かぴこと子かぴの徒然日記

読んだ本など徒然なるママの隣で蜩が鳴いているカナカナカナカナ?

おかあさん、なんだと思う…きっと。あたし。

この記事は先のブログ

kiroiro.hatenablog.com

の続きです。

先に「空っぽのおなかに向かって話しかけてそうなイメージ。そう、対象がないんだ。この歌には。
と書きました。

私は、のぶみ氏の作品が抱える問題点の多くは

『作者本人が、だれに向けて書いているのかという対象が見えていない』

という点に尽きると思っています。

 

例えば、この歌を歌うのが子ども番組とは縁もゆかりもない女性歌手で、大人向け歌謡番組で流れたなら、ここまで批判されなかったのではないでしょうか。
大人向けのものだと、ブラックユーモア的な意味合いのものも含め、こういう系はちょこちょこ出てきます。少し前だと「部屋とYシャツと私」(平松愛理)や、「あなただけみつめてる」(大黒摩季)などですかね。もう少し時代を遡ると、演歌の世界にはわんさか出てきます。

のぶみ氏の作品の多くは「大人向け」なんです。
だって、彼は大人(主に母親)をリサーチして、マーケティングして、ブラッシュアップして、作品を作り上げています。*1

今回の歌詞も、FBで募集してから作られたもののよう*2ただ、既に削除済みのFB投稿では
僕としては、あたしおかあさんだから体験できたことを歌詞にしてます、それで僕もおかあさんじゃないから おかあさんたちに聞いたり おかあさんにエピソード募集して作ってます。」
「これは、元々 ママおつかれさまの応援歌なんだ 泣いてる人もたくさんいた」とし、「この歌がそんなダメなのか 自分で聞いてみて欲しい 聞いてやはりダメ、嫌いというならそれでしょうがないし 私は、よかったと感じる人もいると思う」と心境をつづった。」(ハフィントンポストより引用)

となっているのに対し、おそらく当該記事だと思われるFBでは
「【あたし、おかあさんだから】ってガマンしてることある人、コメントしてください」
となっています。*3

リサーチしたり、アンケートをとったり。コメントからインスピレーションを得たりして作品を作ることはあるでしょう。それ自体は何も問題ありません。誤解しないでくださいね。
ここで問題なのは、「エピソード募集して作ってるから僕無罪」じゃないっていうことと、「元々、ママおつかれさまの応援歌で泣いている人もたくさんいた」から良い作品だというわけではない、ということ。そして、最後にこれだけ話題になって、これは子どもに聞かせられない、という声がたくさん上がっているにもかかわらず「聞いてやはりダメ、嫌いというならそれでしょうがない」って切り捨てる人が子どものための絵本を書いてます!有名絵本作家です!って…。それは違うでしょ?

あなたが見ているのは大人でしょ?

 

ところで、この『あたし おかあさんだから』 。Twitterでも「新井素子さんの作品みたい」という声が上がっています。

togetter.com

えっと、あたし、おかあさんです。たぶん、おかあさんなんじゃないかな。おかあさんなんだとおもう。

あたし、おかあさんだから。

たぶん、『おしまいの日』あたりに収録されてそう。『ひとめあなたに…』かな。

おしまいの日 (中公文庫)

おしまいの日 (中公文庫)

 

 

 

ひとめあなたに… (創元SF文庫)

ひとめあなたに… (創元SF文庫)

 

 

新井素子さんの文体はクセがあるので、最初は少し読みにくいと思われるかもしれませんが…。中身はバツグンに面白いサイコホラーでSF作品なので少しでも興味を持たれたら読んでみてください。ここ数年はエッセイ集ばかりなのがちょっと勿体ない…。小説読みたい…。

 

閑話休題

のぶみ氏の作品はそのほとんどが『絵本』と言う体で発表されています。絵本というと子どものものと言うイメージですし、ご本人も『子ども向けの作品』と言っているようですが…。

子ども向け絵本と銘打つならなおさら。子どものほうを向いていただきたい。切にそう願う。 

また、のぶみ氏はインタビューやFBなどでよく「(作品を読んで)泣いてください!」「絶対泣けます!」「泣いてしまったと言う声をたくさん頂きました」と語っています。 

私は…泣くことは悪いことではないと思っています。というか、涙にも種類があって、それぞれがその人にとって必要な涙だと考えています。ですが、泣ける作品だからと言って、手放しによい作品だとは思いません。もちろん、思わず泣いてしまうとても素晴らしい作品もありますが。

少し捻くれた考え方ですが…。「この本泣けます!」と銘打たれた絵本を読み聞かせたとき、そのとおり子どもが泣いたとしたら。読み手はとても承認欲求が満たされることでしょう。気持ちいいでしょうねぇ、してやったり!と思うことでしょう。

でもそれ、いいんですか?
もし、子どもが傷ついて泣いているのだとしても、泣いていたらいい絵本なんですか?苦痛を感じてまで読まなくてはいけない絵本って、子どもにとって必要なんですか?

子どもは大人を感動させたり、大人の承認欲求を満たすために存在するわけではありません。

今までは絵本の世界でしたから、読みたくなければ手に取らなければいい。それで済んでいました。私は問題のある絵本でも、それを必要とする人がいるなら世に出して構わないと思っています。ただ、選ぶほう、特に子どもに本を与える立場にある大人たちは、その子がどういう発達段階にあり、どういう本を必要としているのかを見極める必要があるとも考えています。
のぶみ氏の絵本も、それを必要とする人がいるから世に出回るのでしょう。それを規制することは焚書に繋がります。思想は自由であるべきです。

ですが、この曲は違います。
Huluという動画配信サービスで流れている曲だそうなので、TVとはまた違うのかもしれませんが、公共の電波に乗った時点でいつ何時流れてくるかわかりません。


さんざん、のぶみ氏が…と書きましたが。
のぶみ氏だけが問題なのではありません。もちろん、この曲を作詞したのは絵本作家のぶみ氏。その人です。
でも、なんかしらの必要があって、おそらく要請があって作ったわけでしょう?
それに、歌っているのは元うたのお兄さんの横山だいすけさん。彼は、国立音大の声楽科を卒業したあと劇団四季に入り、さらにそのあとNHKでうたのお兄さんを9年も勤めあげている、いわば歌のプロです。
そんなプロが、譜面や歌詞を読み込みもせずに歌うと思いますか?必ず読み込んでいらっしゃるはずです。プロならそれが当然だから。
その他にも、プロデューサーや演出家など、たくさんの人がこの作品に関わっているはずです。その人たちの誰一人として、この歌詞に疑問を持たなかったのでしょうか?
疑問は持ったかもしれません。でも、それ以上に「あの絵本作家のぶみの作品なんだから売れるはず」で、作られたんじゃないですか?
となると。
たとえ、のぶみ氏が筆を折ったとしても(私はそんなことありえないと思っていますが)、需要がある限り、こういう歌は作られ続けるわけで、さらに言えば「ママがオバケになっちゃった」や「ママのスマホになりたい」「ぼくママとケッコンする!」「あたし、パパとケッコンする!」のような作品は作られ続けることでしょう。

大人のためならそれも構わないと私は思っています。たとえそれが絵本の体をとっていたとしても、それは子どものための絵本ではありません。

子どもは、泣かなくても、特に感動していたり面白がっているように見えなくても、日々たくさんのことを学び、吸収し、成長しています。むしろ、周りからはその成長が見えないことのほうが多いのではないでしょうか?
生まれた、寝返りを打った、ハイハイした、座った…立った、喋った。目に見える変化だけが子どもの成長ではありません。
寝返りしなくても、ハイハイしなくても、その子はその子なりに成長します。
私は、その助けになる存在のひとつが絵本であってほしいのです。
これからも、大人と子どもをつなぐ、より良い架け橋になれる絵本を紹介していきたいと思っています。

ところで。のぶみ氏は「小学校時代にひどいいじめに遭って不登校になり、高校時代には200人近くのチーマーと暴走族を率いる池袋連合の総長として暗躍した時代もあった」そうなんですが…。
それにしては、テレビにもたくさん出られているし、雑誌のインタビューに答えたり、FBページやTwitterなどで情報発信されているのに、同級生だったとか、近所に住んでいたとか。そういう話を聞かないですね。200人もいるチーマーと暴走族を率いていて、逮捕歴も33回(?)あるんだとしたら、そのメンバーが一人ぐらいは名乗り出てもよさそうなものなのに。
専門学校も、日本児童教育専門学校に通われていたそうですが…。そこの同級生という方も見聞きしたことがないし。
ほんと、謎な人ですねぇ…。

 

 

えっと、あたし、おかあさんです。

絵本作家、のぶみ氏が作詞、元うたのお兄さんである横山だいすけさんが歌う

「あたし おかあさんだから」

と言う歌が、Twitterを中心に批判されていますね。

のぶみ氏と言えば、絵本「ママがおばけになっちゃった」、NHKのおてて絵本のイラストなどで有名な人。書店でも売上の上位にいるようです。が、今回は絵本の話ではなく

『あたし おかあさんだから』

について、考えたいと思います。「ママがオバケに~」は、既にたくさんの方が意見を出していらっしゃることもあって後回し…。

まず、「あたし おかあさんだから」の歌詞を見てみたいと思います。

 

一人暮らししてたの おかあさんになるまえ
ヒールはいて ネイルして
立派に働けるって 強がってた

今は爪きるわ 子供と遊ぶため
走れる服着るの パートいくから

あたし おかあさんだから
あたし おかあさんだから

眠いまま朝5時に起きるの
あたし おかあさんだから

大好きなおかずあげるの
あたし おかあさんだから

新幹線の名前覚えるの
あたし おかあさんだから 

あたしよりあなたの事ばかり
あたし おかあさんだから
あたし おかあさんだから

痩せてたのよ おかあさんになる前
好きなことして 好きなもの買って
考えるのは自分のことばかり

今は服もご飯も 全部子供ばっかり
甘いカレーライス作って
テレビも子供がみたいもの

あたし おかあさんだから
あたし おかあさんだから

苦手なお料理頑張るの
あたし おかあさんだから

こんなに怒れるの
あたし おかあさんだから

いいおかあさんでいようって頑張るの
あたし おかあさんだから

あたしよりあなたのことばかり
あたし おかあさんだから
あたし おかあさんだから

もしも おかあさんになる前に
戻れたなら 夜中に遊ぶわ
ライブに行くの 自分のために服買うの

それ ぜーんぶやめて
いま あたしおかあさん

それ全部より おかあさんになれてよかった
あたしおかあさんになれてよかった
あたしおかあさんになれてよかった
あたしおかあさんになれてよかった
だってあなたにあえたから

 (書いていてあたしおかあさんだからがゲシュタルト崩壊してきた…)

 これを、元うたのお兄さんである横山だいすけさんが歌っています。
どこからどう切り込めばいいのか分からなくなるくらい、スゴイ歌詞なんですが…。

まずは冒頭

『一人暮らししてたの おかあさんになるまえ
 ヒールはいて ネイルして
 立派に働けるって 強がってた』

働く女性全員にケンカ売ってませんか?売ってますよね?

特に

『立派に働けるって 強がってた』

という部分。立派に働けるって 強がっていたということは、立派に働けてはいなかった、という表現です。

「でも、立派におかあさんやってるよ!」と応援しているんだと言いたいのかもしれませんが*1*2、ひとつのことを上げるのに、もうひとつのことを下げる必要はありません。

この部分、女性全般に対して失礼です。

続けて

『今は爪きるわ 子供と遊ぶため
 走れる服着るの パートいくから
 あたし おかあさんだから』

と言う歌詞が出てきますが、これもまた失礼です。どんな服を着てパートに行こうが自由です。走る人はヒール履いても走ります。
だいたい、最初に『立派に働けるって強がってた』人が『パートいくから』『走れる服着るの』ってどういうことなんですかね?
パートは立派な仕事じゃないって言う意味なのか、それとも正社員ではドジでノロマなカメだけど、パートならなんとかなるよ!って言うことなのか…。
ちょっと理解できません。
もうひとつ、『子供と遊ぶため』という部分。あとで効いてきますのでちょっと頭の片隅に置いといてください。 

このあとに続く

『あたし おかあさんだから
あたしよりあなたの事ばかり』

…突然、出てきた「あなた」って誰ですか?
少し前まで「あたし」視点で「子供」と遊ぶ歌でしたよね?
いきなり出てきた「あなた」は誰?
…まぁ、子どものことなんでしょうけど…。ちょっとホラーです…。

眠いまま5時に起きて、大好きなおかずもあげて、新幹線の名前覚えて…甘いカレー作って、子ども番組しか見ず、苦手なお料理頑張る…。
呪いですか。これを子ども番組で流すって、誰に対する呪詛ですか?

『今は服もご飯も 全部子供ばっかり
 甘いカレーライス作って
 テレビも子供がみたいもの』

少し前に突然出てきた「あなた」が消えて、また「子供」に戻っています。
…だから「あなた」って誰なんだってばよ!

『あたしよりあなたのことばかり
 あたし おかあさんだから
 あたし おかあさんだから』
と思ったらまた出てきた。まぁ、サビ部分なので仕方ないかもしれませんが…。

『もしも おかあさんになる前に
 戻れたなら 夜中に遊ぶわ
 ライブに行くの 自分のために服買うの

 それ ぜーんぶやめて
 いま あたしおかあさん』

もし、母親になる前にもどれた『なら』、やりたいことは「夜中に遊び」「ライブに行き」「自分のために服を買う」。
ということは、母親は「夜中に遊ばない」「ライブに行かない」「自分のために服は買わない」んですね。
ケンカ売ってますよねぇ?母親に対して、どんな幻想を抱いていてもそれは個人の自由ですが…。ケンカ売ってますよね?のぶみさん。

続きます。
『もしも おかあさんになる前に
 戻れたなら 夜中に遊ぶわ
 ライブに行くの 自分のために服買うの

 それ ぜーんぶやめて
 いま あたしおかあさん

 それ全部より おかあさんになれてよかった』

もしも過去に戻れたなら、私は~するだろう。それも楽しかっただろうけれど、私はお母さんの道を選んだ。
ではなく、
もしも過去に戻って~できたとしても、私はお母さんの道を選ぶ。
でもなく、突然
「それぜんぶやめて いま あたしおかあさん」
突然すぎる。
日本語が崩壊している。
論理が著しく破綻している。

だから、押しつけがましいとか思ってしまうんだろうなぁ…。
そして衝撃(?)のラスト。

『あたしおかあさんになれてよかった
 だってあなたにあえたから』

だ~か~ら~。また突然出てきた「あなた」って誰だよ!! 誰ですかよ!
もう…。怖すぎる…。
空っぽのおなかに向かって話しかけてそうなイメージ。
そう、対象がないんだ。この歌には。

 

長くなってしまったので歌詞の考察のみにとどめました。
続きます…。
続きます…。
続きます…。

*1:実際、フェイスブックのページでそのように書かれていました

*2:現在(2018.12.6)は削除されているようです。

『あたしおかあさんだから』歌詞への批判受け、絵本作家のぶみさんがコメント 「これはママおつかれさまの応援歌」

TA・KA・KO

大学時代、源氏物語ゼミに入りたかったのに定員オーバーで入れず、似たようなもんだろうと源平物語ゼミに入った、失礼な人間が私です。

結局、源平物語(平家物語)ゼミはとても素晴らしくて楽しく、研究の方法や醍醐味を教えてもらいましたし、担当教授は研究内容だけでなく人間的にもとても魅力的な方で、その後の人生に沢山の影響を与えてくださいました。

教えて頂いた中で今でも一番役に立っているのはお酒の飲みかたですが。

合宿で、それぞれ思い思いのお酒を飲みながら(当然教授は一升瓶抱えて)受けた講義は今でも昨日のことのように感じます。

私は平安末期から鎌倉前期にかけての文化も好きですが、江戸は元禄時代の円熟した文化も大好きです。文明開化の明治時代も好きですし、浪漫主義の大正時代も、群雄割拠の戦国時代も大好きです。

でも、やっぱりなにより一番好きなのは、平安前期~中期!

清少納言紫式部の活躍した時代が大好きで!好きで好きで!

あの時代にタイムスリップして生活したいかと言われたら、全力でお断りしますが…。1日くらいなら垣間見たいなと思ってはいます。←だって、平安中期くらいまでだと、私は既に死んでるかとんでもないおばあちゃんか。女性の平均寿命は(貴族で)30歳以下でしたからね。あと、私は庶民オブ庶民。パイオニア庶民。先祖代々庶民!平安期の庶民の暮らしなんて…記録にほとんど残ってないレベルですし、どうやら散々なものだった様子なので…。今のままの地位身分で、尚且つ今のままの性別年齢で平安期に行くのは…まっぴら御免被ります。

でも。好き。どれくらい好きかというと、20代後半、まだ夫とも知り合う前。お金を貯めて独りで京都まで泊まりがけで出かけ、太秦映画村で十二単を着せてもらい、写真にまで残すこと二回(それぞれ重ねの色目が違うのです…)。宿泊費交通費含めて10万ちょいちょい。それくらい好きです。

今でも、子ども達が大きくなったら…徳島にある『御所 社乃森徳島の温泉旅館|旅殿 御所 社乃森 公式ホームページ』に家族で泊まりにいって、装束体験その他したいなぁと、虎視眈々と貯金しているくらい…。

と言うわけで、子ども達をまず味方につけようと、童心社から出ている『たかこ』と言う本を買い与えました。

 

たかこ (絵本・こどものひろば)

たかこ (絵本・こどものひろば)

 

 こちらです。

たかこさんは小学生5年生です。

『ぼく』のクラスに転校してきた、ちょっと変わった女の子です。

…ちょっと。

…ちょっと?

表紙に描かれているのは『たかこ』さんです。小袿でしょうか。綺麗な重ねですね。

手に持っているのは扇。髪型は垂髪。鬢批(びんそぎ)がないのは子どもだからでしょう。

変わってるというか。平安朝の貴族の子どもじゃないですか。

 言葉使いもまぁ古風。

子どもに限らず、人って自分と他人との違いに敏感なところがありますね。良しにつけ悪しきにつけ敏感です。

自他の違いに気づくのは精神面の発達にとても大切な事なんですが、一歩間違えると差別や排斥にも繋がります。私とあなたは同じだけど違う。違うけど同じで、それぞれ良いところもあれば、悪いところもある。

そこまで理解して自分のものに落とし込めるといいんでしょうけど…。大人でも難しいです。なかなかできるもんじゃありません。

認めることと受け入れることは違うし、共感することと同意する事も違います。大人こそ難しいかも。

この絵本に出てくるたかこさんも、まぁ変わった子なので、クラスで孤立してしまったり、大事なものを隠されたりします。

それを本人とクラスメートがどう乗り越えていくのかは実際に読んで見てください。私がここで語りたいのはそこじゃないんで!

上の子は、いま四歳です。たかこさんの話す言葉は「をかし」「いと はずかし」「こころやすくならむ」など、まぁ今風じゃないんですが、なんとなーく理解してます。ストーリーは完全に理解してます。

「なんでこの子は扇で顔を隠してるの?」

「なんでこの子の言葉は私と違うの?」

など、読み聞かせると質問がたくさんたくさん出てくるんですが、そのあたりは想定の範囲内なので任せとけ。お母さんはそれに詳しいぞ!と答えられるのは嬉しいですね。

先日も夜寝る前の読み聞かせタイムに「これ読んで」と持ってきたのがこの『たかこ』でした。読み終わったあと

「たかこちゃんのお洋服、変わってるけどきれいな色だね」

「この色、何色っていうの? かさねってなに?」

と聞いてきました。よっしゃー!きたー!って、心の中でガッツポーズ決めましたよ!

重ねの色目について話したかったんですが、夜でしたので…

「この服は、昔々、日本のお姫様が着ていた服なんだ。たかこちゃんの話す言葉も、昔の人の話し方。あなたのひいおばあちゃんよりずーっと昔の人の言葉遣い。服もそうだね」

「例えば『あか』でも、たくさんの『あか』がある。濃い赤、薄い赤、黒っぽい赤、白っぽい赤。全部違う名前がついてるし、同じような色でも、言葉によって言い方が違うんだよ」

と、簡単に説明をしたところ

「わたし、いろんな色を見てみたい!いろんな色の名前を教えて!」

と、目を輝かせていました。その日の夜は一緒に寝ているぬいぐるみの色や、かけている毛布の色について話しているうちに寝てしまいましたが、翌朝、真っ先に起きてカーテンをあけ

「おひさま出てるよ!色を探しに行こうよ!」

と、着替えもせずに飛び出そうとしていました。幼稚園だったので「帰ってきたらね」と約束しまして。帰り道~夕方まで、あれは?あれは何色?なんていうの?と、エンドレス質問タイム。持ち歩ける色事典が欲しくなりました…。楽しかったけどね!

下の子が真似して「めーぎー(萌葱)」「こーばー(紅梅)」と、指さしながらいう姿…。

こえはをさなげにて、いとうつくし…

 

春はあげぽよ~

枕草子
中宮定子(一条帝の中宮)に仕えた清少納言の手によって書かれた随筆文学。
平安時代中期の作品。

んなこたぁ知ってんだよ!という人も多いと思います。ええ、奇遇ですね、私も知ってます。
さて。この清少納言。まぁ有名な人ですよね。
紫式部のライバルだという説もあったり、平安時代のキラキラOLという説もあったり。
私も大好きです。紫式部と並ぶレベルで大好きです。

まず、書き出しが素晴らしい。

春はあけぼの。

今でこそ、一般的に使われる『あけぼの』という表現ですが、平安時代、少なくともこの清少納言の時代あたりまでは、あまり一般的な言葉ではありませんでした。
言葉としてはあったんだと思います。でも、万葉集古今和歌集など、枕草子が書かれた当時の王道ともいえる作品には『あけぼの』という表現は出てきません。
しかも、「春は」。現代語訳(するまでもないですが、あえて)するなら、「春と言えば…」という書き出しで、和歌なら季語である梅や桜、鶯の初鳴き、雪解けや春霞がくるのが常識なのにもかかわらず、あけぼの。夜が明け、東の空がほのかに明るんでくる状態…そんなん一年中みられるじゃないですか。

でもですね、これに続くのが

「やうやう白くなり行く山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」

なんです。
あけぼのじゃなくちゃいけない理由がここにあります。

春は
生命の息吹を感じる春。
新たな希望の幕開けである春。

あけぼの
長く暗い夜が明け、うっすらと日が差し始める時間。

やうやう白くなり行く山際
この山はおそらく、平安京の東に位置する鳥辺野。
中宮定子の墓がある方角。

少し明かりて紫立ちたる雲の細くたなびきたる
紫立ちたる雲とは紫雲ですね。枕草子が書かれた時代、紫雲といえば中宮のことでした。そして、枕草子の作者、清少納言にとって中宮と言えば中宮定子ただひとり。

もうひとつ。
定子は第二皇女である媄子内親王を産んだ直後、後産のなか24歳の若さで亡くなっています。また、定子はこの出産に当たって辞世の句を三つ、几帳のそばに結び付けていたとも言われているのですが、この歌のひとつは

煙とも 雲ともならぬ 身なれども 草葉の露を それとながめよ

これを知ると、「春はあけぼの」でなくてはいけない理由、そして続く言葉が「やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」となる理由が読めてくるように思います。

本当のところはわかりませんけどね。
もしかしたら、清少納言はそんなことを考えず、ただ「あー、春っていったら明け方っしょ~。もうサイコー。定子様、そう思わなーい?」くらいの気持ちで書いたのかもしれませんし。
そもそも、この章から書き始めたのかどうかすらわかっていないので、真実は闇の中です。

私は古典も現代小説も大好きなんですが、どんな作品を読むときでもまずは文章を深く読み込むのが大事だということは変わりありません。そうすることで、描かれている文脈や登場人物の意思、言葉の意味を汲み取り、理解することができるからです。
ただ、ただね。時には文章から一歩離れて、その作品が成立した環境や作者の人間関係に目を向けてみることも大切なんじゃないかなと思うのです。背景を知ることで、作品から垣間見える作者の意思や意図がいっそう輝いて見えるから。
それが「読み物」を楽しむ醍醐味だと思うんですよね。

枕草子清少納言は、さんざん「定子様可愛い」「定子様尊い」「定子様最高」と唱えてます。
もちろん原文で「定子様可愛い」とは書いてありません。でも、中宮定子と清少納言の関係性を知ったうえで読むと…やっぱりそのものずばり語ってるとしか思えないんですよ…。

 

ここからすこしマニアックになるので、興味ない人は読み飛ばしてください。
…すでにマニアックじゃないかというツッコミは受け付けません。

中宮定子の父親は関白内大臣正二位である藤原道隆です。そして叔父には「この世をば わが世とぞ思う望月の 欠けたることもなしと思へば」と歌った藤原道長がいます。
道隆からはじまる藤原一族は、当時絶大なる栄華を極めていました。しかし、道隆の死後、定子にとっては叔父にあたる道長の策略によって没落の一途をたどります。
まず、道長は自分の娘(つまり定子の従姉妹)である彰子を一条帝の正妻に据えます。日本史の授業でも出てきますね『二后並立』ってやつです。
さらに、定子が出産のため宿下がり(今でいう里帰り)しているさなか、定子の兄である伊周が花山法皇(一条帝の前の帝)に、痴情のもつれから矢を射ってしまい大宰府に左遷されます。
この時、伊周を捕縛するために検非違使が屋敷に踏み込んでくる姿を目撃した定子は、自ら鋏で髪の毛を切り落とし、出家してしまいます。そして出家したまま、一条帝の第一子、脩子内親王を出産します。
この落飾事件は長徳元年(995年)の4月~5月の初旬のこと。同年夏には住んでいた二条宮が全焼、10月には定子の母である貴子が他界するなど、本当に本当に、ついてないというかなんというか…。不幸は続くもんなんですね。

枕草子が書かれ始めたのは、この事件の翌年、996年ごろと言われています。
原本はどうやら残されていないため、現在読めるものはすべて写本になります。そのため、どの巻から書き始められたのか、実際に清少納言が書いた枕草子がどのようなものであったのかは分かりません。江戸時代中期まで、日本には印刷技術はありませんでしたから(正確には、仏教の経典などを広めるための技術はあったようですが、一般的ではありませんでした)、人が書き写すしかなかったわけです。書き写し書き写ししているうちに、独自解釈が入ったり、書き損じたまま書き換えられたりしてしまうのが古典では一般的なことでした。

清少納言は、おおよそ7年間、中宮定子に仕えています。定子が亡くなったあとはすぐに宮中を去るのですが、それからなくなるまでの約25年(推定です)、宮中とかかわりがなかったかというと、そうではないんですよね。中宮彰子に仕えていた赤染衛門和泉式部などとは文を交わしていたようです。
中宮彰子付きの女房と言えば紫式部紫式部清少納言は犬猿の仲、という説も残っています。たぶん、紫式部日記でけっちょんけっちょんに言ってるからじゃないかと…。
あと、彰子の父である道長にしてみれば、定子付きの女房だった清少納言はいわば敵側。わざと紫式部に悪く書かせたんじゃないかという説もあるそうで…。

紫式部紫式部日記を書き始めたのと、清少納言枕草子の加筆を終えたのはほぼ同時期だと言われています。和泉式部日記によれば、そのころも(紫式部日記が書かれていたころも)、清少納言は彰子付きの女房たちと交流があったと。
…これはあくまで推測なんですが、清少納言紫式部が自分の悪口を書いていたことを知っていたんじゃないかなぁ…。

おおっと、これ以上、定子と彰子、清少納言紫式部の関係性について書いていくととんでもない長さになるので、今回はこの辺で…。

またそのうち、折を見て隙をみて!
清少納言紫式部の変態性について語っていきたいと思います…。

ところで私、枕草子では以下の段が大好きです…。

 

十八、九ばかりの人の 髪いとうるはしくて、丈ばかりに、裾いとふさやかなる、いとよう肥えて、いみじう色白う、顔愛敬づき、よしと見ゆるが、歯をいみじう病みて額髪もしとどに泣き濡らし、乱れかかるも知らず、面もいと赤くて、おさへて居たるこそ、いとをかしけれ

 

…大好きです。フェチだだ洩れしてるあたりがとっても大好きです!

 

参考文献

枕草子(上) (講談社学術文庫)

枕草子(中) (講談社学術文庫)

枕草子(下) (講談社学術文庫)

NHK「100分de名著」ブックス 清少納言 枕草子 (NHK「100分 de 名著」ブックス)

超訳百人一首 うた恋い。3 (コミックエッセイ)

[まとめ買い] 姫のためなら死ねる(バンブーコミックス WINセレクション)

清少納言と紫式部―その対比論序説

 

 

 

お月さまは何を見てるの?

幼稚園からの帰り道。上の子が空を見上げて「あっ!」と指さしたので、飛行機でも飛んでるのかな?と、空を見上げると、青空にぽっかりお月様が浮かんでました。
昼の月ですね。そういや、新居昭乃さんの歌にも『昼の月』ってあるなぁ。

 

昼の月

昼の月

 

 この方の歌声は儚く透き通るようなソプラノボイスで、まさに『月』。
ポップな歌もたくさんあって、それも大好きです。

さておき。
昼の月を見つけた上の子は
「お月さま、昼間なのになんで出てきちゃったんだろうね」
と言っていました。私が月の満ち欠けの話をしようかどうしようか悩んでいると、
「キラキラが見たかったのかなぁ」
とポツリ。続けて「だって、この間雪が降ったから、地面がキラキラしてて綺麗でしょ?お月さまもそれを見たかったんだよ」
うわぁ~。素敵だぁ!なにそれ、すごく素敵!
すごく素敵だし、数日前に起きた出来事(雪が降った)と、今起きている出来事(昼間に月が見える)を結び付けて、頭の中でストーリーを組み立てられるなんて。
成長したなぁ…。
そのあとも上の子は
「お月さまー、キラキラ見えるー?」
「お月さまどこまでついてきてくれるんだろうね」
「今日のお月さまは半分だね」
と、お月様についてずーっと話していました。

そして、家に着いたとたん
「お母さん、この本読んで!」
持ってきたのは、『お月さまこんばんは』

まだ1歳になるかならないかのころ、実家の母が買ってきてくれた絵本です。
うちの子たちは寝る前にほぼ必ず『本読んで~』と数冊…時には十数冊持ってくるんですが、その中にほぼ毎回入っているのが『お月さまこんばんは』です。
林明子さんの赤ちゃんの絵本シリーズで、有名な絵本なので知っている人も多いかと。

本を開くと、紺色の夕やみにうかぶ三角屋根のおうち。おうちに明かりがつき、屋根の上と下に一匹ずつ、猫のシルエットが。
「よるになったよ ほら おそらが くらいくらい」
「おや やねのうえが あかるくなった」
「おつきさまだ」

これは…誰が話しているんでしょうね。猫でしょうか?それとも…?
夜空を見上げれば、そこにはお月さま。雲で隠れているときもあるけれど、雲が晴れればそこには変わらぬお月さま。
絵本の中のお月さまと本物の夜空のお月さまが同じものだと気づいたときの子どもたちの「いいおかお」!
裏表紙のお月さまもかわいらしいんですよね。

子どもたちがもう少し大きくなったら、古典の中に出てくる月の話もしたいなぁ…。 

おつきさまこんばんは―くつくつあるけのほん4 (福音館 あかちゃんの絵本)

おつきさまこんばんは―くつくつあるけのほん4 (福音館 あかちゃんの絵本)

 

 

たまらなく…亀

うちの子どもたちは…水生生物が大好きです。
先日、葛西臨海水族館に行ったときも、ペンギンプールの前でしばらく固まっていたり、特別展の『見えない海の生き物たち』で半日過ごしたり…。
もういっそ、年パス買おうかと思うレベルで水生生物大好きです。

www.tokyo-zoo.net

 

下の子はその中でも『亀』が特別に大好き。
葛西臨海水族園でも、

「ウミガメさんを探すの!」

と、水族館中を歩き回ってました。←大水槽にいました。

で、そんな下の子が大好きな紙芝居が…
『かめくんファイト』

 

かめくんファイト! (子ども参加かみしばい みんないっしょに、うれしいな!)

かめくんファイト! (子ども参加かみしばい みんないっしょに、うれしいな!)

 

お友達のところへ遊びに行く亀のかめくんをみんなで応援するというストーリー。
なんてったって、亀ですから。坂道を転がり落ちちゃったり、大きなネコに怯えたり。そのたびに、読み手は
「かめくんファイト!って、応援してあげよう」
と、呼びかけます。大きな声で応援したり、時には小さな声で応援したり。
子どもたちはそれが楽しいようで、
「小さな声でそうっとね」
と言ってもわざと大きな声で
「かめくんファイト!!」
と、叫んでみたり、逆に
「大きな声で、せーの!」
と言っても小さな声で
「かめくんファイトー…」
と、囁いてみたりして楽しんでいます。

上の子はどうやら一言一句間違えずに覚えているようで、私が読むのに合わせて、空で読むこともしばしば。

今日も寝かしつけの前に
「読んで~」
と持ってきたのはこの紙芝居でした。

水遊びが楽しめる時期に読むといい紙芝居です。
…と言いながら、冬でも読んでいる…。

ゆーきやこんこ あられやこんこ

大雪になりそうですね。
長女がお腹にいる時も、次女がお腹にいる時も、ちょうどいまくらいの時期に大雪が降って、テンションMAXになった私は長靴はいて家の前の雪かきをしたり、まだ雪が降っている最中に「買い物行ってくる!」と夫に告げてお散歩行ったりして心配をかけたものです…。懐かしい。

さて、雪の絵本と言えば私の中では

 『てぶくろ』

てぶくろ (世界傑作絵本シリーズ)

てぶくろ (世界傑作絵本シリーズ)

 

 

猟師のおじいさんが落とした手袋に、森の動物たちがどんどん入っていく…という単純なストーリーなんですが、幼いころから大好きでした。
なによりおじいさんの手袋(たぶん革製)が暖かそうで!
そこにたくさんの動物たちが次から次へと入っていくのですが…少し大きくなると「えー!そんな動物まで入れるの?!」と思うような動物まで登場するのが不思議に面白くて、何度も読み返していました。

この絵本『てぶくろ』の作者は、ウクライナ出身のエウゲーニー・M・ラチョフ。
黄色い表紙の『てぶくろ』は、旧ソ連の時代に出版されたもので、あまり印刷技術が高くなかったこともあり、原画が傷んで印刷できなくなったことがあったそうです。
そこで、エウゲーニー氏は新しい『てぶくろ』を書きました。
黄色い表紙の『てぶくろ』の挿絵は黒い輪郭線が特徴的です。それに比べ、新しい『てぶくろ』は、黒い輪郭線を取り払い、明るい色彩で描かれていることが特徴です。
どちらも素晴らしい絵本ですから、違いを比べてみるのも面白いかと思います。

黄色い表紙の『てぶくろ』は、寒くて暗い森の中、陽だまりにあつまる動物たちの様子を描いているように感じますし、新しい『てぶくろ』は、雪が止んだ翌日のあたたかな日差しの中で遊ぶ動物たちを描いているように感じます。

 

てぶくろ (ウクライナ民話 ラチョーフ・シリーズ 1) (ウクライナ民話/ラチョーフ・シリーズ (1))

てぶくろ (ウクライナ民話 ラチョーフ・シリーズ 1) (ウクライナ民話/ラチョーフ・シリーズ (1))

 

 

そういえば、ウクライナには素晴らしい刺繍もあります。
そのうちそちらも紹介できるといいなぁ…。伝統文様が本当に素敵なんですよ。