金曜日のデニーズはたくさんの人が歩いている
まいどまいど自分で調節できるはずの気持ちなのに突然その現象は発生し、私は驚く。とにかく気持ちが落ち込んでしまうことが私には時々ある。
もうだめかもしれないと、よく分からないがその時は本当に真剣にそう熱狂的に信じこむ。もう私はだめなのだと、本当に信じきる。
びっくりするのは落ち込むとき、スイッチとなるはずの理由がないことだ。
一人で自宅にいるとさらに暗く深い沼へと落ちていくので、なんとか持ち直そうと外出し、カフェやファミレスに入る。気持ちが落ち込んでいても仕事はしなければいけない。
そしてふぅとホットコーヒーをお店ですすると、もう気持ちは元に戻っている。一体なんなんだ。
正直なところ私はさみしいという自分の気持ちを、うまく感知できていない。感知できていない原因は、さみしいと感じたときにその気持ちに対して解決策となる行動を取らないからだと、予想している。誰かにメッセージを送ったり、SNSに自分の気持ちを投稿をしたりしない。してもよりさみしくなる気がして、私はしない。
さみしさが原因で、私は突然落ち込んでいるのだろうか。いつかその答えは分かるかもしれないけれど、今のところ分からないままにしておく。書き出しも分析も控える。とりあえず外でホットコーヒーを飲めば、気持ちが持ち直すことは今日分かったのだから、それで良しとする。
相手の欲望の流れに沿うこと
なるべく向き合っている人の欲望の流れに沿うようにしている。私の生活をおびやかすおそれがある場合は、その欲望に沿わないけれど、なるべく相手の欲望がのびのびできるよう、行動するようにしている。
その方が、物事がとてもスムーズに進むように思う。
みんな誰しもが生まれた時から私の目の前にいるまでのルーツがあって、そのルーツから生まれた欲望は、尊重したほうがいいと思っている。誰しもその欲望は生きて道を歩けば歩くほどに強化されるし、しなやかで強くなっている。
私は目の前にいる人の欲望を、なんとなく想像して、なんとなく汲み取るようにしている。そして少しだけ、その人の欲望が望んでいる方へ進めるよう、片手を差し出すようにしている。
基本的に誰の欲望も、本人から湧き出ているものなので、他者である自分では止められないと思っている。望まない欲望であっても、それを止めるのは難しい。
こまってしまうのは、他者を尊重しようとしない欲望に出会ったとき。どうしようと、その欲望のゆくえを想像して不安になるけれど、私が邪魔をしてもお互いにいいことはないし、そもそも私の力では止められない。
他者を尊重しない欲望が苦手で、最近ではそういった欲望に巡りあったとき、極力その欲望を避けるようにしている。私はその欲望を、肯定できないとあきらめて、その場から黙って立ち去るようにしている。
他者を尊重しない欲望を持っている人は、他者の視線に気づいていない人。みんな誰かに見られて生活をしていて、誰かか誰かと生きている。けれどそのことを知らない人もいて、だからその人の欲望は他者を尊重していない。
私はよく自分の欲望を点検する。大丈夫かな、わがままな欲望になっていないかな、と点検をする。
相手への負担にならずに気持ちを伝えること
「思ったことは言わなければ分からないよ。」
こう言われて相手に責められた、もしくは怒られた経験はないだろうか。私はある。よくある。
そして反省を生かし今まで伝えるのを遠慮していたことを伝えても、すべてが上手くいくわけではない。なぜなら私が伝えるのを躊躇っていたことは、相手にとって不都合なことだからだ。
例えば相手は私に仕事を任せたいのに、私は忙しくて請け負うことができない。忙しい、という相手にとっての不都合を伝えると、もちろん向こうが喜ぶはずもなく、なんとなく気まずくなってしまう。素直に断るということは、この気まずさを受け入れることなのだ。
自分にとって不都合な相手の都合を、私はどこまでなら受け入れられるだろうか。
けれど自分に置き換えてみても、やはり忙しい時は素直に忙しいと言ってほしい。遠慮されている方が悲しくなってしまう。遠慮せずに言ってくれれば、次にどうその人と関わればいいのか、こちらも対策をうつことができるから。
相手にとって、不都合な面を持っている自分を見せる努力をしなければいけない。不都合があるということを知ってもらわなければ、コミュニケーションを深めることはできない。
相手にとっての自分の不都合を伝える勇気と不安を持ちながら、声に出して伝える努力を積み重ねていく。積み重ねていくことでしか慣れることはできない。
忙しいに隠されないように
忙しくて人と会う時間がない!というときがある。今私はそうだし、もう少しだけその状態がつづきそう。
こういった日々は寂しくても充実感があり、物事が前に進んでいくのを感じることができて、人と会えなくてもいい、それでも楽しい、と思うことができる。
けれどこういった生活だけではいけない。
人といる時の、あの嫌われたらどうしようという不安とか、仲があまり良くなかった人と距離が縮まった時の喜びとか、遠ざけてはいけないものがある。いつも私は思うけれど、バランスが一番大切だ。一人でいすぎてもいけないし、誰かといすぎてもいけない。
一人にならなければ反省や次の計画を立てることができない。けれどずっと一人でいたら、何も変わらない。人と関わりあうときの少しの苦しみで、私は変わってきたところがある。
誰かを受け入れるとき、自分がとても楽になる。誰かの欠点を受け入れたときに、自分の欠点も受け入れられたように感じて、とても楽になる。
けれどもう少し忙しい日々がつづくようだ。
解決したい問題があった時にとりあえずやること2つ
プログラミングの勉強を始めてからだけれど、とにかく自分の日常生活に起きるあらゆる問題を解決しようとする(解決へ向かわせる)癖がついた。
「解決するにはどうすればいいか」を考え、目標地点から今自分がいる位置を確認し、そこまでに向かう道のりを考えることが気付けば習慣になっていた。今まではなあなあにして見ないふりをしていた問題も、最近ではがつがつ解決へと(私によって)向かわされている。ごめんよ問題、今まではのんびりできていたのに。
人間関係でも仕事でも勉強でも、解決したい問題への取り組み方は私は大体一緒である。
①:何が問題なのかはっきりと把握するために紙にすべて書きだす
思っていることを書き出す時点で、問題の半分以上は解決されていると私は思っている。なぜなら問題が解決しない一番の原因は、「問題を解決するのが面倒くさい」という自分の怠け心だから。
紙に書いたって面倒くさいものは面倒くさいじゃん、と思う人もいるかもしれません。しかし違うのだ。紙に書いたという作業でも、すでに問題へと「行動を起こしている」のである。そしてちょっとでも行動を起こすと、人はやる気がでる。私はでる。
そして問題を解決されないもう一つの原因は「何が問題か分かっていない」ことである。もやもやと不安な気持ちばかりが募っていっても問題は自然に消えてくれない。
意外と意識していないと忘れてしまうのが、自分の問題は待っていても自然消滅しないということ。
そして紙に書き出したあとのすっきり感はやみつきになる。あぁ、これが悩みの正体だったんだと、不安が消えてほっとする。だってあとは解決に向かって行動するだけだから。正体の分からない不安と戦っているほうがよっぽど私は辛い。
②:現状自分が試せる解決策をすべて書き出し実行する
次は解決に向かってできることすべてをまた紙に書き出す。そして「インターネットをフル活用する」ことで多くの問題は解決する。
まず分からないことがあって困っているならば、その問題に関する単語はとりあえず全てネットで検索する。知らなかった事務処理などはこれで大体終わる。インターネットの力って本当にすごいですよね。
「えっ人間関係とかそれで解決しなくない?」そう思った人もいると思います。たしかに大切な友人や家族との間に生まれている問題はインターネットでは解決しません。
私がおすすめしたい人間関係の解決方法は、「一回感情を捨てて、相手と自分の今までの行動のみを見る」ことです。
相手が自分に「何を言ったのか」ではなく、「何をしてくれたのか」を基準に、その人が自分に対して誠実だったかどうかを見極めてください。また自分が行動をともなわず、相手に都合のいい言葉だけを言っていなかったか思い返してください。
そして自分に対して誠実ではなかった人、もしくは自分が相手に対して誠実ではなかった人、その人たちとこれからどう接していくかを、また紙に書いてみてください。するとその人とこれからどう接していくのがいいのか分かります。自分の不誠実さを知る機会にもなります。
個人的に私は関わる人に対してなるべく誠意を持っていたいと願っているので、こういった解決方法を実践しています。まぁ遅刻とかしちゃうんですけどね。
がつがつがつがつ問題解決に取り組むのは、気持ちいい。だけど絶対に忘れてはいけないのは、「解決できない問題・そっとしておくことが正解の問題」も存在しているということ。家族とか、大切な友人があまり楽しそうに働いていないとか、私の夜更かし生活がなおらないとか。
問題解決をしつつ、問題解決をしないこと(してはいけないこと)かどうかを見極める癖もつけている。
フリーランスが値段交渉するときに気をつけること2つ
単価上がらないかな・・・。とぽけーっと願っていても上がらないことに最近気づきました。単価って、自分が「上げるぞ!」って気合いがないと基本的に上がらないです。
単価交渉をしてお金を多く得ようとすることは、自分が相手のために働いた労力を考慮すると全く悪いことではありません。単価交渉は良くないこと、というバイアスがかかると、成功するポジティブな単価交渉はできないです。この思い込みは取っ払った方がいいです。
ちょっと逸れますが今日「ココナラ」で依頼していたデザインが届きました。そしてしみじみ思いました。「お金を払っているからって、こっち(払っている側)が偉いわけじゃない。」顔の見えない人から良いデザインを貰い、嬉しかったんです。
そして私に使っていただいた労力への感謝の気持ちは、お金であらわすことができる。もちろん言葉なども有効ですが、相手が自由に使い道を決められるお金はもっと嬉しいはずです。
私が実際にクライアントさんとの値段交渉での成功・失敗経験を紹介します。
①:仕事の成果を上げていないうちから単価交渉の話をする
これはやらかしたな、とやったあとに痛感し恥ずかしくなりました。以前に単価と仕事内容が全く見合っていない仕事をした経験から、焦ってタイミングを間違えたのです。
仕事を始める前の見積もりで単価交渉の話を出すのはとても大切です。しかしそれはあくまでも、すでにクライアントさんが私の仕事に信頼がある時の話です。
単価交渉が成功するのは、私へのスキル・もしくはクライアントさんとの人間関係など、どこかしらに信頼が生まれている時です。自分に信頼がないと分かっているうちからの単価交渉は得策ではないです。
クライアントさんと信頼関係は生まれているか、それを常にチェックして切り出すタイミングを決めてください。
②:クライアントさんが求めているものに100%以上応える努力をする
正当に単価を上げる方法はこれです。求められているものの100%以上のものを提供し、そこで信頼を勝ち取った方がいいです。単価アップという明確に欲しいものがあるならば、自分がそれを得るために何をあげればいいのか想像して提供しましょう。
自分があげたいものではなく、相手が欲しがっているものというのが重要です。欲しがっているものでなければ、自分が労力を使ってあげても相手はあまり嬉しくないからです。相手が欲しがっているものは何か、それを常に考え想像し研究しましょう。
私の単価交渉の研究はまだまだつづくので、随時更新します。
想像力はいつ育まれるのか
他者の気持ちを理解するうえで想像力は欠かせない。そして想像力はいつ育つのか、考える。
本を読めば想像力は育つ。この意見は正しいと思う。ただし、「自分が当事者ではないことに対しての想像力」が育つ。つまり本で養った想像力は実践で鍛える必要がある。
実践、つまり他者とコミュニケーションを取るどんな時に想像力が鍛えられるのか。それは自分がのっぴきならなくなった時だ。どうして相手が自分を避けるのか分からない。どうして彼女が自分に怒っているのか分からない。この状況、思ってたんと違う。そんな時に自分の中の本当の想像力が開花するのだと思う。
相手の気持ちを想像しなければ、他者とのコミュニケーションが前に進まない時がやってくる。そういった、自分が変わらなければいけない時に私は想像力を鍛えてきた気がする。
そして忘れてはいけないのが、「自分の想像する相手の気持ち」と「相手の本当の気持ち」が一致することはないということ。
あくまでも自分が考える相手の気持ちは予想でしかなく、本当のところはまた違うということ。だから自分の想像力に寄りかかりすぎてもいけない。けれど想像力を使うのをやめたら、相手の気持ちに寄り添うこともできない。
相手が何を求めているかを想像して行動するようになるべくしている。