日本の精神科医達、もういい加減に恥を知る時です
こういうのを見ると心底イライラする。
僕が帯状疱疹ヘルペスにかかって死にそうになってた時、異常に高慢な態度の高齢医師に適当な診察と適当な投薬されて無駄に長く苦しんだ記憶がある。
この記事読むとその記憶も加味されて余計イライラする。
見かけは大層な造りの大規模な病院の診察室では言葉遣いがチンピラみたいな医者に心無い言葉を吐かれて殺意が芽生えた事は一生忘れない。
医者の中には立派な人もいる。
それは間違いない。
しかし人として全く尊敬出来ない医者が多くいる事もまた事実。
精神科医などその巣窟だと思った方がいい。
そして上のリンク先のこの記事である。
以前から精神科での処方箋依存とかも含めてベンゾジアゼピン系とかの薬を必要以上に処方する精神科医が問題視されてたのもあまりにも知られた話である。
健康な人の視界に嫌でも入ってくる広告として精神科へのイメージを柔らかい表現で伝えて来る物も数多くあった。
「あなたのその不安感、もしかしたらうつ病かも、、診断はお早めに。。。」
とか。
個人によって程度の差はあるんだろうけど不安感や寂しさなどの感情は普通誰でも持ち合わせている。
不安を感じたからと言ってそれが病気というわけではない。
病気喧伝もいいとこである。
この情報操作でどれほどの顧客を獲得したんだか。。。
当時の法律上、違法性こそ無かったんだろうけどやっていい事とも思わない。
健康な人の不安感を煽り、その結果元々健康だった人まで薬漬けにして行くのが日本の精神科医療の恐ろしい実情である。
日本語では知らされない精神医学の嘘
今の日本の医療に疑問、不信感をお持ちの方も是非リンク先をご参照頂きたい。
日本の精神科医の横暴っぷり、いかに日本人が精神科医療によって誘導的に誤った常識を植え付けられているのかがよく理解できる貴重な情報源になっている。
また診療科目として精神科を心療内科と微妙に言い変え、日本人が持つ精神科への敷居を柔らかくしてるだけの話。
どっちにしても出されるクスリは同じような物である。
出されたクスリ飲んだからって治る事も無い。
逆に飲む前は無かった症状が出て来るくらいだ。
クスリ飲んで治った人がいたとすればその人は元々そんな物飲む必要も無かった人である。
入院に至っては患者を長年必要以上に無駄に入院させ続ける所もある。
入院歴20年30年はよくあることらしく、50年と聞いた時には気が遠くなるような気がした。
患者側の退院後の受け入れ体制など事情は色々あると思うが、酷い所になると病院経営者側が入院を意図的に長引かせる事もあるらしい。
経営者側による変な目論みがある場合、長期入院患者は経営者側から「固定資産」と呼ばれる。
長期入院患者が入院中何をやるわけでもない。
元々儲けさせてくれるのは制度のシステムで、経営者側に入院1日あたりに対する多様な報酬をもたらす。
報酬を見込める長期入院患者を数多く入院「固定」させておいた方が病院も安定した儲けが計算出来るわけだ。
「固定資産」と誰うまな表現で物扱いされる理由はここにある。
これって医療現場なの??
表向きは医療、本音は長期入院患者は金儲けの主要ツール 。。。
精神科医の頭の中は所詮こんな所である。
医療とはちょっと違うと思う。
相模原市で19人が殺害された事件に関わった精神保健指定医の資格不正取得の件にもそんな部分が色濃く滲み出てる。
逮捕当時の犯人の概要として
「2週間で措置入院から退院」
それ聞いておかしいと思ってた。
普通、措置入院の形を解くまでの経過だけでも何ヶ月もかけて慎重に診る必要がある。
措置入院の形を解くには精神保健指定医の許可以外に行政、市長の承認が必要だったりする。
措置入院解除⇒通常の入院⇒退院、これだけでもまた更に何ヶ月もかかる。
それを僅か2週間で退院したと聞いて最初は誤った報道だと思ってた。
措置入院とは自傷他害の危険性のある者、他者へ危害を加える危険性がある者を法律に基づいて拘束、強制入院させるものである。
法的な権限から個人を拘束する必要があるか否かをジャッジするのが精神保健指定医である。
相模原市の大量殺戮事件に関しては後の犯人を直接鑑定した精神保健指定医の存在の意味が見当たらない。
それ以前に精神保険指定医がその資格を不正取得してる訳だから呆れて物が言えない。
こうなると精神保健指定医の肩書きなど金出せば買えるようなアクセサリーか只の飾りである。
見た目や聞こえは少しカッコはいいかも知れないが中身は全く無い。
急性期の患者で適切な治療が必要な人も確実にいるのは間違いない。
その裏、日本の精神科医の無責任さに苦しんでる人が今でも数多くいるのもまた間違いない事実だよ。
日本の精神科医共よ、ここいらでいい加減恥を知ってくれ。
何となく思い出すシンシナティ・レッズ
野茂英雄さんがアメリカに渡ってLAドジャース入りしたのも、もう21年も前の事になるんだね。
その年のオールスターゲームで野茂さんがナショナルリーグの先発投手を立派に務めあげ、ストライキを敢行した事で失った全米の観客をボールパークに見事に呼び戻したオールスターブレイク以降、このシーズン後半戦の様子も僕はテレビでかなり見てたような気がする。
その中でもシンシナティ・レッズとの対戦が異常に印象深くて当時のレッズ打線もなんとなく覚えている。
覚えてる選手と(背番号)はこんな感じだったと思う。
バリー・ラーキン(11)、ロン・ギャント(6)、ハル・モリス(23)、エディー・トーベンシー(10)、ブレット・ブーン(29)とか。
(といいますか、ここで今言ってるその頃のシンシナティ打線はモントリオール・エクスポズのグレッグ・ハリスに抑えられた打線と言った方が伝わり易い方も多いかと)
もちろんバリー・ラーキンはシンシナティ生まれのフランチャイズプレイヤーで殿堂入り選手でもあり、ビッグネームである。
しかし当時のレッズ打線の中で僕に異様に強い印象を植え付けたのはなぜかハル・モリスであるw
名プレイヤーのラーキンを差し置いてどういう訳だかハル・モリスである(汗)
モリスのポジションは一塁手、左投げ左打ちの選手で左バッターボックスに入ってもホームベースから極端に離れて構えてたような気がする。
その離れた位置からピッチャーの投球モーションに合わせて一歩二歩ホームベースまで歩きながらテイクバック取ってボールを見るという何とも難しくて難解な事をやるメジャーリーガーだった。
でも素人目にそれが様になっててほんとカッコよかった。
多分他人に難解に思われてたとしても、これがモリスにとって一番タイミングが掴み易い方法なのだろうね。
因みにハル・モリスはシンシナティでかなり長くプレイしており、実績も相当な物があった筈。
野茂投手スターター試合を観てる最中、モリスの打席で野茂投手が投げた内側高めの真っ直ぐをライト方向一直線に「ガツーン!!」って持って行かれたけど打球はポールの右。ジャストファール。。。
いかにも5番打者って雰囲気だったけどそこがまた僕にとって魅力だったりしたw
モリスとは全く切り離した話だけど、後にメジャー昇格してレッズ打線に加わるアダム・ダンタイプのロマン砲の魅力というのは本当に堪えられない魅力があるw
ハル・モリスは日本人にとって殆ど馴染みは無いかも分からないけどシンシナティの人達には未だ根強い人気がある。
あとエディー・トーベンシーはその4年後(1999年)にはレギュラーシーズン20本塁打もクリアして打てて守れるキャッチャーへと進化して行った。
僕はトーベンシーに関してその何年も前から
「この十分な体格と無理のないバッティングフォームでなぜ本塁打が少ないんだろう?」
と不思議に思ってた。
それだけにトーベンシーのこの4年後の打者としての成功は本当に嬉しかった。
セカンドのブレット・ブーンは後のマリナーズ黄金期を迎えるメンバーの一人となる。
実弟のアーロン・ブーンはシンシナティーからニューヨークヤンキースへ。
こないだのWBCでブラジル代表監督としてバリー・ラーキンさんのお顔をテレビで本っ当に久しぶりに見れた。
嬉しかった。
嬉しく思いつつ無意識にバリーラーキン→ハル・モリス→エディー・トーベンシー、と意図せず勝手に次々脳内リンクされるという変な現象が起きる。
変な現象というか、多分僕は今でもその時代のシンシナティ・レッズも本当に好きに違いないんだ。
好きでなければ当時のメンバーをここまで覚えてる筈が無いよ。。。(遠い目)