ヨーロッパへ④ 〜コナツ、海外引っ越し、迷走中😂〜
結局、主人がヨーロッパに渡ってから4ヶ月ほどして、
私と子供のビザ申請手続きが進み、
7月頭に子供を連れてビザ申請&面接
その後、2週間弱でビザが発給。もっと日数がかかるはずと言われていたので、ありがたい。
夏休み前に、ヨーロッパへ行くことが決まり、子供たちの学校、幼稚園の皆さんにお別れ。
寂しいなぁ・・・
大好きな日本。
親戚のみんな、学校や幼稚園の友達と先生、友達のママさん達、プールの先生や仲間、柔道の先生や仲間、教会の牧師先生たちや、お兄さん&お姉さん、大好きな公園の虫の先生や植物の先生、地区センターのスタップさんにも、そして短い期間でしたが、私のパート先の皆さまにも。
生まれた時からほぼ、同じ地域に住んでいたので、なんだかとっても、たくさんの皆さんにお世話になって・・・大好きな地域、大好きな日本。
離れるのは、やっぱり寂しいね。
と、しんみりする気持ちと共に・・・
引っ越し準備しなくちゃ!です。
振り返ると・・・ビザが出てから、ヨーロッパ出発までは、1ヶ月弱でした。
そこから、7月末に主人が一時帰国して、5ヶ月ぶりにお父さんとの感動の再会💓
を、しんみりしたいところですが、そんな時間の余裕はありません!
①区役所で転出届等々 (やること色々あって、2時間ぐらいかかった)
②粗大ゴミを出す
③荷物を、仕分ける
国内引っ越し、航空便、船便、
自分達の手荷物(預け入れスーツケース 8個、手荷物のスーツケース&リュック 6個ぐらい?) → 片付けても片付けても、荷物がありすぎる!!何をどこにどうすれば・・・😂
④買い物
→ヨーロッパは物価が高いし、日本食も好みがあれば、持っていくべし!と色々買い込みました。もっと前から少しずつ買っていましたが、食材は特に直前に。
⑤お世話になった方々にご挨拶
⑥引っ越し屋さんの荷物箱詰め&回収 (2日間)
⑦インターネット、電気、ガス、水道停止手続きや工事
(これも事前にネット等で予約しておきました)
⑧車の引き渡し、オーナー変更
→新オーナーさんが主になってやってくれましたが、なかなか先方の書類が取り寄せられなくて、本当にギリギリでした。でもこのことも、牧師先生に相談に乗ってもらって、本当にありがたい。。。
⑨賃貸の引き渡し
→荷物を引き渡し完了した日、実は引き渡していけない重要書類(免許証、車関連の書類)まで、引き渡してしまい、引っ越し屋さんの倉庫まで取りに行きました。
掃除も終わってなかったし、賃貸の部屋の引き渡しは、後日に行いました。
本当に全てが、ギリギリで、バタバタで、大変でした・・・。
でもこの期間中、子供等は毎日、教会のデイキャンプというイベントに参加。
教会までの送迎は往復2時間弱かかったので、大変でしたが、子供達は楽しめたし、
私と主人は集中して、やるべきことができたのでありがたかったです。
なんとか、荷物の引き渡しが終わり、少し温泉に浸かって、ほっと。
両家のおじいさん、おばあちゃんも来てくれて、楽しいひととき。
そこから私の実家に1泊して、いよいよ・・・
羽田から行きますよ〜。
ヨーロッパへ⑤ 〜コナツ、子連れの海外赴任は迷走中😂〜
ヨーロッパへ③ 〜コナツ、世帯主で迷走中😂〜
結論を言いますと・・・2−3時間の片手運転はしなくて済みました!
ありがたい。。。
なんと、教会まで車で来れば、そこからは牧師先生の運転するマイクロバスに乗れることになりました。このキャンプは本当は中学生以上の子達のキャンプだったのですが、我が家は幼稚園児と小学生と母親で参加。大きなお兄さん、お姉さんに囲まれて、子供たちは楽しく過ごせました。
ゲストでお話ししてくれた先生の話もすっごく面白い&考深く、キャンプ自体もすっごく楽しくて、とっても励まされました!
また心配していた手も、少しずつ痛みが引いてきて、右手でグーができるように。
キャンプから戻って、今度は姉の家にお泊まり。
あとは、柔道の練習(子供達が柔道を習っていたので)
子供たちは春休みのプール教室(4日間ほど毎日開催)に行かせたり、
通常のプール教室のレッスン、
息子を、また別の教会のキャンプに行かせたり(今度は牧師先生と、お兄さんたちと一緒に)
三人で水族館に行って、鳶におにぎらずを奪われたり・・・😂
職場に子供を連れて行かせてもらったり・・・
お友達と遊んだり・・・そしてママ友から想いのこもったお土産をもらったり
そんなこんなして、過ごしました。
やっと春休みが終わる〜と思いきや・・・
二日連続で車の違反チケット
1回目は、実家の近くの交通の少ない道に車を停めてたら、違反チケット
(どうやら、道幅が規定より狭い?・・・でも普通に2台通り抜けらるけどな・・・)
2回目は、知人の家に行く途中、9時までは直進禁止の道を直進
(いやぁ・・・直進禁止ってあり?って感じなんですけど。どう見ても直進の方が道幅が広いのに)
なんだか踏んだり蹴ったりとは、このことです。
でも、大変な時に、本当に色んな方に助けてもらって、
そういう人達に助けられて、なんとか3週間を乗り越えられました。
そして新学期がスタート♩
でも、家族の赴任が可能か?の決断は、まだ出ず。
主人が強制帰国になるかも?とか。
一体、いつになったら、私の世帯主の日々は終わるのでしょうか?
と言っている間に・・・
ヨーロッパへ④ 〜コナツ、海外引っ越し、迷走中😂〜へ
ヨーロッパへ② 〜コナツ、世帯主で迷走中😂〜
主人がヨーロッパへの単身赴任となり、二人の元気な子供と春休みは大変でした。
うちの子供たちは、外遊びが大好き。
雨の日でも、水たまりでダイナミックに遊んでいたタイプです。
なるべくそういうことに付き合ってきたつもりですが、
段々、自分の体力が追いつかなくなって来ました・・・😂
本当は、動物園行きたかったのですが、子供達が約束を守らず・・・
仕方ないので、三人で、実家近くの大きな滑り台(ガラガラ・・・とローラのついたアレです)
のある公園へ。お弁当を食べ、滑り台♪
「いっくぞぉ〜』と気合を入れて、何度も滑っては、階段を登って・・・を繰り返す。
『順番替えようよ!』と息子。
妹を一番にして、次は私、そして息子の順番。
これが・・・娘ちゃんがなかなか遅い。
スピードも出るので、私は滑り台の端を持って、一生懸命スピードをコントロール。
・・・と、滑り台の端に突起物がついているところがあり・・・
そこに手をガーン!と。
『いったぁ・・・😂』
そのまま滑り台を降りると、手に違和感。すっごい痛い。。。
右手の親指の付け根が、ぷくーっと腫れて来ました。
や、やばい・・・
子供をそっちのけで、水道で手を冷やしました。
これ、骨にヒビ入った?・・・
そんな想いがよぎりました。
それからはまずは公園を退散。
実家に連絡。実家まで車で10分弱でしたが、利き手の使えない運転は、ドキドキでした。
なんとか辿り着き、父に子供たちを預け、
母が病院に連れて行ってくれました。
結果は・・・打撲のみ。骨に異常なし。ありがたかったです。
湿布と痛み止めを処方され、少し安心。
でも、実はその週から、子供たちと教会のキャンプに行くことに。
キャンプと言っても、宿泊施設があるんですけどね。
キャンプ場までは車で2−3時間。
流石に片手で2−3時間は無理でしょう・・・😂
さて、どうする?
ヨーロッパへ③ 〜コナツ、世帯主で迷走中😂〜へ
ヨーロッパへ① 〜主人も迷走中?〜
『海外で仕事がしたい!』
それが主人の20代からの夢でした。
学生の頃、海外に行く機会が何回かあり、
いつか自分も海外に住んで働きたいと思ったようです。
社会人になり、出張で海外に行くことはありましたが、
長期で住む機会はなく、最長は4ヶ月、アメリカ出張でした。
この4ヶ月は、我が家の上の子が生まれてすぐだったので、
『子供と離れたくない!』とのことで、
私と子供のビザ、航空券を自前で取得し、主人について行きました。
この4ヶ月が長期化するか?
と思ったのですが、その野望は叶うことなく、
その後、アメリカとの仕事もなくなり・・・?かは
分かりませんが、アメリカでの長期滞在の話はなくなりました。
次に主人が目をつけたのは、ヨーロッパ。
話が色々進み、『来年ぐらいに、長期でヨーロッパに行くかも?』
なんて話が出たのは、2019年。
でも、その後、コロナ化になり・・・会社の色々もあり・・・
その度にヨーロッパ行きは半年後に延期・・・延期・・・延期・・・
を、繰り返す。
2019年に幼稚園生になった上の子は、もう小学生になっていました😂
『どうなってんの?
『このまま、行かない方がいいんじゃない?』
『ヨーロッパ、物価高いし』
『私、日本食、食べたい・・・』
と、まぁ・・・色々と、
主人がヨーロッパ行きを断念するようなコメントを言い出す、私😂
まぁ、それからも、色々、ドタバタして、
私がブチギレて・・・と、ありましたが、
2023年の2月に、主人は一人で、日本を出国しました。
『途中で、また止められるのでは?』
とか、ドキドキしましたが・・・
あっさりヨーロッパに到着。
そして、すぐに家も決まり、
ヨーロッパでの仕事も順調・・・
かと思いきや、まぁ・・・色々ありましたが・・・
色々と助けてくださる方がいて、ありがたい。。感じでした。
で、私はというと、主人が単身赴任なり、
世帯主に😭1人で、子供2人を・・・3月には数週間の春休みが・・・
さて、どうする??
というわけで、この続きはまた次のブログで
ヨーロッパへ② 〜コナツ、世帯主で迷走中😂〜へ
See you later🤗
迷走した婚活④
今月は結婚して10周年になります。
主人も私も要領の悪いタイプだと思います。
結婚当初は、二人の職場が離れすぎて(100km弱)、どこに住んだらよいか悩み・・・
結婚後も新居が決まらず、彼のワンルームに住み始め、
結局決まったけど、二人の通勤は片道、主人が90分、私は70分。
主人が数週間に渡る出張が何度もあり、その度に離れ離れでした。
(新居決めない方が良かった?😂)
長時間の通勤生活は、私が一人目を妊娠しても続きましたが、
主人の社内の部署異動が決まり、出産の半年ほど前に、私の職場方面に引っ越しました。
これで共働き育児生活ができるかな?と思いきや、
実際に育児生活が始まると、慣れないことだらけで、
職場復帰なんてできそうにない!と感じ、退職してしまいました。
やっぱり容量が悪くて・・・子供を連れて出かければ、何か忘れ物をしたり、
落とし物、勘違い、、、列挙したら、キリがありません😂
その度に、ドタバタして、
そして、バタバタする度に、私はイライラしました。
(イライラしなければ良かったのかもしれません。『しょうがないなぁ・・・』って思えていたら、もっと上手くできたかもしれません。)
決してスムーズって感じではないです。
特に結婚して最初は、いつもバタバタでした。
多分、私は変化を楽しむより、落ち着きを感じたいタイプです。
留学とかしているのに、意外ですよね😅
若い頃は、変化が好きだったかもしれません。
歳を取ったからかな?挑戦することに恐れを感じするのかもしれません。
でも主人は、いつも挑戦する人
そして諦めない人、色々と心配しない人です。
昔は心配性だったそうですが・・・。
その当時の彼に出会わなくて、よかったです。
もし、出会っていたら、ここまで続いていなかったでしょう。
そんな私達ですが、結婚10年を迎えられました💓
そして、祝10年を、ヨーロッパで祝いました。
と、言うのも・・・今年、私達はヨーロッパに引っ越してきたからです😄
どうしてヨーロッパに引っ越してきたか、
引っ越しまでの道のりなどは・・・また次のブログで。
See you later🤗
迷走した婚活③
その後、数年経って、今の主人に出会いました。
その出逢いがとても不思議で、あるお見合いで出会った方(クリスチャンの男性)の友人でした。『この人なら、君に合うと思う』そう言ってもらいました。
そしてその友人を介し、3人で会いました。
私は終始なるべく楽しい雰囲気にしようと、たくさん喋りました。
その友人は、二人で出かけられるオススメのデートスポットを教えてくれ、二人でそこに行くようにアシストしてくれました。
『そう言ってくれるなら・・・』と、2人のスケジュールを確認し、この日なら!と思う日があったのですが、その日は、オススメのスポットがなんと休館日!
すると主人は、別の日にオススメのスポットに行くことにし、オススメスポットの休館日には別の場所に行くという予定を提案してきました。つまり、二人で出掛けた事が1回も無いのに、2回のデートの約束を組んだわけです。その行動力にビックリ!しました。
私の常識では、まず二人で出掛けて、気が合うか判断して、次にまた会うか決めるものだと思っていました。そのことが私には印象的でした。
その当時、私はアラサーで、結婚したいという思いが強くなっていましたので、私に向き合うことに前向きと思えた主人の姿勢に、『この人かな?』という想いが芽生えました。
まぁ、惚れっぽい性格なので、仕方ないですね😅
その他に印象的だったのは、主人が早い段階で、私の両親に会いたがったことです。
私にとって、ある程度の年になって両親に会うというのは、結婚したい意思表明をしたいという意味だと思っていました。私の両親もそのつもりでいました。
私の両親は物事をハッキリ言うタイプなので、『どうなの?』と結婚のことを聞かれても、『時をみて・・・』と答えるばかり。
主人の時を見て・・・というスタンスは、その後も続きました。
私の誕生日をお祝いしてくれることになり、平日でしたが早めに職場を退勤し、私の見たい映画を一緒に見て、行きたかったアイスクリーム屋さんでスイーツを食べ、主人がディナーを予約してくれたホテルへ。。。
と、二人で電車に乗りましたが、なぜか主人だけが別の駅で降りてしまい・・・
主人が駅で降りた際に、紳士的に私のバックを持ってくれていたことで、私のスマホを持って行ってしまい、連絡を取れず。。。😂・・・でも、詳しく覚えていなかったので、どこのホテルに行ったら良いか分からず。。。
それでもディナー予約開始時間の数時間遅れて、なんとか主人のいるホテルを見つけ、無事にディナーをすることができました。こんなあり得ないようなトラブルを乗り越えた高揚感。
いよいよ、何か言われるかしら?私の誕生日だし?
で、お手紙をもらいました・・・なんと、『君の彼氏でいられて嬉しいです。これからも仲良くしてね』という内容。
『え???????』って感じでした😅
だって、アラサーだよ?
だって、誕生日だよ。
だって・・・ホテルのディナーだよ。
両親にも会ったじゃん!
みたいな、そんな感じでした😅
その後も、主人からの明確な意思表示はないまま。
私は、ヤキモキ。そのうちに待っているのが嫌になり、結婚前カウンセリングに予約したほど。(迫りすぎですよね・・・でも、白黒つけたくてしょうがな買ったんです)
カウンセリングに行ってわかったことは、
主人はその当時、まだ心が固まっていなかったこと、固まるために何が必要かも明確ではないような・・・そんな感じでした。
『彼が私と結婚したくないなら、私はこの関係にこれ以上、時間を投資したくない・・・』と思うようになりました。
でも不思議なことに、彼は私との関係を諦めませんでした。
〜迷走した婚活④〜
迷走した婚活②
迷走した婚活①で、20代後半で、婚活を始めたというお話をしたと思います。
そして、30歳前に運命と思える出逢いがありました。
あるお見合いサイトで、ご紹介いただいた方でした。
その方とは実は以前1回、別のグループお見合いの会でもお会いしていて、私が『かっこいいなぁ・・・』と思った方でした。でもその時は、彼は私を気に入らなかったみたいです😅
アラサー女子は、運命という言葉に弱いですね。。。
私はその時、『この人だ!』と思える方との出逢いを、求めていましたので、すごい運命を感じました。。。
ただ彼は、転職したばかりで、国内の転勤の可能性があると言われました。
私はそれでも良いと思い、彼と連絡を取り合うことになりました。
お互いにクリスチャンで、メールでのやり取りの楽しく、私の気持ちは高まっていきました。
(私は惚れっぽいタイプなんですね。。。。😅)
実際に会うことになり、その日には、私の目は💓
もう、キュン、キュンは止まらない。。。
その日に付き合うことになりました。
その後、彼は予想通り?転勤になり、遠距離恋愛となりました。
これまでと職種を変えた彼は、資格試験に合格するため、勉強をしつつ、慣れない仕事をこなす日々に追われていました。
連絡もほとんど取れず、会えない日々。。。
でも、アラサー女子にとっては、『運命💓』が味方です。
私は会えない数ヶ月の日々を乗り越え、仕事で休みが取れたタイミングで、会いにいきました。空を飛んで、会いにいきましたよ。いやぁ・・・可愛いじゃないですかぁ・・・。
『あなたのためなら、空を飛んで会いに行くわ💓』ですよ。。。
実際に会いに行くと、彼は仕事と勉強で週末も忙しく、二人で遊びに行くような時間が取れませんでした。
部屋の中は、ぐちゃぐちゃに散らかっており、将来の妻であろう私は、掃除に洗濯にとやってあげました。それに痛く感動したらく、彼は私を天使かのように言っていました😅
大変な彼を助けてあげられたと感じ、私は嬉しくなりました。
数日の滞在でしたが、それでも彼に会え、私は幸せな気分になりました。
そして、また遠距離の生活。
なかなか連絡は取れない。そして休みの取れそうな時に、彼に会いに行く。
そんな生活でした。
でも彼は資格試験の勉強と、新しい仕事に慣れることで精一杯で、私との新しい未来=結婚なんて、描けていませんでした。私が仕事を辞めて、同棲のような転がり婚?の様なことをするなら、可能だったと思います。でも、私は婚約をして、二人で準備した結婚式をして、二人で準備した新生活をスタートする夢を描いていました。親や兄弟姉妹、親戚や友人、お世話になっている方々に報告し、祝福されて結婚したいと思っていました。
でも、彼にはそんなことをする時間も余裕もありませんでした。
それだけでなく、一緒に時間を過ごす中で、彼の人柄がわかってくる様になり、違和感を感じる様になりました。人から借りていて返していないCDなどが出てきたり、学生時代から彼女がいなかった時期がないぐらいモテたのに、長続きしない彼の恋愛歴。片付けと整理整頓が苦手で、経済観念が私と違うことにも気がつきました。
私は両親から、ローンを組んで良いのは家を買う時だけと教えられました。
何か欲しければ、お金を貯めて買う。自分の買えないものは買わない。ということです。
決定打は、彼に会いに行った時、『こうやって、僕にご馳走してもらっていいね🤗』と彼に言われたことです。私はその何倍もの交通費を払って、どこに遊びに行くでもなく、彼の仕事や勉強のサポートをし、家事を手伝っていたのに、彼は私がどれだけの犠牲を払って、彼に尽くしているか分かっているのだろうか?と思いました。
私は、運命だと思って、自分の住み慣れた土地、長年勤めた仕事を辞めて、彼を支えようと思っていました。でも、それだけの犠牲を払って、彼を一緒にいることで、私は幸せなのだろうか?と思い始めました。
いや、多分、ずっと思っていたんだと思います。。。『このままで大丈夫?』って。
でも、その思いを否定したかった。
彼が好きだったから。信じたかった。
でも好きだったのは、きっと彼の顔や、彼の雰囲気、そして有名な大学院卒であるということ。でも、彼自身を愛してはいなかったと思います。だから、彼の弱さが見えた時、それを受け入れることができませんでした。私は結局、彼のイメージに恋をしていただけだったんだと思いました。
そして、別れる決心をしました。
仲介に入ってくださった方に、事情を説明し、別れたいと伝えました。
彼はびっくりしたようでしたが、でもそこはトラブルにならず別れることができました。
情熱と時間、お金をかけて付き合っていたからこそ、喪失感はすごかったです。
でも、別れたことに後悔はありませんでした。私は幸せになろうと努力しました。でも、幸せではありませんでした。二人で一緒にいても、孤独感に苛まれていました。きっとお互いに何も理解し合えてなかったんだろうなぁと思います。どうだろう・・・彼は理解していたのかな?もしかしたら、理解していなかったのは、私の方だったかもしれません。
その時痛感したのは、男は顔じゃない!ってことです😅
でも振り返ると、彼は学生時代からイケメンだからこそ、女性が彼の中身も見ないで近づいてくる。そして勝手に好かれて、勝手に『思っていた人と違った』と振られることを繰り返して来た人のなのかもしれません。
イケメンに生まれることも、良いことばかりではないのかもしれませんね。。。
〜 迷走した婚活③へ続く 〜