大学は何のために行っているのですか?

私は2024年5月13日時点で大学4回、入学してから6年目になります。

もうやめる予定です。学問を十分に学んだからです。

大卒をとるために大学に行く人が多いようですが、ぼくは大学についてもっといろんな視点で考えるべきだと思います。

 

コンビニでよく一番くじってやっているじゃないですか。1回700円でできてA賞からG賞までの景品がもらえるみたいな。で、お店にあるくじの最後の一つを引いたらラストワン賞なるものがもらえるっていうやつ。

ラストワン賞は大学でいうなら大卒資格です。大学が指定した単位数すべてをとった時点でもらえる賞。

ぼくはラストワン賞(大卒)が欲しいじゃないんですよ。A賞とかG賞とかの景品が欲しいんです。つまり、

学問を学びたいだけなんです。学問を学ぶために大学に行ったんです。

大学とは

みなさん、大学に行ったことはありますか?

僕は今大学4回生(半年休学、1年半留年、入学して6年目)の24歳です。

6年間大学にいて思ったこと、それは

大学とパチンコ店は非常に似ている!

これは堂々と胸を張って言えます。

では、このでかくて太い文章について詳しく解説します。

 まず、大学の定義についてはネットやどっかその辺に色々と書かれていると思いますが、それはそれとして、ここでの定義はざっくり「講義を受ける場所」としましょう。

 次にパチンコ店の定義について、そこらへんのおっさんに聞いても教えてくれると思いますが、それはそれとして、ここではシンプルに「パチンコを打つ場所」としましょう。

 

類似点①

大学は18歳以上から入学できます。パチンコ店も18歳以上から入店できます。

当たり前です。

 

類似点②

 大学で講義を受けるために借金をします(全員ではないですが。私はしています。)。パチンコ店でパチンコを打つために借金をします(全員ではないですが。私はしていません。)。

あるあるです。

 

類似点③

 大学で講義を受けるというのは、お金を払い、講義に出席し、パソコンをカチカチし、課題をこなすということです。そして最終的に得たいものはそう、単位。もらえないときもあります。一定数単位をとると、大卒の資格がもらえます。会社に入って働くと大卒としての給料を受け取ることができます。(たぶん)

 パチンコ店でパチンコを打つというのは、パチンコ台に座り、お金を払い、ハンドルを回し、当たりをだすということです。そして最終的に得たいものはそう、パチンコ玉。もらえないときもあります。一定数パチンコ玉を得ると、景品に換えてくれます。景品には日用品やお菓子などもありますが、ほとんどの人が金貨の入ったプラスチックのカードに換えます。そのカードをパチンコ店の外にあるとされている交換所に持っていくと、お金を受け取ることができます。(これは経験済み)

 結局どこが似ているのかというと、大学でもパチンコ店でも資格や景品をもらえても、お金をもらえることはないのです。

 

 

僕がなぜこんな記事を書いているのか。大学に行く理由がなんか学歴とか就職とか収入とかそんなんを気にしたものばかりだったので。別の考えがあるんじゃないかと。じゃあそもそも「大学に行く」ってどういうことなのかをパチンコと照らし合わせてみました。とりあえず大学について考える材料になってくれたらなと。それだけです。

 

 

 

 

時間を使う

時間に使われていないか?

朝だからコーヒーを飲もう。

夜だから飲みに行こう。

んんんんんんんん。

何が言いたいって、時間は使ってなんぼじゃねって思うってこと。

例えば友達と駅で10時に待ち合わせをするとして、自分はちょうど10時に着いたけど、友達はまだ来ていない。

この時どうするか。

これは偏見かもしれないけど、この時「おせーなー」って言ってイライラする人は時間に使われている人。

ぼーっとしているのは時間にとらわれてないっていうか、時間を意識してない人。

友達が来るまで近くの本屋で暇をつぶす人は、時間を使っている人。

うん、偏見やで。

じかんを使うってなかなかむずいよね。何がむずいんやろ?

なんかスマホを使うとかお金を使うとかそんなんより、難しく感じる。物体として目に見えないからかな。勝手に進むものだからかな。でも時間が過ぎるのが遅く感じることもあれば、早く感じることもある。時間てなんや。時間を意識するとやることをめいかくにできない。やることを明確にすると、

何か移転根やろ。

 

おわり。

 

 

自分にとってやって良かったこと

習慣的にやっておきたいことがある。

 

1.週1回新しいことに挑戦する。

2.メールなどの連絡はその日のうちに早めに適当に書いて送る。

3.朝散歩

4.温泉

5.心の整理

6.神社参拝

7.ちゃんと寝る

8.お金に感謝

9.

The Psychology Of Money

何らかの物事に楽観的になればおおよそうまくいくことが多いらしい。『the psychology of money』という本の一部で紹介されていた。悲観論の対になるのが楽観論である。筆者が考える楽観論は、「すべてうまくいく」というものではなく、「たとえ途中で挫折したとしても、長い目で見ればうまくいく可能性が大きいのだから、その可能性を信じる」というものだ。

私は思った。「楽観論=まぁ何とかなるっしょでもいいやん」と。"すべて"というところが慢心につながる感じがあるのかな。まぁ、すべてってなんやねんって話だし、そのあいまいなものがうまくいくって考えてるんやったら、意味わからんもんね。慢心なんや。んー。可能性を信じるっていうのが肝な気はするなー。

ぼやき 1

自分にわがままになってみる。最近自分を押さえつける、頭で考えすぎるというか良い悪いの判断基準で行動することが多くなっているように感じている。なぜだろう?おそらく、「自分の中にあるものを曖昧にしている」 + 「周りのことに対しては敏感になっている」。つまり、自分の中の曖昧な感情を本やネット、世間の基準ではっきりさせようとしている。その方が頭にとっては理解しやすいから。ただそうすると何か問題が生じる気もするんだよな。頭が心に強いる。つまり、んー。心って時間が経つと変化するものだ。その変化を頭で押さえつけるっていうことが起こってしまう気がする。これが問題なのか、何の問題があるのかわからない。わからん。そういう感覚が大事な気もする。わからんということが。言葉って便利やし、スマホも便利やし。だからこそ、言葉ってなんだっけ、スマホってなんだっけ? そういう問いかけが大事な気もする。ばかばかしい問だと感じるかもしれない。でも、学生時代誰もが問いに答えを出してきたはずだ。問題集、それは、頭の良し悪しに関わらず、点数の高低に関わらず。問いに向き合う時間が多ければ、良い成績が取れるじゃない?自分の身近に触れているもの、自分の何気ない行動に、問いかけてみる。?????

めっちゃ地味だけど、そういう地味なことを続けることが自分を劇的に変えることだってある。

考えはシンプルに。発想は自由に。