その後の食卓

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オイスター『全自動精液便所』

 2022年、表現の不自由が課題とされる最中でもオイスターは変わらない。それどころか、研ぎ澄まされた残虐性は常に過去より更新し続けている。鬼畜漫画のパイオニアは他の追随を許さない。その孤高は、本作品においても健在だ。『全自動精液便所』という身も蓋もない題名に笑みがこぼれるかもしれない。「ひ…ひどすぎる!!!」という帯のアオリもその一役を買っている。が、笑っていられるのも最初だけ。表紙を開けば200頁弱の地獄が待っている。

 当作品のヒロインは2名。彼の作品はひとりを徹底的になぶるものと、ふたりの関係性に焦点が当てられるパターンが多いが、表紙からも分かりやすく今回は後者だ。だが、その関係性は既存の作品を見ても類を見ない。彼が描く陵辱は、日常や人間同士の関係性を断絶するものとして描かれる特徴があり、過去作では親友を地獄に落とす展開があったものの、終盤は変わらぬ友情によって悲劇的に映されていた。今回はそのような同情の余地もなく、憎み合う姉妹像が序盤から描かれる。

 姉の紗季は貞淑な妻だが、対照的に妹の寧々は奔放で、幼い頃から姉が持つものを奪い続けていた。紗季の旦那もそれに漏れず、奪わんとアプローチをかける。その中で、オイスター恒例のモンスター(=オイスター作品において強者とされる存在)が現れる。旦那が不在の家庭に脂ぎった巨体の中年が押しかけ、挨拶もそぞろに紗季を乱暴にする。序盤から陰部をピアッシングし、容赦がない。旦那より遥かに太く長いイボイボの棒に両穴を何度も突かれ、泡を吹いて紗季は失神する。何事もなく男はいなくなったが翌日また現れ、その凶暴さに抗えない紗季は身体を許し続ける。その光景を偶然、天敵の寧々が目撃するが、男の息子兄弟によって彼女もまた乱暴されてしまう。
 紗季は規定外の浣腸を受けて脱糞し、我が家を茶色く汚したまま、姉妹まとめて拉致される。

 紗季と旦那や、寧々も含めた日常としての家族風景は彼の作品では恒例だが、今作ではモンスター側も家族を形成しヒロインらを招き入れる。それは前作『畜生腹』でもあった手法だが、日常としての家族が非日常のそれによって破壊される構図は、近年の彼らしい作風といえる。また、モンスターの生息地はこれまで人里離れた山奥や小屋など、クローズドな場所が中心とされてきたが、17年作『肉穴苦界』以降は街としてのコミュニティが浮き彫りになる。モンスターを取り巻く環境そのものが非日常な地獄に溢れ、ありとあらゆる暴力がまかり通る世界。ポップな言い方をすると、オイスターランドと言っても良い。本作は、そのモンスターが暮らす家庭と、非日常を纏う地域が舞台として転換する。

 貞淑な様子と豊満な肉体を中年男に見初められた紗季は妻として、反抗的に振る舞う生意気な寧々はペットとして兄弟たちに可愛がられ、彼らの家族の一員となる。早い段階で中年の男性器に順応していた紗季は、対照的に暴力を受け続ける寧々をあざ笑う。
 そして、寧々を従順なペットとするために、紗季は彼女の額に文字通り「犬」と入れ墨することを強要される。自ら手を下すことを躊躇う紗季だが、同じ入れ墨を受けたいかと脅されるや、せきを切ったように寧々の肉体を傷つける。麻酔をつけずに肉をえぐる。「お前が悪い」と連呼しながら、後背位で息子の折檻を受けながら。
 妹の報復を恐れた紗季は不安定な精神状態に陥る。そこで夫と息子たちは、家族の上下関係を分からせることを提案する。ペットはペットの立場であることを身をもって知らせれば、仕返しされることもない。犬が吠えてくるのは調教が足りないからだ。兄弟たちのように躾をしてやれば、お前に吠えてくることもなくなる。だから、逆らう気がなくなるまで殴り続けろ。
 タオルで顔を隠される寧々を前に、拳を振り上げる紗季はかつての夫の姿を思い出し、もう後に戻れないことを認識する。寧々の顔が腫れるまで殴り続け、奪われ続けた関係を逆転させる。
 ここからヒロインがモンスター側に転じ、新たな家族像を生み出す展開を一瞬期待するが、そのような現実はありえない。彼の作品にドラマ性は持ち込まれない。作品は無情に続く。

 家族の一員として、自慢の妻として振る舞う紗季が、地域の住人たちにもお披露目される。街中の男が中年の家に押しかける中で、紗季は一升瓶を肛門から飲み干し、小便を吹くパフォーマンスをして喜ばれる。夫との営みも見せつけ、興奮を抑えきれなくなった訪問者のひとりが許可なく彼女の空いていた穴を利用する。射精のたびに3万を支払うことで了承した訪問者は、何度も果てた後に夫の暴力を受けて死亡する。当然のように、イリーガルの中でも強者と弱者が分かれる様を、妹を殴ったことで理解した姉は笑って眺めて悦に浸る。自分はうまくやっている。妹のようにはならない。
 兄弟の調教を受け続ける寧々は、街の子どもたちのおもちゃにもされる。尿道開発、2本同時入れと、痛みを伴う陵辱をひたすら受け、失神寸前まで追い込まれる。姉との扱いの差を感じながら、自身が持つものが姉と比べみすぼらしく思えて、奪い続けていた過去を思い出す。自分は悪くないのに。グズの姉が自分より良いものを持っているのが悪いのに。

 紗季は淫らな妻として、寧々は便所犬としての役割を果たし始める。だが、この世界でその差は大したものではないとすぐ明確になる。寧々は路上で野糞を命じられ、紗季は彼女の汚れた肛門を舐める。そこに街の男たちが群がり、見世物が始まる。姉妹同士の交わりはやがて、互いの恥部を噛みつき、穴に拳を突っ込み合う喧嘩に発展し、小便かそれ意外の液体を巻き散らかして周囲を喜ばせる。
 互いの性感帯を破壊しながら罵倒し合う。死ね、と言い合う。その姿はそれこそ、ふたりに残された人間らしい一面だった。極限に残された感情がぶつけ合う行為も、つかの間の一時として過ぎていく。

 その喧騒に招かざる客が現れる。以前、紗季を使った報いで殺された訪問者の妻が報復にやってきたのだ。
 そして、その混乱に乗じて、紗季のかつての旦那もふたりを助けるために姿を現す。だが、変わり果てた姿を見られたふたりが正常でいられるはずがなく。また、そこが踏み込めば最期の戻れずの街だと、彼は知らなかった。
 呆気なく男たちに見つかった彼は、気の狂った老婆に犯されながら、目の前で姉妹の陵辱ショーを鑑賞させられる。精力剤を打たれた状態で得体のしれぬ老婆に腰を振られ、愛した妻は汚らわしい中年に大穴を貫通され、可愛らしかった妻の妹は二穴を突かれ続ける。どうにもならないことを悟った彼は放心状態で射精する。三者三様の叫び声が響き渡る。

 紗季は、元夫が壊れていく様を見て、自分らが受ける喜びを理解してくれたと幸せに想う。すべての排泄を受け止める便器となることが幸せなのだと。
 そして、その役割を果たした後に捨てられれば、また会えると。

 家族や絆が、全てが意味をなさないものとして崩れていく。
 仲の悪い姉妹はもとより、母や犬などは都合の良い記号でしかなく、彼女たちの最大の役割は排泄を受け止める便所でしかない。
 彼女たちがそこで生きるためには、便所になることしかないと伝え、作品は終わる。

 強者と弱者と、覆らない現実は彼の作品の共通のテーマだったが、今回は弱者の終着点として「便所」という役割を提示した。もはや利用されることが喜びの道具にまで人性を叩き落とす。もはや、そこまで到達してしまった。彼の作品は残酷でも、当事者を殺すことは滅多にしない。また、思考停止すら許さぬ厳しさも持ち合わせていたが、いよいよ「道具」として生きる未来を描いてきた。奴隷や商品と並んだ、新しい可能性。彼の世界に新たな役割が生まれたともいえる。無論、便器という表現はくり返し使われてきたが、重要な点はそれが植え付けではなく、自覚させるところにある。モンスターらは自らが気持ちよければどうでもよく、彼女たちを使うことしかしない。最終的に自らを何として生きるのかは、その当事者に委ねられている。今回はたまたま、便所という収まりの良いところを見つけたに過ぎない。妻としてやペットとしてではなく、一個の便所と自覚した方が今は幸せだと、当事者らは想うのだ。
 逃げ場のない地獄を、受け続ける排泄に、そうやって彼女たちは活きていくのだと。