私は何者にもなれない(かき菜王す)
哲学が好きだ。
哲学なんてクソの役にも立たない。それでも哲学が好きだー
それは思考だから好きなんだ。思考はいつでも誰でもどんな人間でも大抵できるからだ。
本と教養ーそして、書くこと、・・・これらは凄まじい時代である現代、キッチリと時を刻み寸分の狂いもなく生命を押し潰し消費する冷たい金属の歯車によって破壊された"わ"れ"わ"れ"の尊厳を慰めるーからだ。
書くことは自己慰安だー
偉大な人間たちに憧れる。糸井重里は素晴らしい天才だと思う、
ポエジイとビジネスの両立、人間性とビジネスの複合、
理想を現実に実現してるってことを思うとマジですんばらすぃ。
詩。
詩というものが持つ力。
なんつーんだろうね、、イデア界にある憧れと理想を現実界に落とし込んで体現するっつか
その時に必要になんのが詩なんだろーね。
あぁ、そんな生き方が出来たら素晴らしいな
だがしかし俺は凡人だー或いは凡人未満かもしれない
ーでも考える。
"成功"を度外視するならば、結構いろいろと世の中に必要とされていることはできる。
面白いこともできる。
だけどな、"成功"しないと食っていけないのだ
なんだろこの駄文。
でもそういうところがあってもいいよねー
合間っつうか、グレーゾーン的な場所と生き方が。
あぁーまあそうだけども魂が赦してくれないなぁ
まあいいさー
この世には根性を貫いたがゆえに、敗れ去った人だっていっぱいいる。純粋であればあるほど、この世では敗れざるを得ない。
そこなんだよ。己を貫くことは99%負けると考えて良い。
ここで思考の飛翔ができるーなら、どうする?
楽しけりゃそれで良いじゃないか。
死と人生(眠文章不成要訂正)
死ぬことは怖くない。
一度僕は死にかけている。その時の感想は、「ああ、死ぬのってこんなもんか」ってとこだった。
アホみたいな主観で思うのだけども、「死」そのものよりも、「死に至るまでの過程」の方が恐ろしい。「病苦」「苦痛」「絶望」「孤絶」「不安」とか、その手のものの方がね。
「死」自体は一瞬のことで、脈が段々弱くなっていって意識が落ちていくだけ。ベッドの上に仰向けに寝た自分の肉体の(頭ではなく)胸から腹らへんに「意識(自分の五感の主体。普通は感覚器が集中している頭だと思うがこの時は何故か胸〜腹らへんにあるように感じた)」があって、それが下へ、地球の中心へ、奈落の底へと落ちていって、弱まって、フッとかき消えるようだった。それが僕の感じた「死」。
これは大分個的な経験であって、一般化すんのは無理だろうけど。ベッドの上で死ぬのとオートバイで事故ってぶっ飛ぶんじゃあ全然違うだろう。
それでも「死」について共通して言えそうなことは、やっぱり「死」って一瞬のことだってこと。一瞬のことで、大した苦しみも痛みもない。だから「死」自体は大したもんじゃないと思う。
・それよりも辛いのは生きること。・生きるに付随して起きる拷問の数々
・孤独死ーダカラナニ?・最悪のことは拷問されて死ぬこと・生命より大切なもの・自殺の覚悟(現実問題として自殺を扱うのを避けない方が聡明だとオモ)・死よりも劣る生
結局なんか色々論を積み上げて、死とか自殺とかなんとか、で、どーせ死ぬし、死ぬことは大したことじゃねーんだから、もっと自分を自由にしてやったり、リスクとっていったり、思うように生きたっていいんじゃねーのってことを書こうとした。
どーせ死ぬ。一秒一秒死に向かう。持ち歩けんのは思い出だけ。
ああ、あと結果を受け入れること、責任を取ること。ここが一番大事だと思う
ーーでもさ、最悪死ねばいんじゃないのって思っちまうんだよな。
しかも死なんて大したことないんだし。
てかなんだこの文、気持ち悪いハウツーみたいになってr。別に誰向の文でなく自分の振り返り、考えまとめ、進歩のために書いてるのに。他人の生き方に口出せるよーな偉い生き方してるヤツなんざどこにいるんだいといつも思てるのに。
文章がひっどい。眠し、後で書き直す。
絶望病
将来が見えてしまうというのは悲しい。
というか、悲しい将来が見えやすいのが悲しい。
複数の企業でインターンしているうちに感じたのだけども、会社勤めをしている多くの人たちは、40代にもなると最早会社にしがみ付くしか手がなくなる。
うーん、そういう人たちは、会社側にとって使い易いだろうなぁ。転職先がないから辞めようがない。労働条件が悪くても我慢して働くしかない。
やっぱり、生きていくに従って、<自分でコントロールできる自分の人生の領域(自由)>が、段々少なくなる気がする。特に、僕のような凡人にとっては。
以前どこかで、<人生とは自分を自由にしていくゲームだ>と書いていたお方のブログを読んだ。今そのお方のブログを再読していて、凄い人だなとパッと思った。今あまり余裕がないのでちゃんと調べて書いてないが、(日本)人が(日本社会の)レールを外れて生きていくのは生半可なことじゃない。が、このお方はそれを成し遂げているようだ
こういう生き方もあるのか、最近手詰まり感が酷かったがなにかが見えるかも。ありがたい。
こうこうしているうちにも、(こんなことしてる場合じゃないだろ、しっかりしろ、溜まってることやんなきゃ、遅れ取りもどせ!)と自意識に責められる。辛い。
ダメになっちまいそうなぐらい追い込まれてんだよ、整理する時間をくれ、頼むよ。
書き飛ばしで失礼。
しっかりしないと
苦しい。
就活が始まった。まず間違いなくどこかには行けるだろうという直感はあるが、それがどこになるかは分からない。
人生の変化の時期で、試練の時期で、辛く、様々なことを考えている。
無意味無意味無意味ー人生なんてそもそも無意味なのに、どうしてこれほど苦しまねばならないのだろうか?その問いはずっと頭の中にある。これは僕の生存中に一生ついて回る呪縛のような問いだろう。
問いに関して、哲学は何も教えてくれないし、宗教を信じることはどうしても出来なかった。
いや、すでに僕の答えは出てしまっているのだろう。
人生は無意味で、この世は生きるに値しない。
僕の大したことない生存の中でその答えは白いシャツにこぼした墨汁みたいにはっきりと浮かび上がっちまってる。