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コトリのひとりごと 乳ガンを乗り越えた今、私の体と心に良かったことを検証中

ガンが消えた理由

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私は一年に一度、山椒の出回る時期になるとちりめん山椒を作る。山椒のカリッとした食感と辛味と色、その香りがちりめんに移り、見た目にも爽やかなこの時期の食べ物だ。


季節ごとの食べ物を大切にする日本人の食べ方や伝統食に体を治す力があるというお話をされたのは、宮澤節子先生。長年オーガニックカフェ、ポランの広場をされ、今は食と健康についての料理教室を開いてみえる。


人は生まれて老いていく。その過程を老化といい、体が酸化していくことなのだと。食べて生きているのだが食べると体は酸化していく。食材を酸化させないようにする知恵と、毒のあるものを無毒化する技術のことを料理というそうだ。


たとえば薬味の山葵、生姜、紫蘇。すべて抗酸化物質で食べ物の酸化を防いでくれる。

その他に付け合せ、食べ合わせ、和食でよく聞く言葉だがこれは体を酸化させない食の知恵なのだ。

日本人が食べ続けて健康を保ってきた和食。健やかに生きてこられたということは食べたものが正しかったということ。おいしいからずっと続いてきたということ。正しいものを食べれば体は病気にならないのだ。


私はガンになって、薬に頼らず食事で治すと決めてから、毎日毎日、毎日料理してきた。ほぼ和食。昔の農家のごはん。


ごはんは玄米。

野菜たっぷり、できるだけ自給。

調味料は、地たまり、地みそなど丁寧に作られた本物。

砂糖を使わない。

肉や加工食品を食べない…などなど。


今思うに、宮澤先生がお話しされた料理をこのニ年間ずっと食べていたようだ。「おいしいと感じるものは自分に必要な食べ物ですよ」と先生はおっしゃった。


自分で作っているから当たり前なのだが、自分の作った料理を「本当においしい」と思って食べている。

私はガンになったおかげで「祈る」ことが増え「感謝」することも多くなった。

料理すること、食べることにはこの二つが欠かせない。ありがたく食材を使い切り、おいしくなってと祈り、味付けする。「いただきます」で始まり「ごちそうさま」で終わる。

「感謝して食べたら命に変わる」と御食事ゆにわのことを書いた本「いのちのごはん」は伝えている。


毎日「いただきます」「ごちそうさま」を繰り返し、心からでたこの言葉を、私の体は聞いていた。

ニ年間ずっと聞いていた。


自分の体のために作った料理は、やっぱり自分の体を助けてくれた。体は治す力があって、治りたがっている。


「宮澤先生のお話し」と「いのちのごはん」

この一週間で出会った食べ物の話。

生きる力をくれるもの

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織り糸をくくりながら友が貸してくれたDVDを見た。


京都に住む吉岡幸雄さん。お寺などに残っている奈良時代の染められた古い布を、昔の手法で復元されている染色家だ。


赤、黄色、橙、白に染めてある布。

草木染めは、布を液体の染料にドボンと付けて染めるやり方。

絞り染めでは多色染めを見たことがあるが、これは型染めのようなキリッとしたデザイン。

草木染めで多色とはありえない布。

どんな道具をどんな手順で使えばこの布ができるのだろう。


吉岡さんが再現したのは、夾纈(きょうけち)という板締めの手法のひとつだ。複雑すぎて途絶えてしまった技術。


分からないことは古い文献を頼ったり、外国の技術も参考にしやっと復活させた。

昔の職人への挑戦。昔のものの方が良いものがあって、その職人に追いつきたいという。


なんと華やかで静かな色たち。すべてが植物、木、根っこから出す色。潰したり煮出したり発酵させたり。


私の知り合いの藍染作家さんが同じことを言っていたのが印象に残る。

藍染は紙一枚で作り方を説明できる」

その時々で藍の状態が変わり、記録しても意味がないそうだ。すべて自分でやってみて工夫しながら染めることしかできないと。


私は、草木染めで糸を染め織っている。

趣味程度のものでも、吉岡さんとの共通点があった。

自然からいただく色には力があって、人を和ませ癒すことができるということ。

私はこれまで何度か苦しいことがあったがその度、手しごとに救われてきた。

頭で考えず手元の仕事に集中すると、時間は過ぎ、新しいものが出来上がってくるころには、囚われていた苦しい考え方から抜け出している。


吉岡さん、「染めはおおらかにやるのがいい」とおっしゃる。

日々小さな失敗を繰り返しているからだと。

やっぱり心持ち次第で楽になれますね。



ガンであっても心が「健康」を決める

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2年前の今頃、抗がん剤治療の真っただ中で、5回目の治療が終わった頃だった。

抗がん剤治療を止めたいという私と、何としても助けたいから治療を続けてほしいという主人の思いとぶつかる日々が続いていた。

抗ガン剤でガンが消えるかもしれないが、それ以上に免疫力を上げてくれるはずの健康な細胞までも消していく。

自分の体は自分でしか守れないのに、治療を続けている自分が情けなく苦しかった。


話し合いを続けるうち、以前は頭ごなしに「ダメ」としか言わなかった主人が私の世話を焼いたり家事をしてくれるようになって、様子が変わってきた。

そして6月、あと10回の抗がん剤治療を残し治療を切り上げることができた。

転移している所に痛みがあったがガマンできないほどではない。治療中の苦しさを思えばなんでもないことだ。

自分が決めたやり方での養生生活が始まった。誰にも遠慮せず、自分の養生を最優先する。


養生と同時に、ずっと心に引っかかっていたことをひとつづつ始めた。

お見舞いのお礼をかねて、会いたかった人に会いに行った。会う人ごとにこれまでの感謝の気持ちと、今の状態を伝え、再び会うことを約束した。

その中で、ずっと前から引き合わせたいと思っていた二人がいた。

郡上で50年もの間、自分の畑で育てた藍だけで藍染をされてきた智夫さん。

移住した石徹白で洋品店を営み、藍染に興味を持っていた馨生里さん。


馨生里さんは、この出会いをきっかけに、かねてより考えていたことをやりはじめた。

暮らしているこの郡上の土から布を生み出すという。

畑で藍と綿を育てる。蚕を飼う。糸を紡ぎ草木で染め、藍で染めて織る。

一緒にやりたいという仲間が集まり「手しごと会議」と名付けられた。


布を作る仕事をしてみえる作家の方々の工房を訪ね本物を見せてもらい、実際に教わる機会もいただいた。

月ごとに開く「手しごと会議」で専門家に教わったことを共有し、教えあった。

荒地を畑に戻し、綿の種を蒔き育て、収穫までに糸の紡ぎ方をマスターする者。藍を育て、夏の一番暑い盛りに収穫し藍染用のすくもを準備する者。野原や山で、染められる草木を採り糸染めする者。

皆、自分が興味がある分野で力を発揮し、お互い手を貸しあった。

どの工程も、人手と手間がかかる作業で、毎日の暮らしプラスこの手仕事をすることは「好き」だけでできるって作業ではなかったと思う。


私は自分の養生をしながら、自宅の周りで草木染めの材料を採り糸を染めた。

染めの作業は、自然に体を動かすことができ腕や肩のリハビリにもなった。

そのうち仲間から、郡上産の紡いだ糸が届くようにもなった。この調子なら3年先には藍染ができるはずだと励ましあった。

「手しごと会議」で過ごす時間、家で作業する時間は、私の免疫力をぐんぐん上げてくれた。


この2年過ごしてみて、「健康」ってどんな状態を指すのかと考える。

医者は「ガンがある」ことだけに目を向けて、それ以外の養生は無いも同じ。

昔から「一病息災」というけれど、ガンという病もこれでいいと思う。日々なにかしらやる事があり、必要とされて働いて、周りに感謝しながら、体を労って穏やかにくらせれば、これが健康。


先日、石徹白の馨生里さんの藍畑のマルチがけを手伝いに出かけた。

工房に4つの藍甕が埋められ、三和土が乾くのを待っていた。

今月末に初めての藍建てをするという。




平行線の先に

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右乳房全摘、リンパ節18個切除。Drは「見えるリンパ節は全部取りました。14個にガン細胞がありました。」との事。

術後1週間で退院し自宅に戻った。

胸に一文字の傷。胸、背中、肩、腕まで痺れて感覚が無い。腕が上がらないだけで特に心配なことはなかった。

足のリンパ節に転移があるので抗ガン剤治療が始まる。3週間ごとに4回、薬を変えて6回の計10回、7ヶ月間の計画だ。


抗ガン剤治療に関することは、病院で聞くこととネット検索で出てくることでは、治療薬だったり毒と言われたりで両極端だ。

そんな不安を友に話してしばらく経った時、彼女から「ガンの患者会」の資料が届いた。


「生存率が90%」の患者会がある。玄米菜食にこだわり、これまでの行き方を変えることで、たとえステージ4であってもガンをもったままでも生きられる。

その会の勧める本を読み、会報も取り寄せ調べ始めると、治し方は病院だけではないこと、心の持ちようでガンと共存できることを知り、ガンに対する考え方が変わってきた。


さっそく主人に伝えた。

抗ガン剤が不安で不安で仕方ないこと、この患者会が勧める方法だと9割の人が生き残れること、抗ガン剤を止めてこのやり方で治したいと…。

「お前はバカか⁈  治療もせずに治るなんてうまい話があるはずない!誰がこんなもの教えたんや!」

と見せた会報を叩きつけ、物凄い勢いで怒鳴られた。


私は自分の命がかかっているから譲る訳にはいかない。

主人も私の命がかかっているからと、聞く耳を持たない。

この後、抗ガン剤治療を続けながら、玄米菜食も続け、毎日、毎日平行線のミーティングも続いた。


私の治療法の話し合いをしているはずなのに、昔のすったもんだの話も出てくる。子育てや学校行事に参加してくれなかった話、いつも不機嫌だった話、自分の趣味優先で寂しかった話。

良いこともたくさんあったのに、私だけが我慢していると思い込んでいて心が晴れることがなかった。

私が勝手に溜め込んだイライラがガンを作り、心の思い癖でガンを大きくしてしまった。


今思うに、主人と治療法に対する意見が合わなかったことが、幸いだった。反対があったからこそ、自分で選んだ養生をやり抜く覚悟と明るく生き抜く覚悟ができた。


ガンの治療法は、いくつもの中から自分に合ったものを選ぶことができる。自分が選んだ治療法を信頼し、自分の力で治していく覚悟をすればよい。


支えてくれる主人と家族、元気をくれる友に感謝している。

大丈夫。ガンを持っていても生きられる。







さらば髪の毛

抗ガン剤治療の副作用の代表格は脱毛。抗ガン剤投与後10日ほどで抜けはじめる。

ニ年前のニ月、エンドキサン、ファルモルビシンという抗ガン剤で乳ガン治療が始まった。

投与後ニ週間たっても髪は抜けなかった。もしかして私だけはこのまま抜けないんじゃないか…少し期待したが次の日からごっそり落ちていった。「抜ける」のではなく「ごっそり落ちる」が正しい。


一年で一番寒いこの時期、髪がごっそり持っていかれるのだ。頭には、残った一割ほどの髪の毛がほわほわっとのっているだけ。

ここは雪国、我が家は隙間だらけの日本家屋で夏は涼しく冬は寒さが厳しい。全ての部屋を暖めることはできない。…とここでの脱毛だ。


病院でもらう抗ガン剤副作用Q&Aパンフの中に、事前に帽子を準備せよとあったので用意していた。

ひとつはネット注文したガン患者用のサイズゆるゆる、内側絹、外側綿素材の蒸れないやつ。

もうひとつはアポピキャップ。抗ガン剤で髪を失った人のために帽子を、提供してるボランティア団体のもの。

手縫いのその帽子は、タオル一枚とアポピの名前をプリントした可愛らしいリボンテープ一本でてきている。メールで申し込むと、色の希望まで叶えて下さり、励ましのメッセージも一緒に届く。

「ありがとうアポピさん、お世話になりました。私は元気です。


脱毛が落ちついた頃、ウィッグにも目を向けた。髪が抜けた状態でやっとウィッグが試せる。髪がなくなるとひと回りかふた回りは頭が小さくなっているからだ。

私は運良くウィッグを持っている友がいて、サイズもぴったりだったので譲ってもらった。

美容院で私の顔に合うようにカットしてカラーリングもしてもらった。準備万端。


着ければオシャレなおばさんになれたのだが、その後一度もウィッグを着けて出かけることはなかった。


「絶対ガンに負けてはいけない!」

って思っていたけど、その気持ちが変わっていったからだ。


良く気の利く元気なお母さん、明るく社交的な人、アイデアあふれる仕事ができる人、以前の私はこんな風に人から見られたいと思っていた。

この理想と自分との落差が自分を苦しめる。

なりたいと思う姿があるのにそれとは違う私。

あれもこれも足りない私。

まわりの輝いている人を羨む私。


こんな私がある日気づいた。

ガンになって健康も仕事も楽しみも手元からなくなったけれど、今の私にはあふれるほどありがたいものがある。

支えてくれる家族。

困りごとを解決してくれる友。

静かに暮らせる我が家。

ガンを持っていても十分動いてくれる体。

何ひとつ不足しているものはなかった。ガンがあっても大丈夫。

このままの姿、形で良い。


良く見れば頭の形もそう悪くない。なんとなく賢そうにも見えなくもない。

このツルツル頭で私の養生生活が始まった。

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ステージ 3b

毎年受けていた乳ガン定期検診で異常なしと言われた2ヶ月後、右脇にしこりがあることに気づいた。

乳ガンなんて考えもしないから近所の病院へ。エコー検査したDr は「リンパの腫れの原因が分からないから2ヶ月後にまた来て下さい」だった。


そろそろ病院行かなくちゃ…と思った頃、おっぱいに触ってびっくり。おっぱいにも立派なしこりができていた。

「ここにしこりがある」とDr に伝えると、ピリッとした態度に変わる。

癌の疑いがあるので、しこり内の細胞を取って検査すると言う。

結果を聞くまでもなく、Dr  の態度から癌だとわかった。

これからどうなるんだろう。家族にはどう伝えよう。

一瞬で全身が癌に支配された。


結局、定期検診で異常なしと言われたにもかかわらず、自分でしこりを見つけて病院に行ったにもかかわらず、おっぱいから始まり脇と足のリンパにまで転移していた。


私は病院選びを失敗した。脇のしこりを見つけた時かかった病院が、癌を疑ってくれていたらここまでの転移はなかったと思う。

手術を決めた病院へ検査データと紹介状を持って行っても何もならなかった。また同じ検査を繰り返すのだ。

どちらの病院でも検査の空きを待って、検査して結果を待つ。待って、待って、そして毎度結果を聞くたびに Dr から「癌」と言われ縮みあがる。


今振り返ってみると、癌という病気はすぐに命を取っていくものではないようだ。

どこの病院でどのお医者さんにかかりたいか、どんな治療法を選ぶか、セカンドオピニオンも気のすむように探せる時間があったように思う。


心が弱っている時にネット検索すれば、更に不安をあおる記事。

「早く治さないと手遅れになる」「早期発見、早期治療」なんて本当だろうか。

医者が患者を恐怖に陥れ「癌患者」を増やし、患者自身が治っていく力を削いでいるのではないだろうか。


癌と診断されて目の前が真っ暗と思い込んでいる人いませんか?

落ち着いて周りを見てみると、癌と付き合いながら明るく暮らしている人はたくさんいますよ。

癌だからこそ生きる目的がはっきりして、前よりうんと生きやすくなるのです。







幸せから生まれるもの

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友人からDVDを借りた。

ザ・トゥルー・コスト。

大量生産、大量消費。ファストファッションと呼ばれる安価な衣服。なぜこれだけ安く手に入るのか考えてみましょう…という映画。

DVDとともに一冊のリレーノートがついてくる。その感想ノートの先陣を、私がきった。



私が自分の服を自由にえらべるようになった独身時代の30年前からみると、服の値段がずいぶん安くなっている。

その頃、私の服を決め手は素材だった。好きなのはウール。毎年衣替えの時、クリーニングに出し、丁寧にしまう。一夏で虫にくわれ台無しになるからだ。

結婚後サイズを替え作り直してもらって、大切にしているものが何枚もあり、今も着る。

でも今の私は、ファストファッションと呼ばれる低価格の衣料に飛びつくようになってしまった。安いから少々型崩れしても、まぁこんなもんか、ワンシーズン着られればよい…と。

服の値段が、丁寧に扱う基準にもなっていた。


ドキュメンタリーのなかで

「悲しみから生まれる服を着ても幸せになれない」と女性が泣きながら語っている。

劣悪な労働条件でも懸命に働き、使い捨てにされる労働者を知り、自然環境をまるで考えない企業の実態を知った。


今私にできることは、

服を選ぶ基準を、昔の私のものに戻す。

自分で作れるものは手作りする。このふたつ。


友「いいの着てるね」

私「これ、しまむら

誇らしげに言うことは恥ずかしいことだった。




…と感想ノートに書いた。

「衣」つながりで話すなら、私の参加してる「手しごと会議」の活動は、自分たちの手で「衣」を生み出そうとしている。

棉の種をまいて育てて収穫して染めて、織る。作っている人の顏が、土地が、環境が見える。

携わる仲間はいつも笑顔。

活動を始めて3年目。

私の養生生活とともに始まったこの活動のおかげで、私は心身ともに生き返ることができた。


「喜びから生まれる衣をまとえば幸せになる」

今年も種まきの時期がくる。



二つの水色

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友だちが去年、藍を育てた。

藍染用の一番刈り、二番刈りをした後、生葉染め用に残してくれた藍で糸を染めさせてもらった。


もう一つの水色は臭木。

この木はすらっとした細身で高い所に花が咲く。花は見つかっても足場のない所が多いと聞く。

彼女は、そんなところから採ってきてくれた。


自然からいただいた二色の水色の糸で、彼女の心意気とともに織ってみた。

彼女へプレゼント。



水色

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去年の秋、友だちが山で採ってきてくれた臭木(クサギ)。字のごとくちょっと匂う。


夏に白い花が咲き、秋に実になる。

実り具合で青の濃さが違う。

自然界では珍しい水色が出る植物。臭木の実。


去年秋、ガラ紡糸を臭木と藍の生葉で染めてみた。

経糸は藍の生葉、横糸は臭木の水色同士で準備した。

きょうショールが織り上がる。