君に腎臓をあげたい。

生まれつき腎臓が悪く、1歳で余命数日宣告を受けるも奇跡の復活!2歳7か月で天使になりました。

獣医業界の遅れ

るりが天使になって2か月経ちますがまだいろいろな整理や、写真集作りの作業が進みません。

彼女と過ごした2年7か月はまるで流れ星みたいに、旅行から帰った後みたいに、最初からいなかったみたいなんです。

やっと0歳分の写真集が完成し、これから1歳分に取り掛かるところです。

遺骨を入れたガラスビーズのネックレスが届きました。

ラインスタンプは第2弾まで作ってただきました。

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るりが亡くなり、私が一番お伝えしたいことを今回書きます。

知らずにるりを亡くしていれば私自身随分楽だったんだろうなという内容です。

だけど知ってしまいました。

るりがそうさせたのなら、それを広めるしか私にはできません。

猫は腹膜透析で戻ってくる可能性が高い

結局私の知識が十分であればるりはもう少し生きていたのではないかと思います。

そして私は、人よりは腎臓とか腎不全とか治療法のいろいろに詳しかったのです。

自分の子がそうであれば当然です。

だけどそれでも結果的には勉強不足でした。

本来医者からの提案でたどり着くべきルートに、自分から、医者の提案どちらでもたどり着くことができませんでした。

これはるりのかかりつけのお医者様が悪かったわけではありません。

るりが亡くなったのが6月17日。

透析の病院に連れて行ったのが6月15日。

あと1週間連れて行くのが早ければ、助かる命だったかもしれません。

透析について、腎不全についてはよく知っていると思っている方にこそ読んでほしいです。

2つの真逆の方針から医療を選択する

るりが静脈点滴の入院でこれ以上下がらないと帰宅したのが6月10日。

食欲はないもののそれほど切羽詰まった実感なくときどきお刺身を食べて過ごし、6月14日夕方にいつもと違う様子でひたすら私に喋ってきました。

変すぎて病院に連れていくと、自ら先生の膝に乗りきちんと挨拶をしていました。

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夜に急変。

夕方以上の勢いでものすごく喋った後に急にぐったり引き込もり。

今思えば意識混濁が始まりました。

直感的に今晩だと思いましたが、お互い一睡もせずに翌朝を迎えました。

様子は相変わらずで、限りなく死に近く見えました。

何も口にせず、冷たい床でぐったり、ときどき珪藻土バスマットを舐めにいき、の繰り返し。

透析については当然知っていました。

私が当時知っていた情報は、

「どちらかというと急性腎不全向き、慢性に対しては効果と予算と苦痛のバランスが良くなく、延命することしかできない。」

こんな感じでした。

なので先天的な奇形による慢性腎不全のるりには関係がないと思っていました。

死にかけのるりに寄り添って、家で看取る覚悟を決めていた私に夫が「透析の名医がいる、話をしてほしい」とスマホを差し出してきたのでとりあえず気乗りしないものの電話しました。

ざっくり言うと、救える可能性もあるし、るりよりもっと酷い死にかけから復活した例もあるがやってみないとわからないとのこと。

しかしこの先生ものすごく胡散臭い。

何度も同じことを繰り返す話すし、町医者全批判。

私が信頼しているるりのかかりつけの先生のことも全否定。

正直この人に確率の低いことを任せようという気は起きませんでした。

ところが普段行動力も決断力もない夫がレンタカーを借りてきて行こうというので話を聞くだけということで渋々向かいました。

大雨の日でした。

るりは車の中で私の膝の上で大騒ぎ。

病院の前で車を降りて私はるりを抱きかかえて走ったのを覚えています。

すぐに先生が診てくださり、「既に低体温が始まっている。すぐに保温と静脈点滴、その後透析を開始します」と仰いました。

その覚悟をしていなかった私は引き止めました。

「入院中に急に死ぬことはありませんか?この子は必ず家で看取ります」

「可能性はあります。しかし急に死ぬ、ではありません。るりちゃんは今この診察台の上で亡くなってもおかしくありません。お家で看取りたいのであれば連れて帰られた方が良いでしょう。ただ、ここに来る方はもうすでにご家族でのお別れをちゃんとされているはずです。」

ここで初めてわかりました。

医療には2つの方針があり、両立はできないこと。

どちらかを選択しなければいけないこと。

ひとつは、苦痛を伴う延命はせずに苦痛を取り除く治療のみをして家族で過ごす時間を最優先する方針、もうひとつは、1分1秒でも命を長くという方針。

ずっとるりに前者での治療を行ってきて、自分自身にもそうしてほしいと思ってきた私にとってはかなりの衝撃でした。

そして、先生のおっしゃる通り昨日るりはちゃんとお別れの言葉を言っていて、私たちは既にお別れをしていたのです。

ならば賭けるしかないと踏ん切りがつきました。

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耳が変

ここからが本題です

翌朝「体温が35度代(猫の平熱は38~39℃)まで下がってきている」との電話がありすぐに病院に向かいました。

結局その日は夜8時ごろまで病院にいて1日中るりの手を握っていたのですが、 先生とお話する機会がたくさんあったので疑問や意見をぶつけてきました。

最初に胡散臭いと思った理由のトップは「独自のノウハウで透析でもちゃんと結果を出せる、しかし私が教えてこなかったもんで」という発言が度々あったこと。

医療業界でそんなすばらしいノウハウをお持ちならなぜ教えてこなかったのか、これについて聞く中で常識を一気にひっくり返されました。

最初はこの人頭おかしいのかなと思いましたが、どうやら違います。

日本が後進国だからとかいうレベルでなく、世界的に獣医療そのものが人間の医療と比べ遥かに遅れています。

「獣医なんてお医者さんごっこ」だそうです。

それどころか信じられないことに、間違った治療、病状を悪化させるような治療がごく当たり前に行われています。

これは獣医師に悪意があるわけではなく、獣医師ですらそれが正しいと思ってやっているのです。

るりのかかりつけの先生、東大病院含め国内ほぼ全ての病院でそのような治療が行われています。

るりも少なからずその影響を受けていますが、何度も言いますが先生が悪いわけではないのです。

製薬会社との結びつきだとか、動物は医療費が高く人に比べて需要が少ないとか、いくつかの理由で簡単に解決できません。

人間の場合医療保険があり医師も製薬会社も患者も守られています。

動物の場合それがないのもひとつの原因ではと思います。

人間では何十年も前に実用化されている薬や治療法が獣医業界には回ってきません。

いつかIPS細胞が実用化されても、永遠にこちら側には回ってこないのでしょう。

透析なんて最先端でもなんでもなく、30年以上前から人間では行われていた治療法です。

近々実用化される「腎不全の特効薬」と言われている薬は特効薬でもなんでもなく、とっくに人間では使われていてしかも腎不全初期の段階でしか効果は見込めないとのこと。

しかし初期ならば、皮下点滴や療法食などで間に合うのでその新薬の役割とは一体。

助からない命は「今の研究ではここまでが限界」なんだと思っていましたが違います。

「本当は放出できるものがたくさんあるのに制限されていてここまでしかできない」というのが現状です。

透析についても、私が以前持っていた情報はこの先生については当てはまりませんでした。

間違ったやり方で透析をするので、「効果がない」というイメージが広まりやる病院も少なくなる。

そして実際にそのやり方では効果がなく、値段が高くて苦痛ばかり大きい、になってしまう。

透析お考えの方いらしたらメッセージいただければ横浜市ですがご紹介します。

そういうことで、とにかく獣医業界は世界的に見てかなり遅れています。

理由のひとつとして「動物にそこまでするかという問題もある」と先生は仰いました。

先生がそう思っているわけではなく、世間一般にそういった考えがあるのだと思います。

ちょっと田舎にいけば半野良の猫や外飼いの犬がいて、それに対し何とも思われない世界が普通にあります。

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人間の子どもを産むにしろ、動物をペットショップで買うなり里親になるなり拾ってくるなりして家族に迎えることは、同じではないでしょうか?

子供を産むも動物を飼うもどちらもしなければいけないことではありません。

家の前に弱った子猫がいるからって、拾う義務はありません。

やりたくてわざわざやっていることです。

ならば責任は同じです。

そこまで負えないならしなければいいだけのことです。

長々書いてしまいましたが、多くの人が情報に触れることができないだけで、末期の子でも打てる手がまだあるということはあります。

もちろん必ず助かるわけではありません。

そして打つ手は早ければ早いほど良いのです。

私は手遅れで最愛の娘を亡くしました。

助かる命が「助からない」で片付いている現状なので、どうか諦めずに「家で抱っこしながら看取りたい」で片付けずに最後まで探してほしいと思います。

「死にかけ」と「死んでいる」にはとてつもなく大きな差があります。

私も苦痛しかない、または意識がない無駄な延命は推奨しませんが、戻ってくる可能性があることを知って試してほしいです。

犬の場合は透析は一時的な効果であることが多いようですが、正しく行えば猫の場合はそこから持ち直す確率が高いようです。

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2度目のお別れ

天使になったるりのお見送り

一度目のお別れは、るりの心臓が止まってしまったとき。

2度目のお別れは、ふかふかの毛がなくなって、かわいい顔にキスできなくなるとき、肉体がなくなってしまうとき。

以前下見に行って決めていた葬儀場で行いました。

葬儀場近くのお花屋さんには最初「1万円分のひまわりとカスミソウを送ってください」とお願いしていました。

しかしるりが亡くなって連れて帰った日に近所お花屋さんで5種類のひまわりで花束を作ってもらったときに、やっぱりるりには全部ひまわりだなと思いお花屋さんに電話。

「やっぱり全てひまわりで」と言うと、「すごいボリュームになりますが大丈夫ですか!?」と。

そして問題が。

そんなに大量のひまわりがないとのこと。

そりゃそうですよねごめんなさい。

他の花を少し混ぜることを提案され、ねこじゃらし的なのか麦みたいなのならと思ったのですがそれもほとんどないとのことでした。

お花屋さんがいくつかこの花は?と提案してくださったのですがちょっとなんか違う。

結局何も混ぜずあるだけのひまわりを、ということになりました。

ところがお花屋さんから折り返しの電話があり、ひまわりを入荷してくださるとのことでした。

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やっぱこれに限るわ

そういえば、何度言ってもひまわり食べまくってよくほっぺを黄色くして私に怒られてました。

左のほっぺにご注目ください。

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だっておいしいんだもの

最後に食べたのも猫草でした。

植物が大好きなんです。

kitoururi.hatenablog.com

もうほっぺが黄色くなるまでひまわり食べても怒られないね。

ひまわりぐらいで怒ったことも、寂しい思いをさせたことも、他にもいろいろたくさんたくさん、謝りたいんだけど、るりはもう謝らせてくれません。

昔、何が原因かは忘れましたが1日3回るりを怒ってしまった日があったんです。

その日の夜、「謝りたいけど死んでしまって謝れない」という夢を見て夜中に目覚め慌てて布団をめくってるりが生きているか確認したのを思い出します。

葬儀の前に、いつも嫌がっていたブラシで毛を整えました。

この頃にはかなり硬直が緩解していて、表情も気のせいか柔らかく、いつものるりになっていました。

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普通に寝てる

私が着ているのはるりが大好きだった冬物の部屋着です。

モコモコ系なんですが肌触りが好きなのか、これを着ているとやたら揉んできました。

当日は葬儀屋さんの車が迎えに来てくれて、るりは私の抱っこで乗ります。

6月19日、晴天でした。

到着すると、

「木藤家 るりちゃん セレモニー」

とかわいらしいボードがありました。

DNAを残してもらうため綿棒で口の粘膜をちょっともらいます。

それからるりをバスケットに寝かせました。

もう柔らかくなっていたので、不自然にきれいな寝姿ではなく、るりのいつもの首が変なかっこうで寝かせました。

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こんな感じ

小さい花束を持たせて、手紙は夫からと私からの2通、いつもの薬と、魚とケンタッキーとケーキひとくちずつと、好きだったいつものカリカリ、あとはひまわりで埋めつくしました。

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ひまわり食べ放題

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猫草もちぎってバスケットにイン

るりのバスケットを抱いて、隣の火葬する部屋まで歩きます。

そして2度目の、最後のお別れです。

何度も何度もキスをして、泣き叫びました。

いつも私がキスすると迷惑そうな顔するんです。

愛してるとか大好きとかありがとうとかごめんねとかいろいろ言った気がしますが、最後に叫んだのは名前でした。

待ちながら持ち歩き用の分骨するペンダントとか、遺骨を入れたガラスビーズで作るチョーカーの色とか、DNAに写真がつくというので写真を選んだりしました。

遺骨ダイヤをまず考えたんですが、想像よりも桁がひとつ多く断念。

常に身につけることができればなんでもいいわけですし、それにしてもダイヤって高い高い。

お墓はいずれ自分たちの物を買ったときに一緒に入れるつもりです。

あっという間にお骨拾いで、ここでもまた大泣き。

しっぽの先まできれいに並べてくれていて、いろいろ説明してくださいました。

腎臓はどのあたりですかと聞きました。

私の腎臓をるりに移植できればどんなに良かっただろう。

なんで生き物の種類が違うと移植できないんだろうか。

骨壷に骨を納めながら、小さい骨をひとかけ食べました。

ガラスビーズにする用と分骨用に一部取り分けるときに、好きな部分をと葬儀屋さんの方が言ってくださったので、私はるりの牙が好きだったので牙と、夫は手が好きだと言って手を入れました。

そういえば、腎臓だとか貧血だとかで忙しくてすっかり忘れていたんですが 、るりは歯が乳歯のままで、本数も少なかったんです。

最初から大人になるつもりがなかったのかな。

ちなみに私もいくつかが乳歯のままです。

拾い終わって、グッズ類は後日なので最寄り駅まで送っていただき、電車に乗るのにるりを入れる袋を渡されたのですが断って、骨壷を抱きかかえながら電車に乗りました。

初めてちゃんと虹の橋を読みました。

最後の、「そうして2人は二度と離れることはないのです」の部分がすごく好きです。

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ずっと一緒

あと1週間で最初の月命日を迎えるとことろですが、まだまだ毎日泣いています。

だけど、るりに恥ずかしくないように、るりが悲しくないように生きなければと思います。

 

日に日に大きくなる後悔

彼女がいない生活が当たり前になる

病的な感情も汚い感情もそのまま書きます。

るりが天使になってから1週間が経ちました。

否が応でもるりの体はなくなって、ちっぽけな壺になり、るりにあげるごはんは小さいお皿になるんです。

この暑いのにソファーに置いていた小さいあったかマットはいらなくなるんです。

家に帰ってきてもるりは玄関に来ないし、夜中に寝苦しくて目覚めると顔の横がふかふかして痒くて枕半分以上占領されてたなんてこともないんです。

パソコンで作業しているとひたすら邪魔されてちょっと誰のために仕事してるんだよって思うこともないんです。

るりがいなくなって、それが当たり前になって、それで普通に生きていける。

そんな自分が嫌なんです。

これでいいのか。おかしくないか。

かといって、私のことを愛してくれたるりが、私が後を追ったり不幸になることを望んではいないことぐらいはわかる。

るりは私を愛してくれた唯一の存在です。

るりが生きているうちにそれに気が付いて、返したかった。

人間って本当にどうしようもないぐらい何十回か死んだ方がいいぐらい愚かなんだと痛感しました。

小さな祭壇を作ってお花を生けてごはんを置いて小さな壺に話しかけて満足してしまう自分が心底嫌になります。

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なんとしても阻止してくる

ものすごい悔しさ

ひたすら泣いていた時期を過ぎると少しずつ物を考える余裕が出てくるんでしょうか。

1日の中で激しい感情の波はありますが、だんだん後悔は大きくなります。

私が殺したように感じます。

るりが小さいうちに移植をしていれば。

BUNが振り切れた時点で真剣に焦って調べていれば。

その時点で透析を受けさせていれば。

そのときは気づかなかったけれど、るりの写真や動画を見返していてわかりました。

るりは私のことが大好きで、いつも傍にいたくて、かまってほしかった。

良い医療を受けさせることよりもよっぽど大切なことがあった。

そんなるりを、ちゃんと愛して、傍にいてかまってあげていたら。

4月下旬から今にかけて、私は精神的に大きくやられました。

無気力でどうしようもなく、るりの通院、日々の投薬や注射、自分の仕事をやることで手一杯でるりに構う余裕など全くありませんでした。

私の夫、るりのパパが私たちを捨てて出て行ったからです。

(気が向いたときだけ帰ってきて優しくするので家族写真にも葬儀にも参加しています)

明らかに様子がおかしくどうしようもない私をるりは心配してくれていました。

人の心配できる体でもなかったのに。

無意味に家の中を徘徊する私にずっとくっついて歩き、床で座り込めば寄り添ってくれました。

小さな体でこんな腎臓なのに、大きくて健康な私が心配で心配で仕方なったのです。

手遅れですがこんなにかわいい子はいない、二度と出会えない。

そんなるりをちゃんと愛してあげられなかった。

るりと腎臓を交換したかった。

るりに腎臓をあげたかった。

るりじゃなくて私が死ねば、悲しむ人が少なかった。

これが私の娘かと疑うぐらいできた子でした。

なんで死んじゃうの?なんでるりが?

かかりつけの先生と透析の先生、真逆の方針でしたが2人とも出会えてよかったと思える素晴らしい方でした。

透析の病院から死体のるりと私を家まで運んでくれたタクシーの運転手さんも、先生も友達も親もおばあちゃんも、みんな言うんです。

「なおもるりちゃんもよくがんばった」

「るりちゃんがこんなにがんばれたのは、お母さんのがんばりあってこそですね」

「ママがごめんねなんて言う必要ない」

「こんなに良い医療を受けさせたんだから」

「るりちゃんは幸せだった」

「この子は拾われていなければ生後3か月で亡くなっていた」

全部違う。

拾われていなければという課程はそもそも拾ってしまった以上成り立たないし、良い医療って言ったって間に合ってなかったからるりは死んだ。

1か月早く透析に踏み切っていれば、るりは今頃走り回ってて「ちょっといくらかかったと思ってんのよいい加減にしてくれよ今月の引き落としが」とか言ってたんです。

私が殺した。

「良いお母さん」風に言われるのも嫌なんです。

るりからパパを奪ったのも私です。

それで荒れている私に、パパを返そうとしてくれたるり。

天使を見送って1週間たった今日、私は仕事に戻りました。

外で普通にするのってこんなにつらいのか。

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寝ちゃう

たまに前向きになる

こんなに沈んでるかと思えば、るりのために祭壇を作ったりお花を選んだり、明るい気持ちでやりました。

これから定期的に花屋で切り花を買うのは大変だから、日当たりの悪い小さなベランダで簡単に育てられる花を置いて、るりの祭壇に小さな1輪を絶やさないようにしようと思いました。

日々草とか?ゼラニウムとか?と思っている中ホームセンターで「るりまつり草」っていう字を見て即決しました。

るりのためにせめてできるのは、るりのことを広めて、同じように手遅れで亡くなる子を一人でも減らして、獣医はもう無理でも看護師になったり保護団体で働いたり何かしら関われたらと思ったり、前向きな気持ちになることもあります。

普通に笑ったり飲んだり食べたりもします。

いつも死にたいと思いながら生きていた私が「るりが愛してくれた私」を大切に、ちゃんと生きなきゃと思ったり。

いろんな人の励ましや慰めの言葉は「違う違う」だったけど、出て行った夫が「るりはなおのことが大好きだったんだよ。大好きなママが最後ずっと病院で1日中ついててくれて心強かったと思うよ。るりのためにこんなにがんばれたのはなおだけだ。ありがとう」とこんなときだけ父親面して言ってくれた言葉だけはしっくりきてうれしかったです。

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ちょっとほんとパソコンやめてー

こんな感じで気持ちブレブレで、2週間ぶりぐらいに仕事をして思ったのは、仕事ではなく普通に人と会話をするっていうのが何より辛いと思いました。

悲しむことすらできない。

みんなそっとしておいてほしい。

るりのために、るりまつりに立派な花を咲かせて、ちゃんと生きます。

天使になるまでの1週間

 言われ慣れていた「あと数日」

6月10日

いつもの月1の検査で病院へ行ったときに言われました。

るりが余命数日宣告を受けるのは3回目でした。

2月に大きく体調を崩したとき、るりがこのまま3月4月を迎えるのは確率の低いことだと言われていました。

皮下点滴の量を増やすも腕の付け根にたまり吸収できなくなり、髭はどんどんボロボロの短い枝毛に。

でも、食欲の低下はあるものの自分で食べて、キャットタワーの1番上までとはいかないもののタワーに登ったり爪を研いだりしていました。

だんだん貧血の注射や食欲の薬が効かなくなっていました。

BUNは1月から140オーバーで、それ以降は毎月検査しても同じ。

何回検査しても同じ。

この時点で焦って必死に調べるべきだでした。

諦めて苦痛を取ってただ見守るのではなく、まだ打てる手はないのかと。

るりが1歳で余命数日と言われてから元気になったとき、腎移植を検討しました。

まだギリギリできる数値だったのです。

予算、リスクと効果、倫理的問題、いろいろありました。

るりを亡くした今、倫理問題も予算もどうでもいいんです。

るりが助かればなんでもいい。

だけど当時元気そうなるりに移植を踏み切ることはできませんでした。

その日は静脈点滴を入院でやるか、日中だけ病院でやるかの話をして、とりあえず一晩入院させて様子を見て判断するためそのままるりを預けてきました。

夜間は念のため先生に病院にいていただきました。

先生は離婚されていて、高齢のわんちゃんと小学生のお子さんがいて、病院に泊まりこもうのはとても大変なことだったと思います。

本当にありがたかったです。

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6月11日

朝の電話では、数値は下がってきているようだったのでそのまま続けてもらうことに。

ところが夕方、もうこれ以上は下がらないとのことで迎えに行きました。

1日でも2日でも食べられるうちに、好きなものを食べさせてあげてくださいと言われました。

病院でも療法食は食べなかったのでいろんなフードを用意してくださったらしく、ベビー用のカリカリを好んでいたと渡されました。

もうそんな段階なのかと他人事のように思いながら、るりにお刺身を買いました。

るりはひとくちも食べませんでした。

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6月12日

翌朝お刺身を少し食べました。

昼間もお刺身を食べました。

るりの大好きな猫草の種は買ったものの、食べごろまで10日ほどかかるようで近所のめぼしいところに電話をかけまくりましたが「育っている猫草はない」と全てのところで言われました。

品薄なんでしょうか。

今日食べさせてあげたかったのですが叶わず、アマゾンで頼みました。

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6月13日

急遽家族写真をお願いしました。

もともと2月に余命宣告を受けてから撮ろう撮ろうとは思っていたもののなんとなく流れていましたが、これは急ぎでやらなければと思いカメラマンの方に自宅に来ていただきました。

モデルの件といいこれといい、るりは最後までママのわがままを叶えてくれました。

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朝の様子はごく普通

6月14日

朝待ちに待った猫草がやっと到着。

お魚よりも猫草大好きなるり。

自分で食べ物を口にする最後になりました。

間に合ってよかった。

元気はないものの今日明日には見えなかったので午後2時間ほど外出。

帰ってくるとなぜか玄関まで来ず、トイレでくつろいでいる。

こんなことは初めてでした。

今思えば、体温が下がり始めていたんでしょう。

るりはものすごく機嫌よく甘えて、なぜか甘えながら唸って、一生懸命何かを言っていました。

あまりに変なので病院へ。

るりは自分から先生の膝に乗り、そのまま30分ほどくつろいでいました。

嫌なことしかしなかったはずの先生にもちゃんと挨拶ができるなんて、本当に私にはもったいないぐらいのできた子です。

帰宅して少しぐったりした様子。

高いところから飛び降りるときによろけてびっくりしてソファーの下へ。

それから、るりがパッケージを務めた座れるキャットハウスにこもりながら、喉を鳴らしながら、私たちにたくさん話しかけてきました。

なんとなく最期だろうと思いました。

それからるりは一切喉を鳴らすことがなく、明らかに死が近いのだろうという様子に。

意識障害が出始めたのでしょう。

今晩だと確信し、寝ないでるりに寄り添っていましたが、るりも一睡もせずに翌朝を迎えました。

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大好きな先生に最後の挨拶

6月15日

るりの様子は変わらず。

たまに水を飲んで、好きだった珪藻土バスマットを舐めて、という感じ。

夫が唐突に透析の話をしてきて、良い先生がいると私に見せてきました。

一応電話をかけて事情を説明しました。

電話で話した第一印象は「この人にるりを任せられない」

来年実用化の腎不全の新薬の開発にも携わっていて、かかりつけの先生と同じぐらいの年齢で同じ東大卒でした。

胡散臭すぎたので、いつもの先生に電話で聞いてみるものの、その人の名前は知らないと。

しかし優柔不断で決断力も行動力もない夫が強い目で私に、「透析をやろう、行ける距離に名医がいるんだ、しかも日曜日の今日あいている」と。

電車よりいいだろうと、夫はすぐにレンタカーを借りてきました。

しかし車の中でるりはものすごく騒ぐ。

どんどん弱っていく。

 私がちゃんと断ればよかった。

万が一の可能性があるならとるりを連れていくことに合意はしたけれど、本当はるりにもう大変なことはさせたくなかった。

だけど夫の勢いに流されてしまった。

病院前に路駐して、大雨のなかるりを抱きかかえて走りました。

すぐに先生が診てくださいました。

「すぐに保温して静脈点滴をしなければ」

まだ透析を受けさせる覚悟がなかった私は、

「預けて大丈夫ですか?家で看取りたいんです。入院中急に死ぬことはありませんか?」

「急に死ぬ、ではないんですよ。この子は今この診察台で亡くなってもおかしくない」

医者には大きく分けて2パターンあるのだと思いました。

家族で過ごす時間を大切に、延命ではなく本人の苦痛を取る治療をという医者と、1分1秒でも命を続けさせるのが医療だという医者と。

私自身は前者で、るりのかかりつけの先生も前者で、でも今目の前にいる透析の先生は後者でした。

そしてそのふたつは両立できないということも理解しました。

私はるりを預ける覚悟をしました。

るりよりもっと酷い状態で、だいたいが死にかけでこの病院に来るそうです。

助からない子もいます。

助かる子もいます。

いつも「私なら」で選択してきました。

私なら、延命したくない。

私なら、病院で死にたくない。

私なら、最後は好きな人に看取られて死にたい。

だけど私とるりは違う。

るりは、生きたい。

面会時も静脈点滴は続けるというので、チューブに繋がっていない状態ではこれが最後かもと思い、るりを抱きしめてキスしました。

いつも通り迷惑そうな顔をしました。

そうしてるりを預けました。

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6月16日

朝イチで病院から「透析の効果は抜群で順調に抜けてきている、しかし体温がどんどん下がっている。今すでに35度台まできている」と電話があり、すぐに向かいました。

駅で転びました。

間に合わないかもと思いました。

もし間に合えば、すぐにるりを連れて帰るつもりで、るりが入るバッグを持っていきました。

到着してすぐに、ケージの中で点滴を続けているるりを抱きしめました。

神経症状が出ているので、強く刺激しないでください。そっと顔を撫でてあげてください」と言われました。

るりを抱きしめることもできないのかと思いました。

顔を撫でながら、るりの手をずっと握っていました。

ときどきるりは手を握り返してくれたり、何か話しかけてくれました。

このときもう意識レベルが下がっていたので、私を認識していたかもわかりません。

ただの筋肉の収縮反応なのか、違うのか、わかりません。

昨日るりの横のゲージで死体のようにぐったりしていたダックスが、元気に吠えまくっていました。

白内障の目をしていました。17歳だそうです。

2歳半のるりからは、気が遠くなるような年齢でした。

午後からその子のお母さんが面会にいらして、横で泣いている私を気にかけてくださいました。

面会中、点滴は続けながらも抱っこをしていて心底羨ましかったです。

私は抱きしめることもできないし、抱っこもできない。

お母さんは、私の話を聞いて一緒に悲しんでくれて、とてもうれしかったです。

 

その夜るりを連れて帰るか入院を続けるかを判断しなければいけませんでした。

夜の検査では、BUNは相変わらずオーバーで測定できませんでしたが、クレアチニンやリン、カリウムの数値は確実に良くなっていました。

異常に多かった白血球も正常値に。

透析で抜いた液は朝晩ともにBUNオーバーで、かなり抜けていました。

そのぐらい、それだけ抜いてもるりの体にある毒素は計り切れないほど、るりは悪かったのです。

おそらくBUN200とか300とか、ものすごい数値だったのではと。

体温もギリギリ36度台まで上がっていました。

ただ既に脳に障害が出ていたので、彼女の命と、透析でろ過する速度が間に合うかどうか。

ここで連れて帰ったら、るりのわずかな可能性を私が決めることになる。

だから病院で治療を続けてもらいました。

ここに泊まらせてほしいとお願いしたのですが、いろいろな問題でそれはできず、近くに泊まることにしました。

いざというとき駆け付けられるように。

絶対にひとりでは死なせない。

だけど最大限医療に賭ける。

るりちゃんちょっとがんばってね、また明日とキスをして別れました。

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6月17日

午前1時45分、病院から電話がありました。

着信を見た瞬間に全てがわかりました。

「呼吸が止まって今私が措置をしています」

生まれて初めて、タクシーで釣りはいらんと言いました。

バッグを床に投げ捨て、心臓マッサージをされているるりに向かう。

一度家でお別れはしているけれど、意識のないるりにひたすら話しかけました。

もう脳に症状がいっているので、続けても意味はないと先生が言うのでやめてもらった。

私はやっとるりを抱きしめることができました。

その中で、心臓の位置に触れると機械が反応しました。

るりをいつものようにだっこすると、バランスを取ってくれないせいで重たく感じました。

首が座らず、だらんとしていました。

赤ちゃんに戻ってしまったのね。

手にはるりのうんちみたいなものがついた。

まだ暖かくついさっきまで息があったはずなのに、もう緩んでしまうんだ。

るりを預けて一度ホテルに戻りました。

淡々と、決めていた葬儀屋さんに電話をしました。

寝つけず、そのまま朝焼けを見ました。

とてもきれいな朝焼けでした。

朝るりを迎えに行くと、トリミングの部屋でトリマーさんがきれいにしてくれていました。

お風呂嫌いで拾って以来洗っていなかったので、さっぱりしたのかな。

生きている子と同じように、丁寧にブラシをかけて、ふわふわにしてもらいました。

死体を抱えて電車に乗れないので、タクシーを呼んでもらいました。

先生は、死体だと嫌がる人がいるので箱に蓋をしてこっそり乗ろうというので、段ボールを見ながら泣いていたらおかしいでしょ、と事前に伝えてもらうように言いました。

タクシーを待つ間、先生の奥さんの女医さんが、「るりちゃんはよくがんばったし、お母さんもよくがんばった。この子は幸せね、だからあなたはごめんねなんて言う必要ないのよ」と言ってくださいました。

私は鼻水だらけの顔で「違う、私は頑張れなかった」と言うと、これだけ良い医療を受けさせてきたんだから、と言ってくださるのです。

確かに東大病院に2回かかったし、家でも皮下輸液と1日5回の飲み薬、透析と貧乏家庭にしてはがんばって良い医療は受けさせました。

だけどこんなことは、人間の子で言うと良い教育を受けさせている程度のことです。

イコール良い親ではありません。

最低限のことをやったにすぎません。

もっとやれることがあった。

タクシーの運転手さんは、老衰で猫を亡くし、心筋梗塞で奥さんを亡くし、娘さんは難病だそうです。

この優しいおじさんから、なんでこんなにいろんなものを奪うのだろうかと思います。

夫は仕事を早退させてもらい、家の前でタクシーを待ってるりを受けとってくれました。

ピンクだった鼻と肉球が白くなってしまったので、私のチークで整えました。

「ママにしかできないね」と夫が言って、その様子を写真に撮ってくれたのがうれしかった。

鼻から汁が出てきてしまったので、いつもの病院に電話すると、連れてきてほしいとのこと。

 

見えないようにきれいに詰め物をして、看護師さんみなさんで死体なのにキスをして送ってくださいました。

るりはたくさんの人に愛されていたんだなと実感しました。

その日はるりを一人にしないと決めて、夫と交互に、るりのために1人で買い物をする時間を作りました。

私は5種類のひまわりを1本ずつの花束とかわいいキャンドルを用意しました。

夫はるりの好きそうな食べ物を買ってきました。

不思議なことがありました。

るりのために冷房をガンガンにつけていて、私は冷え性で、すぐに寒がります。

それなのに、暑かったのです。

「本当に冷房ついてる?暖房22度じゃないの?」と疑うほど、実際に動いてもないのに汗ばんでいて、で夫にも驚かれました。

るりが私の中にいたのでしょう。

るりは初めてお酒を飲んで、お魚とケーキを食べて、眠りました。

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6月18日

葬儀を明日に控えていました。

母と祖母といつもの先生からお花が届きました。

るりはお花畑で眠るお姫様にしか見えませんでした。

るりの穏やかな顔を見ていると、明日の葬儀をキャンセルしてはく製にしたくなりました。

調べるといろいろかわいそうなことになるのでやめましたが、はく製を作る人、クローンを作る人の気持ちは痛いほど理解できました。

この日はドライアイスがありました。

私は少しだけ冷房の温度を上げました。

自分にちょうど良いようにしていれば、るりにもちょうどいいはずだと思いました。

だんだんと硬直が緩解していました。

だけどそのほうが、不自然な形で固まっているよりずっとるりらしくて好きでした。

この日はるりが前にゴミ箱から漁り出してきたところを怒ったケンタを一緒に食べました。

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6月19日

葬儀当日を迎えました。

近くの花屋さんに頼んだ1万円分のひまわりで見送りました。

葬儀については後日書かせていただきます。

 

 

 

 

 

るりちゃんへ

気が付いたこと

るりとのいろんなことを思い出していて、ひとつ気が付いたことがあります。

るりががうちに来たときのこと。

家の前に何日も座り続けて、のら母と兄弟のもとへ戻したにも関わらず、数時間後にはまた家の前にいました。

kitoururi.hatenablog.com

るりがこの体だからお母さんに育児放棄されたとして(野生動物にはよくあるそうです)、るりのお母さんたちのいる場所からうちまでは子猫の足では少し距離があり、まずは近場の家から当たるはずです。

そこで、ごはんとお水をくれる家はたくさんあったはずです。

小さな離島だったので野良猫にごはんをあげる人はたくさんいます。

ちょっとボロボロで小汚いとはいえ子猫ならなおさら。

じゃあどうしてうちまで来たんだろう。

家に入れるまで座り続けたんだろう。

るりはたぶん、ごはんじゃなくて家族がほしかったんじゃないかな。

他にうちまで来る理由が見当たらないのです。

るりと家族になれてよかった。

そういえば、私もずっと家族がほしかったんです。

大学卒業と同時に駆け落ち結婚したのもそれです。

経済的には、るりがいることでものすごく大変でした。

私が仕事を増やしても増やしても医療費は増えるいっぽう
、貯金なんて全くありません。

でもるりは私の自慢の娘です。誇りです。

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おそろっち

病院でもどこへ行ってもかわいがられていて、「るりちゃんのお母さん」なのがうれしかったです。

るりはみんなに愛されています。

誰にでもすり寄っていくんです。

おバカすぎて私と他の人の区別がついていないんじゃないかと思うぐらいです。

私はるりのそういう、どこに行っても生きていけそうな強さ、たくましさが大好きです。

自分にないからかな。

るりちゃん、うちに来てくれてありがとう。

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るりちゃん天使になりました

ここ3か月本当にいろいろあって、久しぶりの更新になりました。

6月17日午前2時ごろ、るりは天使になりました。

2歳7か月でした。

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6月14日、自力で食べた最後です

6月10日、先生からあと数日と言われました。

3回目の余命宣告でした。

私は言われ慣れていたのです。

実は普通の人以上に、根拠なく「自分の子が死ぬわけない」という思いがどこかにあったのです。

実際にるりにはその実績が何度もあったから。

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6月13日、ギリギリ間に合った家族写真

6月14日の夕方、るりは明らかにいつもと違う様子で私に話しかけてきました。

なぜかトイレの中でくつろいで、ものすごく機嫌が良さそうに甘えてきて、

だけど甘えながらうなることがありました。

そして一生懸命私に何かを言っていました。

あまりに変なので病院に電話してとりあえず連れていくと、るりは自分から先生の膝に乗って、そのまま30分ぐらいくつろいでいました。

その晩、るりがパッケージになった座れるキャットハウスにこもりながら、喉を鳴らして、私と夫にいろいろ話しかけてきました。

なんとなく最期だろうと思いました。

「るり、大好き、愛してる、ごめんね、うちの子になってくれてありがとう、わかったよ、もういいよ、そんなに言わなくていいよ」と話しました。

それからるりは一切喉をならさなくなりました。

今思えばこのときから意識障害が出始めていたのでしょう。

翌日透析を受けさせるため別の病院へ連れていき入院、翌朝体温が35度まで下がっていると病院から呼び出されて、その日私は朝から晩まで病院でるりの手を握っていました。

いつ亡くなってもおかしくないと理解していましたが、連れて帰ることはせず、いつでも駆け付けられるように病院の近くに泊まりました。

夫は夜勤だったので、私ひとりでした。

るりよりもっと酷い死にかけで復活した子もいるし、これに賭けるしかなかった。

深夜1時45分に病院から電話があって駆け付けると、先生が心臓マッサージをしてくれていました。

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書きたいことがたくさんあります。

透析のこと、腎不全のこと、るりのこと、私たち家族のこと。

後悔だらけです。

だけど私を愛してくれたるりの気持ちをちゃんと受け取ってあげよう。

それは私がちゃんと生きて、るりが生きていたことを少しでもいろんな人に知ってもらって、同じように手遅れで亡くなる子を少しでも減らしていくことだと思います。

最後に透析を受けた病院で、いろいろな衝撃を受けました。

知らずに家で看取っていたら、きっとやれるだけのことはやったと思って、ここまで辛くなかったかもしれません。

腎不全について人より詳しいと思っていた自分の勉強不足に気が付くことなんてなかった。

知らない方が楽だったことを最後に知りました。

るりがそうさせたのなら、これを広めるしか私にできることはありません。

これからいろいろ書いていきます。

前向きな終活を始める

元気なうちしかできない葬儀場見学

かかりつけの病院に置いてあるフリーペーパーで見て考え始めました。

表紙に「愛犬の就活について考える」と書いてあり、つい手にとりました。

実際るりがあと数日と言われたとき、慌てて葬儀場を探す段階までは経験済みなので、1人で泣き叫びながらキャットフードを貪り食うような精神状態で葬儀場選びなんてとんでもないと思うのです。

kitoururi.hatenablog.com

そして納得いく送り方ができず後悔なんてその後の私の人生が辛すぎる。

なので、考えたり行動する余裕のあるうちにやっておいて損はないはず。

しかしなかなか見学予約に踏み切れませんでした。

調べた 結果、ここにしたい!というのがあったのでいくつかを比較する目的はなかったし、本当に必要なのか?

見学している時間があるならるりと過ごすべきではないか?

とぐちゃぐちゃ考えてしまいなかなか行動できず。

先日ようやく行ってきました。

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実感が沸くことで、一緒の時間を大切にできる

最大のメリットはこれです。

そしていくつか迷っている場合も、ホームページや口コミを見比べるよりは見学したほうが早くて確実だと思います。

私たちが見学に行ったのは、横浜市のエンジェルゲイトさん。

自然光に入る明るい教会風のところで、花とキャンドルとオルゴールに包まれてというのが素敵で見学前からここ一択でした。

海が見える開放的な建物とか森の中のきれいな教会とかが理想ですが、なかなか近場にそんなものはありませんね。

電話で予約をして当日行くと、営業など全くなく自由に見て回れました。

納骨してある場所や飾られているたくさんの写真を見ると、普通に愛されて、写真の中で生き生きと笑っている子が骨になってしまうということをほんの少し実感できました。

ひな祭りグッズが飾ってあればこの子は女の子なんだなとか、人間のお菓子をお供えしてあればだめだけど好きだったんだなとか想像して、るりもいつかこういう風になるのかとか考えました。

花子ちゃんというわんちゃんのお母さんが作られた絵本が飾ってあり、読ませていただきました。

いつも忙しいお母さんは、もう少しで花子ちゃんとゆっくりできると楽しみしていたそうです。

構ってあげられなくてごめんね、そんな私を慕ってくれてありがとうと書いてありました。

るりが余命宣告されたとき、もっと遊んであげればよかったとすごく後悔したこともあり、とても共感できました。

どんなに尽くしても後悔するものだとは思いますが、事前に後悔しそうなことについて考えたり、少しでも葬儀とか骨とか遺影とかお墓とか、いなくなった家の様子だとかを想像できれば、気を引き締めて残った時間を大切に過ごせるのかなと思います。

長く一緒にいるとどうしても慣れというか、当たり前になってしまって雑になるところがあります。

私なんて余命宣告されて散々後悔したはずなのに、1年もたてばやっぱり気が緩みます。

ついつい忙しくて「あとでね」にしがちなちょっとしたわがままとか要求とか。

わがまま言うのも要求するのも「聞いてもらえる」と思うからするんですよね。

そう思うと愛しくて仕方ないじゃないですか。

生きているうちに葬儀場に行くのはなかなか抵抗のあることだし、何より苦しいから考えたくないことです。

私は見学に行っただけで泣きました。

だけど余裕のあるうち元気なうちにしかできないことなので、後悔を減らすために、前向きな気持ちで行っておくといいのではないでしょうか。

私は行ってよかった!と思います。

次の課題も見えてきました。

遺影の写真を決めておくことと、セレモニーで飾るお花は自分で決めたいので、近場のお花屋さんにそういったことができるか確認しておくこと。

近々がんばります。

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死にそうで死なないよ!