korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

子ども時代を夢のかたちで追体験している。大人になってから整理する

 雨。まさかこのまま梅雨に突入か。

 

 薫風は? というかまたダラダラ季節が行ったり来たりするのだろうか。

 

 

 

    夢を見た

 電車に乗っている。通学途中。もう嫌で嫌で仕方がない。

 

 夢の中でも高校大学はクソだった。と思っている。でも行かなければならない。

 

 次の駅で乗り換えだ。降りると全く知らない田舎の駅。

 

 どうやら寝過ごしたらしい。うんざりするが、これで学校に行かなくて済むとホッとしている。

 

 のどかでとても心が和む。

 

 

 場面変わって教室。いつものようにバタバタ。手続きやら課題やら。

 

 もう自分がしたいのか、何故こんなことをしているのかわからない。(終わり)

 

 

 

 

    思ったこと

 目が覚める。また混乱している。

 

 

 何故こんな夢ばかり見るのか疑問だ。色々考えてみて、子ども時代にあったことを考えて整理するためではないか、と思うようになった。

 

 当時はあまりに不条理すぎて受け止めきれなかった。それを大人になった今夢の形で追体験している。

 

 ちょっとオカルトっぽいけれど、そんなにおかしなことを言っていないと思う。

 

 

 自分にとって学校は異国だった。母が入信していた宗教の教えで育ったせいか。

 

 それだけではないかもしれないが。

 

 高校大学は何故クソだったのか。学力がついていけなくなったせいもある。

 

 小学校中学校はまだ楽だった。

 

 

 あとはしたいことよりもこっちの進路に行く“べき“という進路の選び方だったせいか。

 

 その行くべきも親や宗教団体の考え方だった。そんなこと子ども時代にはわからない。

 

 他人の都合だったのだ。そりゃクソかもしれないな。

 

 

 楽しかったことはあるのか。通学途中の自然の風景(とてつもない田舎だった)、季節の移ろいなどだ。

 

 学校の中の話ではなかった。あとは山ほど本を読めたことか。本が読めない生活などあり得ない。

 

 

 となると、自分にとって大事なことは、“季節の移ろいを感じられること“、“本を読めること“だ。

 

 つまりそれらをやる余裕があること。忙しくしていては到底無理だ。

 

 引き気味に生活することか。もしかするとこれって結構過激なことなのかもしれない。

 

 

 

 結構整理できた。夢との付き合いがやっとまともになってきた?

 

 夢が気になり出したのは、自分がユング派のカウンセラーに会ってからだ。

 

 つまり夢とはもう10年以上の付き合いになるのか。

 

 

 

 あと気になったことは、夢の中の駅。自分は何故か静岡県だと思っていた。

 

 静岡に何か関係がある? 何だろう。

 

 サイレントヒルか? 虐待を受けた人間はホラーに興味があることが多いとセラピストに聞いたことがある。

 

 興味がある、というよりその中を生きてきたのだ。ホラーの不条理が「わかるわかる」という話。そんな楽しみ方おかしいのかもしれない。

 

 

 まあこれは蛇足か。

GW。 他人の親切が身に染みる歳になった。

 今の時期のほうが花粉症がひどい。

 

 花粉症でなくて寒暖差かもしれない。ゴールデンウィークの時期には必ず1日寒い日がある。

 

 以前もそれでお店でカイロを探し回った記憶がある。

 

 

   夢を見た

 母方の祖母の家にいる。近所の幼馴染みと一緒。祖母はいない。

 

 玄関のドアがガタガタ音を立てている。玄関のドアはボロボロで今にも壊れそうだ。知り合いの信者が修理したらしいがひどい出来で困ったものだと思う。

 

 親切なので苦情が言いにくい。

 

 ドアを開けるとリーゼントの青年。あれこれ言って去っていった。その後にも子どもが来て騒いだり、色々と面倒。

 

 

 

 場面変わって朝の学校の教室。これから授業が始まるところ。

 

 先生が来る。女性だ。こっちを見てくる。?おれが号令をかけるの? 面倒だがやる。うんざりする。

 

 ハーフパンツの生徒が出ていった。

 

 先生は一番後ろの席に行く。後ろ向きで早弁をしている生徒を注意している。(終わり)

 

 

   思ったこと

 目が覚める。皆自由すぎるだろ。学級崩壊かよ。でも授業やテストよりも食事の方がずっと地に足がついた生活に近い行為だと思った。

 

 登場人物のかなりの人間がすでに故人だということにも気づく。

 

 

 

 買い出しに行く。電車は混んでいる。GWはいつもガラガラになるのに。今年は皆近場で済ます気なのだろうか。

 

 スーパーはセルフレジが当たり前になってしまった。さらに進んで完全に無人のレジになっている。

 

 もう自分の手に負えない。いやシステムの理解はできるんだけど、ここに来るまでにすでにメンタルがボロボロで、誰かの助けがないと動けない状況になっている。

 

 有人のレジに並ぶ。おじいちゃんおばあちゃんばかりだ。まさか自分がそちら側になるとは思いもよらなかった。もう少し先の話だと思っていた。想像を越えてきた。

 

 

 考える。老いのせいなのか、色々と思い出す。学校や病院のことなど。やっぱり少しの人数でたくさんの人の面倒をみるのは無理がある、とますます思うようになった。トラブルが起きて当たり前だ。

 

 さっきのセルフレジもそうだけど、原理的には可能のようでも実際のところはどうなのか。他にもやらなければいけないことアップデートしなければいけないことがたくさんある。

 

 プラス老いが来る。今までできていたこともできなくなる。

 

 やはり他人が必要だ。

 

 昔読んだ育児関係の本に“1人の子どもには4人の大人が常に周りにいることが必要“とあった。まさかそんなわけないだろ、と当時は思ったが本当にそうかもしれない。

 

 四十人学級とかはじめから無理だったのかも。何人かが犠牲になってはじめてうまくいっている(ように見える)制度。

 

 親も学校の先生も近所のおじさんおばさんも田舎のおじいちゃんおばあちゃんも皆労働者としてとても忙しい。子どもの周りに大人がいなくなった。

 

 

 自分の環境や宗教2世としての問題を考えるうちにそんなことを思った。あの団体のやっていることは児童労働にあたるという話もあるからあそこはさらに厄介なのかもしれない。

 

 もう子育てなのか子どもを搾取しているのかわからない。そんな環境。

 

 

 

 別のお店に入る。さっきよりも規模が小さく古くからあるお店。規模が小さいので迷子にもならない。

 

 店員がフルで対応してくれるレジだ。「こちらで袋に詰めてください」と店員が買った商品を台に運んでくれた。

 

 それだけでもずいぶん助かった。“人の親切が身に染みる“という言葉があるが本当にそんな感じだ。

 

 自分はだいぶん弱っているのだろうか。でも親切がわかるようになったのはとてもいいことだと思う。

 

 

 立ち食い蕎麦屋でカレーを食べて帰る。

 

 帰りも満員電車だ。平日の満員電車と違うのはベビーカーやキャリーカートがあることだ。

 

 子ども連れのお父さんは大変そう。

 

 周りの大人はどんな環境の中大人になったのだろうか。ふと疑問に思った。

 

 

 が、とにかくストレスが溜まっているので、現実逃避をしてしのぐ。

 

 頭の中でFF5のメインテーマのサビの部分を繰り返し流し外の環境をシャットアウトする。

 

 FF5って何年前のゲームだっけ。

 

 

 とにかく無事に家に帰り着けてよかった。もうそんなレベルだ。

 

 メンタルの治療を受けても完全にはよくなることはなかった。ただマシになる部分はあった。

 

 若い頃には症状と一生付き合うことになるとは思ってもみなかった。トラウマは怖いな。

暑い。棚上げした問題は誰かが下ろさなければならない。

 暑い。暑くなるのはせめて花粉の飛散が済んでからにしてくれないか。

 

 窓を開けづらい。

 

 

 

   夢を見た

 スマホの画面を見ている。画面には絵画がたくさん並んでいる。

 

 ためしにその中のひとつに100万円と値段をつけてみる。

 

 お買い上げですか。と音声が流れて焦る。取り消そうと画面をスクロールさせる。(終わり)

 

 

 

   思ったこと

 目が覚める。妙な夢だ。不思議な夢をたくさん見たがほとんど忘れた。

 

 

 買い出しに行く。久しぶりの駅で降りる。

 

 駅前の立ち食いそば屋がなくなっている。あれがなくなるなんて少しショックだ。大手のチェーンの傘下に入ったためか。大手の傘下に入ったせいでなくなるとか結構な皮肉だな。

 

 駅前には立ち食いそば屋とカレースタンドはあってほしい。

 

 歩く。ツツジが満開だ。花のことは詳しくないが少し早くないか。

 

 スーパーに入る。もうビワが出ている。これも早い。そういえば4月の始めにはすいかが出ていたっけ。

 

 季節感。よく考えたらクリスマスの時期にイチゴが出ているのもおかしいが、そういうものだと思うようになっている。慣れるのか。

 

 会計する。セルフレジだ。最近は会計してからレシートが印刷されるまでかなり時間がかかるようになった。

 

 どうなっているんだろう。セルフレジは人員削減になるというけれど、このシステムを維持管理している人は足りているのだろうか、とぼんやり考えた。

 

 

 惣菜屋さんで買い物。ここも変わった。レジが電子決済対応になった。そのせいかはわからないが、品物の種類が減った。

 

 サラダや千切りキャベツを置かなくなって揚げ物オンリーになってしまった。合理化だろか。

 

 システムの都合にお店の側が合わせたのかもしれない。手数料がかかる分ちまちました値段のものは置けなくなった?

 

 ちょっと寂しい。

 

 

 

 歩く。考える。最近歳のせいか母に昔話を聞かされることが多くなった。

 

 母の親戚には問題を抱えている人が多い。母にそう言ったが「このくらい当たり前」で済まされてしまった。

 

 普通に酷いって。聞いているうちに母も愚痴るようになったので無意識には酷いと思っているらしい。

 

 酷いことを酷いと思えないと問題に対処できない。その問題は次の世代にそのまま引き継がれる。いや"当たり前"にされてしまうので余計にたちが悪くなる。

 

 そういうものが積もりに積もっている。どこかでしっかりと考えて対処しないとどうにもならなくなる。

 

 そう思うようになった。うちには宗教2世の問題があるが、それだけではないと思う。棚上げにしていた問題が棚から落ちてきた。棚が支えられなくなった。例えて言えばそんな感じだと思う。

 

 

 そんなことを考えた。今日は体調が今一つなので早めに帰ることにする。

俺は盆栽じゃない。失敗できる自由がほしかった

 暑い。春は?

 

 

  夢を見た

 夜。子どもが二人歩いている。

 

 建物の中だ。何かから逃げているのか。

 

 子どもが小さいのか家具が大きいのか、サイズがちぐはぐ。

 

 子どもは椅子に上る。子どものサイズが大きくなり、椅子がちょうどよくなる。

 

 子どもたちはベッドで眠ってしまう。(終わり)

 

 

 

  思ったこと

 目が覚める。童話か。ヘンゼルとグレーテル的な何か。バイオハザードRE:2じゃないかと気づく。孤児院のステージ。

 

 穏やかではないな。

 

 

 買い出しに行く。電車は混んでいる。

 

 最近また小説を読み始めた。

 

 自分が読んでいる作家は、作風がとんがっていて政権や社会問題を鋭く批判して発禁になってしまっていた。

 

 いつの間に。不器用なのか筋を通したのか。

 

 

 誰もそんなことになりたい人はいない。なりたくなくてもそうなってしまう。そういうこともある。歳を取ってわかるようになった。

 

 ジタバタともがく激しい人生。だけど、はじめから"正解"を与えられてそれを生きる、あるいは生きるしかなかったら、安定しているようで、実のところとてもいびつで不健康で視野の狭い人間が出来上がるだろう。いびつな人工物のような人間。

 

 それには思い当たる節がものすごくある。のびのびと試行錯誤(というか失敗)できる環境がほしかった。

 

 でも、どうのもならないことはどうにもならないんだよ。という開き直りが出てきた。歳を取ってふてぶてしくなった。

 

 

 

 あ、窓の外をかっこいいバイクが走っているぞ。・・・電車を追い抜いているということは。スピード出しすぎだろ。

 

 

 ここのところ根詰めすぎて表情が険しい。たまには子どもに戻ろう。

 

 ということで買い物スタート。

 

 

 追記:

 古本屋に寄る。自分が読んでいる本は絶版になることが多い。

 

 皮肉なことに電子書籍の方が品揃えが多い状況。こんな時代が来るとは思わなかった。

 

 その作家の本を一冊見つけた。中を軽く見る。

 

 重く悲しい。私小説というジャンルはきつい。

 

 読む方もきついのに、自分の生活を書くなんてどういうことだ。間にからくりをはさまないと精神を病んでしまう。

 

 切なすぎて買えなかった。

 

 

 出て歩く。風が強い。若い頃は春の風が強い日は嬉しくて仕方がなかったが、今は怖い。

 

 歳を取るとはこういうことなのだろうか。変化が怖い。メンタルの調子だけはあの頃に近づいたようで、やや悪化している。

 

 しばらく歩いて身体を季節の変化に馴染ませながら帰る。

大型書店で本を買う。思っていたよりもずっといい

 小雨どころかかなりまともな雨。

 

 それでも暑い。

 

 花粉症と気温の上昇と日射の強さが合わさりアレルギー反応が強く出る。

 

 

 

 買い出しに行く。色々と反省?をして大きな書店に行く。

 

 感覚がすっかり鈍っている。さて、大型書店に行った時どうやって動いていたっけ。若い頃はめちゃくちゃ行っていた。

 

 思い出す。ある程度大雑把に目的のものがあって、そこに向かって移動していた。

 

 そうすると、ついでに発見がある。上から下までみっちりと見ていた訳ではなかった。

 

 "ついで"の効果。効果といっても「こんな本誰が買うんだよ」などそういう発見。

 

 

 通販のサイトに出てくる"おすすめ"とは違う。おすすめは同じものが繰り返す表示されることも多い。

 

 何よりあちらの都合だ。それより無機質に並んでいた中から見つけたい。

 

 "意味"はこちらで見つける。

 

 

 本を探す。目録を見る。・・・あれ、載ってないや。まさか絶版?

 

 最近はサイクルが早いから十分ありえる。検索機で調べる。あるじゃん。変なの。

 

 在庫限りというやつだろうか。危ない危ない。あってよかった。

 

 何点か購入して出る。30分もいなかった。

 

 じっくり見たい気はあるが、その体力がない。年齢を感じた。

 

 体力がないわりにうまく買い物したと思う。

 

 

 

 喫茶店で購入した本をコーヒーを飲みながらちょっとだけ読むのも楽しいかもしれないな。

 

 と思ったが、空いている喫茶店が見つからずに断念する。

 

 とりあえず駅のホームで缶コーヒーを飲んで昭和感を出してみた。特に意味はない。

 

 

 駅地下で惣菜を買う。その後スーパーに寄る。

 

 スーパーで惣菜を買った方が安かったのでは、と気づく。

 

 チェックして見る。値段はほぼ変わらない。どこからか「と思うじゃん」と聞こえた気がした。

 

 スーパーの惣菜も値上がりした。というか駅ビルのテナントに入っているスーパーだから高いのか。

 

 

 一通り買い物を終えて帰路に着いた。通販や電子書籍でなく、書店で本を買う"リハビリ"も無事終了した。

 

 やっぱり大型書店はいい。並んでいる本にセンスを感じる。ワクワクする。

 

 そこに行くだけで賢くなった気がするのがいい。

 

 並んでいる本のタイトルを読むだけでどんな話題や考え方があるのかわかるから、実際に少しは賢くなっているのだと思う。

 

 思ったよりずっといい経験だった。