おひさしぶりです
すこしごぶさたになってしまった。
2月の身体能力が高すぎて、走ってもついていけなかったのだ。
所用がありしばらく実家にいたので、そのさい撮った狛犬を。
ちょっとつっこみたくなる、愉快な面々をピックアップするよ。
まずは、こちらのりりしい狛犬。
ぎょろりと剥いた目、裂くのにてきした大きな牙、爪。ぶるってしまうね。
しかしよくみると、耳のしんなり薄い質感がかわいい。
足許では、子犬もぐっとにらみをきかせている。
ところがこの子犬、
どうやら下半身がないのだ! 影になってしまっているから、アップをひとつ。
おお、あちらがわが透かしみえている!
ふと、てけてけという妖怪を思いだしたのであった。
ちなみに、相棒はこんなかんじでした。
胸をよせて柔らかそうなようすが、ちょっとセクシーだね。
おつぎは、衝撃的な事件の報告です。
いぜんから気持ち悪い気持ち悪いといって憚らない、こちらの狛犬を覚えておいでだろうか。
金いろの目がピカーッ!
なんと、こいつに酷似した狛犬を、やや離れた地で発見したのだ。
それがこちら。
さきの狛犬のほうが、顔の溶けぐあいがすごいけれど、こちらもこちらでえげつない顔である。
お相手も、いいぐあいに気持ち悪いぞ。
ここからは恒例の「ことばはいらない、ただひたすらにみつめ、気持ち悪がってください」でいきましょう。
うう、すさまじい破壊力だった。
だれがつくったか知らないが、作者、干されなかったんだね。
地元の名誉のために申しますと、かわいい狛犬たちももちろんいました、またこんどご紹介!
さて今年にはいってから、Tycho、Faith No More、そしてIncubusのライブへいってまいりました。
Tychoはうまく最前列がとれて、うっとり聴き惚れた。
Faith No Moreでは、人生初の生パットン様で、卒倒するかとおもったぞ。まるで狼のようだった。
Faith No More:Evidence(1995)
そして、高校生のときから、もっとも愛していて、すでに人生の一部なIncubus!
幸せなことにライブは3度目、こんかいは2列目でじっくりみられました。
Incubus:Absolution Calling(2015)
公開されたばかりの、新曲MV。Incubusの音楽と歩めるこの人生が幸せ!
つめ
いぜんこんな狛犬をご紹介したのを、覚えておいでだろうか。
そう、フレディさんとなづけた、爪がするどい子犬である。
あなたは呼んでません。
狛犬いろいろ爪もいろいろ、
こんかいは、いろんな爪をとくとご覧あそばして!
まずは、爪に魅力をかんじるきっかけとなった、この狛犬を。
ささ、おみせなさい!
おお~! とってもこまかくつくられている!
これをみたせつな、「そうか狛犬とは爪のさきまで愛でるべし」と学んだのでありました。
ほかの狛犬も、爪を観察してみましょう。
間抜けた表情もみどころだけど、飾りみたいにきれいなカーブの前足、爪まで一体となってなめらかだ。
偉そうないずまいのわりに、足のさき、爪までちんまり丸っこく、かわいいので笑える。
それにしても、アニメやゲームにでてきそうな顔をしているなあ。
ぴんとはねた前足。台座におさまらなかったのかな、いやいやけして設計ミスではなく、茶目っ気なのだ!
爪は後ろ足にぽちりとあるていど。前足のつるつるぐあい、たまらん。
こちら、ながくてきれいな爪。子犬のえがく曲線とあわせて、流れるような造形がすてき。
もっともかっこいい、秘蔵っこがこちら!
おおきくて肉感的な前足、ちいさな爪は品があってよろしい!
やわらかさと雄々しさがいっしょになった、すばらしい前足の持ち主くんだ。
しかしながら、いざ神社へいくと、爪まで気がまわらないこともしばしば。(あせりがちな性格なのだ。)
見逃さないよう、気をひきしめていかなきゃ!
Michelle Branch:Loud Music(2014)
だいすきなミシェル・ブランチ。はじめておこづかいで買ったCDは、彼女のデビューアルバムだった。
あ、これもついでに!
Ryn Weaver:OctaHate(2014)
いぜんも載せたことがある曲だけど、TV初出演をはたしたそうで、その映像を。リンちゃんおすすめ!
あわあわ
あわあわあわただしくって、困ってしまう。
おちつくまでの、がまんがまん。
いぜんたちよった神社を、ちらりと。
年も新たになったのに、去年の赤い葉がまだしっかりと掴まっている。
去年、去年というと、古文でおそわった「去年」を「こぞ」と読むのが好きだ。
こぞ。かわいい。こぞがこぞって、とか言って擬人化するの、たのしい。
あと「徒歩」を「かち」と読むのも好き。
「かちよりいでて」って、現代人の歩きかたとちがった、ひょこひょこ気楽な歩調を想像してしまう。
よくみるかたちの狛犬だけど、その肌がすんごいことになっている。
写真ではうまくつたわらないが、それはもう目の醒めるような黄緑いろだった。
これは、纏っているとみればよいのか、蝕まれているとみるべきか。
これだけではさみしいので、近所の神社にいる牛さんを置いてゆきます!
やわらかな眼差しだ! 技巧に富んだものもよいけど、こういう素朴で優しい顔だちは、ほっとする。
はやくまた、狛犬狩りを解禁したいなあ。そわそわ。
Peaking Lights:HEAVYSITUATIONS(2015)
今回は、曲、ではなくてMIXだ。
Peaking Lights という夫婦デュオが、ロンドンのファッションブランド「Oki-ni」に提供したMIX…らしい。
彼らによると、UFO Psych、Spaceship Rock、Pseudo New Age、Grooved-Out Moon Jams、Anti-Gravity Jazz…などなどを取りいれたそうだけど、「?? そんなジャンル初耳!」というかんじである。ああ浅学。
とにかくサイケなムードのフォーク、ロック、ジャズで、飽きない1時間、22曲だ。
欠け
今回はとくに、身体が欠けてしまった狛犬をまとめてみます!
神社で行きあうと、なかなかどうして、目を奪われる。
薄暗い神社の、ひっそりした片隅で、
ごっそり顔が落ちている。いちど、首もとれてしまったようだ。
こちらも、ごっそりと。足許にはきつねさんたち。さみしくないね。
かろうじて残った目が、らんらんとしている。
こういうのをみていると、高校の現代文で読んだ、ミロのヴィーナスの話を思いだす。
清岡卓行の第二評論集『手の変幻』に収められている『ミロのヴィーナス』。
ミロのヴィーナスの魅惑はその手の失われているところにあり、それは「おびただしい夢をはらんでいる無」で、対極には「限定されてあるところのなんらかの有」がある。
ミロのヴィーナスの手の不在から、「手というもの」の、人間存在における象徴的な意味をかんがえる。
それは「実体と象徴とのある程度の合致」であり、世界・他人・自己との「関係を媒介するもの」だ。
この評論がとても好きだったのを覚えている。流れるような文章も美しく、読みやすかった。
さて本題に戻って、打ち棄てられていた狛犬たち。
この手前には、白くひかる新品の狛犬が。
あからさまな世代交代の場面。古い狛犬たちは、どこへ行くのだろう。
さいごは、もっとも印象深かったこの狛犬。
この葉はいつか、かれを埋めてしまうんだろうか。
The Beatles:Happiness Is A Warm Gun(1968)