週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

遺跡の宝庫さがみはら 旧石器ハテナ館

相模原市の旧石器ハテナ館でミニ展示「遺跡の宝庫さがみはら〜実はあるんだ弥生時代〜」とミニ展示「今月はこの逸品!考古市宝展」と常設展示を鑑賞した。旧石器ハテナ館は全国的にも数少ない旧石器時代をテーマにした施設で、正式名称は史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館。約2万年前(旧石器時代)の建物の跡「住居状遺構」のレプリカのある史跡田名向原遺跡公園と県道48号線を挟んだ向かい側にある。

相模原市には500以上の遺跡があるが、弥生時代は遺跡の数も少なく、あまり知られていない。ミニ展示「遺跡の宝庫さがみはら~実はあるんだ弥生時代~」では、神奈川県指定重要文化財(考古学)の津久井郡三ケ木(みかげ)遺跡出土品と相模原市指定有形文化財(美術工芸品)の中野大沢出土の弥生土器を展示。

三ケ木遺跡出土品は、1958年(昭和33年)県立津久井高等学校校庭拡張工事の際に出土した弥生土器で、南関東弥生文化が伝わった弥生時代前期末から中期前葉(約2300〜2400年前)、南関東では最も古い段階の弥生土器で三ヶ木式土器と呼ばれる。この土器は、条痕文と呼ばれる筋状の地文を施し、再葬した人骨を入れていたと考えられている。

中野大沢出土の弥生土器は、土器に貼られたラベルに「昭和38年(1963)4月16日に土地所有者の畑地から道路工事の際に出土し、市立(旧町立)中野中学校に寄贈された」とあり、津久井町中野(現緑区中野)の東大沢地区における道路工事で発見されたと考えられる。口縁部から頸部上半を欠く以外は完全な形を残す壺形の中型品で、器面の文様は、胴部に肋条の発達した二枚貝の腹縁による条痕文、頸部から肩部にかけて櫛歯状工具による横線文及び波状文が施されている。弥生時代中期に東海地方からもたらされたことが考えられ、再葬墓に利用されたと推測される。

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相模原市弥生時代前期末葉から中期初頭の遺跡としての山間部(津久井地区)の三ケ木遺跡、中野大沢遺跡、川坂遺跡をあげ、山麓からの沢筋の湿地を利用した集落の存在を示唆する。おコメもあったようだけど、キビやアワなどの雑穀を主に栽培していたんだって。

本展で展示された川坂遺跡出土の弥生土器は、昨年の相模原市立博物館で開催された考古企画展の弥生時代のコーナーでも展示されていた。

今月はこの逸品!考古市宝展「伏甕」

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