去っていった彼女に伝えたかったこと

職場の新人さんが知らぬ間に辞めていた。

試用期間中だった。

彼女とは所属部署が違った。当然、連絡先も何も知らない。

そんな繋がりの薄い彼女だけど、飲み会や催し物で会えたら伝えたいと思ってたことがあった。

残念ながら、その機会は一度も訪れなかった。

伝えずに心にとどまった思いがモヤモヤしたので、ブログとして解き放とうと思う。

 ※ちなみに、恋愛ネタではありません。。。あしからず。。。

 

彼女の仕事スタートはちょっと特殊だった。

入職後1週間も経たないうちに「辞めたい、できない」と言って出社拒否したらしい。

それを聞いて、私はめちゃくちゃ驚いた。

初日挨拶で見かけた彼女、見た目はすこぶる真面目そうだったからだ。とても出社拒否するようには見えなかったし、ともすれば、生真面目すぎるくらいに真面目に見えるような女性だった。

周り中、驚くと共に困惑したが、努めて彼女の言い分に耳を傾け、励まし、短期間で復帰へと促したそうだ。

 

職場は自費診療をメインに扱うクリニックで、彼女はその窓口担当だった。

窓口はクリニックの顔。来院された患者さんの最初の接点であり、診療を終えた患者さんのお会計を行って送り出す最後の接点でもある。

自費診療は高額ということもあり、患者さんの数もそれほど多いわけではない。一般的な保険診療のクリニックに比べれば、半分以下、いやもっと少ないと思う。

私から見ても、業務量が多くて辛いということは考えづらい。

 

ならば、なぜ早々に辞めてしまったのか。

 

思い当たることがあった。

というのも、彼女の前任者は彼女とまるで違う人だったからだ。

美人で一見誰にでもにこやかそうに見えるが、実は男勝りで気が強いタイプ。

クレームなどを受けて怒られても、申し訳ない顔でクレームを受けつつ、サバサバと対応できるような、そんな女性だった。

自費診療は施術件数が少ない。だが特殊なものばかりで、おしなべて高額だ。当然、その分だけ施術への期待と不安は大きくなり、些細なことでも気が立ちやすくなっている。

前任者は、患者さんに期待と不安をぶつけられても、理解を示しつつ自分の範疇以上に抱え込まず、目の前の仕事を全うした。

 

前任者だけではない。

よくよく見ると、他のスタッフもそういうタイプが多い。

患者さんの不安には徹底的に寄り添うが、余計な罪悪感は抱えずに卑屈にはならない。私の拙い文章では「冷たい人々」に見えるかもしれないけれども、自分も大事にしながら、目の前の患者さんも大事にする、まさに「プロフェッショナル」だ。

 

翻って、早々に辞めた彼女。

彼女は真面目な人だったが、「おどおど」してるようにも見える人だった。

私はいわゆるバックヤードの人間なのだが、そんな身内に対しても、コミュニケーションが遠慮がちで、簡単なことも伝わらず「おどおど」しているように見えた。

郵便物を渡すだけという仕事でも一苦労する…そんな感じだった。

 

そんな彼女が、神経質になりがちな自費診療の患者さんと向き合ったらどうなるだろうか。

人間は「おどおど」してる人に対して優しく出来ることもある。だが、自分自身が不安でな時に、目の前に「おどおど」してる人がいたら、、、

全ての人がそういうわけではないが、かなりの確率で「イライラ」するのではないだろうか。

 

高額を支払い、いよいよ手術…大丈夫だとは思っているけど不安を感じてちょっと泣きそう、でも大人だし我慢しなきゃ…と、外面では抑えている。

そんな時に人が求めるのは「安心感」と「信頼感」。

ブレずにいる人が居てくれたら、それだけでも安心できる。

が、しかし目の前のクリニックの人間がもっと不安そうに「おどおど」していたら…

 

こっちだって泣きそうなのに、なんで施術しない受付の人間が泣きそうなの!?

そもそも、こっちが何かした!? 何もしてないんですけど!

イラっとするわーーー!

 

そう思っても無理はない。

結果、余計にクレームを受ける羽目になった彼女は、ますます「おどおど」するようになる。

 

そんな時にクリニックのスタッフが彼女のフォローが出来れば良いのだが

前述したように、スタッフたちは気が強い方が多い。

もちろん出来る限り寄り添おうとチャレンジしたのだが、なぜ「おどおど」するのかは理解不可能で、寄り添いきれない。

そもそもスタッフのお仕事は患者さんの施術フォローであり、彼女のフォローが主体ではない。人手が潤沢にあるわけでもなく、限界がある。

 

結果、「おどおど」したまま、彼女は去った。

 

わたしはかつて彼女と同じような人間だった。今も片鱗は残っているかもしれない。

表面上はまじめに見え、社交性もあるように見える。

しかし、過去の人間関係では失敗ばかりだった。いじめられたこともある。その積み重ねのせいか、根っこのところに「人がこわい」という思いがある。

どこかに「おどおど」してるところを隠せない。

「おどおど」が他人の怒りを呼び寄せ、それが怖くて萎縮し、ますます「おどおど」して、業務が滞ると共にさらなる怒りを呼び寄せる・・・その繰り返しだった。

 

悪循環を断ち切れたのは、ふたつのことをしたから。

ひとつは内勤職に転職したこと。とくに自分一人で進める部分が多い仕事に就いたことだ。

コミュニケーションの機会自体を減らし、自分自身の作業で評価されることが多くなったら、周りの評価もあがった。

 

もうひとつは、自分の内面に目を向けたこと。

ぶっちゃけ、こちらが大きい。

 

「人がこわい」という前提条件を持っていると、少しでも負のコミュニケーションになると「こわい」を感じやすく「やっぱり人はこわい」を強化する。

では、本当に「人がこわい」のか。

もちろん、こわい人もいるけれども、そうじゃない人も多い。

たとえ普段こわい人も、優しい時はある。

全部が全部「こわい」わけではない。

 

ならば何故「人がこわい」に囚われるのか。

原因は様々だ。幼少期のトラウマや過去のいじめ、失恋など、人によって異なる。

わたしの場合は、幼少期の環境が大きかったらしい。

実の両親と生き別れ、その後、父方親戚に引き取られたものの、そこの女性親族の過保護・過干渉でがんじがらめの生活を送った。その詳細は追々書いていこうと思うが、とにかく人だけでなく「社会」、特に同性の「女性」が怖かった。

幼少期の家族との接し方が「社会」や「人」と接するベースになる。

物心付く前に実母と別れた時の漠然とした恐怖感、そして過保護による養親(女性親族)の支配が「こわい」「女性こわい」のベースになっていたらしい。

 

そこを抜けるために、私は心理セラピーに通った。

一筋縄ではいかず、親に対する恨みつらみ・怨嗟などに苦しんだ日もあったが、今はだいぶ穏やかだ。

その過程で、人生の伴侶も得た。

結婚生活で新たな愛情のベースもできて、「人が怖い」感触はだいぶなくなってきた。

 

私は、去っていった彼女に伝えたかった。

「おどおど」が余計な怒りを呼んでしまうこと、その「おどおど」の原因を内観やセラピーで和らげることができるということ。いっそ職種を変えてしまうこと。

今はもう伝えられない。

いつか届くといいな。

彼女が今後の新しい道で、輝けますように。切に切に願います。

きたたまから

こんにちは。きたたまと申します。

その名の通り、いわゆる北多摩エリアに住んでおります。

 

ちょっと変わった人生だったもんで、生きづらさを感じることも多々あり、心理関連に興味を持っています。自己啓発をぐるぐるしてたこともありました。

自分の中と外を整理、客観視するためにこっそりとブログを始めてみました。

 

同じように生きづらさを感じている人が、ちょっとホッと出来たらいいなとも思っています。

ついでに生活ネタもメモ代わりに書いていこうと思ってます。

どうぞよろしくお願いします。