小学5年生のとき

 

妊娠したことで母は実家に帰り、父は夜勤で朝まで帰らないから、俺は10時まで塾で勉強した後、2時くらいまで深夜徘徊に繰り出す習慣があった。

 

誰にも咎められることなく、駅の立橋、柳生橋近くの高架下、小学校のピロティ(そこのほんの一部分だけwifiが使えて3DSのフレンドリストで友達とチャットができた)

とかを回っていたが、f:id:koaisonline:20230404033931j:image
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それに飽きると、イヤホンで音楽を聴きながら自転車を爆走させ、(深夜だからイヤホンを着けながら爆走しても危なくない、と思った。実際は何度も事故りそうになった) 国道1号線の果ての果てを目指そうとしたりした。

 

本当は小学校の決まりでヘルメットをつけなければならないけど、つけない方が気持ちいいし、自由になりたかった。いろんなしがらみ、家庭のこと、くだらないルール、愚かな大人にガキだと思われていること とか そういうの

 

その時はイヤホンでsupercellを聴いていたと思う、他にはハチとかbad apple!!とか

たぶん、夜中に外に出てる俺かっけえ...みたいなのから始まったと思うんだけど、何にもとらわれずに、ただ夜風を受けながら自由に走り回って、まだ見たことのない場所まで、そして自分のかっこいいと思う場所で、かっこいいと思う音楽を聴いて過ごすみたいなことに、いつの時か、確かに幸せを感じていた。

 

 

俺の敵は家庭環境だった。しかし、6年生になると、ある形でその問題に一応のケリがついた 俺が深夜に徘徊することもほぼなくなった。

たぶん、また行こうと思えば行けたとは思う。

しかし、成長すればするほど身の回りの世界は小さく見えて興奮しなくなっていったし、自分のパソコンを買って好奇心はもっと広い世界に向かっていったし、何よりも、家庭のしがらみに囚われていたからこそ俺が渇望していた自由は、親と別居することによって、一応の形で叶えられてしまった。

だから、衝動は霧散してしまった。

 

そして今、二度とあの時と同じ幸福感を感じることはできない。あれはあの時だったからこそあった幸福だ。

 

 

このエピソードから言いたいことがふたつある。

これが幸福と不幸が表裏一体であることの証しであること、

そして、二度とあの幸福を味わえないことは悲しむべきことではなく、むしろ自分は既に満足しており、これ以上は幸福も不幸も、何も求めていないということである だから、俺は喜んで死ぬことができる。

 

とは言いつつ、今日の夜、一瞬だけ、今の自分ならあの徘徊の最中にイヤホンで何を聴きたいか考えてしまった。

きっと面白いと思うから、この記憶を掘り返して、ここに残しておこうと思う。

‎個亜の「nightfly」をApple Musicで

Amnesia Scanner - "Another Life"

なぜ今更このアルバム?

 

眠れなくて7時とかになった朝とかに聴いてるともう絶対眠れないけど、一番気持ちいいやつ

 

人が電車に轢かれる時、ぐもっちゅいーーーーんって音が鳴るって言われるけど、これはまさにそういう音 俺はこのアルバムを聴くたびに自殺を擬似体験している another lifeに っていうのは冗談で、実際には自殺を免れている

 

好きなとこ、『AS symmetrial』のうめきは本当は「all of us are beautiful」と歌ってるところ、ハミングとキック、最後『AS Rewild』で泣かせようとしてくるとこ

 

 

2021/01/16

最近、俺とお母さんが手を繋いで帰っていたときには木下理樹がアートスクールで歌っていたということを考える

 

何見てるんだ 去れ

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旅行に行ったり好きな人に会いに行ったり成人式に行ったりすることは実際にはすべて、かつてあった何かをひたすらなぞりつづける妄執からしていることにすぎない 本当に欲しいものって無い フラッシュバックする景色を追い求めつづけてるのに、正しいと言えることはその出来事が確かにあったということだけだから

 

情景とか感触の記憶とかは捏造されたものでしかない でも、これにしか縋ることができない 俺はいつも保育園の帰り道の銀杏並木と、渥美線の線路を跨ぐ陸橋を思い出す

 

渥美線はもうないけど、その陸橋は今もある でも当時の姿ではないf:id:koaisonline:20220116061655p:imagef:id:koaisonline:20220116062019j:imagef:id:koaisonline:20220116062148j:image

 

この前バイトでひたすら皿洗いをしているとき、幸せを感じていた 俺はお母さんを愛する気持ちからも憎む気持ちからも解放されていた あえてバイトを始めたのは自己破壊だった 部屋で腐っているよりも、もっと他人がいて、トラブルがあるような環境に自分を放り出したかった バイトが苦になって自殺を考えるようになればいいとすら思った これは自己破壊だったが、過去をなぞり続ける妄執とはひたすら真逆に走り続ける破壊だった そういうふうにしたくなる、つまり、自分を死へと追い詰めようとする時期がたまにやってくる その後俺は息苦しくなって生きようとしてそれをやめて、また殻に閉じこもる これがお決まりのパターン どこまでも情けない 

 

お前が俺のペニスをしゃぶるんじゃないのか

 

俺とあなたがいたということの証明は目があったときの一瞬の輝きで十分であって、ほかの何にも価値はないと感じる ただ一瞬だけ目を合わせれば、永遠に残るものがある 脳が侵略されています 助けてくださいf:id:koaisonline:20220116063055j:image

 

 

天国でも会える? 会えるならそれで良い

 

 

1年前のこと (2001/09/09~2018/10/31)

 10歳?のとき親が再婚し、新しく来た人が妊娠したんだけど、もともと俺はその人との再婚に反対していたこともあってすぐに仲が悪くなっていった。
その時には既に人生は生きるに値しないと思っていたし、大人のよく言う生きていればいいこともある、などという言葉に説得力はずっと無かった。
苦しみを感じている当事者にとって、よろこびと苦しみがつりあわないことが問題なのではない。苦しみが"ある"こと自体が問題なのである。そもそも生きることのよろこびと苦痛は相殺しあうものではない、同じ秤にかけることのできないものだ。
苦痛は大小問わず、たとえどんなに生きるよろこびを感じていたとしても自殺を選択する理由になりうる。
 「生きていなければその喜びを感じることはなかった」、「生きていなければその苦しみを感じることはなかった」 の選択の話や、その選択の非対称性についてはよく語られている。

 

  もう俺は生きることすべてに、息を吸って吐くことにさえうんざりしていた。(肉体を持つことは最上の存在のよろこびであるはずだったが、そのよろこびは次第に霞んでいってしまった。)
あらゆることが俺を苦しめるし、そうである以上俺も誰かを苦しめることを避けられない。俺は生きることが怖いし、俺が生まれてこないほうがよかったのと同じように、生まれてくるその妹も俺みたいに苦しむくらいなら生まれてこないほうがよかったはずだ。子供は子供の意志で生まれてくるわけではないからなおさらである。
 俺は大人になどなりたくない、俺はもう苦しいから、そして誰かを苦しめないために、死にたいし、死んだほうがよいし、死ななければならない。

 

 大人は無自覚である。彼らは俺含むこの世界の誰かの苦しみの元凶であることに無自覚で、生きていればいいことがあると自分に言い聞かせすべてをごまかして生き続け、挙句その子を生み世界の苦しみを増幅し続けている。

 

 彼らはそれを指摘されるのを嫌う。
「大人って生きることっていう間違いを認めることができなくなって自殺できなかった死に損ないどもなんだ 早く自殺して勝ち誇りたい
大人の方がより多くの業を重ねているのに俺をそんな目で見ないでくれ。」

 

 そういうわけで、小学校中学校と、「人生どうでもいい、死にたい」と思ったときには親や教師に殴りかかりに行った。
俺は悪い大人を片っ端から殺していくよりも自殺するほうを選ぼうとしたけど、全然気がすすまないから焦っていた。
(小6の冬から親と離れて暮らし始め、早く死ななければならないと考えていた一方で心の辛さがなくなってしまい後ろ向きなことを考えることができなくなってしまった、
悪いほうにいくことで自殺できるのではないかという雑すぎることしか考えられなかった)
 殴る時、嫌いなやつに八つ当たりをする感覚だった。これは感情をぶちまけたものでしかないし、ストレス解消に殴っていたようなものだから結構反省した。
殴りながら泣いて絶叫していたりして情けなかった。

 

 一年前の10/31はもっと意志があったように思う。前日に処方された薬でラリっていた俺は明らかに神経が過敏になっていて、
誰かに見られること、誰かを見ること、誰かの声が聞こえてくること、学校にいれば避けられないそういったすべてに耐えられなかったからイヤホンをしていた。
 この日の一番の過ちはそのような状態で登校してしまったことだと後となっては思うし、あとはひたすら運が悪かった。
 イヤホンをしていたところを教師に注意されてしまった。今までそんなことを注意されたことはなかったし、
最初は聞こえなかったので気づかなかったんだけど腕を掴まれたので驚いた
俺に話しかけないでほしかった、顔を見ると知らない先生だった 知らない人に話しかけてこないでほしい 知らない人の腕を掴まないでほしい
知らない先生だったが、体育の教師をしてて偉そうで見下した感じのなんとなくムカつく顔をしているというのは見たことがあったし、
声が大きい感じも、知らない他者の腕を掴む"無自覚"な感じも、俺に殴られるなんて1mmも考えてなさそうな感じがしたから、
教師と生徒という学校の中での関係以前に我々が持つ暴力で相手をどうにでもできるってこと、誰かに触れること、もっと言えばお前が存在すること自体が他者を傷つけうることを俺がお前を殴ることで教えてやろうと思って顔を殴った。
めっちゃびっくりしてたしちょっとキレてたのでウケた もうこいつがクソにしか見えなかった 無自覚と尊大さと醜さが露呈している
その後生徒指導室でいつもお世話になってる生徒指導の教師に何をやったのかわかっているのかと言われたのでこいつの首を絞めた。
それをいかつく尋ねてくる感じから説明してもわかってはもらえないだろうなっていうのはわかったし

俺はこういう質問が本当に嫌いだったから どういうつもり?とか何したかわかってるの?とか今何時だと思ってるの?とか いや悪いのは俺なんですけど、
それって自分の不機嫌を示して相手を制圧するための質問じゃん 答えなんて聞いてないんでしょ 追い詰めて自分が優位に立とうとする魂胆が気に入らない 醜い

 

 で、学校を退学になった

 

 大人嫌いは今もどうにもなってないし、大人を殴ることがやめられなかった 当然殴って何かが伝わるわけがないし、キレてるあの教師を思い出すと少しむなしくなるけど
俺だってどこまでも他人のことを想定しない人間で、それも自己中心的な人間の種類のひとつだと思う
俺が他者を想定しなくなったのは、もともとは死んでしまえば他人のことなんてどうでも良いって考えからだと思う
いろんな人に自殺したら悲しいと言われてきたけど、俺が死んだ後も世界が続いていくという実感覚はない(俺の意識と一緒に俺のいた世界もふっと消えると思う)

 

 ちなみに、高校の入試を受けるのにすごくためらいがあった。
俺は入試を受ける自分に納得するために一度自殺を試みている実際に入試の前日に自殺を試みたけど怖かったのでできなかったからという話である。
バカなので俺はこれを入学時に提出する400字原稿に書いたのだが教師たちには読んでいただけたのだろうか。


 繰り返すようだけど俺にとっては生きることは悪で死ぬことは善である
友達が最近の楽しかった話、嬉しかった話、幸せなことを聞かせてくれるたびに、母と一緒にいたときのことを考える
俺は5歳までお母さんがいて幸せだったけど、それが離婚と再婚によって失われてしまった
そして、俺は小6のときに親と離れることで苦しみから解放されたが、俺は死ぬことを指向してもはや幸せを受け止めることができなくなっていた
俺の幸せは母と一緒にいたときにあったようなもので、幸福は子供の俺にのみ許されたものであった

 

 


俺はもう考えることが苦手になっていて、これも小学生中学生の時に考えたことを書き残したもので、きっと今の俺を12歳の俺が見たらぶち切れるだろうし、せめて残さなければと思って書いたもので
別に自分のやったことを正当化するわけにこれを書いたわけではない 自分のやっていることに割と素で引いている でも同じくらい俺には何が正しいのかわからん

でさあ 俺の書いたことってベネターとかショーペンハウアーとか仏教がもう言い尽くしてることで
自分の考えることってだいたい先に誰かが言ってる なんか悔しいよね
現代思想の反出生主義特集ぱらぱらっと読んだけどこれと似たようなことが細かく書かれているし、なんなら倫理の教科書にも似たようなことが書かれているよ

疲れた