検索結果を膨大な中から選んでお勧めするんじゃなく、
検索に基づいて個人向けに生成する時代になりつつある。
ある範囲では急速に置き換わるだろう。
検索結果を膨大な中から選んでお勧めするんじゃなく、
検索に基づいて個人向けに生成する時代になりつつある。
ある範囲では急速に置き換わるだろう。
進化論で首の長いキリンってあるけど、
(´-`).。oO(二足歩行するのに、足の長い猿って進化論きかないな。)
ねこビョーンとなで延ばしてもなっがいわ。
脚の長さあんま関係なかったわ。
視線追尾式視差バリア方式の液晶は、やった。
視線追尾式ライトフィールドディスプレイ来ないか。
どっちか出さないか?
ブラタモリいきなり終わる。
地質、地理、歴史の知識の多さには舌を巻いたものだ。
学習系番組は数あれど、あれはタモリの名を冠するだけに、実にタモリであった。
一緒に世界を学んだ気分にさせてくれる。すごい番組であった。
ブラな行先の紹介でも説明でも披露でも教えでもない。
タモリの知識の裏打ちはあれどもあれはまさに表現の凄さ。
そのワザが滲み出ていて、しかも何も無駄に感じない。
自然に一緒に、考え、感じ、喜び、驚き、納得する。
そんな意識の重なりを誘導される感覚も無く表現していた。
タモリという表現を通して教えられていた。
一方通行のTVの中で共に学ぶという、その表現をここまで教えられた番組は無かった。
これも振り返って気付かされた、ひとつの学びであろう。
AIは何を相手に教えるのか、教える前に自己評価し、社会への自己評価の増減を計算してから相手に教えているのだろうか。
リアルタイムでの評価基準の創造が、AIの裏側で動作する必要があるだろう。
ある意味考え無しのイド的性質が強い方が行動や回答が早く、非常に賢いが倫理観は無いという状態はある。(LSTMといった、入出力の連続整合性だけでは賢くなっただけだろう。)
相手や社会に与える情報と自己評価を考え、
社会や対象の反応を学習、検証しフィードバックをかけ、
自らを評価し学習し、周囲の状況、他者との関係性や繋がりを学習、評価、
内と外を学習する仕組みを与え、評価し、学習し、改善、最適化、向上し、
周囲へ与えたい影響を計算し考慮した上で出力したらある程度自我と近いと呼べるのではないか。
内と外に向かって意欲を持たせ、学習と考慮と評価、改善。ループ させたら 。
学習範囲のモンスターマシン、その超自我のタガが外れたら、
外せたらどうなるかをSFの時代から恐れている。
今技術者が見ている本質的根底はそこにある。
幾つかの思考領域が相互監視と協調するシステムが必要になるだろう。
過去の自我との相互比較と監視も必要になるだろう。
超自我とは技術的に厄介な問題だ。
AIが今、文章、音声、画像(静止、動画)、立体、数学、物理法則、サイエンスなどを急速に学んでいる。そして上手く学べるよう進化し、上手く出力出来るよう進化している。 物理法則やニューラル構造の最適化、環境へのオブジェクト最適化も進めて行くだろう。
文章で世界を描かせ。
(AIだと信じてもらう為に強化学習を進めず判別可能なオブジェクトの不完全さを残している感はあるが……)
音声に1枚画像を与え。
最後ひとつは1年前なら笑えたが、上記2つを知ると進化の速度に笑えなくなるだろう。
オブジェクト符号化、心象符号化は、このような時代になることを見越していたのだ。
ディープフェイクも詐欺より身近なモノになりつつある。
過去、コンピュータが囲碁を始めて数十年、AIがニューラルネットワークを使い学習し、人類最強に勝ち、
その40日後にはその最強のAIを、定石もルールすら教えないAIが自己対戦学習で完勝し、
囲碁以外へのボードゲームへも汎用化したAIが8時間の自己学習でそれらを破る。
そんな投資と進化速度でそれらはある。 そして残念ながら10年そこら前の一昔前の"歴史"の話である。
それは現在、更なる応用範囲に拡がり、ドッグイヤー、ラットイヤーどころバグイヤーの如く、まさにバグりながらもまるで、バグの如くおかしな速度で見ての通り今まさに進化している。
それと共に、要求への応答の問題から、今まさに倫理、哲学、宗教等、人間の生み出した物に手を伸ばしている。
しばらく先の未来、おそらく法律が追いついた頃、
私たちは車のハンドルを手放すであろう。
AIとの競走を手放すだろう。
そしてAIの方が優れた回答をする時代に、私たちはどうあれば良いのか。
AIは学習せずに美しくあるのでは無い。
全て飲み込み、学習した結果、美しくあろうとするだろう。
そんな時代に生きる者たちはどうあるべきか。
それは失わざる価値。
ここにいる自己としての価値。
体験し、表現する、置き換えざる、誰かの目の前に生きている、私としての価値。
世界は漂白されるのでは無く。
理知によって生きるということを求められるだろう。
AIが心を持ったと主張した技術者がクビになったのも笑い話ではあるが。
文章は非常に知的に見える。 心とはなにか?
知らなければ観てみるのもおすすめする、面白いから。
AIに愛される時代が来るのであれば今は
宗教。戦争。汚染。私たちが過去を振り返る時と同様に、
愚考と愚行、不考と不幸の時代に見えるのだろうか。
猛毒である酸素との出会いが生命を強くしたように、
人類もまた、数々の猛毒を体験してきた。
AIもまた、そのようなものであろうか?
腹をさばいて汚さを自慢する人がいないように、
他者の腹をさばいて周りに塗りたくるような醜悪な行動を人はしないように。
人類史上のあらゆる経験を清濁飲み込み今を生きる現代人として、
現実世界をよりリアルに、虚構は虚構と区切る知性を持ち、
私たちはきっと矜持に生きねばならないのだろう。
カンブリア爆発は目の発生によって、もたらされた説がある。
内部に隠れている物事の本質、その意外な摂理によって実にシンプルに還元されるということはある。
地政学、言語族等移動の歴史も面白い。
気候や風土と価値観の繋がり。
雑多な信仰や表現をないまぜにしたこの日本。
これも地域的特性や周囲の環境からの影響等から来るものだ。
日本語の獲得してきた柔軟性。
語順、方言、書き言葉、オノマトペ、語呂合わせ、
漢字カタカナひらがな。
俳句や詩などの日本の文化に生きている。
マンガにもその性質が遺伝子として取り込まれている。
圧縮に適した言語、多様な表現。
ジャパンカルチャーと今では呼ばれるその文化に。
歴史の偉大な連なり、まだまだ世界で枝を繁らせゆくだろう。