公園ジプシー
「タピオカ飲むときにベビタッピって言いながらストローを挿すのが流行りなんだって、可愛いよね」
沙紀が言ってた。
なにがベビタッピだ。
私達はグルーヴ感と所謂ノッてる感じがあればそれはベビタッピじゃなくてタピパッキンでもフルボッキでもいいのだ。
そんなノリに私はもう飽き飽きしていた。毎日続く中身ない会話、それでも一人は寂しくて学校では何人かでつるんでいた。グループで会話している時はいよいよ自分がそこに居なくてもいいように感じる事が増えて、「このまま魂だけ抜け出したい」とさえ考えるようになった。
高校生なのに未だに交際人数も0人という事実からくる劣等感で異性は勿論同性へも嫌悪感を抱いていた。
なんで女に生まれてきたんだろう。なんで同性の人達はこんな楽しそうにしているの。なんで可愛らしく振舞うエネルギーがあるの。私は何をすれば、何を得られれば満足できるの。
答えの見つからない問いかけをひたすら頭の中で繰り返しながら両手で携帯を持ち、目線は前を向いて公園のベンチに座っている。
これが私の最近の下校時に行うルーティンだ。
脳内では考え事をしていても五感が伝える情報は強大で、公園で楽しそうにかけっこをして遊んでいる子供が目に入る。
公園特有の草木と砂の混じったにおいが鼻腔をくすぐる。
ルーティンが続いているのはきっと私がこの景色と香りが好きだからなのだと思う。
ふと月曜日にこの姿を3組の寺田先生に発見され、話しかけられた事を思い出した。
「大丈夫?何か悩み事があるなら話聞こうか」
確かに魂が抜けたように前を向いて考え事をしている女子校生を見つけたら担任は放っては置けないだろう。
善意から話しかけてくれたのはわかっているのだが、私は弱いところを異性に付け込まれるのも癪で「悩んでなんかいません」と冷たくあしらってしまった。
先生が私に背を向けた時の少し窄んだ背中が今でもフラッシュバックする。
「なんであんな態度取っちゃったんだろう」
口に出して呟いた。
最近は陽気が続いていて、赤いツツジの花が満開で並んでいる。「冬は30年前の話ですよ」と言わんばかりの顔の出し方である。
そんなツツジの傍で穴を掘っている子供が目に留まった。
毎日ベンチに座っている私の記憶だとこの子供は3日前までは一度も見たことが無く、最近ここに越してきたと予想している。
なぜこんな事を覚えているかというとその子は遊び方が異質だからだ。
彼はツツジの咲いている傍の土をひたすら下へと掘っているのだ。一人で。
掘るのを辞めたかと思ったら、思い付いたようにツツジの花を根元から摘み、嗜好品のように蜜を吸って一息ついてまた穴を掘り始める。私の好きな博打漫画に出てくる、地下で労働させられるドカタみたいだ。
そして夕方遅くになるとあそこのベンチで黄昏ているお兄さんを連れて彼は帰る。おそらく若く見えるあのお兄さんは親なのだろう。
お兄さんを見ていた私だが、自分の元へ目線を戻すと例の穴掘りの子供が私のそばに来ていて、何か言いたげな目で私の事を見つめていた。
「お姉ちゃん」
「.......なに?」
「これいる?」
推定幼稚園年長の少年は小さな握りこぶしを左手に作って私の前に突き出した。手は泥だらけで少し汚いなと思った。
そして返事を聞く暇も与えずに私の目の前で突き出されたこぶしは上向きになってぱっと開かれた。
「きゃっ」
思わず叫んでしまった。カブトムシの幼虫だった。大人になるにつれて触るのが気持ち悪いなと思って虫を敬遠していた私は、急に間近で生きた幼虫を見せられて驚いてしまった。
「虫、きらいなの?」
何も悪気のなさそうな顔で少年は尋ねる。
「いきなり見せられると」
「虫はね、ちいさくて弱いんだよ」
少年はまるで脳ミソが劣化させられた孔子のような教えを私に説くと
「よわいのよわいの飛んでけーーー」
と叫びながら手中の幼虫を草木の方向へ思い切り投げた。
訳の分からない無邪気な叫びとカブトムシの幼虫を投げる非日常感が面白くて私は笑ってしまった。こんな自然に笑みが零れたのはいつぶりだろうか。
「おねえさん」
「なに?」
「いっしょに遊ぼう」
目の前の小さな子供から遊びの誘いを受けた女子校生の私は返答に迷った。
「遊んでやってくれませんか」
私の後ろからベースのような低音が聞こえたので振り返ると、少年が夕方になると連れて帰る親らしきお兄さんだった。
初めて近くで見るが、意外と目鼻立ちが良くて肌がきれいだ。まだ20代なのではないか。
「はぁ」
そんな事を考えながら適当に返事したらイエスと受け取られたらしく、少年が「やったー」と喜んでいた。
「ぼくはさくたろうです」
笑顔で私に短い自己紹介をすると少年は私に「ついて来い」と言わんばかりに身を翻して、掘っていた穴の方へ向かった。
「サクタロー」
中々語感のいい名前を口にしたくなって呼んでみる。
「なにおねえさん」
「君はみんなとかけっこをしないの?」
私はずっと気になっていたことを尋ねた。一応初対面なので、相手が大人だったら「自分の事よく見てるな」と思われそうな質問だが、そこら辺の気は使わないのが子供の楽なところだ。
サクタローは「うーん」と声に出して考え出したかと思ったら
「おもしろくないから」
と直ぐに答えた。
ふーん。なんか捻りのないつまらない回答だ、と思った。
私はサクタローに穴掘りの手伝いをさせられた。
彼の聞くところによると、この穴は何故か掘っても次の日には元に戻っているらしい。掘られた穴を埋め立て直す人の迷惑そうな顔が目に浮かぶ。浮かんだが穴掘りを手伝うことにした。
2人で細々と無心で掘っていると何故だか夢中になってしまってこのまま朝まで出来るのではないかとさえ思ったが、日が暮れ始めた。
「今日はありがとう」
遊んでいる時、私達の事をあまり見ることもなく黄昏ていたお兄さんに最後感謝された。
「またあしたね」
サクタローの純粋な目を見ていると、また明日も遊ぼうかな。という気持ちになれた。
それから私はほとんど毎日サクタローと遊ぶこととなった。
彼は掘っても掘っても翌日には元に戻る土についにギブアップをして、今日は木登りをしている。ケヤキに登ろうとしていると言った方が正しいだろう。
制服で木登りを一緒にするわけにもいかないので黄昏るのが好きなお兄さんの隣に座った。
「サクタロー君面白いですね」
彼とあまり言葉を交わしたことの無かった私だが、気まずくならないように話しかけてみた。それと同時に彼らと出会う前の私だったら一人で殻に籠って話しかけなかっただろうな、とも顧みた。
「子供は天才だからね」
お兄さんはぽつりと言葉を落とした。
「天才?」
「子供は自分が楽しいと思う事なら集中して取り組むし、つまらないと感じたらパッと辞めてしまうだろう」
初めて遊んだ日の事を思い出した。彼は他の子とかけっこするのがつまらないと述べていた。
「朔太郎は人見知りではないんだけれど、あまり同じ年の子と遊ぼうとしなくて」
確かにサクタローは虫を見せるために私に話しかけてきた。
「あの子達とかけっこをするのが楽しくないって言ってました」
団体で遊んでいる子供たちの方向を見て答える。
それからお兄さんは暫く何も言わず、少し間が空いてから喋り出した。
「俺と朔太郎の様な人は公園ジプシーって言うらしい」
「ジプシー?」
「ヨーロッパを移住する民族の事だね。俺たちは他の公園でママ友や子供同士が仲良くなれなくて、朔太郎も同じ公園で遊ぶのが飽きて移動して来たんだ。」
「そうなんですね」
「朔太郎もやっと気が合う相手を見つけられた。いつも遊んでくれてありがとう」
私の顔を見つめるお兄さんになんだか照れくさくなって私は感謝に対する言葉を探していた。
「おねーーーーさん」
逡巡する私のことを一向にヒノキに登れないサクタローが呼ぶ。
私はサクタローに「はーい今行く」と返事をしてお兄さんに会釈して照れから逃げるように彼の元を発った。
そして一カ月が経った。
彼らと出会った後の私は明らかに変わっていった。
学校で常に周りと会話するということが無くなった。
前は休み時間は毎回固まっているグループに入ろうとしたのに今は1人で本を読んだりしている。ふと寂しくなったら沙紀の元へ行って話したりする。
そうしていると段々人は寄り付かなくはなったが、無理をしているという感覚は無くなり、話す友達の事を前よりも大事に思えるようになった。
私は充実した時間を過ごしていると思えている。
充実した時間の中にはサクタローとお兄さんとの時間ももちろん含まれている。
サクタローに生えている草木の種類を教えたり、一緒に靴底をすり減らしながら遊んでいる時間は楽しいし、お兄さんともよく喋るようになった。
お兄さんは相変わらず空気感と喋る内容が変で、宇宙に居るような気分になることもあるけれど、やはりサクタローの親であった事と妻と離婚した事だけは知れた。
それを機に私は何故だかお兄さんに親近感を覚え、より何でも話せるようになった。
私は学校の友達の言ってた話や勉強の話、サクタローの将来の話など何の話でもお兄さんに持ち掛けた。
「引っ越しすることにした」
梅雨前線が列島に近づいている頃、お兄さんが私にいつものような無表情で打ち明けた。
脳がストップした。冗談じゃないかと確認をしたが冗談ではないらしい。
「俺、漫画を描いてて。お世話になる会社が変わって連載が始まるからアシさん付くし、引っ越しをすることにしたんだ。」
次々と私を驚かせるようなことを言う目の前の彼は相変わらず無表情だ。
静寂が訪れる。
外は蒸し暑くて、何も考えられない私は頬から汗を垂らした。
何を言っているのだろうか。何故かこの人の別れた妻の癇癪した姿が無意識的にイメージに浮かんだ。
私は口を噤んでじっと下を向いていたが、ボロボロになった自分のローファーが目に写った。
この靴の汚さが、私と彼らの共に過ごした時間を溢れるように思い起こさせた。
「なんで私を置いて行っちゃうんですか」
これしか言えなかった。目には泪が浮かんでいた。
サクタローと出会い、サクタローがお兄さんと私を繋ぎ、三人で過ごした毎日。
2人が来ない日は「何してるんだろうな」と想像して、私が友達と遊んでこれない日は二人の事を気に留めたことも何度もある。
そして私はこの出会いのお蔭で自分が変化した。
サクタローと出会う前の燻った弱い私はどこかに飛んでいったつもりだった。私は自分の本能のままに物事を選択するようになった。サクタローと同じ天才なのかもしれない、なんて考えたりもしたっけ。
ただそれは三人でいたからだと今認識した。
私は二人が居なくなったらまた前の私に戻ってしまうのではないか。
何より大きな寂しさがあった。二人の存在は私の中で日に日に大きくなっていたのだ。一緒にいると優しい笑顔になれるサクタロー、何の話でも遮ることなく聞いてくれるお兄さん。
ジプシー、なぜ私一人だけ置いて行くの。
「ごめんな」
お兄さんがぽつりと呟いた瞬間、汗と共に目に溜まった泪が零れそうになって、私はベンチを立って思わず公園の外へと駆けだした。
それから私は公園に行かなくなった。
ここ最近はじめじめと雨が降っている。
こんな雨だと公園で遊ぶなんてことは無いのだが、もしかしたら雨の中私を二人が待っているのではないかという想像を偶にした。
それでも、自分から出て行ってしまったばかりに戻るのも気恥ずかしいという本音もあって公園の傍に立ち寄る気も起きなかった。
二人の居ない日々は退屈だ。なんだかクラスで私一人だけ自分勝手に生きているように見える。
何故一人になったとたん自分の事が自分勝手に見えるのだろう。
そんなことを考えながら窓際の席で外のアジサイを見ながら古典の授業を聞いている。
小さい花弁から落ちる露。
その花弁が私の手のひらに見えて
「もう一度だけでも、会わないと」という気分にふとなった。
もう引っ越ししてしまっただろうか。
雨なのに誰も公園に居るわけがない。
それでも体が引き寄せられるように私は公園へと向かった。
公園の外から中を覗くと、一人、傘を差しながらぽつんと立っているのが見えた。
お兄さんだ。見慣れた猫背のシルエットである。
差している傘の元ではサクタローがあの日のように穴を掘っていた。ツツジはもう咲いていない。
毎日会っていた頃に比べて久しぶりに見る懐かしさと、雨なのに私を待ってくれているという嬉しさで胸が熱くなった。それなのに、私は未だに公園の外から覗いたまま動けなかった。
それから暫く雨の音を聞いていると
「おねーーさーーん」
と穴掘りを辞めたサクタローが叫んだ。
「おねーーさーーん」
サクタローは人目を気にせずに何度も叫ぶ。私はついに思いが溢れてしまって彼らの元へと飛び出した。
「あっ」
サクタローは気づいた瞬間驚いた表情をして、私とお兄さんの顔を交互に見つめている。
お兄さんに見られている思わず飛び出てきた私からは、何の言葉も出てこない。
「花は落ちてもまた次の年には咲いている。生きているから。」
お兄さんが急に脳ミソが欠けた孔子みたいな台詞を言った。
私はこの空気で喋る事ではないだろう、と思わず声に出して笑ってしまった。サクタローもけらけら笑っていた。
「おねーさん」
「なに?サクタロー」
「ぼくは今日でおわかれなんだ」
引っ越しの日は運がいいのか悪いのか今日だったらしい。
「君の為に絵を描いてきた」
お兄さんが鞄の中から色紙を取り出して私に渡した。
色紙には漫画のタッチで私とサクタローの遊んでいる姿が描いてあった。
「ほんとに漫画家だったんだ」
私は言いながら失礼だったかもと思った。
「あとぼくも描いたよ」
サクタローがそう言うとお兄さんは二枚目の紙を取り出して私に渡した。
紙には子供らしさしかない四角い服から毛のような手の生えた絵がある。クレヨンで色の付いた私とサクタローとお兄さんが三人で手を繋いでいるのがはっきりと伝わった。
「ありがとう」
私は二つの絵を傘を差しながら見ていたが、滴が一滴紙に零れてしまったので自分の鞄に閉まった。
私は何も用意していない、貰ってばかりだが今日が別れの日である。
もっと私が開き直って最後の時間をもっと一緒に過ごせたら。
そんな後悔もありながら、この三人の距離をいつまでも忘れたくないと私は感じていた。
「サクタロー、お兄さん。三人で一緒に写真撮ろう。」
「いいね」
「わかった」
自分のスマートフォンのカメラを起動した。
三人の顔がツツジをバックにして近づく。最初で最後の三人での写真である。
「はいチーズ」
一回で取れた写真を確認すると私の愛した笑顔と無表情の二人の天才がしっかりと写っていた。
それから私達は少しの会話をした。
二人の声を聞けば聞くほど
私もこの二人のように自由になりたい。
周りに何と思われても強く生きたい。どれだけ落ち込むことがあってもまた花を咲かせられるように。
そんな思いが募っていった。
午後5時頃になり、積もる話も無くなった。
「そろそろおうちに帰ろうか」
「うん、サクタローも風邪ひいちゃいますし」
「ぼくはぜんぜん大丈夫だよ」
これから別々の場所で暮らすことになるが、住所や連絡先を聞くのはなんだかずるいと思って辞めた。
私はローファーを脱いだ。
「ちょっと何してるの」
無表情のお兄さんの眉間に皺が寄る。
「ローファー、ボロいんで」
そう言いながら私はサクタローの掘った穴にローファーを投げ入れた。
「ヒャーーー」
サクタローは奇声を発しながらローファーの突っ込まれた穴を何の悪びれもなく土をかけて入れる。お兄さんはしげしげとその様子を眺めている。
その姿を見て、また私は心から笑ってしまった。
「じゃあ10年後位に集合して一緒に掘り起こしましょう」
「はあ」
お兄さんは私に圧倒されている。それでいい。
「それじゃ、また」
泥だらけの靴下のままで二人の元をいつまでも手を振りながら離れていった。
曇り空だが、雨は止んでいた。
それから大学生になった私は小説を書くことに精を出している。
この小説が、いつか私が書く小説が、この色紙を書いたお兄さんを迎え入れられたなら。また会いましょう。3人の天才で
おわり
プリパラにはなぜ嫌いなキャラがいないのか
僕はアイドルアニメが大好きだ
プリパラを最近視聴していたのだが、本作品はアイカツと比較して半ば個性や人格の否定をするアイドルがいるし、物語の途中では「なんでこんなに酷いことをするんだ」と意見してしまいたくなるようなキャラクターもいるのだが不思議と見終えた後には嫌いなキャラが居なくなる
なんでだろう不思議だ。それを考え抜いた果てに言語化したのが今回の記事だ
具体例を挙げるとプリパラには悪役が幾つかいる。プリパラを知らない人にもわかりやすく説明する。ので厳格には少し違う表現もするが大体あってるので大目に見て
1:大神田グロリア校長
大神田はプリパラ(アイドル活動)が大嫌いである。校長の権限を利用して「小学生のプリパラ活動を禁止」とし、小学生のプリパラチケットを没収する事に精を注いでいる。プリパラチケットが無いと活動をすることは不可能であり、没収された生徒はプリパラの出来ない生活を余儀なくされる
プリパラ活動をすることで心身や脳ミソ等の成長が見込めるデータがある(みれぃ談)のにも関わらず嫌いだからという理由で没収してしまうのはあまりにも横暴だ。プリパラ出来ない子たちが可哀想だ。なんだこの大神田とかいう奴、腹立つわ。
しかし大神田がプリパラを憎むのにはバックボーンがあった。
小学生の頃に大神田はプリパラ活動をしており、親友と呼べる人も活動のお蔭で作ることが出来た
しかし親友とプリパラ以外で会って遊ぼうか。となった時に親友は約束の場所に来なかった。それから連絡も取れなくなり、その日出会えなかった大神田は来る日も来る日も待ち続け、また親友を探したのだが見つかる事は無かった。
「今まで過ごしてきた時間はまがい物だったのか」「友達なんて信用出来ひん」「プリパラ辞めたほうがいいぞ」
親友に裏切られた結果そんな考えに変化してしまった大神田はその後先生となり、プリパラの不必要性を説き、生徒のチケットを没収して回るようになったのだった
2:ファルルとユニコーン
ファルルという謎の地球外生命体ロボットアイドルを見つけたユニコーンマネージャー。ファルルにはプリズムボイスという最強の声を持ち合わせており、ことライブに関しては誰よりも完璧なパフォーマンスをするのである。しかし人間でないアイドルのファルルには心が無く、イマイチやっていいことと悪いことの区別がついていない
そしてそんな赤ちゃん同然の知能を管轄しているのはマネージャーのユニコーンであり、ユニコーンはファルルを伝説のアイドルにするために彼女を隔離させ自分のいう事しか聞かないように、自分の言ったとおりのステージしかやらせないように教育する
結果、悪気は無いのだが主人公の事をユニコーンに唆されて煽ってしまうし、他の登場キャラのパクリステージをし続ける。他の登場キャラも紆余曲折があって自分なりのステージを作ったのにそれを一瞬で完璧にパクられるのだから堪ったもんじゃない。見てるこちら側も「うーん悪気は無いんだけど全くいい気持ちではない」という考えにさせられる。マネージャーのユニコーンには無論腹が立つ。
そんなファルルだがユニコーンの目を掻い潜って主人公と友情を育み始める。友情、心という概念や気持ちを知ったロボット、ファルルは自我を持ち始める。結果パクリをしなくなり、自分なりの完璧ではないステージを披露して主人公チームに負けてしまう。負けてしまったが満足だと、主人公とプリパラチケットを交換する
プリパラチケット交換はこの作品では友情の印である
心を持つのはロボット的にはバグであるとし、チケット交換をした瞬間エラーが起きてファルルはフリーズして動かなくなってしまう
動かなくなってしまったファルルに対して手塩にして育ててきたユニコーンは悲しみに明け暮れる
ユニコーン自身は本当はファルルに心を持たせて自分と仲良くなりたかった。でもロボットだからそんなことはしていけないと自分の気持ちを抑えて今までプロデュースしてきたんだ。と。
3:紫京院ひびき
突如現れたイケメン。
初手、自分が口説いて落としたキャラを「やっぱこいつ違うな。」と捨てたかと思いきや
「今のプリパラはつまらん。友情ごっこだ」と次は主張し、主人公達のチケットを奪い、心を折ろうと試みる
そして心折ることなくプリパラチケット窃盗犯罪者を追い詰めた主人公達一行に対し、今までで一番最高のステージをかまして実力の差を見せつける
挙句にプリパラシステム本部を乗っ取って「実力のある人しかアイドル活動を出来ない」システムにする。まさにやりたい放題だ。
みんな一緒。友達。みんなでアイドルして上へと駆け上がろう。
という本筋だった今までのプリパラを、ひびきによって
格差歓迎。友達は要らない。天才で実力のあるものだけアイドル活動。
という本筋に変えられてしまった。
本筋というのは作品を通して一貫性のあるものであり視聴者に伝えたいメッセージである。それは作品の中で一番の正義であるものなのだから、それをすり替えられてしまうと私たちは「今まで見てきた私たちのプリパラを奪うな」となり、ひびきを憎むことになる
しかしひびきにも2つ背景がある。
1.自身は才能があって金持ちだが、金目当てで近づいてきた友達に過去裏切られた経験があり、以後友達が居ない事
2.プリパラを誰よりも愛してやまない事。そして今、伝説のアイドルが居ない現状でやっているアイドル活動は友達と皆で仲良くゆっくり上を目指す内容のもの
その背景の結果、現状のプリパラ界隈に納得のいっていないひびきは、ひびきなりの正義を振りかざしてプリパラ界全体を自らの手で向上させようとしているのだ
3つの憎いキャラの具体的な例を述べた。気づいた人は多いのではないかと思うが、このキャラクター達に共通しているのは行動原理があることだ。3キャラとも登場当初は主人公達を邪魔するような行動を取るのだが、物語を見るうちに全員どんな背景があったのか明らかになっていく。
背景を知った主人公達はそれに同情して
1の大神田にはステージを見せて心を動かし、且つ過去の友達と会わせて過去のトラウマは誤解であったこと、プリパラ活動はいいものだと再認識させる
2のユニコーンとファルルは、動かなくなったファルルをステージと歌と皆の気持ちで復活させる。ファルルは心を持ったまま復活し、失礼な言動はしなくなる。マネージャーユニコーンはファルルと仲良くなることができるようになる
3のひびきには友情パワーで最も実力のあったひびきに勝利して本筋を取り戻し、ひびきとも友達になることに成功する。口説かれた子もひびきは友達が欲しかったことを理解し、心を開きなおしてひびきと友達になる
というアプローチで解決する。解決し終えた後にはしこりは残らず、嫌いだったこれらのキャラも何故か好きになっている
見出しの「プリパラにはなぜ嫌いなキャラがいないのか」という話に戻る
憎ましいキャラがいるのにもかかわらず何故見終えた後には嫌いなキャラが居なくなっているのかというと
カタルシスという方法が物語で取られているからだと推測する
カタルシスとはアリストテレスが提唱したもので、一言で分かりやすく言うと「浄化」である
物語の中での悲劇や澱みが初めにあったとして、それに至る本当の理由が終盤で判明して最後に理解されて解放される。理解と解放を主人公達と視聴者は共に行う事で私たちの気持ちは浄化され、「いい話だったな」という感情に最後には変化する
プリパラの3人の悪役はそれぞれの経験に基づく正義を振りかざしている。私達はその正義を知らない状態であるが故に物語の澱みとして、嫌いな行動として初めは見てしまう
しかしその正義の行動原理が理解され、また正しい方向へと解決されることで私達の澱みは無くなり、浄化されることになる。プリパラの子はみんないい子ばかりだと、最後にはそんな感情を抱くことになる
プリパラに限った話ではない。私達の今まで触れてきた物語にそういった展開はごまんと有ったはずだ。殺人事件の起きる刑事物の本とか。
私達は物語の中で悲劇と浄化を経験して、終わった後にはすっきりした気持ちになっていることが多くあると思う
プリパラのキャラに憎ましい人がいないのは、ずばりカタルシスという手法が使われているためだと僕は考察する
そしてもう一つ。罰というものも関係していると考えている
例えば学校でいじめがあってその生徒が死んでしまったという話があったとする。読者はどんな理由があったにしろいじめっ子が生き残っていたまま物語が終わってしまったら納得するだろうか。いや納得しない
死という重さに対して私達はそれなりの罰を要求するものだ
何人もの人を殺してきた殺人犯がいたとして、読者や視聴者が理解を終えた後に死ぬ、または死んだ後に理解を終えることで神話のような良い物語だったと錯覚するのではないか
目には目を歯には歯を。そんな考えを打ち砕いているのもプリパラの澱みを残さない点でもある
プリパラでの上記の3つのエピソードは「人の死」のような極めて重いものではないが終わった後には主人公達は全て許す。
何かをやり返したいという報復的な考えは連鎖を生んでしまう。報復するという考えを取っ払って「全て許しまーす」という考え方を用いることで主人公目線である私達もしこりを残さずにいられるのだと思う。
というわけでプリパラに嫌いなキャラが出来ない理由を僕なりに考えてみたのだが、自分の手で物語を作る人にもそこそこ参考になる話にはなったんじゃないかな
おしまい
姫石らき から学ぶ根暗マインドからの脱却
どうも、麻雀をしてる人はサイコロの盲牌が出来ることに最近気づいた大臣です
そして今回は僕の寝言
アイカツオンパレード、の姫石らきちゃん
僕はこの子がめちゃくちゃ好きだ。可愛い
らきちゃんはどんなキャラクターかと云うと
もう何かと「私ってほんとラッキー」と言い、いて座の癖に「私も、うお座!」と言ってうお座のレアドレスを作ったりする様なラッキーサイコパスな子である、無印っぽいイカレ具合ね
「ラッキー」の一言で片付けて様々なトップアイドルと関わり、かつてない程の速度でアイカツ街道を進んでいく主人公故に視聴者からはしばしば反感を買い、らきちゃんが失敗すると喜ぶ層も居る
ところでオタク、今お前の心の天気はどうだ(唐突)
恐らく少々マイナス思考で自分に自信の無い僕達は「曇り」って答える人が多いと思う
アイカツの登場人物に聞いてみることを想像してみると皆どんな反応をするだろう
星宮いちごちゃん
「もちろん晴れだよ」
大空あかりちゃん
「明日の天気も晴れ!」
姫石らきちゃん
「キャハッ!(言うまでもない)」
僕達に「晴れ」と言えるようになれと、アイカツの登場人物の様な根明マインドを持つと幸せになれるよと、アイカツは手を引っ張ってくれる
しかしどうすれば相手の殆どを肯定し、人の成功を素直に喜び、何があっても笑顔で居られるのか。
鈍い僕には分からなかった
挑戦しては様々な失敗を繰り返して学び、自責の念を持って生活し、イマイチ人に比べて運が良くない僕は浮き沈みが激しい
勿論深く落ち込んでしまう事も多く、明るく居たいのに明るく居られない事も多い
落ち込んで居る時は大抵不幸も重なる。相談相手も励ましてくれる人も居ないので気持ちを上げるのに時間がかかってしまう
心の根元から明るく居たい、そんな気持ちがあるのにも関わらず中々その方法が見つからない
そりゃそうだ僕達はアニメのキャラでもないので
努力すれば成功するとは限らないし、不幸な事故も沢山ある
成功→自信を付ける→明るくなる
の道筋は難しいのだ。生きていく限り必ず失敗や不幸が伴い、その度に身に付いた自信がゼロに戻ったりLOWな気分が続いてしまうことがある
アイカツはトップアイドルになるサクセスがあって、僕達も努力して成功して云々
という道筋を想定しがちなのだが現実は厳しい
ではどうすればアイカツの登場人物の様な素敵な性格になれるの....
その最後のピースを埋めてくれるのが
アイカツオンパレードの主人公の姫石らきちゃんである
冒頭でも書いたが、この子はなにかにつけて「ラッキー」と言う
このマインドがアイカツが伝えてくれる最後のピースなのではないか?
根暗で自分に自信が無い僕達は物事を悪い方に見たり、粗を探したりしてしまう癖がある
その癖をやめて、全て「凄い!ラッキー!」って収めてしまえということだ
「自分が不幸だし他人にもそうあって欲しい、凄い人でも何か悪いとこを探して自分の立場から見える位置に置いておきたい」
この気持ちから
「自分は幸せだし他人も凄いこと沢山あるジャーン!!」
に変えます
変えるためにらきちゃんのような細かい「ラッキー」を感じる事が初めの1歩になる
例
電車に時間通りに乗れてラッキー
面白い友達と話せてラッキー
髪型上手くいったラッキー
賭け事に勝てたラッキー
道端歩いてたらコンビニ弁当拾ったラッキー
細かに細かに心の中でラッキーを唱え、日々刻んでいく
欲はなく、決して怒らず、いつも静かに幸せを唱えてイル
これを辞めずに長い期間続けていけば1年後2年後、僕達の性格は変わる
もし、失敗してしまったとしても
自分の弱点に気付けてラッキー
次から失敗しないしラッキー
この程度で済んでラッキー
と、ラッキーに変えてしまおう
統計的に物事をいいように考える人と悪いように考える人だといいように考える人が運がいいという結果が出ていたりする
運が良くなるだけでもやってみようというきっかけにはなるのではないか
そして自分に自信のなさそうな奴はモテない
男は素直に女が寄り付かないし、女はクサい奴しか寄り付かない
取り敢えず長くなったが結論としては
成功→自信を付ける→根明
から
ラッキーを唱える→なんか幸せ→根明&自信
にすれば上手くマイナス思考をする事が無くなるということである
また自分が幸せだという気持ちになってくれば、もしまだ自分に自信が無かったとしても相手の事も肯定出来るようになるだろう
というか今思えばラッキーの精神は無印の頃からヒントは出ていた
Lucky味方にDay by day
というフレンドの歌詞然り
氷上スミレの「いい事占い」然り
ただまあいい事占いは脳内で考えるには面倒過ぎた
らきちゃんのラッキーは「ラッキー」と唱えるだけで脳死で済むから有難いもの
僕の寝言はおしまい、アイカツオンパレードはきっとアイカツシリーズラストの作品なんだろうけど応援してます
あとらきちゃんで抜きそうになったのは許して欲しい
おわり
三麻のコツ②~四人麻雀より大切になる考え方~
こんばんは
読者が1.2人しかいないので誰かお情けで登録してくれん?
三人麻雀で大事な事を開示します
前回引き続きまた私がぼーっと気付いてメモった情報なので強い人は見なくていいかもです
まず結論から言います
①三人麻雀は四人麻雀よりも流局率がかなり低いです。四人麻雀が15%とすると三人では10%
②三人麻雀は3人しかプレイヤーがいない為ツモりやすい割に王牌が四人麻雀と変わらない
③1つの種類につき4枚しか牌がない
これが直に響いてきます。
↑これが抽象的な結論です
[説明]
さて三人麻雀で、1局での2種類の筋の牌の行方について考えましょう
4と7の筒子について考えます
この4.7筒子待ちで対面からリーチがかかったとします
あなたが攻めるような手牌でない場合、ベタオリを選択するとします。ベタオリは基本的には流局するのが1番嬉しいですね。ツモられたくないなぁ。
しかしベタオリするとしても私と隣の人とで4.7の筒子の8枚を相当な数ガメていないと流局しません。
では川に0枚、貴方が7の刻子と隣が4の刻子を3枚持って終盤まで行ったとします。
残り2枚、これでも大分ツモらないか怪しいと思いませんか?
残り2枚のうち1枚が王牌にあったとしても3分の1でリーチ者がツモってしまう。
対して四人麻雀なら、残り1枚なら、確率が足された1人にも分散されて4分の1になる。
袋に3つのボールが入っている事を想像して下さい。一つだけハズレが入っていてハズレを引いてしまうとこれに襲われてしまう
嫌ですね。私が引いてしまうのでは無いかとドキドキしてしまう
次に袋に4つのボールが入っている事を想像して下さい。一つだけハズレが入っていてハズレを引いてしまうとこれに襲われてしまう
うーん、嫌だけども4分の1なら外さんやろ
と、ならないでしょうか。
話が逸れましたが三人麻雀は残り枚数に対してツモる確率が四人麻雀より極めて高い。
なので順子手が手牌に多い時にベタオリしようとしても貴方は終盤にはサッとツモられてしまうでしょう、回してツモった方が得かも知れないですね
そして私達が攻撃の場合にも枚数の概念は大事にするべきだと思っています。
私がイキって失敗した牌譜です。
まず、うまぶらないで序盤の8筒を残せば上がれたという事は置いといて
平和ダマを敢行していた私に平和継続と7の筒子単騎との選択が生まれた場面です
私は6.9筒子が相当弱いと見ていました。
終盤になるというのに9筒子が1枚も見えていない、これは上家が刻子か対子で持っていると感じていました。そして対面が手出しだからワンチャン1枚持ちかな。
そして9筒の向かいの6筒も1枚も見えていない、プラス川に筒子の真ん中はあまり出ていない為、相手方は筒子が真ん中に寄ってる
つまり6筒子も相手方の手に1枚ずつくらいはあるorどちらかが刻子か対子で持っていると予想しました。
69筒より7筒の方が強いのでは?
「おし、上がってくるわ(^^)」
そして私はイキって7筒子単騎リーチをかけました
実際6.9筒子は山に1枚、7筒子単騎は山に1枚と読みはなんとなくは合っていたけれど枚数は同じ
次順に6筒子を引いて振込みました。
三人麻雀では両面待ちは強いです
先程と内容が被りますが
もしペンチャン待ちで序盤にリーチをかけたとして、当たり牌が1人刻子、1人順子で持っていたらオシマイ。
比べて両面なら2人刻子で持っていたとしても2枚余る。2人が順子の形と対子で筋の8枚全てガメてるという場合は中々想像しづらい
つまり川にポンポン捨てられて居なければ2人ベタオリしてる場合以外は山0枚のケースが少ない
私は7筒子が余ってる予想をしましたが相手方の筒子が高い以上7筒子が埋まっている可能性も十分有り得た
それよりは5.6枚位山に無くとも全て無いという可能性が低い6.9筒子を選ぶべきだった、そして攻守伴っている上がれるダマを残しておくべきだった
という後悔をしました
7筒子でリーチするメリットが両面待ちとダマテンを崩すデメリットに不釣り合いだったと言うわけですね
まとめに入ります
前回の記事より守りは強いぞ〜とは言ったが
http://kiritanp-3962516139.hatenablog.com/entry/2019/01/31/001027
②両面待ちはめちゃくちゃ強いね
冒頭に書いた結論を具体的に示すとこの様になっていきます
牌の数の概念は様々な場所で役に立ちますから、是非数えて場況を把握して数の概念で殴れるようになるといいと思います
ウィ
本当の腹式呼吸を知っているか?(音痴な人のカラオケの参戦方法)
君は本当の腹式呼吸を知っているか?
僕は知っている
それは何故か?
年間ウン十万と金が掛る合唱の団体に入っていたからだ。
借金した
以上だ。
[これから筆者の見苦しい腹が映るので見たくない方はバックして下さい]
今回教えるのは腹式呼吸です
僕は合唱時代にこれを教わってカラオケが趣味ではありませんがDAMの精密採点で95点がスンって出たことがあります。採点の平均点数は90台になりました。
それでも僕の歌は正直魅力が無いんですけどね..声がダサいので。平井堅みたいな歌手しか声質に合いません
さて声のデカさは歌を歌う時にとって火力となります
コンサートで声が大きくて上手な歌を聞くと「ビクン!」て体が反応しませんか
歌じゃ無くても急にデカい声を出されたらビビりますよね。
カラオケの採点も実はこれの評価が高くて、圧倒的な声量で歌い上げると割かし下手でも点は取れるイメージがあります
という訳で僕と火力を高めましょう
腹式呼吸は腹筋をシックスパックにするかの如く鍛えて腹筋に力を入れて歌うものではありません
肺に大量の空気を入れるのも間違っています。
本当の腹式呼吸の仕方はこれ!
??????????
それオメエの腹やん
いいえ違います
僕の通常時の腹はこれです
違いが分かりますか?
並べて見ましょう
下の方がなんか厚みがあるように見えませんか?
そうですねお腹を膨らませています。下のは腹式呼吸時の腹です。
では何処を膨らませているのでしょうか
答えはへそから下のお腹です
へそから上ではありません。
へそから上を膨らませる者。妊婦
横隔膜を下げるとか言うらしいんですけど、このへそから下の腹を膨らませるっていうのはいきなり出来る物ではありません。感覚を徐々に掴んでいきましょう
①仰向けになって寝てリラックスしてみて下さい
②リラックスが出来たら睡眠してるかのように息を吸いましょう寝ている時はお腹がよく膨らみます
③お腹に吸った息が行き届いてるのが確認できたら今度はなるべく肺が膨らまないように全ての息を肺より下へ送りましょう。へそより上のお腹に空気が入っても大丈夫です
④殆どの空気をお腹の方に入れられたら膨らむと思います。へその上に空気が多く入っていると思いますが、下のお腹も少しは膨らんでいると思います。下のお腹が膨らんでいる時は少し引っ張られる感覚があり、少しだけ痛いです。その感覚を見つけて覚えましょう(ここが1番難しい)
⑤引っ張られて少し痛いような感覚、それを見つけて覚えたら今度は本気で引っ張ってみてください。へその下へ空気を沢山送るための工程です。
⑥へその下のお腹へ送れる比率を高くしましょう。腹式呼吸にはある程度痛みが伴うのが正解です。
ざっくり感覚を掴むためにはこんな感じです。1日で感覚を掴めた人は天才だと思います。⑦に至るまでひたすら模索して下さい。上手くいけば触った時に背中まで少しだけ膨らみます。
それが出来たらようやく声を出す工程に入ります。
下の腹を膨らませたまま声を出しましょう。
僕は歌ってる時は下の腹は硬いままです。筋肉ではなく、空気が入っている硬さです。
歌う時、吸った息を全力で吐いて、自分史上1番大きい声で歌い続けるのは間違っています。常に何割かの力は温存して下さい。3分の曲を歌うとしても全て全力だとへばります。
1人で練習する分にはずっと全力の声量で歌えば限界値は高くなるのでいいと思います。それでも下の腹が硬い状態をキープするように。
腹式呼吸に関してはそんな感じです。
1番大事なことはリラックスすることだと思います。
腹筋に力を入れるのとはやや真逆の感覚なので
人前で歌う時は緊張して僕も腹式呼吸が意識してるのにも関わらずおざなりになっている事がよくあります。リラックスが一番大事
リラックスすると喉仏が下がりますし。
歌う時に地声で歌うにしても裏声で歌うにしても喉仏を下げる方がいいと言われています。
喉仏を上げるのはツイキャスとかで女声キャスとかをする人にしか必要無いんじゃないんすかね
僕はオタクだし東北人なのであまり口を動かさずに小さい声で喋ります。でもこの腹式呼吸が出来ているお陰で大抵の人よりカラオケに行った時にデカい声量が出ます。そのギャップが逆に恥ずかしくて緊張するんですけどね
という訳で今回は火力編でした
次書くとしたら音程についてかなって思います
モワリ
だらだら書くアイカツとの出会い
当時学生の僕は病んでいた。
仲のいい友達は全員別のクラスになり、良くも悪くも普通のクラスに配属されてしまった。天邪鬼な僕は普通が嫌いで、何かの常識をぶち壊したくて仕方ないような気持であった。そんな心意気もむなしく、クラスメートは徐々に固まり続ける。休み時間になると固まって話す。そんな印象があったのを覚えている。しかし固まって話している輪の中に入っても特に自分のツボに入るような面白い話もなく、中心となって既に話すような立場でも無くなっていた。
僕は授業間の休み時間になると狸寝入りするようになった。
クラスメートとは話そうと思えば話せるが、特に自分の周りには好んで集まって来ない。そういう時期であった。
僕はクラスメートに対する信頼を失くし、会話しながらも疑心暗鬼になることが多かった。
一人で帰宅している時に何の気なしに途中の王子駅のゲームセンターに入った日の事である。
その日はゲーセンでUFOキャッチャーの下やおつりからお金を拾うぞ、という腐れ乞食みたいな事をしにお金を使う気もなくゲーセンに入った。
結局お金は一円も拾えず、無駄な時間を過ごしたなと恐竜を戦わせるカードゲームの誰もいない筐体の椅子に座って休んでいた。
「本当につまらないなあ」
つまらなくて病んでいる時こそ不思議と無駄にお金を使いたくなってなってしまう事は無いだろうか。
病んでいる僕のやり場のない目線の先にはたまたま空いたアイカツの筐体があった。
「アイカツおじさん」という単語が巷では流行していて、それはアイカツの筐体に座る大人、おじさんのことを指す単語だった。今となっては大人が筐体に座る姿は珍しくもないのだが、そのような人たちが単語化して呼ばれるようになったのはこれが最初なのではないだろうか。
「アイカツ、やるか」
本当にお金を使えればなんでもよかったのだと思う。ただ目線の先にアイカツの筐体が雑然と置いてあったため、僕は腰を上げてアイカツに座ってコインを入れた。
むちゃくちゃ面白かった。
ただ出てきたカードを使ってリズムゲームをするだけなのだが、お金を入れてく毎にカードは増えていき、何もなくてグレーのダサい布しか付けていなかったキャラが服を纏はじめるのだ。しかし服装にはやはり組み合わせがあり、アイカツの洋服は奇抜なものも多い為にただ出たカードを組み合わせるだけではいいコーデにはならないのだ。
そしてたまに出てくるレアカードもなかなか嬉しい。コーデには合わせづらいのだが。
気づいたら一人で20回くらいプレイしていた。
そして財布の中身が尽きかけたころ、プレイするのを辞めて本腰を入れるために学生証(セーブデータを保存するICカード)を買いに行った。
それからは王子のゲーセンでも地元でも池袋に行っても狂ったようにアイカツしていた。もはや今考えると何が面白かったのかもわからないが、狸寝入りした僕をキモいおじさんとして殻を破ってくれた嬉しさもあったのだろうと思う。
それから何故か風俗嬢と付き合うというイベントが少々あり(割愛)
振られた時には筐体も辞め、また心がどん底に落ちかけていた。そんなときにアニメを見た。
むちゃくちゃ面白かった。
先日の記事でも上げたが自分の中でアイカツは面白いアニメで、何が面白いって、
マイナスな感情が無くて主人公が常識をぶち壊した様な人だったからだ。
僕のズブズブ落ちていった心を星宮いちごちゃんは「早く”こっち”来いよ」って釣り上げてくれた。
おかげで僕はアイカツを見ているうちに少しずつ人間に戻って、またアイカツに助けられてしまったのだ。
現在人間ぽくなった今はアイカツは終わりスターズの映画までは見たのだが、
「なんか別物だな」という感覚に陥ってアイカツのアニメを追うことは無くなってしまった。
それでもふらりとアイカツの展示会に行ってみたりすると僕があのころ狂ったように遊んだ筐体が置いてあって、そして未だに僕の財布の中に入っている学生証(ICカード)を取り出し、100円を入れてマイキャラを見ると懐かしい気持ちに駆られたりしてしまう。
武道館に新木場アゲハおめでとう。全てのアイカツファンに平和を。
人狼で勝つためのテク②
人狼で勝つためのテクニックとして陰毛大臣が新しく教えるのは算数とラインと呼ばれる物だ
人狼に限らずなんのゲームでもそうですしビジネスでもよく言われることだと思うのですが「自責」の心が大事です。
キャラ相性で格ゲーに負けた
運でスロットに負けた
相方の人狼が弱すぎて負けた
ではなく、己の反省をいちいちする事が大事です。反省をやめた瞬間人間は伸びなくなります。沢山反省しましょう。
さて、まず人狼が苦手な方に向けて算数の知識を教えます。
例えば市民側9人、人狼側が4人の13人部屋があったとします。
まず部屋構成を見たらわかると思いますが、市民側と人狼側の人数の差は初期状態で9-4で5ですね。
人狼は昼の処刑のターンと夜の噛みのターンがあります。狩人の守りが成功しない限りは昼のターンから次の昼のターンになるまでに昼と夜で合わせて2人ゲームから退場します。
狼の噛みは、基本市民側を噛むものですから、市民をもし一人釣った場合、市民側は夜の噛みと合わせて2人減ります。逆に昼に人狼側が一人釣られた場合は人狼側と市民側が次の昼までに1人ずつ減ります。
では上の13人部屋の構成の場合、狼は昼に何回市民側を釣ることが出来れば狼側の方が多い状態(パワープレイと呼ばれる)に持ち込むことが出来るでしょうか。
正解は3回です。
9人いる市民側を昼と夜合わせて2人ずつ削っていくと、9-2-2-2で3人になると、人狼側の方が4人と、多い状態になります。
つまり狼側は3度市民を釣る誘導をすればいい事になります。
このように部屋構成から何回市民側を吊れば勝てるかを計算して、どの市民を吊り誘導するかビジョンを考えながらプレイするのです。
この算数の考え方は市民側の時も有効です。
人狼は初日から人狼を釣るゲームではありません。最終的に勝てればいいのです。
それを考えると市民側は上の構成だと2回まで間違える事が出来ますね。
その2回間違えられる権利を有意義に使って立ち回ると上手く行くと思います。
有意義な具体例はこちら
.霊媒師が2人でた時に2人を釣り切る(人狼が逆に言うと一人釣ることが出来る。その時間に占いの試行回数を増やすことができて、占い師の真偽をつけやすくなる)
.人狼か市民か全く見分けが付かなそうな人を先に釣ってみる(いくら市民だと主張されても、最後まで噛まれずに残されている市民だと終盤になって迷った末に釣られやすいため)
このように有意義に「間違える事」をしましょう。
さて次
狼側の相方があまり喋れない人だった時、それをその人のせいにしていませんでしょうか。喋れない人は嘘が苦手、可愛い。仕方がない事です。
人狼というゲームは人狼が1人でも生き残れば勝ちになるゲームです。自分が釣られない為の努力をしましょう。
しかし人狼というものは難しい。嘘をついている自覚があるためにどうしても挙動不審になってしまいます。しっかり見ている人は「モマエ怪しい」なんて言って追い詰めて来ることもあるでしょう。
今からラインという考え方を教えます。
人狼側は仲間は少ないですし、出来れば減らしたくないですよね。もし人狼が苦手な人が仲間にいても庇ってしまうことも多々あると思います。
そんな時は思い切ってその仲間を切りましょう。
仲間を「怪しい!」と言って吊り切る事で自分を市民側ではないか、と村に思わせる事が出来ます。
仲間を吊り推して吊り切り、霊媒師が次の日に人狼でした。と言えば自分は吊り推した者として称えられます。「凄いね、君は最高の村人だ。」こうなればこっちのものです。好き勝手意見を出してゲームを自分のものに開拓する事が出来ます。そして自分の仲間を吊り押した事は、一見村の行動なので嘘を憑く罪悪感もないです。キョドらずスッキリ。
逆に切らないまま仲間が釣られてしまった時の事を想像しましょう。
人狼は「せーの」で怪しい人を指さして殺す事が多いですね。この指さした先は後々覚えていると村側に有利に働きます。
仲間を切らずに、他の人を投票で指さして、結局仲間が多数の票を貰って死にんでゲームが進行して行った時、いくら終盤であなたが村人らしい態度だなと思われていても先の投票の事を思い返されてしまうと怪しい点になってしまいます。人狼を庇うために他の人を指さしたのではないか、と。
そんな負け方をする事は人狼では多々あります。この仲間同士との繋がりはラインと呼びます。ラインをわざと切ることでゲームは後に有利に運ぶかもしれません。
先程も言いましたが、人狼というゲームは市民側を規定回数吊れば勝てるゲームなので。規定回数釣るためのビジョンを話しながら考える事が重要です。
というお話。
算数の考えとラインを覚えて人狼のスキルを1段上へと向上させましょう。