういうこと書くとなんだか不甲斐なく思われるかもしれないですが、でも私はけっこうやったと思うんですよ。その結果ちょっと燃え尽き気味になってしまいましたけど。

 

この記事は他の記事に比べて敢えて我を出して自然体で書いてるつもりです。もう、うまく言おうとかカッコよくまとめようとか思わない。いや、常にカッコよくいられたら理想ですけど、残念ながらそうじゃない。ぼく自身はドジなところもあるしネガティブなところもある、生身で未成熟な弱い人間です。印刷所さんに何回も修正食らってポータブルhdd水没させて半泣きになったりGit履修するとか言って結局完遂させてなかったりする。もちろん地道に修正してきた点もありますがまだまだ完璧どころか人並みにすらこなせないこともあります。(結局バックアップの件はペイントソフトにあるクラウド機能を使ってるので当分これでいくことになりそう)

 

でもだからこそ、他人から学ぶ機会があったり教えてもらったり助けてもらうことの有り難さを感じられるのだと思う。いや、思いたい。そして普段ゆるゆるなところがあっても、やるべきところではバシッと決められるようになりたい。

 

なんでこんなことを書いてるかというと、ある程度の適当さが必要だと思ったんです。自責より自分を褒める方がたぶん苦しくはない。その前に自分を受け入れる過程が必要で、そんな自分を開示しなければおそらくコミュニケーションをする上でどこか表面的な感じが拭えないだろうと。

 

創作をしてて例えば人に褒めてもらえると「もっと、もっと」と欲が出てきます。それは他人に対する欲もあるかもしれないけど、自分自身に対するハードルですね。これが上がる一方だとおそらくどこかで糸が切れてしまう。

 

とある方に教えていただきました、「創作はとにかく続けることだ」と。上手くなる、それは大事です、向上心がなければ改善は生まれぬ。人に承認を求める、コミュニケーションを加速させる、それも結構。でも、そういう過程において浮ついて消耗している自分を、いずれかのタイミングで落ち着かせてリフレッシュ(英気を養う)させたり、本来の目的を思い出させる必要があると思うんです。

 

たぶんそれができれば、長く創作を続けていける。「同人 しんどい」とか「疲れた」で検索すると、いくつもそういうすり減るような思いをした方の経験や心情が綴られたページがヒットします。それだけ大変なことだというのは、去年1年(正確にいうとその前段階として去年も地道に準備していたわけですが)活動しただけでも充分身にしみました。

 

でもまた、同人で創作したからこそ得られたつながりやコミュニケーションもありました。プロの作家さんでも滅多にもらえないという話もある(?)長文の感想を何件かいただいたり、そうでなくても大小様々な、しかし温かいリアクションをいただいたり、オフでフォロワーさんにお会いして本を買い求めていただけたり。

特に東京ティアに出た当日のうちにいただいた、温かい励ましと感動に満ちた長文メールは、辛い時に読んで山場を乗り越えるのを支えてくれました。また、事前に「行くよ」とか、「楽しみにしてる」といった連絡をもらった際もじゃあ読んでもらうために頑張ろうと思えたりしました。普段から濃い関わりを持っていた人に漫画を読んでもらうことも多く、私がどういう人間か知ってもらうことでよりコミュニケーションが活性化された気がします。

 

また、何よりイベントを前にしなければ半分エターナりかけていた1話2話をものにできなかったでしょう。うちの子が動いて、笑い泣き物語を紡ぐことのできる喜びは何物にも変えられないなと思うばかりです。新しい展開が思い浮かぶたび、愛着が湧いてうちの子が身近に感じられますし、幸せにしてあげたい、なってほしいという親のような?感情まで湧いてきます。

自分だけの物語を紡ぐ喜び、自分の中にある世界やものの見方、感じ方、好きなもの、大切にしているもの、怖かったこと悲しかったことなどの心の奥深くにあるものを他人と共有できるという体験はなかなかできるものではありません。そこにたどり着いてくれた人に感謝して、また筆を進める、そんな時間を今年も作っていきたく思います。

 

好きでやっていることでも、最低一つは、現実にはもっと、きついことや辛い事にも直面することになると思います。漫画を描き始めてからは、「世界は誰かの仕事でできてるんだなあ」という風にものの見方が変わり、すべての成果物に対してありがたみを感じるようになりました。合間でやるスマホゲーも個人で作ってる音楽も同人誌も商業漫画も映画もブログも広告も、みんな誰かのワークだったんですね。すごく当たり前のようにも思いますが、自分も創る側を体験することで明らかに感じ方の質が変わりました。おそらく作り手さんと話が合うのはこのあたりの感じ方によるものに違いない。個人的に幅広い意味でのモノづくりをする人にも勝手に共感を感じるようになってきたという変化がありました。

 

 

話は変わりますが、コミティアのページの「コミティアについて」にはこのような理念が掲げられています。

 

コミティアとはプロ・アマを問わないマンガ描きたちが自主出版した本を発表・販売する展示即売会です。
そこは、枠にはまらない自由で新鮮な個性を持つ作家が腕を試す自己表現の舞台であり、既製品に飽き足らない読者にとってまだ見ぬ、そして求めていたマンガを発見できる宝探しの山でもあります。
コミティアは、そうした一人一人の描き手と読み手がダイレクトに出会える「場」として開催されます。
そんな描き手と読み手の、あるいは描き手同士の作品を介して魂と魂が握手するような出会いが、新たな創作への刺激とエネルギーになることを信じています。

 

www.comitia.co.jp

初めてこの文章を読んだときには感動を覚えたものでした。理由はいくつかありますが、商業作品と同人漫画を類比させるということはしてはおらず、コミティアの運営方針を鑑みても、「どちらも」ーいや、「いずれの漫画も」コミティアは受け入れてくれるのです。(一時創作であれば)プロもアマも、漫画が初めての自分ですらー(それが向こう様ー読み手、他の参加者にはどう映るのかはまた別の話ですが、ともかく)受け入れてくれる土壌があるのです。これは本当にすごいことだなあと思いました。(漫画である必要すらなく、グッズや小説、画集、CD等様々な媒体がずらりと並んでいます)

 

そんな創作を愛する人のための祭典であるからこそ、その理念に共感した人々の手によってさらに地方コミティアが運営されているのではないかと感じます。

 

しかし一方で、ネット上を巡回していると「最近は同人漫画家も宣伝するんだな」「Twitterが息苦しい」「近年は同人の世界も商業主義化していると感じる」などの書き込みも見受けられました。

 

これらの変化がもしあったとして、それを良いと考えるか悪いと考えるかは分かれるところかもしれません。私自身はというと、正直仕方ないと考えていますが、一方でやはり宣伝というものは自分自身がしていても、見ていても(多いと)疲れを感じる部分もあります。そもそも、「自分の同人誌を買ってくれる人はどんな気持ちなのだろう?」「この先も見守ってくれる人がどれくらいいるのだろう?」「イベントに出て、売れなかったらどうしよう」などといった気持ちは常に渦巻いています。

 

コミティアへのサークル参加数は増加の傾向にあるようです。東京でも関西コミティアでも九州コミティアでも、抽選があったり、あるいは運営に携わる方が会場のスペースの使い方を見直したりしてなんとか多くのサークルが参加できるよう苦心されているようです。

同人界隈がますます盛り上がる中、しかしコミティアのアフターレポートやティアズマガジンを見てみると大半のサークルが一桁台の売り上げ冊数のようです。

有名サークルが平均値を押し上げてはいますが、中央値を参照すると偏りがあることが見て取れます。そんなヒエラルキーの上位を、あわよくばと目指す、それが同人作家たちの腹の底にある思いなのでしょうか。

 

私個人は「数ではない」とは思いつつも、やはり全く手にとってもらえなかったり、あるいはくださいとの意思表明をもらえないとしょんぼりはしてしまいます。コミティアから帰ってくるときだいたいは落ち込んでいることが多いのですが、これは自分の考え方がネガティブなのだろうか、と考えつつも良かったところ、改善点含めて一人反省会をするようにしています。

 

長くなってきました。

自分としてはもう一度コミティアに出ることも考える一方で、それだけが同人活動でもないとの思いを強めています。というか、今はツイッターにもあまり顔を出せていません。完全に復帰するまではもうしばらく時間がかかるものと思われます。

 

結局、同人活動で良いリアクションをいただいて、画力も向上して、自分の描きたいものが描けたとしても、それだけで人生が開けるわけではありません。もちろん、同人活動を始めたことで状況が好転したこともあります。少なくとも希死念慮にさいなまれることはなくなり、人生における自分の柱とか楽しみ、自己価値感が得られたのはありがたいことでした。

 

しかし、そこで起こったことは新たな世界での人間関係であったり、外界との作品を通じた交流であったりしました。もっと楽天的に、割り切って人間関係だのを楽しめればいいのですが、まあ悩みはつきものです。自分の今の状態や考え方、気質に因るところもあると思います。

 

描き続けたい、それは確かです。でもその先でどうするか。

 

同人活動は一人では完結しません。応援してくださる方々の存在も、作家にとっては貴重なものだと思います。見えにくい部分ではありますが。

 

一人ではなしえないことを、応援してくださる方々からのリアクションによって営むことができている。そう思います。そういった意味では私も導かれているのかもしれません。

 

なんだかとりとめの無い文章になってしまいましたが、今日はここまでにします。

水面下でオダカノの続きを描いたり設定を練ったりお絵描きしたりしています。

また、近いうちにまとまったご報告ができるよう、ぼちぼちやっていまきます。

それでは。

 

 

 

荘合同誌について

この記事は隔日でなんか書く(描く)アドベントカレンダーの1日目です。

隔日でなんか描く(書く) Advent Calendar 2019 - Adventar

ちなみにこのアドカレ、一人用です。

なぜこんな変わったことをやっているのかと言いますと、

去年年末に急にブログ書きたい衝動が高まったにもかかわらず、

結局書かずじまいで年を越すことになったからでした。

(本当は今年読んだ本のレビューなどをやりたかった)

 

 

今年こそは、との思いで12月を迎えたら、

周囲で急に一人アドベントカレンダーが流行?の

兆しを見せたので、「これだ!」と。

これなら期日がなくずるずるしてしまうようなブログの更新も、

明確な締め切りが設定できるので締め切り駆動で自分を動かせるかな、

と思ったわけです。

 

それに、今までブログをかなり長期間放置していたし

(創作活動に時間と気力を割いていたという言い訳)、

創作活動にかまけて活動の記録を世に残すこともできていませんでしたし、

書きたい文章、テーマも溜まっていました。

これは良い機会であり良いソリューションを見つけたぞと。

 

※この記事に問題がある場合、クローズドにしたい場合は

きーのまでお知らせください。

書くべきか迷ってこんな日にちになってしまいましたが

こっそりやるという形で決断させていただきました。

 

 

それで早速1日目のテーマですが、「荘合同誌」となっていて

おそらく???となる方もいらっしゃると思いますので軽く説明を。

felesitas.cloudというnagikoさんのMastodon個人サーバが

今年6月に2周年を迎えました。

通称「ふぇれ荘」と呼ばれるこのインスタンスMastodonが「分散型SNS」で

あることを踏まえても、全体から見れば小規模ではありますがとても居心地の良い電脳空間です。

そこでは言語や音楽、情報学、心理学ほか様々な学問分野などに精通したユーザが

まったりと、ときにはわいわいと思い思いに時を過ごしています。

 

話を戻しますと、2周年企画ということで

nagikoさんよりfelesitas.coud2周年合同誌の企画が発案されていました。

その合同誌に寄稿する文章が先日書き上がりましたので、

この機会にここにもリンクを貼らせていただこうかと思います。

(リンク先は全体のページになっています)

seeker-nagiko.hatenadiary.com

 

タイトルが「ひと、もの、かたち」となっていますが

実に素敵なタイトルですね。

自分のほか2名のユーザの方が寄稿されていて、

それぞれにnagikoさんコメントが寄せられています。

地の文章も素敵です。

個人的に好きだなと思った箇所は

 

寄稿の中で綴られている、1人1人が構成員だというのは、自分もそう思います。

人は1人1人、ビートも音色も違う楽器であり、人と人とが出会うことで、グルーブ感や独自のリズムやメロディを奏でられるのではないか、

人は人に影響されて、音が釣られて、結果的に突発的ジャズセッションになるんですよね。

そうして演奏し終わった後、この体験が個々人の心に残り、次につながっていく。

(こういうことって、ある種横のつながりじゃないと出来ないことなのかもしれませんね。)

 

 

 

ですね。

これを読んだ後、一人でぼんやり考えていたのですが、

ぼくは、ぼくらは、誰かとセッションしたかったのかもしれない。

そのために、ひとりだけでなく、「誰かと一緒」も楽しめる人間になりたいものだなあ

などと思ったのでした。

 

 

ぼくの寄稿した文章、およびふぇれ荘の詳細等は

上記リンク先のページに譲ります。

タイトルは「絵描きは21からが面白い」。

実は今年22になりましたが、それはさておき20~21歳にかけて

行った絵の練習方法、および創作に関する思考をまとめたものに

なっています。

1万字超えの大ボリュームですので、

お時間のあるときなどにゆっくりどうぞ。

 

今後の予定しているテーマは

・今年の創作活動まとめ

ブギーポップ アニメ新版の感想及び考察

・来年やりたいこと

・今年読んだ本の簡易レビュー

・年賀状イラストチラ見せ

 

などなど。今後もひっそりまったり更新していきますので、

お気づきの際にでもふらっとお立ち寄りください。

では。

 

 

キノの旅の「あのフレーズ」についての解釈

キノの旅』の有名なあの文句、「世界は美しくなんかない。そしてそれ故に、美しい」というフレーズの意味を、私はこう解釈していますー「世界にはあまりにも美しくない物が多いから離脱しようかと少し考えたが、それにしては、この世は去るには惜しいと思えるほどには美しい」。


こんにちは。世界から何度か離脱することを考えたことがあるきーのです。

私にとってこの世は幼少の頃から、漠然と不安でどこか生きづらいものでした。自分がアウトサイダーであることを幼いながらも漠然と、しかしながら信じていたのです。


成長して私は大人になりました(案外中身は子供のままです)。そして、幼少の頃の予感は的中していたことを自覚しております。日々信じる心持ちが強くなっております。


それでも、私とて一介の生物に過ぎません。どういうわけか、神は多様な生物が遺伝情報を残す様を興味深く眺めておられるようです。もしくはご自身の庭を放置なさっているのか、私には知る由もありませんが、とにかく、私にもそのようにプログラムされたものが備わっているようでして、すなわち、自身の個体情報を維持しようとするわけですね。何だかんだ生を持続させておるわけです。


そんな自分だから、あの文句がこのように解釈できてしまうのかもしれません。意味のなさを限定的に認め、一方で生に執着するくらいなら、いっそ肯定でもした方が潔いし効率的な気もしますね。まあしかし、解釈など所詮解釈に過ぎません。絶対的な解答ではないと思うております。ですからこれは私の視点から見た、私の価値観というレンズを通して見たものを描写しただけで御座います。しかし人間は何故、かくも他人の視座を、他人を、他者を面白がるのでしょうね。他者と触れ合うことなしに生をやることはできないのです。他人も他の動物も《他者》たるあらゆる表現物も、何かによるプロダクツです。ああ、他者による慰めを得ずに人生を終われないだなんて!


ちっぽけな米粒のような私には、神様が何をお考えかなどはちっとも解りません。まあ、そこに問いを立てることがそもそもの間違いであり、必要無いことなのかもしれません。そう、多くの人が言うようにー「現実の問題を考えるべき」なのかもしれません。その問題を差し置いても、その言葉はもっともなところです。


そんなつまらないことは考えるのをやめて、幸せになる方法でも考えた方がよっぽど《生産的》かもしれません。ああ、それにしても、情報を振り撒かずにはいられない。生物はどうしてかくもこのようにできているのでしょうね。


《理由はともあれ、世界はただ在り続ける》

我々の視認しうる、限りなく狭い世界

我々は膨大な過去の蓄積の上に生きている。

そしてそれはあまりにも膨大であるがゆえに、

人は過去を忘却しうる。

または己の無意識の中に埋没させてゆく。

つまり自身ですら、全てを統合しきれているとは

言い難いのではなかろうか。

それらの中から拾い上げた、意識という表層に

浮かび上がりうるものだけに著しく偏った編集を

施したものが貴方の言う「記憶」ではなかろうか。

もっとも、この「記憶」というのは

先の文脈に沿って言語化しうるものを指すということにする。

 

また、これに加えて、我々の想定というものの

信頼性についても疑う余地があると言えるだろう。

我々の認知は間違いうるということを

常に頭の片隅に置いておく必要がある。

事実は想定を上回ることがよくあるし、

所詮我々の想定というものは起こりうる

事実の可能性に対して貧困である、との

謙虚な認識を抱くのが賢明に思える。

事実は豊かだ、だから行動を起こして

確かめる必要がある、学び、修正する必要が常にある。

可能性を確かめに行こう、想定外で、

とりわけ想定以上で人生を満ち足りたものにしよう。

自創作漫画「オーダーメイド彼女」の主要キャラと作者自身のパーソナリティ解剖①

◆最初にお知らせ◆
この記事をお読みになるに先立って、まず以下のリンクから
「オーダーメイド彼女」1話を読むことをおすすめします。

www.pixiv.net

 
 
 
こんばんは、やっとこさ「オーダーメイド彼女」1話を描き終えたきーのです。
進捗がやべえ。何がやべえって来年1月20日
関西コミティア54にこの原稿で挑む気なのですが、
それがまだ1話しか完成してないのがやべえ。
(ネームのストックはあるにせよ)
という中に人の焦りは一旦置いといて。
 
はい、今日は自分が描いている「オーダーメイド彼女」という漫画の
登場キャラクターと作品の世界観、ぼく自身のパーソナリティの関連などについてのお話です。
 
いきなりですが質問です。あなたの好きな漫画やアニメ、小説、映画、なんでもよいのですが
その作品はどのような世界観をあなたに提示しているでしょう。
そこに描かれている登場人物たちはどのような性格の傾向を持っているでしょう。
どんな思想に基づいて、どのように行動していくでしょう。
それらが織りなす物語は、どのようなことをあなたに訴えかけてくるでしょうか。
 
ごくごく当たり前のことですが、作品にはテーマというものが存在し、
キャラクターの行動やパーソナリティ、思想などは
作者個人に由来するものです。作者の頭の中にあるものが材料なのですから。
その作品に触れると、何となく作者の人となりや思想が分かった気になりませんか?
ぼくはなります。
それは作者個人の思想や体験が、作品の中にどうしても反映されてしまうもので、
作品と密接に結びついているからだとぼくは考えています。
 
今回はぼくの「オーダーメイド彼女」について、
その中でも特にメインキャラと作者のパーソナリティに焦点を当ててお話しますが、
まことに稚拙ながらぼくの創作論的なものも少し述べさせていただきます。
 
それでは、時間や興味、色々のものが許す限り、
どうぞお付き合いくださいませ。
 
いや、前置き長いよ。
 
まあそれはぼくの癖なので…すみませんぬ…
 
さてさて。
以下に『オーダーメイド彼女』の主要キャラクター表をのっけました。

f:id:kiri-tricolore:20181216200742p:plain

こんな感じです。
 
さて、ざっと見ていただければお分かりになるかと思いますが、
 
啓多とはぐちゃん(アンドロイドの子)はそれぞれ何かしらの問題を抱えてるっぽいです。
(アンドロイドの子ははぐちゃんという名前で、1話時点ではまだ名前は未定ということになっていますがツイッターとかでバンバン名前出してるので普通にここでは
明かしちゃいます。というか「アンドロイドの子」だと話しづらい)
 
えー、なおはぐちゃんの名前については2話で色々明らかになるので気になる方は
ぜひお読みくださいませ。
 
なわけで、まず啓多くん。
この子は冷静で理論を重視するタイプですが、それ以前に人の気持ちに
敏感な子であります。
 
1話を読んでいただければお分かりになると思いますが、
はぐちゃんはことあるごとに泣いてしまう泣き虫さんです。
これはまあ、はぐちゃん自身がある意味人の感情に敏感だからでもあるのですが、
それは後にゆだねるとして。
 
そんな泣き虫なはぐちゃんの様子をきちんと観察し、
受け止め、フォローできるのが啓多くんの長所であります。(1話ラストをご参照あれ。)
いやあ啓多くんすごい。二十歳とは思えない。ジェントルマン。惚れる。
とか馬鹿はほどほどにして。
 
そんな啓多くんですが、もちろん完璧ではありません。
そもそも啓多くんのこの観察眼は、生育環境によって磨かれたものです。
そんな環境を構成する一つのファクターだったのが、啓多くんのお兄さんです。
(3話で登場予定)
ちゃらんぽらんな兄がいて、それに反発するかのように真面目な性格傾向が
強くなりました。
 
あと、啓多くんには悩みもあります。
それはどうやら、将来の進路に対する不安のようです。
 
それでは、次ははぐちゃんについて見ていきましょう。
この子は1話でやたら泣いているという印象を読んでくださった方の中には
持たれる方がいると思いますが、今後もこの子には
暗い表情をたくさんしてもらうことになります。いやあ申し訳ない。
いや、ちゃんと喜んだり笑ったりもしますよ?

ヒロインの泣き顔を描きたがる絵描き漫画描きはたくさんいると思…はい。

 

で、先ほどちらっと書きましたが、はぐちゃんは

一言で言い表すと、人の顔色を窺う癖のある子です。

ぶっちゃけこれは、ぼく自身の癖でもあります。

何だか暗い話だが……そう、この作品は 明るくはないです。決して。

 

夏目漱石は『草枕』の中で「人の世に疲れたから作品が生まれるのに、その作品の

中で喜んだり悲しんだりするのでは気が休まらん(要約)」みたいなことを言ってますが、そういう視点でぼくの作品を読まれると、おそらく気が休まらないこと請け合いです。

でも安心してください。ちゃんとカタルシスもあります。

 

それがどのようなものか軽くお話しして、この記事を終わりにしたいと思います。

 

先ほど啓多くんもはぐちゃんも、それぞれ問題を抱えているとお話しました。

啓多くんは進路の悩み、そして兄との摩擦等。(実は他にもありますがそれは追々作品の中で読み取っていただきましょう)

はぐちゃんは人の顔色を窺ってしまい、それによって気分が上下するという性質。

 

人は往々にして、誰も皆困難を抱えているものですが、

この二人とて例外ではありません。

しかしながら、人には自分の問題を自分で解決する姿勢というものが

元来備わっています。

この二人もまた、その例に倣うでしょう。

啓多くんは悩みながら、はぐちゃんは啓多くんの力を借りながら。

二人で困難を乗り越えてゆくでしょう。

 

ぼくは幼少期はよくノートに落書き漫画を描いていましたが、

それを除くと、きちんと漫画を制作するのは初めてです。

最初は単純で短いハッピーエンドのラブコメにするつもりだったのに、

キャラクターについて真面目に考察していると、何だか長くなりそうです。

 

初めての漫画制作、初めてのコミティア、初めての同人イベント、

まだ1話しか完成していない原稿、不安や課題は山積みですが、

自分の表現したいもののために、それを届けたいひとたちに届けるために。

もう少し頑張りたいと思います。

 

それでは今日はこの辺で失礼いたします。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございます!

 

 

 
 

『少女終末旅行』はいいぞ

 関西コミティアに申し込んだものの、まだ一話も描いてないきーのです。

いや、作業はしてます。進捗が追いついてこい。

すみません、ちゃんと描きます。今なら描けそうな気がする(クズっぽい発言

 

で、その間何をしていたかというと、学生らしくテスト勉強に励んで…

いたわけでもそんなになく、勉強少し進めてはアニメ視聴が進む進む、とか抜かしてました。

いやホント○アニメストア最高。

 

で、友人に勧められたので『宝石の国』に周回遅れで軽率にハマり、

一気見したかと思えば、雰囲気が気になったので『少女終末旅行』を

見始めたのですが……

 

世界観最高では?(語彙力

 

見進めるのが惜しいと思うくらいどハマりしました。

ほのぼのディストピアまんせー。個人的にはEDが好き。

 

ぼく的には『キノの旅』好きはかの作品にハマる素質を備えている説を唱えていきたい。

 

そして『ゆるキャン』にも「いいなあ…」とかほっこりしつつ、BGVを流しながらの

作業はぼくには無理だと悟るのでした(試してみた

 

関西コミティアは来年1/20。それまでにまとまった分量のお話を描かないといけません。

さて間に合うのでしょうか。じゃなくて間に合わせるぞい。

あまり見てくださる方々の期待を裏切らないようにがんばりたいです。

漫画初心者だけど。完璧主義をやめるぞ。

 

次回のブログは(気が向いたら)『漱石のこころ―その哲学と文学』という本の

読書レビューでも書きたいです。

あと『草枕』に見る文学論、芸術論についても少し触れられたら。

まあ学部2年生ですしそんなに学や知識があるわけでもないのでクオリティの期待はほどほどにお願いします(えっ

なお変更する可能性はあります。

こんな感じでゆるゆる適当にやってまいりますが、くつろぎながら眺めてくださいな。